赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉… 赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名:赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。愛称はトニー。 東京府東京市麻布区麻布笄町(現在の東京都港区西麻布4丁目)で歯科医の家庭に生まれ、後に神奈川県鎌倉市へ疎開。1948年(昭和23年)4月、藤沢市鵠沼に転居する。薩摩藩士の流れである。 栄光学園中学校から藤沢市立鵠沼中学校を経て神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、成城大学文芸学部に入学した(在学中に他界)。 1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。
近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1… 近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1939年5月8日(78歳) - )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。
高橋 迪雄(たかはし みちお、1939年5月8日 - )は、… 高橋 迪雄(たかはし みちお、1939年5月8日 - )は、日本の動物生理学者。専門は獣医生理学。金沢市生まれ。
大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、… 大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表。 現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手。 中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学。鬼武健二、高重清純、丹羽洋介、野村尊敬、桑田隆幸らとプレーしている。 高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三、松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之、中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した。
岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月… 岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月7日 - )は、日本の免疫学者。元・大阪大学総長、大阪大学名誉教授。IL-6の発見者であり、免疫学の世界的権威としてその名を知られる。医学博士(大阪大学)(1969年)。大阪府富田林市生まれ。文化功労者、文化勲章。2009年、日本人初となるクラフォード賞の受賞者に選出された(平野俊夫、チャールズ・ディナレロとの共同受賞)。
小林 圭二(こばやし けいじ、1939年5月6日 - 201… 小林 圭二(こばやし けいじ、1939年5月6日 - 2019年5月27日)は、日本の原子力工学者。関東州(現:中国)大連市出身。 1953年、埼玉県熊谷市に引き揚げる。埼玉県立熊谷高等学校をへて京都大学工学部原子核工学科卒業。京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)助手を経て、2002年に同講師。2003年、定年退職。 当初は原子力発電の実用化を推進する立場で研究していたが、やがて批判に転じる。 1973年、四国電力の伊方原子力発電所1号建設に反対する住民訴訟を支援。高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)では、原告特別補佐人、証人を務めている。
石井 茂雄(いしい しげお、1939年〈昭和14年〉5月6日… 石井 茂雄(いしい しげお、1939年〈昭和14年〉5月6日 - 2005年〈平成17年〉3月28日)は、岡山県真庭郡久世町(現:真庭市)出身のプロ野球選手(投手)。 1957年8月、勝山高定時制を中退し、阪急ブレーブスに入団。高校時代に地元で行われた大学野球部の練習試合に混ざってプレーした際、大学生打者から次々と三振を取り、受けた捕手に「本当に高校生か」と聞かれたという。2年目の1958年から一軍に上がり、1962年には開幕投手に抜擢される。この年は先発陣の一角として起用されるが4勝にとどまる。翌1963年にはチーム最多の17勝を挙げ、初めて規定投球回に達して、リーグ9位の防御率2.92を記録。
竹内 透(たけうち とおる、1939年(昭和14年)5月6日… 竹内 透(たけうち とおる、1939年(昭和14年)5月6日 - )は、日本の大蔵官僚。元北海道開発事務次官。
