村上 征勝(むらかみ まさかつ、1945年5月6日 - )は… 村上 征勝(むらかみ まさかつ、1945年5月6日 - )は、日本の計量文献学者。統計数理研究所名誉教授、前同志社大学教授。専門は人文社会科学領域のデータ解析。 中華人民共和国・南京市生まれ。1968年北海道大学工学部精密工学科卒、1974年同大学院工学研究科博士課程満期退学。1973年スタンフォード大学統計学修士課程修了。1977年「統計的決定問題における残念度-安心度比基準とその応用」で北大工学博士。1974年文部省統計数理研究所研究員、82年同助教授、89‐94年総合研究大学院大学助教授兼任、92年中国人民大学名誉客員教授(称号)、94年数理研・総研大教授。2004年同志社大学文化情報学部教授。
新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、… 新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、日本の実業家、レコードプロデューサー。元レコードディレクター、ミュージシャン。
坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年〈昭和20年〉5月… 坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年〈昭和20年〉5月5日 - 2023年〈令和5年〉10月20日)は、日本の法務官僚。外国人政策研究所設立者。 法務省で34年間入国管理行政に携わり、東京入国管理局長、名古屋入国管理局長、福岡入国管理局長、仙台入国管理局長などを歴任。在日朝鮮人との出会いをきっかけに「50年間で移民1000万人受け入れる」という「移民1000万人計画」を提唱し、移住を推進しないで衰退する「小さな日本」ではなく、移住を推進する「大きな日本」を目指すべきだと主張していた。
牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は… 牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(4期)。
肥後 正弘(ひご まさひろ、1945年(昭和20年)5月4日… 肥後 正弘(ひご まさひろ、1945年(昭和20年)5月4日 - )は、日本の政治家。元宮崎県小林市長(2期)。 玉川大学文学部卒業。1971年(昭和46年)、旧小林市役所に入庁。福祉事務所長、財政課長などを歴任した。2003年(平成15年)6月、小林市収入役に就任。 2006年(平成18年)3月20日、旧小林市が須木村と合併。新市制による小林市が誕生。同年5月、改めて市の収入役に就任。2007年(平成19年)4月、小林市副市長に就任。 2010年(平成22年)4月の小林市長選挙で初当選。4月23日、市長就任。二度の市長選の選挙結果は下記参照。 2018年(平成30年)4月の市長選挙には出馬せず、2期8年で市長を退任した。
水盛 五実(みずもり いずみ、1945年(昭和20年)5月3… 水盛 五実(みずもり いずみ、1945年(昭和20年)5月3日 - )は、日本の官僚。大蔵省印刷局長、オリックス生命保険社長を歴任した。
牧 剛尓(まき ごうじ、1945年〈昭和20年〉5月3日 -… 牧 剛尓(まき ごうじ、1945年〈昭和20年〉5月3日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(1期)。 大分県出身。京都大学農学部卒。大分県庁に入り、大分土木事務所長、土木建築部企画検査室長、日田土木事務所長などを務める。2005年〈平成17年〉新たな竹田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。2009年〈平成21年〉の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、落選した。
黒沢 直輔(くろさわ なおすけ、1945年5月2日 - )は… 黒沢 直輔(くろさわ なおすけ、1945年5月2日 - )は、日本の映画監督。 東京都立新宿高等学校、関西学院大学法学部卒。1972年に日活に入社。70年代は日活で数多くのロマンポルノ作品の助監督・監督を務めた後、1980年代後半より一般映画、テレビドラマに進出。数多くの作品を現在までコンスタントに取り続ける。 代表作に『女が一番似合う職業』、『ベイシティ刑事』、『京都迷宮案内』、『朝食亭』など。
