スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岸本 彩華(きしもと いろは、1999年3月31日)は、日本… 岸本 彩華(きしもと いろは、1999年3月31日)は、日本の元ラグビー選手。主なポジションはプロップ(PR)。東京山九フェニックスの選手 現在は、自社ブランド「Maresta」を立ち上げて、ブランドディレクター兼デザイナーを務めている。 鹿児島県甑島出身。中学校2年の終わりに兄の影響でラグビーを始め、鹿児島県立鹿児島工業高等学校に入学し、ラグビー部に入部する。当時初の女子部員として、男子部員と一緒に練習を行い、全国高等学校ラグビーフットボール大会出場を目指す。高校2年時から女子ラグビー高校西日本代表として、全国大会出場(花園)を果たし、スタメンとして活躍を果たす。 卒業後、東京山九フェニックスに入部。
間世田 桜子(ませだ さくらこ、1996年3月15日 - )… 間世田 桜子(ませだ さくらこ、1996年3月15日 - )は、元鹿児島讀賣テレビ(KYT)のアナウンサー。
高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 … 高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 鹿児島工業高等学校では、7番・捕手で出場した2年生の夏の第93回全国高等学校野球選手権鹿児島大会、5番・捕手で出場した3年生の夏の第94回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において準々決勝に進出した。 高校卒業後は、福岡県福岡市の九州産業大学に進学し硬式野球部に入部。高良一輝とバッテリーを組み、3・4年生時には全日本大学野球選手権に2年連続の出場を果たす。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成選手ドラフト6巡目指名され、11月19日、支度金300万円、年俸240万円(金額は推定)で契約合意に達し、同月23日に東京ドームで新入団選手発表が行われた。
福崎 冬也(ふくざき かずや、1994年1月31日 - )は… 福崎 冬也(ふくざき かずや、1994年1月31日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはMF。 鹿児島県立鹿児島工業高等学校を卒業後、新潟県社会人サッカーリーグ1部に所属するJAPANサッカーカレッジのNIIGATA J.S.C.に加入。 2013年には有馬嘉祥、佐瀬達也とともにNIIGATA J.S.C.からSリーグのアルビレックス新潟シンガポールに移籍。 2015年に鹿児島ユナイテッドFCセカンドに移籍し2016年は九州サッカーリーグベストイレブンに選出される活躍をしたが、同チームが2016シーズン後に解散となったため、2017年からは四国サッカーリーグに所属するFC徳島セレステ(現・FC徳島)に移籍した。
玉田 博人(たまだ ひろと、1993年〈平成5年〉5月26日… 玉田 博人(たまだ ひろと、1993年〈平成5年〉5月26日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。鹿児島県鹿児島市出身。ポジションはシューティングガード。 鹿児島市立坂元台小学校、鹿児島市立坂元中学校、鹿児島県立鹿児島工業高等学校、日本経済大学を卒業。 日本経済大学在学中の2015-16シーズン、レノヴァ鹿児島にアーリーエントリー制度で加入。 チーム名が鹿児島レブナイズに変更になった後も引き続き契約。 2018-19シーズンは鹿児島のチームキャプテンを務める。 2019年12月23日、地元鹿児島でテレビレポーターをしている牧瀬加奈と入籍したことをSNSで発表。 2020-21シーズンは金沢武士団と契約した。
榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )… 榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 伊敷台小学校1年時に野球を始め、6年時には県選抜のメンバー入りし、全国大会で優勝。伊敷台中学校時代は軟式野球部でプレー。 鹿児島工業高では1年生大会でエースとして鹿児島城西高校を破り優勝。1年秋の鹿児島県大会ではエースとして準優勝に貢献し、九州大会でベスト8。2005年春のセンバツ高校野球大会に、鹿児島県の推薦校として選ばれるがセンバツ大会出場は落選。2年春の九州大会にもエースとして出場しベスト4入り。3年夏の鹿児島県大会決勝で鹿屋高校を破り、甲子園(2006年・第88回選手権大会)に出場。