村川 一郎(むらかわ いちろう、1939年5月6日 - 19… 村川 一郎(むらかわ いちろう、1939年5月6日 - 1998年8月27日)は、日本の政治学者。政官関係、政党論、日本国憲法制定史(現行憲法)等にも造詣が深い第一人者であった。専門は政策過程論(自民党政権時代から細川内閣、羽田内閣、自社さ政権、その後の橋本内閣までの政策決定過程)、政党論、憲法制定史などが主であるが、各政策論、各省庁論、地方自治、海外援助等にもわたり、政治行政にまつわる多岐にわたる著作、論文を執筆している。 趣味は囲碁、古書(専門中心に)等の骨董品収集等。座右の銘は『日々努力』。 その後、早稲田大学現代政治経済研究所特別研究員、米国プリンストン大学特別客員研究員などを歴任。その他、社会貢献活動として、社団法人日本戦災遺族会の設立に携わり、その後も理事として活躍。
久保 和夫(くぼ かずお、1939年5月6日 - )は、元2… 久保 和夫(くぼ かずお、1939年5月6日 - )は、元2輪ライダー、元チューナー。2輪の強豪チームだった城北ライダースに所属し、1950年代から1960年代に日本最強のモトクロスライダーと言われ、1965年に日本人として初めてモトクロス世界GPに出場した。引退後に日産系のチューニング会社である東名自動車の設立者のひとりになり、さらにスズキ系のチューナーやサプライヤーとしてSRSクボを設立。東京都板橋区出身。 東京都板橋区で大谷口モーターという名で自動車修理業(モータース)を営んでいた父(久保正一)の3男として生まれ、二人の兄(靖夫、寿夫)と共に2輪に親しんでいく。大谷口モーターには、鈴木誠一、松内弘之といった2輪好きが集まっていた。
今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月… 今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月5日 - )は、日本の政治家。初代伊賀市長(1期)、元上野市長(3期)。勲等は旭日中綬章。三重県伊賀市諏訪出身。
岩田 義文(いわた よしふみ、1939年5月4日 - )は、… 岩田 義文(いわた よしふみ、1939年5月4日 - )は、平成期の実業家。前イビデン社長(現会長)。岐阜県揖斐郡谷汲村(現・揖斐川町)出身。
今泉 淑夫(いまいずみ よしお、1939年5月3日- )は、… 今泉 淑夫(いまいずみ よしお、1939年5月3日- )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専門分野は中世文化史。 1939年、北海道で生まれた。東京大学大学院人文科学研究科で学び、1968年に修士課程を修了。 修了後は東京大学史料編纂所に勤務。1971年に講師、1979年に助教授、1985年に教授昇格。2000年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は図書館情報大学教授となったが、大学統合により統合後は筑波大学教授。2005年に筑波大学を定年退官した。
安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年… 安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年7月25日[要出典])は、北海道余市町出身の元ノルディックスキー(スキージャンプ)選手、スキー指導者、スキージャンプ審判員。 北海道余市町大川町出身。北海道余市高等学校ではスキー部に所属。在学中、ジャンプ競技では、2年生時に全道スキー大会純ジャンプ2位、全国高等学校スキー大会2位、3年生時に全国高等学校スキー大会2位の成績を残す。 1958年(昭和33年)、札幌鉄道管理局(国鉄北海道支社、現在の北海道旅客鉄道鉄道事業本部に相当)に入社。札幌鉄道管理局スキー部に入部した。当時の札鉄スキー部は、純ジャンプに秋葉信夫、大内誠一、 距離競技では工藤誠二、谷口明見(ノルディック複合、オリンピック3回出場)らの有力選手を擁していた。
飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、… 飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、日本の物理学者および化学者。埼玉県越谷市出身。文化功労者、恩賜賞・日本学士院賞受賞者、文化勲章受章者。日本学士院会員。名古屋大学高等研究院アカデミー会員、名古屋大学特別招聘教授。名城大学終身教授。NEC特別主席研究員。 カーボンナノチューブの発見(1991年)と電子顕微鏡による構造決定の功績で、世界的に有名になった。金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見(1984年)。ノーベル化学賞・物理学賞の有力候補とも見られている。 名城大学終身教授、NEC特別主席研究員をはじめ多数の職を現職で兼任する。 ナノ科学、物性物理、材料科学、電子顕微鏡学、結晶学
なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月… なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月2日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント。ラジオパーソナリティ、司会者、放送作家、著作家、声優。2024年末まで吉本興業所属。2026年1月1日よりゴッデス・エンターテイメント所属。 東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。 妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん。