内田 力(うちだ つとむ、1945年5月2日 - )は、日本… 内田 力(うちだ つとむ、1945年5月2日 - )は、日本の経営者。コロナ社長を務めた。新潟県出身。 1968年に新潟大学工学部を卒業し、同年に内田製作所(のちのコロナ)に入社した。取締役、常務、専務、副社長を経て、1985年6月には社長に就任。2016年4月から2021年6月までに会長を務めた。
阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本… 阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本の作詞家・女優・小説家・エッセイスト。本名は木村 広子(旧姓は福田)。明治大学文学部卒業。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。 長野県長野市で出生、神奈川県横浜市出身。捜真女学校中学部・高等学部を卒業 後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学し、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。宇崎は入部に訪れた阿木を一目見て、「あ、嫁が来た!」と思ったという。テレビ出演では「妻・阿木燿子を語る」と題されたコーナーでの本人トークで「先輩から校門での部員勧誘を命じられ、はじめに声をかけた女の子がうちの嫁なんですよ。
田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 202… 田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 2025年10月7日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 現在はジャーナリストらのブログサイト「THE JOURNAL」の『田中良紹の「国会探検」』で政治についての評論をしているほか、チームニッポンの連載『田中良紹のニッポン維新』も行っている。BS11デジタルの田中康夫の番組にっぽんサイコー!にも頻繁に出演している。2009年11月14日よりインターネット「コールイン」番組『政治ホットライン〜あなたの声が届きます』のナビゲーターを務める。
真屋 尚生(まや よしお、1945年5月1日 - )は、日本… 真屋 尚生(まや よしお、1945年5月1日 - )は、日本の商学者。専門は、保険論・社会保障論。学位は、博士(商学)(慶應義塾大学・論文博士・1992年)。日本大学名誉教授。 岡山県出身。日本大学商学部教授、同大学院商学研究科教授、同大学本部学務部長を歴任。学部では保険論、社会保障論、大学院では保険論特殊講義、社会保障論特殊研究を担当。
石原 進(いしはら すすむ、1945年(昭和20年)4月30… 石原 進(いしはら すすむ、1945年(昭和20年)4月30日 - )は、日本の経営者。九州旅客鉄道元相談役。元NHK経営委員長。北九州市立大学理事長。 東京都世田谷区蛇崩川横にあった庭付き木造都営住宅で育つ。父は東京府青山師範学校(のちの東京第一師範学校)出身の公立小学校教諭。父、母、姉、妹、従姉妹の6人で同居していた。妻は国鉄職員の姪で岩手県水沢市出身。世田谷区立駒繋小学校、世田谷区立駒留中学校を経て東京都立戸山高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業する。 中学では生物クラブ部長を務めた。高校卒業後、1年間の駿台予備学校での浪人を経て東京大学教養学部に入学。東大ではワンダーフォーゲル部に所属。
岡元 勝幸(おかもと かつゆき、1945年 4月30日 - … 岡元 勝幸(おかもと かつゆき、1945年 4月30日 - )は、鹿児島県揖宿郡山川町(現・同県指宿市)出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿児島高校在学中の1963年、正一塁手として第45回全国高校野球選手権大会に出場したが、1回戦で新潟商業高校に敗れた(スコアは0-1)。 卒業後は、社会人野球の立正佼成会と大京観光で活躍。1968年にドラフト外でサンケイアトムズに入団した(背番号44)。だがプロ野球の世界では活躍できず、1年在籍しただけで引退した。 引退後、セコムに入社。1998年から2002年まで、関連企業である「セコム機器販売株式会社(現・セコムアルファ株式会社」の代表取締役を務めた。
