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遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 19… 遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 1995年11月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 福岡県甘木市生まれ。旧制福岡高校を経て、1944年、東京帝大法学部卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年4月、高等試験行政科試験に合格し、内務省に入省したが、同省の廃止に伴い労働省に転じ、1972年職業訓練局長、1973年職業安定局長を歴任した。1976年12月24日から1977年1月1日まで、事務次官代理を務めた。
申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月… 申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月15日 - 1989年2月29日)は、大韓民国のジャーナリスト、教授、政治家、独立運動家。第5・9・10・11代韓国国会議員。本貫は平山申氏、号は月崗(ウォルガン、월강)。 平安北道定州出身。1935年に新義州高等普通学校を卒業。1942年に福岡高等学校の文科を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部に入学した。1944年に学徒出陣により中国戦線に配置されたが、済南の部隊より八路軍地区に脱走し、同じく徐州の部隊より脱走した厳永植(엄영식)らと朝鮮義勇軍の一員として抗日活動に参加した。解放後の1946年に朝鮮義勇軍東満洲支隊から帰郷したが、北朝鮮共産当局によって逮捕され、17ヶ月間に監獄で過ごした。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月28日 - 2004年(平成16年)1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。 太宰府天満宮の神職(安秀院三綱)の家系であり、福岡市教育部長を務めた桑原恭助の長男として福岡県太宰府市に生まれる。1940年福岡県中学修猷館、1943年旧制福岡高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部に進学し、在学中に陸軍主計少尉として学徒出陣をしている。1947年、第1回労働基準監督官採用試験に合格。1948年、東京大学法学部を首席で卒業後、労働省に入省。 1973年、福岡県副知事に就任。労働省大臣官房長、労働基準局長、労政局長などを経て、1979年、労働事務次官に就任。
有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 199… 有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 1999年4月1日)は、日本の実業家、政治家、教育家。一寿とも。旧姓は正木。 日本統治時代の朝鮮平安北道新義州に生まれる。5歳で母親と、11歳で父親と死別し、福岡県築上町の叔父に引き取られる。小倉師範学校、福岡高等学校 (旧制)を経て、1941年東京帝国大学文学部教育学科を卒業。直ちに兵役に就く。 戦後は青葉ヶ丘女子高校(現・高稜高等学校)校長、福岡県教育委員(1948年当選)を務めた後、妻の兄である石橋健蔵が経営する若松築港(現・若築建設)に1952年に入社し、専務を経て、1958年社長に就任。後に会長(1976年)、名誉会長、相談役を歴任する。
鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1… 鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1977年2月14日)は、日本の官吏、政治家。自民党所属参議院議員(2期)。位階勲等は従三位勲二等。 福岡県みやま市(旧山門郡瀬高町)生まれ。三人兄弟の長男。父親が関東州民政署勤務で幼少期を旅順、金州、大連で過ごす。1934年、旧制福岡高等学校文科卒。1936年に高文試験合格。 1937年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省。社会局属。1938年より京都府、北海道、福島県にて経済、民生、教育、労働の各部課長、内閣総合計画局、戦災復興院参事官等を歴任。1950年から建設省住宅局企画、大臣官房人事、文書の各課長、首席監察官、住宅局長を経て、1958年 建設省大臣官房長に就任。
吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、190… 吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、1908年〈明治41年〉3月13日 - 1981年〈昭和56年〉1月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。初代北九州市長(1期)。 福岡県宗像郡河東村(現宗像市)出身。旧制福岡高校を経て1936年同志社大学法学部卒業後、日本炭鉱に入社。 1947年日本社会党から福岡県議会議員に初当選。 1950年の第1回参議院議員通常選挙福岡県地方区補選で日本社会党公認で立候補して当選。以来、参議院議員を3期務め、その間に参議院労働委員長となる。 参議院議員任期途中の1963年、北九州市の発足に伴い選出される市長選挙に立候補(告示日の同年2月28日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))。
久保田 藤麿(くぼた ふじまろ、1907年(明治40年)2月… 久保田 藤麿(くぼた ふじまろ、1907年(明治40年)2月17日 - 1993年(平成5年)5月8日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(2期)。 1907年(明治40年)、三重県鈴鹿市にて出生。 旧制福岡高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。文部省各課長。内閣総理大臣・文部大臣秘書官。文部省施設局長・管理局長・調査局長。自由民主党の文教調査副会長となり万国著作権条約会議・諸外国の教育事情を視察するために欧米各国に出張する。九州大学助教授、日本短波研究所理事長も務めた。 1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙と1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に三重1区から無所属で出馬するが、落選。
佐藤 勝也(さとう かつや、1904年4月10日 - 198… 佐藤 勝也(さとう かつや、1904年4月10日 - 1988年3月19日)は、日本の政治家、官僚、弁護士。長崎県知事などを務めた。退任後は東京にて弁護士活動をする。趣味の囲碁は2段の腕前だった。 旧制福岡高校を経て東京帝國大学(現・東京大学)法学部に入学。在学中に高等文官試験に合格し、台湾総督府、拓務省などに務めた後、内務省に移り大阪府経済部長、官選の徳島県知事などを歴任した。戦後は岡山県副知事を経て長崎県副知事を6年間務めたが、次期県知事を狙っているとみなされて1957年に西岡竹次郎(西岡武夫の父)に解任された。翌1958年に西岡の死去を受けて長崎県知事選挙に出馬し、前県会議長の金子岩三を破り当選。