伊藤 守(いとう まもる、1939年5月2日 - )は、愛知… 伊藤 守(いとう まもる、1939年5月2日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 成章高校から1958年に中日ドラゴンズへ入団。1959年に引退。
横地 由松(よこち よしまつ、1939年5月2日 - 200… 横地 由松(よこち よしまつ、1939年5月2日 - 2007年7月27日)は愛知県出身の元プロ野球選手。
栗林 慧(くりばやし さとし、1939年5月2日 - )は、… 栗林 慧(くりばやし さとし、1939年5月2日 - )は、日本の写真家、映像作家。 満洲国奉天市(現在の中華人民共和国瀋陽)生まれ、長崎県北松浦郡田平町(現:平戸市)出身。東京綜合写真専門学校中退。昆虫などの生物写真が専門。息子は現代美術家の栗林隆。 生物の撮影を元々の動機とした機材と技法の研究・開発は、生物写真の枠を超えて評価が高い。昆虫を大写しにするほどの接写であるにもかかわらず背景の無限遠までボケがわずかな、極端に被写界深度の深い「虫の目レンズ」や、飛び出す(ballistic dispersal)花粉等の 1/50000 秒を撮影するシステムの実現などがある。技術やノウハウはスチルにとどまらず動画でもその威力を発揮しており、これまでNHKの番組制作等に活用された。
本間 勝(ほんま まさる、1939年5月1日 - )は愛知県… 本間 勝(ほんま まさる、1939年5月1日 - )は愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手。
名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日… 名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日 - )は、日本の男性声優、アナウンサー。81プロデュース所属。長野県富士見町出身。 1958年、長野県諏訪清陵高等学校卒業。 1962年に早稲田大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 1999年、NHKを定年退職。声優活動を開始。 主にニュース番組で活躍。また、よど号ハイジャック事件、ドイツ日航機爆破事件、三菱重工爆破事件、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件、あさま山荘事件、小櫃川(千葉)集中豪雨、エリザベス女王訪日、昭和天皇訪米、原子力船「むつ」放射能もれ洋上漂流、佐世保修理入港、ドイツ・ベルリンの壁崩壊の国内外重要中継リポートを担当。
綿貫 甫(わたぬき はじめ、1939年4月30日 - )は、… 綿貫 甫(わたぬき はじめ、1939年4月30日 - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。自衛隊所属。1964年東京オリンピックに参加した。 1964年東京オリンピックにフリー・ライフル3姿勢で出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003… 安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003年1月20日)は日本の編集者、評論家。本名の読みは「あきら」。名前を簡略体で「安原顕」と表記することもある。 自称「天才ヤスケン」「スーパーエディター」。主に『海』『マリ・クレール』の編集者として活躍した。チリチリパーマの髪に、サングラスと髭という独特の容貌をもつ。 妻・筑土まゆみの父は、僧侶、宗教民俗学者の筑土鈴寛(つくどれいかん)。娘の安原眞琴は日本文学研究者で、2013年にドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者四代目みな子姐さん - 吉原最後の証言記録」を制作した。 東京市目黒区緑が丘に生まれ育つ。父親はサラリーマンだったが、切手やレコードのコレクションも行っている「趣味人」だった。
天野 肇(あまの はじめ、1939年4月29日 - 2022… 天野 肇(あまの はじめ、1939年4月29日 - 2022年12月30日)は、日本の実業家。元天野実業取締役会長。元福山商工会議所会頭。元広島県教育委員会委員長。 元々天野実業は、粉末調味料の製造を主な事業としていた(ちなみに、カラメルの粉末技術は日本初)。そんな中、真空凍結乾燥機を設置したことによって、大手食品メーカーから技術力への注目が高まり、日清製粉からインスタントラーメンの具を共同開発しようと持ちかけてた。当時、常務取締役だった天野は、開発に取り組み、世界初のインスタントラーメンの具(フリーズドライ)を完成させることができた。その後、1972年に起こったあさま山荘事件で、警察官が犯人との持久戦でカップラーメンを食べている姿をテレビで見て、「フリーズドライの下請けもいいが、どうせなら自社でオリジナルの商品を作ってはどうだろうか」と思い。