今井 務(いまい つとむ、1945年4月29日 - )は、長… 今井 務(いまい つとむ、1945年4月29日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。 岡谷工高では投手であったが、打撃面で高く評価されていた。1963年に高校を中退し、大洋ホエールズに入団。1965年には一軍に上がり、10月27日の最終戦ではサンケイを相手に一塁手、七番打者として初の先発出場を果たす。この試合では石戸四六から4打数2安打を記録した。その後はイースタン・リーグで本塁打王や打点王を獲得するものの、一軍ではあまり出場機会に恵まれなかった。 1970年、東映フライヤーズに移籍。主に代打として起用され、同年は打率.261、2本塁打を記録。翌1971年は自己最多の58試合に出場。
山岸 正裕(やまぎし まさひろ、1945年4月29日 - )… 山岸 正裕(やまぎし まさひろ、1945年4月29日 - )は、日本の政治家。元福井県勝山市長(5期)、元福井県議会議員(2期)。 福井県勝山市出身。明治大学法学部卒業。 1995年(平成7年)4月の福井県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。1999年(平成11年)の県議選は自民党公認で立候補し無投票で再選。 2000年(平成12年)、勝山市長選挙に立候補し初当選。2016年(平成28年)、元市議の松村治門を小差でかわし5期目の当選を果たした。 2019年(令和元年)12月、翌年の市長選挙に不出馬を表明。 2021年(令和元年)11月3日、秋の叙勲において旭日中綬章を受章。 勝山市長在任中及び市長退任後に一度ずつ、えちぜん鉄道株式会社の代表取締役社長(初代、4代)を務め、2022年(令和4年)より同社取締役会長。
堀 元(ほり もとし、1945年〈昭和20年〉4月28日 -… 堀 元(ほり もとし、1945年〈昭和20年〉4月28日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。愛知県江南市議会議員(4期)。江南市議会議長(2期)、江南市長(3期)などを歴任した。 1945年(昭和20年)4月28日、愛知県江南市生まれ。1964年(昭和39年)3月、愛知県立尾北高等学校卒業。1995年(平成7年)の江南市議会議員選挙で初当選。1999年(平成11年)4月、江南市議会議員選挙で再選。 2003年(平成15年)、大池良平の不出馬に伴い20年ぶりの選挙戦となった江南市長選挙に出馬。民主党・保守新党の推薦を受けたほか、大池が連日応援演説を繰り返し、最後まで全面支援した。堀は新人4人の中で最も遅い3月中旬に市議から転身を表明。
藤本 二郎(ふじもと じろう、1945年4月28日 - )は… 藤本 二郎(ふじもと じろう、1945年4月28日 - )は、日本の実業家。株式会社ホーチキ元代表取締役社長・会長。学校法人大阪経済大学理事長を務めた。三重県出身。 1968年に大阪経済大学経済学部を卒業し東京報知機(現ホーチキ)に入社。営業、管理部門を担当、1991年取締役に就任。1996年常務取締役営業本部長、1998年専務取締役、2003年代表取締役社長に就任した。2009年代表取締役会長。2013年相談役に退き、2015-17年には特別顧問を務めた。 2005年母校である学校法人大阪経済大学評議員に就任。2014年同理事、2017年に理事長に就任し2023年の退任まで2期6年その任にあった。
下村 節宏(しもむら せつひろ、1945年4月28日 - )… 下村 節宏(しもむら せつひろ、1945年4月28日 - )は、日本の実業家。 鳥取県米子市出身。1969年に京都大学工学部を卒業し、同年に三菱電機に入社。2001年6月に取締役に就任し、自動車機器事業本部長、ビルシステム事業本部長、常務、副社長を経て、2006年4月に代表執行役社長に就任し、同年6月には取締役を兼務した。2010年から2014年までに会長を務めた。 電子情報技術産業協会会長、情報通信ネットワーク産業協会会長なども歴任した。
板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は… 板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は、北海道出身の元ノルディック複合・スキージャンプ選手。北海道小樽潮陵高等学校、明治大学商学部卒業後、国土計画入社。 1968年グルノーブルオリンピックから3大会連続出場。グルノーブルオリンピックは複合で出場し、得意のジャンプで2位につけたがクロスカントリーでは30位のタイムでトータル10位。 1972年札幌オリンピックでは笠谷幸生、金野昭次、青地清二、藤沢隆らと共に“7人の侍”と呼ばれたジャンプメンバーの1人で、70m級ジャンプは前日にメンバーが7人から4人に絞られ出場できなかったが、90m級ジャンプでは70m級銅メダルの青地に代わって出場。