桑水流 裕策(くわずる ゆうさく、1985年10月23日 -… 桑水流 裕策(くわずる ゆうさく、1985年10月23日 - )は、日本のラグビーユニオンの指導者。元ラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2004年、鹿児島工業高校卒業後、福岡大学に入る。 2005年、初めて7人制日本代表に選ばれた。 2008年、福岡大学卒業、コカ・コーラウエストレッドスパークス(現・コカ・コーラレッドスパークス)に加入。同年9月6日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の九州電力キューデンヴォルテクス戦にて先発出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、ラグビーワールドカップセブンズ2009の7人制日本代表に選ばれた。 2012年5月5日に行われたアジア5カ国対抗2012UAE戦で日本代表初キャップを獲得した。
田原 太一(たはら たいち、1982年4月27日 - )は、… 田原 太一(たはら たいち、1982年4月27日 - )は、日本の元ラグビー選手。 ラグビーは高校から始めた。 2001年、鹿児島工業高校卒業後、同志社大学に入る。 2005年、同志社大学卒業後、サントリーサンゴリアスに加入。同年9月17日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2015年、現役を引退した。
川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年〈昭和56年〉6月… 川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年〈昭和56年〉6月3日 - )は、鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ、野球解説者。右投左打。愛称は「ムネリン」他(後述)。 兄の影響で野球を始め、重富小学校時代、「重富少年野球クラブ」という軟式野球のスポーツ少年団に入団。当初は右打ちだったが、重富中学校時代にイチローの影響で左打ちに変更した。 高校は鹿児島県立鹿児島工業高等学校へ進学。甲子園への出場は叶わなかったものの、50m走で5秒9を記録するほどの俊足、同じ左打ち、安打数の多さから、地元球界ではイチローにちなんで「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれることもあった。 1999年のNPBドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから4位指名を受け、契約金4000万円、年俸600万円(年俸は推定)という条件で入団。
川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は… 川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。
佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1981年1月10日 - … 佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1981年1月10日 - )は、日本の実業家であり、GMOペパボ株式会社代表取締役社長。鹿児島県鹿児島市出身。愛称は「ケンタロさん」。 大学生時代に互いのホームページを通し、合資会社マダメ企画を経営していた家入一真と出会い、掲示板を通して交流を深める。事業を継承する有限会社paperboy&co.を家入が設立した際に、手伝わないかと声を掛けられ東和大学卒業を機に入社する。入社後は、ロリポップ!のサービスサポートやマーケティングなどを担当し、経営企画室長として上場準備にも携わる。 2009年3月25日、代表取締役社長の家入一真(当時)の退任に伴う人事異動により、代表取締役社長に就任する。
大漉 賢司(おおすき けんじ、1970年9月22日 -)は愛… 大漉 賢司(おおすき けんじ、1970年9月22日 -)は愛知県名古屋市出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。 名古屋で生まれるが、その後に鹿児島県の姶良郡に移った。父親は実業団の東レ柔道部監督を務めていたが、特に柔道を勧めることもなかったという。帖佐中学へ入学すると、柔道かバレーボールのどちらかに取り組もうと思ったが、自分の体形を考えて柔道を選択することになった。 鹿児島工業高校時代には田邉侑の厳しい指導を受けると、父親の後輩だった大石道場の大石康の勧めで明治大学へ進んだ。1年の時には優勝大会で3年先輩である世界チャンピオンの小川直也や1年先輩の吉田秀彦などとともに活躍して2位となった。
本 博国(もと ひろくに、男性、1970年3月9日 - )は… 本 博国(もと ひろくに、男性、1970年3月9日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手・ボクシング指導者。鹿児島県出身。アトランタオリンピックミドル級日本代表。右ボクサータイプ。身長178cm。鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業。自衛隊体育学校所属の海上自衛官(2021年5月現在の階級は1等海尉)。 高校卒業後、自衛隊体育学校に所属。1990年には国体成年の部・全日本社会人選手権 のいずれもライトミドル級で優勝を収めた。 1991年、全日本選手権・全日本社会人選手権のいずれもライトミドル級で優勝を収めた。1992年と1993年には全日本選手権・全日本社会人選手権のいずれもミドル級に2年連続で優勝を収め、全日本社会人選手権はライトミドル級からの通算4連覇を達成した。
いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12… いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12月31日 - 2013年〈平成25年〉3月6日)は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業高等学校を経て二松學舍大学卒。血液型AB型。デビューから十数年は本名の岩重 孝(読みは同じ)で活動していた。 高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。 当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。
佐多 みさき(さた みさき、1951年2月26日 - 202… 佐多 みさき(さた みさき、1951年2月26日 - 2021年8月[要出典])は、日本の漫画家。本名は福留 雅裕(ふくとめ まさひろ)。鹿児島県鹿児島市出身。 中学の時から、東京の『武蔵野漫画研究会』とコンタクトをとり、一コマ漫画やストーリー漫画を投稿する。鹿児島県立鹿児島工業高等学校電気科卒業後、就職のために上京。都内の電気会社に入社して約1年、が、やはり漫画家への夢を捨てきれずに、当時アシスタントを募集していた池上遼一のもとに飛び込んだ。約1年間みっちりと漫画の勉強をした後に独立、1972年に持ち込んだ原稿が採用され、『闇の中の軌跡』(芳文社『長編コミック』)でデビューした。 2021年8月、膵臓癌で死亡2021年11月号の「つりコミック」編集後記で報告された。
平山 紘一郎(ひらやま こういちろう、1949年9月9日 -… 平山 紘一郎(ひらやま こういちろう、1949年9月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元アマチュアレスリング選手でのちにレスリング日本代表監督やコーチなど歴任。1972年ミュンヘンオリンピックレスリング男子グレコローマン52キロ級銀メダリスト。鹿児島県立鹿児島工業高等学校および東洋大学卒業。元自衛官。
西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は… 西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は、日本の実業家。西原商会創業者・名誉会長。食品産業功労賞受賞。 鹿児島県出身。1966年鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業。電気工事会社の技術者を経て、1971年に父・西原喜一郎らとともに西原商会を創業。全国展開や製造子会社の吸収により急速に事業を拡大させ、2012年に西原商会会長に退いた。2023年食品産業功労賞受賞。
高城 俊男(たかじょう としお、1916年 - 1997年1… 高城 俊男(たかじょう としお、1916年 - 1997年10月31日)は、昭和時代後期から平成時代にかけて活動した日本の作詞家。俳号は渓水(けいすい)。 1916年(大正5年)、鹿児島県鹿児島郡伊敷村大字小山田(現在の鹿児島市小山田町)で農家の長男として出生。鹿児島工業学校在学中に漫画家を志し、卒業後に上京して田河水泡から弟子入りを認められアシスタントとして活動したが、実家から呼び戻されたためデビューを断念し私立校の教員となった。 鹿児島へ帰郷したのち1950年(昭和25年)に公募展で入選してから作詞家として活動するようになり、1972年(昭和47年)には市が第27回太陽国体の開催を記念して懸賞公募した「鹿児島市民歌」で応募作が入選したのを始め公募や依頼で生涯に約140曲を作詞している。
末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月2… 末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月23日 - 1995年(平成7年)12月31日)は、日本の政治家。第17代鹿児島市長。 鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業学校(現:鹿児島県立鹿児島工業高等学校)を卒業し、日本専売公社に勤務する。1951年から鹿児島県議を連続4期務める。また、1960年には日本社会党鹿児島県本部委員長となり、7期務める。 1967年鹿児島市は谷山市を合併し、新鹿児島市が発足した。合併直後の市長選に革新系から立候補し、保守系の現職の三ッ井卯三男と一騎討ちとなった。末吉は「市民との対話」を訴え、選挙戦を進め、現職を破って当選、平瀬實武以来の革新市長の誕生となった。
永井 大 は、日本の俳優、タレント。新潟県糸魚川市出身。新潟… 永井 大 は、日本の俳優、タレント。新潟県糸魚川市出身。新潟県立糸魚川白嶺高等学校、東京農業大学地域環境科学部卒業。