瀬川 純子(せがわ すみこ、1939年4月29日 - 201… 瀬川 純子(せがわ すみこ、1939年4月29日 - 2015年4月25日)は、日本のヴィオラ奏者、桐朋学園大学名誉教授。水戸室内管弦楽団メンバー。旧姓:江戸(えど)。ヴァイオリニストの瀬川祥子は長女。 三井不動産社長を務めた江戸英雄の次女として生まれる。数え年四つの頃からピアノを習い、母・弘子も講師を務めた子供のための音楽教室で学ぶ。 1959年桐朋学園短期大学(現:桐朋学園大学音楽学部)管弦打楽器専攻を卒業。齋藤秀雄等に師事する。プロ・ムジカ弦楽四重奏団に参加し、1962年度の毎日芸術賞を受賞する。 小児科医の瀬川昌也との結婚後も仕事を続け、1971年桐朋学園大学音楽学部講師、その後助教授、教授を歴任。
清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021… 清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021年3月2日)は、日本の漫画・風刺画研究家。 東京市(現大田区)生まれ、千葉県習志野市在住。日本マンガ学会、日本笑い学会、日本ペンクラブ各会員。妻は工芸作家の清水己明。 立教大学理学部数学科卒業。1963年三省堂に入社して編集者となる。1968年から1983年まで、日本リーダーズ・ダイジェスト社で勤務。1984年より研究・著作に専念。 川崎市市民ミュージアム専門研究員、文京女子短期大学非常勤講師、帝京平成大学教授、学習院女子大学非常勤講師をはじめ、日本仏学史学会会長、岡本太郎美術館収集委員、昭和館運営委員、日本漫画資料館館長などを歴任した。
保田 道世(やすだ みちよ、1939年4月28日 - 201… 保田 道世(やすだ みちよ、1939年4月28日 - 2016年10月5日)は、日本のアニメーションの色彩設計者。東京都出身。 東京都立石神井高等学校卒業後、1958年、東映動画(現:東映アニメーション)の仕上部門に入社、CMやテレビシリーズのトレースを手がける。組合活動を通じて高畑勲と宮崎駿の2人と知り合い、『太陽の王子 ホルスの大冒険』にトレースで参加した。 それ以後、Aプロダクション(現:シンエイ動画)、日本アニメーション等で『母をたずねて三千里』『未来少年コナン』など、多くの作品で仕上チーフ・色指定をつとめる。 1984年『風の谷のナウシカ』に参加して以来、スタジオジブリ劇場用作品のほとんどの色彩設計を担当。
木原 溥幸(きはら ひろゆき、1939年4月28日 - )は… 木原 溥幸(きはら ひろゆき、1939年4月28日 - )は、日本の歴史学者、香川大学名誉教授。 福岡県生まれ。1962年九州大学文理学部史学科卒、67年同大学院文学研究科博士課程中退。1998年「幕末期佐賀藩の藩政史研究」で九大文学博士。香川大学教育学部助教授、教授、2004年定年退官、名誉教授、徳島文理大学教授。1992年高松市文化奨励賞、1999年四国新聞文化賞受賞。香川歴史学会顧問、地方史研究協議会評議員。2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は… 井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は、日本の経済学者、音楽評論家,神戸商船大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。神戸大学大学院経済研究科博士課程中退。大阪府立大学教養部助手、同経済学部講師、神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)教授。1962年、中央公論社『モーツァルト大全』の懸賞論文に「読者のモーツァルト論」が入選。1987年『モーツァルト心の軌跡』でサントリー学芸賞受賞。2003年定年退官、名誉教授。自身で弦楽四重奏団を結成し、画も描く。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
三木 孝志(みき たかし、1939年4月27日 - )は、日… 三木 孝志(みき たかし、1939年4月27日 - )は、日本の陸上競技(やり投)選手。 1950年代から1960年代にかけ、日本陸上競技選手権大会の男子やり投種目優勝7回、日本記録更新9回を数える。 和歌山県立那賀高等学校在学中の1956年10月、日本陸上競技選手権大会のやり投競技で優勝(60m07)。また同年の第11回国民体育大会(兵庫県)においても、やり投競技で優勝を果たした。 早稲田大学在学中の1958年7月6日、日本学生陸上競技対校選手権大会のやり投競技において、日本記録(69m50)で優勝。1958年には自らの日本記録を3度にわたり塗りかえており、10月12日の日本陸上競技選手権大会も日本記録(72m81)で優勝した。
髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 -… 髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 - )は、日本の政治家。初代新潟県佐渡市長(2期)。 新潟県佐渡市出身。慶應義塾大学商学部卒業。 佐渡テレビジョン代表取締役社長、マルゴ味噌代表取締役社長等を経て、2000年真野町長に就任。 2004年佐渡市初代市長に就任。2期8年務め、2012年任期満了に伴い退任。 現在は「曽我さん母娘を救う会」顧問を務める。