小山 勝二(こやま かつじ、1945年4月27日 - )は、… 小山 勝二(こやま かつじ、1945年4月27日 - )は、日本の物理学者(宇宙物理学)・天文学者。理学博士(京都大学・1976年)。京都大学名誉教授。京都大学特任教授。21世紀COEプログラム「物理学の多様性と普遍性の探求拠点」拠点リーダー。2004年紫綬褒章受章、2018年瑞宝中綬章受章。愛知県西尾市出身。 『はくちょう』プロジェクトでは、観測結果から中性子星の状態解明に成功した。『てんま』プロジェクトでは、世界最高の波長分解能を持つ蛍光比例計数管の開発の中心となった。『ぎんが』プロジェクトでは、大受光面積比例計数管を開発し、銀河中心の高温プラズマ発見に寄与した。『あすか』プロジェクトでは、位置検出型蛍光比例計数管の開発を進め、X線反射星雲の発見に繋げた。
大貫 隆(おおぬき たかし、1945年4月26日 - )は、… 大貫 隆(おおぬき たかし、1945年4月26日 - )は、日本の宗教学者・聖書学者。専攻は、新約聖書学・古代キリスト教文学の研究。東京大学名誉教授。日本宗教学会理事。日本新約学会理事。日本聖書学研究所所員。静岡県出身。
椎名 千収(しいな せんしゅう、1945年(昭和20年)4月… 椎名 千収(しいな せんしゅう、1945年(昭和20年)4月26日 - )は、日本の政治家。元千葉県山武市長(3期)、元成東町長(3期)。 千葉県成東町(現・山武市)生まれ。1977年(昭和52年)10月、パリ第1大学経済学部卒業。父の後を継ぎ10年以上ガソリンスタンドの経営に携わった。 1990年12月、当時の成東町長の汚職に伴う出直し選挙で初当選。以後、2回の選挙は無投票当選。家庭の事情や多選を慎むべきという考えから3期で退き、2006年まで家業のガソリンスタンド経営に復帰した。 2006年(平成18年)3月27日、成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併し山武市が発足。これに伴って4月23日に行われた市長選挙に自民党の,推薦を得て出馬し初当選した。
佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は… 佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は、日本の警察官僚。第19代警察庁長官を務めた。弁護士 (第一東京弁護士会登録)。 北海道函館市出身。香川県立高松高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業後、1968年 (昭和43年)、警察庁に入庁。元々は内科医を志望していたが、警察も「社会の医者」であることから、警察に入ったという。 刑事畑が長く、入庁後は高知県警察本部刑事部鑑識課長、栃木県警察本部刑事部捜査第一課長、警視庁本富士警察署長、警視庁警務部教養課長、大阪府警察本部刑事部捜査第二課長、警視庁刑事部捜査第二課長、内閣法制局第二部参事官、警察庁長官官房総務課長、警視庁刑事部長などを歴任。
一條 孝夫(いちじょう たかお、1945年〈昭和20年〉4月… 一條 孝夫(いちじょう たかお、1945年〈昭和20年〉4月25日 - )は、日本近現代文学研究者、帝塚山学院大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1970年信州大学人文学部国文科卒、1973年旧・東京都立大学大学院国文学修士課程修了。1987年帝塚山学院短期大学専任講師、1989年助教授、1995年教授、1998年帝塚山学院大学文学部教授、リベラルアーツ学部教授。2013年退任、名誉教授。 大江健三郎を中心に研究。
大塚 龍児(おおつか りゅうじ、1945年4月23日 - )… 大塚 龍児(おおつか りゅうじ、1945年4月23日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学士(東京大学)。北海道大学名誉教授。北海学園大学教授。北海道出身。竹内昭夫門下。
