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清水 英夫(しみず ひでお、1922年10月21日 - 20… 清水 英夫(しみず ひでお、1922年10月21日 - 2013年6月19日)は、日本の法学者、ジャーナリスト、弁護士。青山学院大学名誉教授。 東京府東京市本郷区出身。1942年9月東京高等学校 (旧制)卒業。1943年12月大日本帝国陸軍に召集。1945年復員。1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年4月中央公論社に入社、1949年10月同社を退社し、日本評論社に入社、その後、同社法学セミナー編集長、同社『法律時報』編集長、同社出版部長を経て、1966年4月青山学院女子短期大学助教授に就任。 1968年4月青山学院女子短期大学教授。1972年4月青山学院大学法学部教授、1983年青山学院大学法学部長。
永原 慶二(ながはら けいじ、1922年7月12日 - 20… 永原 慶二(ながはら けいじ、1922年7月12日 - 2004年7月19日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、和光大学名誉教授。専門は日本中世史。学位は、経済学博士(一橋大学・1962年)。 1922年、関東州大連市に生まれた。1942年3月に東京高等学校文科乙類を卒業後。同年4月、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1943年、文科系学生の徴兵猶予停止にともない、海軍の大竹海兵団に入団。1944年、東京帝国大学国史学科を卒業。 終戦後に帰郷し、東京帝国大学大学院に入学。1947年、東京大学史料編纂所員となり、『大日本史料』第三編の編纂業務に従事した。 このころ一橋大学では、村松恒一郎・川上多助門下の及川完助教授が戦死したのち、ながらく日本経済史担当の専任教員が空席となっており、その伝統が断絶してしまっていた。
戸田 邦雄(とだ くにお、1915年(大正4年)8月11日 … 戸田 邦雄(とだ くにお、1915年(大正4年)8月11日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の作曲家。本名は戸田盛国、別名森田邦雄。 東京府本郷の東大病院で生まれ、六本木で育つ。祖父は尾崎三良。義理のおじに尾崎行雄がいる。父親はいわゆる高等遊民だったが、1927年(昭和2年)の金融恐慌で没落した。東京府青山師範学校附属小学校から東京高等学校文科乙類を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東大オーケストラ部の仲間に、柴田南雄、入野義朗、繁田裕司(後の三木鶏郎)がいた。 1938年(昭和13年)に外務省に入る。ドイツ赴任中にカラヤンやフルトヴェングラーの演奏に接する。駐ソ連日本大使館勤務の後、独ソ戦の激化に伴い1941年(昭和16年)に帰国して諸井三郎に作曲を師事した。
高橋 浩一郎(たかはし こういちろう、1913年5月3日 -… 高橋 浩一郎(たかはし こういちろう、1913年5月3日 - 1991年8月21日)は、日本の気象学者。理学博士(東京帝国大学・論文博士・1948年)(学位論文「外插法に基く量的天気予報の研究」)。 東京市下谷区生まれ。父は医師で随筆家の高橋毅一郎。旧制東京高等学校を経て、1936年東京帝国大学理学部物理学科卒業、中央気象台に入る。1948年「外插法に基く量的天気予報の研究」で東京帝国大学より理学博士の学位を取得。気象研究所予報研究部長、札幌管区気象台長、気象庁予報部長、気象庁長官、筑波大学教授、1977年定年退官。日本気象協会副会長。1969年藤原賞受賞。
篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 19… 篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 1975年2月11日)は、日本の実業家、サッカー選手。三菱化成工業(現在の三菱ケミカル)の社長などを歴任した。 栃木県上都賀郡日光町(現:日光市)出身。東京府青山師範学校附属小学校から東京高等学校尋常科、東京高等学校高等科文科乙類を経て、1928年に東京帝国大学に入学。東京帝大ではア式蹴球部に入部して主将も務めた。また、在学中の1930年(昭和5年)に開催された第9回極東選手権のサッカー日本代表に選出され、2試合に出場して優勝に貢献した。 1931年に東京帝国大学法学部を卒業して三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社。1941年3月、田邊五兵衛商店(現在の田辺三菱製薬)に転じて専務取締役に就任。
道家 忠道(どうけ ただみち、1909年1月2日 - 198… 道家 忠道(どうけ ただみち、1909年1月2日 - 1984年1月15日 )は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京市本郷区湯島生まれ。九州門司で育ち、中学校時代より東京で生活する。1928年東京高等学校卒、1931年東京帝国大学独文科卒。1933年山形高等学校教授、1941年静岡高等学校教授、1947年東京高等学校教授、1950年東京大学教養学部助教授、1952年教授。1969年定年退官、名誉教授。1971年京都工芸繊維大学講師、1973年関西大学教授。1979年、退職。
北 通文(きた みちぶみ、1901年10月4日- 1987年… 北 通文(きた みちぶみ、1901年10月4日- 1987年4月23日)は、日本のドイツ文学者。 大分県生まれ。1926年東京帝国大学文学部独文科卒。旧制東京高等学校教授、戦後東京大学教養学部教授、1962年定年、早稲田大学商学部教授。1972年退職。
頼 成一(らい せいいち、1891年〈明治24年〉8月31日… 頼 成一(らい せいいち、1891年〈明治24年〉8月31日 - 1951年〈昭和26年〉7月21日)は、日本の国文学者、漢文学者。 旧制東京高等学校教授、東京高等師範学校教授。頼山陽5世子孫。号は楳崖(ばいがい)。広島県士族。 東京帝国大学卒業。旧制愛知県立第一中学校教諭、旧制東京高等学校教授、東京高等師範学校教授。 戦後、地元広島の旧制尾道市立女子専門学校校長、尾道短期大学初代学長。 同じく漢文学者の頼惟勤は息子。
国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日… 国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日 - 昭和25年(1950年)2月27日)は、戦前日本の記者、官僚、漢詩人。本名は種徳。石川県金沢市出身。新潟、台湾、東京で新聞記者を務めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、詔勅起草、文化財行政等に関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義した。 号は金沢西部を流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗った。また、美術編集者坂井犀水の号も犀川による。 明治6年(1873年)、石川県石川郡金沢城下(金沢市竪町)の左官職鹿島家に生まれた。初名は長松。