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泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017… 泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017年4月29日)は、日本の法学者。専門は民法・家族法。専修大学名誉教授。法学博士(東北大学)。中川善之助門下。弟子に家永登(専修大学教授)、高橋敏(国士舘大学教授)、小野憲昭(北九州市立大学教授)、久々湊晴夫(北海学園大学教授)など。 宮城県伊具郡角田町出身。旧制山形高等学校卒業。1951年東北大学法学部卒業。東北大学法学部助手を経て、1954年専修大学法学部助教授。1961年専修大学法学部教授。1963年「相続人の責任に関する研究」にて東北大学にて法学博士受く。1972年(昭和47年)東京家庭裁判所参与。1983年(昭和58年)専修大学法学部長。
松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11… 松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11月)は、日本の仏教史学者、第26代駒澤大学総長。曹洞宗僧侶、大本山總持寺西堂・顧問。専門は中国禅宗史、曹洞宗学(瑩山禅師)。 旧制山形高校、東北大学文学部印度学科卒業。同大学院印度学専攻、駒澤大学大学院仏教学専攻修士課程修了。東北大学で山田龍城、金倉円照の薫陶を受ける。同窓には山折哲雄。駒澤大学大学院では増永霊鳳のもと中国禅宗史を修めた。 駒澤大学非常勤講師、宗学研究所所員となる。1971年に駒澤大学文学部の専任教員、のち教授に就任。文学部文化学教室主任、1986年に文学部長を歴任。1997年から2005年まで駒澤大学総長。1999年、文学部教授を定年退職。
塚本 哲人(つかもと てつんど、1925年9月2日 - 20… 塚本 哲人(つかもと てつんど、1925年9月2日 - 2008年4月9日)は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。専門は、農村社会学、社会教育学。戦後の日本農村社会学を福武直らとともに基礎づけた。 1925年、東京生まれ。1945年旧制山形高校卒業後、1948年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東京大学大学院社会学専攻満期退学。 1950年東洋大学文学部助教授、1951年東京大学文学部助手、1955年北海道大学文学部助教授を経て、1958年東北大学教育学部助教授。1972年同教授。東北大学では、1989年に定年退官をむかえるまで、東北地方の農村調査を精力的に進めるとともに、数多くの弟子を輩出した。
小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年… 小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年5月15日)は、日本の政治学者、埼玉大学名誉教授。 北海道生まれ。1945年山形高等学校文科乙類卒業。1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、東京大学社会科学研究所助手。1953年9月埼玉大学文理学部助教授、67年同経済学部教授、79年7月経済学部長。1991年定年退官、名誉教授、山梨学院大学法学部教授。1997年退職。
佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年… 佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年11月9日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 山形県出身。旧制山形高校を経て、1948年東京大学文学部心理学科卒。国立精神衛生研究所厚生技官、1967年東京大学教育学部助教授、1969年教授。1984年定年退官、名誉教授。日本・精神技術研究所心理臨床センター所長。日精研心理臨床学院長。1956年よりスタンフォード大学、WHO本部その他に学ぶ。専門は心理療法、カウンセリング。ロジャーズが提唱したクライアント中心療法を導入した。
品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6… 品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6月22日 - 2020年(令和2年)1月24日)は、日本の産婦人科学者、弘前大学名誉教授。 医療と倫理のほか、政治・社会に関する評論も書く。 東京に生まれる。東京と秋田県の農村で育つ。 旧制山形高等学校卒、1946年東北帝国大学医学部卒、同助手、1952年東北大学医学博士。58年弘前大学医学部産婦人科教授、医学部附属病院長、1983年退官、名誉教授、青森県立中央病院長。 1999年勲三等旭日中綬章受勲。 ミドリ十字によるアメリカからの非加熱血液製剤輸入を推進した過去があり、これは後の薬害エイズ事件の間接的なきっかけとなっている。 2020年1月24日死去、叙正四位。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1… 前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1日 - 1988年〈昭和63年〉6月25日)は日本の政治家、農学者。香川大学学長や香川県知事を務めた。位階は従三位。 1909年、香川県三豊郡上高瀬村(現・三豊市)で生まれる。旧制山形高校(現・山形大学)を経て、1935年に東京帝國大学(現・東京大学)農学部を卒業。専門は農業工学で、岩手大学教授などを務めている。1955年に香川大学農学部教授となり、農学部長を経て1964年に学長に就任。 1961年 東京大学農学博士。論文の題は「かんがい用貯水池の貯水能に関する研究」。 1974年に社会党、共産党、民社党、公明党などの推薦を得て香川県知事選挙に出馬。