小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4… 小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4月23日 - )は、日本の政治家、実業家。 長野県宮田村長(3期)、宮田村副村長、ルビコン常務執行役員、ルビコン電子専務取締役、秋田ルビコン専務取締役、韓国信英取締役副社長などを歴任。 長野県上伊那郡宮田村大久保区出身。長野県伊那北高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部法律学科を卒業。同年4月、窪田建設株式会社に入社。翌1969年(昭和44年)10月にルビコン株式会社に入社。ルビコン入社後、ルビコン総務部長、韓国信英取締役副社長、秋田ルビコン専務取締役、ルビコン電子専務取締役、ルビコン常務執行役員などを歴任。この他、宮田村消防団第3分団第2部部長、宮田村氏子総代会会長、宮田村大久保区長を務めた。
松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )… 松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )は、日本の政治家。弁護士(奈良弁護士会所属 登録番号35054)。元衆議院議員(1期)。 疎開先の香川県に生まれる。1964年(昭和39年)、大阪府立大手前高等学校卒業後、現役で、東京大学法学部入学。全共闘運動に参加し、東大全共闘のメンバーとして、安田講堂にも立てこもった。安田講堂攻防戦で凶器準備集合罪などで逮捕、起訴された。1971年(昭和46年)、大学卒業。同年、司法試験に合格。安田講堂攻防戦の判決が、確定するまで弁護士登録ができず、国会議員秘書などを務める。 司法修習33期を経て、1981年(昭和56年)、弁護士登録。新人でありながら同期の弁護士と奈良総合法律事務所を設立。
鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は… 鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は、日本の女優・歌手・ヴァイオリニスト。身長165cm、体重48kg。アートプロモーション所属。2007年まではアクターズプロモーションに所属していた。 東京都生まれ。大西学園高校卒業。1995年、『眠れる美女』などで毎日映画コンクール女優助演賞受賞。 新潟県長岡市出身のヴァイオリニスト・鰐淵賢舟とハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタの間に出生。防空壕の中での出産であった。大ドイツ主義的な解釈から日独ハーフ、ドイツ系と記述されることもある[要出典]。 父の指導のもと、3歳からヴァイオリンの英才教育を受けて8歳で全国を演奏旅行し、当時は「天才少女ヴァイオリニスト」と騒がれた。
稲田 米昭(いなだ よねあき、1945年(昭和20年)4月2… 稲田 米昭(いなだ よねあき、1945年(昭和20年)4月22日 - )は、日本の政治家。元小松島市長(2期)。旭日小綬章受章。 徳島県小松島市立江町出身。徳島県立徳島農業高等学校(現徳島県立城西高等学校)卒業。 1986年度、1987年度に小松島市立立江中学校PTA会長を務める。 1987年に小松島市議会議員に初当選。以後連続5期に渡って市議会議員を務め、2001年6月から2002年6月まで小松島市議会議長を務める。 2005年1月23日の小松島市長選に初当選した。2009年に無投票により再選し、2013年に任期満了に伴い退任した。
鈴木 まどか(すずき まどか、1945年(昭和20年)4月2… 鈴木 まどか(すずき まどか、1945年(昭和20年)4月22日 - 2018年(平成30年)1月17日)は、昭和から平成時代のエジプト学者。 愛知県に生まれる。1968年に東京芸術大学美術学部を卒業すると同時にエコール・デュ・ルーヴルに入学し、エジプト考古学美術史を専攻する。1973年に日本人として初めて同校を正式に卒業した。引き続き同校の研究課程に進み、1978年にディプロマを取得し、卒業した。1979年にソルボンヌ大学の修士号を取得。1991年に比治山女子短期大学教授に就任。1992年にソルボンヌ大学大学院博士課程を修了。1993年には比治山大学現代文化学部教授に就任。2001年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授に着任し、2015年3月に定年退職した。
片岡 遼一(かたおか りょういち、1945年4月20日 - … 片岡 遼一(かたおか りょういち、1945年4月20日 - )は、日本の実業家。新京成電鉄第8代代表取締役社長。 東京都江戸川区出身。江戸川区立西小岩小学校、千代田区立九段中学校、東京都立九段高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 1968年京成電鉄株式会社入社。企画室長、経営管理部長を経て、1998年取締役、2002年常務、2005年専務。2006年、梅崎利秋の後を受け新京成電鉄社長に就任。2012年会長。2016年相談役。2018年春の叙勲で旭日中綬章を受章。