高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2… 高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2018年5月23日)は、日本のプロボクサー・プロボクシング・トレーナー経験者、プロモーターである。青森県黒石市出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。階級はウェルター級、2017年3月まで国際ボクシングスポーツジム会長、東日本ボクシング協会副会長兼事務局長も務めた。 青森商業高校では1957年全日本高校選手権ライト級で優勝。 法政大学でも1961年、全日本大学ウェルター級優勝。 同年、三迫ジムに入門し、8月1日の奥山利夫戦でプロデビュー。 2戦目にKO負けを経験したが、その後は17連勝をマークする。 1963年3月9日、ウェルター級の世界ランク入り目指してアメリカの強豪ガーランド・ランドールと対決したが、2回KOに敗れた。
金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - … 金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - )は、日本の元女優。 実業家・金田一国士の孫。従叔祖父に言語学者・民族学者の金田一京助がいる。父は東横百貨店渋谷店長。日本女子大学附属中学校を経て、日本女子大学附属高等学校に入学。1956年、女優をしていた叔母・三宅邦子の勧めで大映ニューフェイス10期生に応募し合格。同高校を2年で中退した。なお、同期には田宮二郎、叶順子、市田ひろみ、毛利郁子らがいた。叶順子、仁木多鶴子とともに大映若手三人娘として売り出された。 1957年4月3日公開の映画『忘れじの午後8時13分』で女優デビュー。1958年11月22日公開の『恋と花火と消火弾』では宇佐ひろ子役で主演した。
本阿弥光洲(ほんあみ こうしゅう、本名:道弘、1939年(昭… 本阿弥光洲(ほんあみ こうしゅう、本名:道弘、1939年(昭和14年)4月26日 - )は、日本の刀剣研師。国宝指定刀剣の研磨を数多く手がけ、文化財の保存にも尽力している。 1939年(昭和14年)東京都に生まれる。1958年(昭和33年)芝高等学校卒業。1962年(昭和37年)國學院大學文学部史学科卒業後、父・本阿弥日洲(人間国宝)に師事し、光意系本阿弥家18代を継ぐ。1971年(昭和46年)研磨技術等発表会(刀剣研磨・外装技術発表会 )無鑑査(現代に至る)。1984年、文化庁より猿投神社の重要文化財太刀行安の研磨、法隆寺聖霊院の国宝卒末呂王所持太刀の研磨修理の監修を委嘱される。その他、東京国立博物館、宮内庁、財団法人永青文庫、京都国立博物館から研磨修理を委嘱される。
古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、… 古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、東京都出身のサッカー指導者。 東京都立江戸川高等学校を経て、日本大学文理学部体育専修を卒業後、1964年に体育教諭として帝京高校に赴任。 1965年からサッカー部監督に就任し、高校選手権6回、高校総体3回の計9回の全国制覇に導いた。 帝京では木梨憲武ら、数々の部員を指導していた。 本人はサッカーの経験はなかった。 2003年限りで一線を退き、2004年はサッカー部部長、2005年からはJリーグ・東京ヴェルディのアドバイザーに就任。育成・普及面でのサポートを行っている。 2007年に流通経済大学付属柏高等学校、2008年からは矢板中央高等学校でも指導する。
和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日… 和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日本の元競泳選手。愛媛県出身。1956年メルボルンオリンピック・1960年ローマオリンピック日本代表。自由形の元日本記録保持者。 南宇和郡御荘中学校、奈良県立五條高等学校、天理大学卒。 1956年のオリンピック選考会で100m自由形で4位に入り、400mフリーリレー要員としてメルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400m自由形で3位に入った。 1960年ローマオリンピック日本代表にも2大会連続で選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。
高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2… 高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2025年4月21日)は、日本の経営者。三和シヤッター工業会長を務めている。兵庫県出身。 1958年に灘高等学校を卒業後、1959年に同志社大学商学部を中退し、1963年に三和シヤッター工業に入社。 1972年4月に取締役に就任し、1974年4月には常務、1980年4月に副社長を経て、1981年5月に社長に就任。2007年10月には会長に就任し、2009年7月から2010年4月までに再び社長を務め、2019年まで会長を務めた。 2007年10月に三和ホールディングス社長に就任し、2012年4月に会長も兼任し、2014年6月には会長に専任。
渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は… 渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
能登 芳昭(のと よしあき、1939年〈昭和14年〉4月24… 能登 芳昭(のと よしあき、1939年〈昭和14年〉4月24日 - 2022年〈令和4年〉2月7日)は、日本の政治家。元北海道富良野市長(3期)。位階は従五位。 北海道富良野市出身。北海道富良野高等学校卒業。富良野市役所に入庁。1994年(平成6年)6月、収入役に就任。1998年(平成10年)、助役に就任。2002年(平成14年)、辞職。 2003年(平成15年)4月、富良野市議会議員に初当選。 2006年(平成18年)4月23日に行われた富良野市長選挙に自民党富良野沿線ブロックの推薦を受けて立候補。連合富良野の推薦を受けた元市議の佐々木雅夫を破り初当選を果たした。5月15日、市長就任。 2010年(平成22年)、前回戦った佐々木雅夫を破り再選。
芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月2… 芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月24日 - )は、日本の政治家。元大分県豊後大野市長(1期)。 大分県三重町(現・豊後大野市)出身。大分県立三重農業高等学校(現・大分県立三重総合高等学校)卒。卒業後は三重町役場に入り、建設、総務の各課長や助役を経て、三重町長を2期務める。2005年〈平成17年〉三重町は合併で豊後大野市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選する。2009年〈平成21年〉の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、落選した。
曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の… 曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の工学者・鉄道技術者で、工学院大学元教授、東京大学名誉教授、2005年から2013年まで西日本旅客鉄道(JR西日本)社外取締役を務めていた。専門は電気工学・交通システム工学・パワーエレクトロニクス。鉄道に関する著作・発言を広範に行っている。
蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )… 蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。佐賀県出身。4校を甲子園大会に導いている。 佐賀県佐賀市(旧川上村)の生まれ。上京後、東京都立田園調布高等学校に進学。早稲田大学では野球部で三塁コーチを務めた。卒業後は河合楽器硬式野球部に所属したが、教員試験合格後、1964年に佐賀県立佐賀商業高等学校の監督に就任。翌年に第47回全国高等学校野球選手権大会出場に導いたが、スパルタ指導が問題視され辞任。その後、千葉県に移り、千葉県立東金商業高等学校では甲子園に導けなかったが、千葉県立千葉商業高等学校では1970年の第42回選抜高等学校野球大会に導いている。1974年に千葉県立印旛高等学校に移り3度の甲子園出場を果たす。
高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 -… 高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 - )は、愛媛県宇和島市出身の空手家。大山倍達の命により設立された極真会館愛媛県支部長・極真会館(松井派)四国本部長を歴任し、現在は空手道 高見空手の総師。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中田 光雄(なかた みつお、1939年4月21日 - )は、… 中田 光雄(なかた みつお、1939年4月21日 - )は、日本の哲学研究者、哲学者。筑波大学名誉教授。 東京・小石川生まれ。1944年より群馬県。東京大学教養学部教養学科フランス分科卒、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退、パリ大学大学院哲学科博士課程(仏国政府給費招聘留学)修了。Doc.es Lettres(哲学)。筑波大学、助教授、教授、名誉教授。常磐大学、教授。仏国P.Academiques勲章。
織田尚生(おだ たかお、1939年4月21日ー2007年5月… 織田尚生(おだ たかお、1939年4月21日ー2007年5月11日)は、日本の心理学者。 高知県生まれ。鳥取大学医学部卒、1974年同大学院医学研究科修了、「REM期覚醒法による精神分裂病者の夢に関する研究」で医学博士の学位を取得。1984年チューリッヒ・ユング研究所分析家資格取得。東洋英和女学院大学人間科学部教授を務めた。専攻は精神医学、臨床心理学、分析心理学。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵… 戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(捕手)。