宮田 丈夫(みやた たけお、1909年 - 1986年3月1… 宮田 丈夫(みやた たけお、1909年 - 1986年3月15日)は、日本の教育学者。お茶の水女子大学名誉教授。 山形県生まれ。1930年山形県師範学校卒、山形県内の小学校教諭、35年山形高等学校入学、38年卒業、41年東京帝国大学文学部教育学科卒、42年同大学院中退、新潟県長岡女子師範学校教授、福島師範学校教授、文部省勤務、東京学芸大学助教授、55年お茶の水女子大学助教授、教授。1958年、細谷俊夫、大嶋三男、上滝孝治郎、宮坂哲文らと教育経営学会を設立。73年定年退官、名誉教授。
阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年… 阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年4月22日)は、山形県出身の動物学者・生態学者。山形大学名誉教授。理学博士。 1907年、山形県飽海郡松山町生まれ。阿部富太郎とゆきの長男である阿部一郎の長男。叔父(父の弟)に、哲学者・美学者の阿部次郎、陸軍軍人・実業家の堀三也、動物学者の阿部余四男、日本史学者の竹岡勝也らがいる。 旧制山形高等学校を経て、1931年に東北帝国大学理学部生物学科卒業。1941年に「潮間帯ならびに浅海にすむ数種の無脊椎動物に関する生態学的研究」で東北帝国大学より理学博士の学位を授与。師道大学教授、山形県立農林専門学校教授、山形大学農学部教授を歴任。 戦前、日本学術振興会研究員として「パラオ熱帯生物研究所」に派遣されてサンゴなどの研究を行なった生物学者・生態学者であり、戦時中は満州産ドブガイなどの研究を行ない(阿部襄 1943)、終戦を吉林市で迎え(阿部襄 1970)、のちに山形大学農学部応用動物学研究室教授、山形大学名誉教授となった。
細谷 恒夫(ほそや つねお、1904年7月6日 - 1970… 細谷 恒夫(ほそや つねお、1904年7月6日 - 1970年8月17日)は、日本の教育哲学者、東北大学名誉教授。ディルタイやフッサールを研究。 山形県出身。旧制山形高校を経て、東京帝国大学文学部卒。広島高等学校(旧制)教授、東北帝国大学助教授、1943年教授。東北大学教授、67年定年退官、名誉教授、山形大学長。
木村 雄吉(きむら ゆうきち、1904年4月17日 - 19… 木村 雄吉(きむら ゆうきち、1904年4月17日 - 1989年10月10日)は、日本の生化学者・科学哲学者、東京大学名誉教授。木村謹治の弟。 秋田県秋田市生まれ。山形高等学校を経て、1928年東京帝国大学理学部動物学科卒。大学では五島清太郎に師事、求道学舎で近角常観に師事する。医学部生化学教室で柿内三郎に教えを受け、1933年理化学研究所入所、1937年第二高等学校教授、1946年東京医科歯科大学教養部設立に参与。1949年東京大学教養学部教授。1956年伝染病研究所細胞化学研究部長。1965年定年退官。1974年勲三等瑞宝章受章。1989年10月10日、肺癌のため死去。
菅井 準一(すがい じゅんいち、1903年2月1日 - 19… 菅井 準一(すがい じゅんいち、1903年2月1日 - 1982年6月14日)は、日本の科学史家。 山形県出身。旧制山形高校、東京帝国大学理学部物理学科卒業。陸軍士官学校教授などを経て、1942年文部省視学官兼科学官。教育科学研究会の科学教育研究部会数学教育分会に参加。1941年の日本科学史学会創立に加わり『近代科学成立史』を編集した。1973年横浜商科大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2… 山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2001年8月7日)は、哲学者、浄土宗の僧。 1902年、広島市南区金屋町生まれ。旧名・幹夫。1926年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 1927年より(旧制)山形高等学校教授、1929年より広島文理科大学助教授。1929から1931年まで欧米に留学して学ぶ。1935年「哲学体系構成の二途 プローティーノス解釈試論」を提出して文学博士号を取得。1936年より広島文理科大学教授。1945年に被爆し、同年望月信亨のもとで出家する。1947年、広島文理科大学を退官する。1952年より愛媛大学文理学部教授をつとめた。1953年、法蓮寺住職となり、また広島大学文学部教授となった。
木村 重(きむら しげる、1902年 - 1977年3月19… 木村 重(きむら しげる、1902年 - 1977年3月19日)は、日本の魚類学者。 茨城県出身。幼少時より鬼怒川周辺の豊かな自然に触れ、旧制山形高校在学中にはアンモナイトなど化石に興味を持ち、はるばる満州まで化石採集に赴いた。その後、興味の対象は魚類に移り、東京帝国大学農学部水産学科に入学。岸上鎌吉に師事し、卒業後、東京帝国大学農学部水産学科の副手となる。 1927年12月から翌年1月にかけて、岸上・瀬沼秀夫・蔡邦華の三名と共に南京より下流の揚子江流域調査を行う。同年5月、岸上と共に第二回目調査のため上海に渡り尉鴻謨と合流するが、済南事件が勃発し調査行は中止となる。一年後の1929年8月、第三回目調査のために董聿茂・金炤華と共に、再び上海に赴き、岸上・尉両者と合流した後に、鉄道にて鎮江経由で南京に到着。
佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 199… 佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 1990年7月3日)は、日本の独文学者、哲学者。学位は文学博士(九州帝国大学・1944年)。皇學館大学学長。皇學館大学名誉教授。 山形県川西町生まれ。旧制山形高等学校を経て、1926年に京都帝国大学文学部独文科卒。九州帝国大学法文学部助教授、文部省教学錬成所員、大日本言論報国会理事。1944年に「ゲーテノ生命体験」で九州帝国大学より文学博士の学位を取得。 戦後は、『皇道哲学』を著したことから公職適否審査会の調査対象となり、言論報国会理事であったことで公職追放となり、追放解除後の1955年に亜細亜大学教授、1965年に皇學館大學教授、1973年から1980年まで同学長、名誉教授。