漆間 巌(うるま いわお、1945年4月19日 - )は、日… 漆間 巌(うるま いわお、1945年4月19日 - )は、日本の警察官僚。警察庁長官、内閣官房副長官などを歴任。「第二の後藤田」との異名を持つ。勲等は旭日大綬章。 警視庁警察官の子として東京で生まれ育ち(本籍は大分県)、兄に同じく警察官僚の漆間英治(中部管区警察局長などを歴任。1958年警察庁入庁)がいる。 都立日比谷高校、東京大学法学部卒業後、1969年に警察庁入庁。入庁同期に、金重凱之、林則清、中田好昭(関東管区警察局長)など。 入庁後10年ほどは刑事畑を歩んでいたが、1980年から1983年まで外務省に出向し在ソ連日本大使館一等書記官を経験して以降は、警備公安畑の主要ポストも経験するようになった。
村野 武範(むらの たけのり、1945年〈昭和20年〉4月1… 村野 武範(むらの たけのり、1945年〈昭和20年〉4月19日 - )は、日本の俳優、タレント。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。劇団文学座出身。三浦企画所属。 東京都清瀬市出身。東京都立板橋高等学校、早稲田大学商学部卒業。 1969年、NHKで放送されたテレビドラマ『走れ玩具』(文化庁芸術祭優秀賞受賞)の主演でデビュー。1971年、映画『八月の濡れた砂』に出演し脚光を浴びる。1972年2月から1年間日本テレビ系で放映された学園ドラマ『飛び出せ!青春』の熱血教師役で人気を不動のものにする(『八月の濡れた砂』セル版DVD(2004年発売版)には、上記の2作品で共演した剛たつひととのオーディオコメンタリーが収録されている)。
山本 悦秀(やまもと えつひで、1945年4月19日 - )… 山本 悦秀(やまもと えつひで、1945年4月19日 - )は、日本の歯科医師、歯学者、開業医、金沢大学名誉教授。元金沢大学大学院医学系研究科癌医科学専攻・細胞浸潤学(歯科口腔外科)教授。元日本口腔腫瘍学会理事長青柳卓雄の義弟 1970年東京歯科大学卒業、1975年東京医科歯科大学大学院修了。以後、東京医科歯科大学助手、札幌医科大学講師、助教授を経て1988年より金沢大学教授。2011年に定年退職し、名誉教授に就任。洗足に歯科医院を開設し、現在理事長である。2026年、瑞宝中綬章受章。
大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 201… 大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 2018年7月13日)は、日本のプロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。 茨城県立土浦第三高等学校では、捕手として1962年秋季関東大会準決勝に進むが、宇都宮商に敗退。 1964年国鉄スワローズに入団。1964年、1965年と2年連続でジュニアオールスターに出場。しかし根来広光、岡本凱孝らの壁を破れず、1968年から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。
大野 紀明(おおの としあき、1945年(昭和20年)4月1… 大野 紀明(おおの としあき、1945年(昭和20年)4月18日 - 2016年(平成28年)10月20日)は、日本の政治家。愛知県稲沢市長(3期)。 愛知県稲沢市出身。1968年(昭和43年)3月、愛知大学法経学部卒業。同年、稲沢市役所に入庁。 市長就任の前年、2005年に稲沢市は祖父江町、平和町と市町村合併したが、「稲沢ブランド」を全国に売り出すことに力を入れている。2010年11月に告示された市長選挙では民主党、自民党、公明党の推薦を受けて、無投票で再選した。 2014年12月7日の市長選において市民団体事務局長の茶原正士を破り3選。 3期目の任期途中の2016年(平成28年)10月20日、稲沢市内の病院で転移性脳腫瘍のため死去、71歳没。
高見 勝利(たかみ かつとし、1945年4月17日 - )は… 高見 勝利(たかみ かつとし、1945年4月17日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・1974年)(学位論文「国民代表政成立史論-十八世紀末西欧における国民代表政の成立とその意義-」)。上智大学名誉教授、北海道大学名誉教授。兵庫県淡路島出身。小林直樹門下。 著書『芦部憲法学を読む』は芦部信喜の統治機構論を知る上で貴重である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
谷本 正憲(たにもと まさのり、1945年4月16日 - )… 谷本 正憲(たにもと まさのり、1945年4月16日 - )は、日本の自治官僚、政治家。石川県公立大学法人理事長。 石川県知事(公選第13 - 19代)、全国知事会副会長(東海北陸ブロック)などを歴任。 兵庫県西脇市生まれ。兵庫県立西脇高等学校、京都大学法学部卒業。1968年4月、自治省(現総務省)に入省。同期に早川忠孝(元衆議院議員)、西川一誠(元福井県知事)、井戸敏三(元兵庫県知事)らがいる。宮崎市助役、茨城県総務部長、旧自治省公務員第二課長、交付税課長、公営企業第一課長を経て1991年、石川県庁に出向し、中西陽一の下で副知事に就任する。 1994年、中西が任期中に死去したため新生党・公明党・民社党・日本新党・日本社会党の非自民5党推薦で石川県知事選挙に出馬。
小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )… 小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )は、日本の技術者、実業家。岡山県笠岡市出身。住友ベークライト代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
島崎 文治(しまざき ふみはる、1945年4月15日 - )… 島崎 文治(しまざき ふみはる、1945年4月15日 - )は、日本の元ラグビー選手。 保善高校から法政大学へと進学。 1964年〜1967年において法大の日本一に貢献した名CTB。 卒業後は東洋工業ラグビー部(現:マツダブルーズーマーズ)で活躍。 1970年のタイ戦で日本代表初キャップを獲得。通算キャップ数は10。 元マツダラグビー部監督であり1985年には法大ラグビー部監督に就任。 長男の島崎大地も法大ラグビー部で活躍、1992年度にCTBで日本一を経験している。 島崎が監督に就任した頃、法大ラグビー部は低迷期に入っていたが、その理由として、「合宿所の玄関は、常時靴が散乱の状態」「挨拶がまともにできていない」が挙げられると考え、当時コーチだった武村秀夫とともに、学生に徹底的な改善を促した。
山本 理顕(やまもと りけん、本名は"みちあき"、1945年… 山本 理顕(やまもと りけん、本名は"みちあき"、1945年(昭和20年)4月15日 - )は、日本の建築家。工学院大学教授、横浜国立大学大学院教授を経て、2011年より日本大学大学院特任教授。2018年より2022年まで名古屋造形大学学長。2022年より東京芸術大学客員教授。公益社団法人日本建築家協会(JIA)登録建築家。 中国北京生まれ、神奈川県横浜市育ち。1964年、関東学院中学校高等学校卒業。1968年、日本大学理工学部建築学科卒業(小林文次研究室)。1971年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。その後、東京大学生産技術研究所原広司研究室に研究生として在籍する。 1973年、山本理顕設計工場を設立。
塩田 武史(しおた たけし、1945年4月15日 - 201… 塩田 武史(しおた たけし、1945年4月15日 - 2014年9月30日)は、日本の写真家。本名は塩田武。 法政大学在学中に水俣病に関心を持ち、1970年に水俣市に移住。1972年に水俣病患者を撮影した最初の写真集を出版した。水俣市には15年間居住し、2013年のインタビューでは「居心地がよかった。ふるさとみたいです」と述べている。
辻 章(つじ あきら、1945年4月15日 - 2015年4… 辻 章(つじ あきら、1945年4月15日 - 2015年4月23日)は、日本の小説家。 神奈川県生まれ。横浜国立大学経済学部卒、講談社に入り、1981年から1984年まで『群像』編集長。 退職後、文筆活動に入り、1995年『夢の方位』で泉鏡花文学賞受賞。1998年「青山」で芥川賞候補。季刊・綜合文芸誌『ふぉとん』を主宰(2006年 - 2009年)。 2015年4月23日、くも膜下出血のため死去。70歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮川 泰夫(みやかわ やすお、1945年〈昭和20年〉4月1… 宮川 泰夫(みやかわ やすお、1945年〈昭和20年〉4月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼグティブアナウンサー。 太平洋戦争中に家族の疎開先の新潟県柏崎市で生まれ、終戦後に家族とともに東京都大田区へ転居した。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学文学部を卒業後、1968年にNHKに入局。長崎放送局を皮切りに、帯広、福島、仙台の各局に所属した。 東京アナウンス室に異動後は『NHKおはようサンデー』や『NHKモーニングワイド』のキャスターを務め、1993年に『NHKのど自慢』の司会に就任する。1994年には『第45回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当した。『NHKのど自慢』司会在任中に海外大会が行われた影響で、やがて国際的に親しまれるアナウンサーともなった。
小此木 政夫(おこのぎ まさお、1945年〈昭和20年〉4月… 小此木 政夫(おこのぎ まさお、1945年〈昭和20年〉4月14日 - )は、日本の政治学者、九州大学特任教授、慶應義塾大学名誉教授。専門は、朝鮮半島政治、朝鮮半島をめぐる国際政治。 群馬県伊勢崎市生まれ。東京都立江北高等学校を経て、1969年に慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学(1972年から1974年延世大学校に留学)、1987年に法学博士の学位を取得。 同大学法学部講師・助教授を経て、1985年から教授。2005年から2007年まで法学部長を務めた。 中長期的な外交戦略研究を目的とした小泉純一郎首相の私的諮問機関「対外タスクフォース」委員、福田康夫首相の有識者会議「外交政策勉強会」の委員を歴任。
頼富 本宏(よりとみ もとひろ、1945年4月14日 - 2… 頼富 本宏(よりとみ もとひろ、1945年4月14日 - 2015年3月30日)は、日本の仏教学者(密教学専攻)、僧侶(東寺真言宗・実相寺住職)。種智院大学密教資料研究所所長・学術顧問。種智院大学名誉教授・元学長。空海研究、曼荼羅思想研究に加え、インド・チベットの密教遺跡の現地調査も数度行っている。 1945年、香川県大川郡大川町で生まれた。神戸・實相寺開山で第1世住職であった父・頼富本信を師僧とし、1959年7月に同寺において得度。兵庫県立神戸高等学校で学び、1964年に卒業。同年4月、京都大学文学部に入学。文学部仏教学専攻で学ぶ一方、同年5月には東寺真言宗より度牒を得た。1966年8月には淡路・万福寺にて4ヶ月に及んだ四度加行を成満。
朝妻 基祐(あさづま もとすけ、1945年4月14日 - )… 朝妻 基祐(あさづま もとすけ、1945年4月14日 - )は、NHKの元アナウンサー。 米子東高等学校、東京教育大学卒業後、1970年NHK入局。初任地は富山。大分、札幌(3度勤務)、ラジオセンター、大阪と勤務。趣味、特技はビデオカメラ。2005年退職により嘱託移行。2021年3月をもって勇退。
山田 晃(やまだ あきら、1945年4月14日 - )は、日… 山田 晃(やまだ あきら、1945年4月14日 - )は、日本の経済評論家。月刊誌「産業と経済」を発行する株式会社産業と経済の取締役会長。日本出版協会理事。東京衡機社外取締役。米国アダム・スミス大学日本事務局代表役員。 長崎県出身。法政大学卒。1970年4月、大和証券投資信託販売に入社。1946年4月、田口証券(現SMBC日興証券)に入社。1972年5月、産業と経済取締役会長に就任。 実質的に支配していたやまびこ投資顧問社が、2026年4月7日に金融庁証券取引委員会から行政処分を求める勧告を受ける。
雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月1… 雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月13日 - )は、日本の通産官僚。人事院公平局長。ダイエー会長を歴任。茨城県出身。 経産省官僚から、過剰債務企業の代表格と見られたダイエーに会長として横滑りした。当初は「経産省によるダイエー再建」に当たってきたが、2004年、同社高木邦夫社長の下、UFJ銀行・三井住友銀行・みずほコーポレート銀行の主力三行との話し合いの末、竹中平蔵金融担当大臣下の金融庁による銀行救済のための不良債権減らしの目玉とされ、産業再生機構入りが決定された。 同期に、村田成二(事務次官)、一柳良雄、鴇田勝彦(TOKAI社長、中小企業庁長官)、山田豊(鹿島液化ガス共同備蓄社長、岩谷産業専務、通産研究所次長)、水谷四郎、喜田勝治郎(国際石油開発専務、国土庁官房審議官)など。