横山 忠始(よこやま ただし、1948年〈昭和23年〉6月2… 横山 忠始(よこやま ただし、1948年〈昭和23年〉6月23日 - 2017年〈平成29年〉11月3日)は、日本の政治家。香川県議会議員(1期)、旧詫間町長(4期)、三豊市長(3期)を歴任。第22代大阪市長の横山英幸は長男。 香川県詫間町(現・三豊市)に生まれる。 1972年、関西学院大学法学部卒業。卒業後、大平正芳の秘書となる。 1983年から1987年に、香川県議会議員。 1993年、詫間町長に就任。以後、4期務める。 2006年1月、三豊郡7町が合併したことにより三豊市が誕生し、同年2月12日の市長選で、初代市長に当選した。以後、3期務めた。 2017年9月の定例市議会で、2018年1月に予定される同市長選に立候補しない意向を表明。
池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日… 池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日本の農学者。農学博士・技術士・名誉教授。長年にわたり農業に関する研究・教育をおこなっている。研究分野は園芸学、植物栄養学、生物環境調節学、施設栽培学、養液栽培技術など多岐に渡る。 1967年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。1971年、東京教育大学農学部農学科(現筑波大学)卒業。1973年、大阪府立大学大学院農学研究科園芸農学専攻修了課程修了(蔬菜の亜硝酸害に関する研究)。1973年、大阪府立大学農学部助手、1988年、筑波大学農林学系助教授、1992年、大阪府立大学農学部教授。この間に農林水産省流動研究員(農業技術研究所、農業工学研究所など)、三重大学大学院・鳥取大学大学院などで講師兼任、福井県農業試験場客員研究員兼任。
笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22… 笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22日 - )は日本の俳優、タレント。自由劇場に所属した後、現在はグランパパプロダクション所属。身長167 cm、体重57 kg。 兵庫県出身。兵庫県立洲本高等学校卒業、日本大学芸術学部中退。 淡路島の造り酒屋「東洋長」に四男として誕生。裕福な家に育ったが、3歳の時に父を、11歳の時に母を相次ぎ亡くした。 兵庫県立洲本高等学校卒業。高校生時代は演劇部ではなく、陸上競技部と音楽部に入っていた。そこそこ足が速かったとのことで、陸上部では100メートル競走、200メートル競走の短距離や走幅跳を専門としていた。中学生時代は野球部に所属していた。しかし小さいころから腎臓と肝臓が弱く、陸上の練習中に血尿が出る事態にまでなり、最終的にはドクターストップが掛かって陸上競技は辞めてしまう。
奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)… 奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)は、日本の曹洞宗の僧侶で、インディアナ州ブルーミントンの三心寺の開山。 1997年から2010年までサンフランシスコにある曹洞宗北アメリカ開教センター(現、曹洞宗国際禅センター)長を務めた。 1948年、大阪に生まれた。その後駒澤大学に入学した。在学中の1969年に安泰寺の接心に参加、翌1970年12月8日、安泰寺にて内山興正の下で出家し、1975年に内山が隠退するまで修行を続けた 。 その後、アメリカに渡り、マサチューセッツにパイオニアヴァレー禅堂(英語版)を共同創設し、1981年までそこで禅を教えた。 その年、病気のため一旦日本に帰国し、1993年まで京都禅センターで内山の命で内山や道元の著書を日本語から英語に翻訳し始めた。
大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )… 大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )は、神奈川県小田原市出身のビューティーエキスパート。苗字の表記は正しくは「大髙」。 1973年、外資系化粧品会社のトレーナーとして勤務。1997年、フリーランスになり、女性誌や美容関連イベント、化粧品会社のアドバイザーやマーケティングに携わった。ラジオ番組J-WAVEの「VIVA! ACCESS」で、月1回「欅坂 BEAUTY CLINIC」コーナーを担当し、視聴者の美容に関する質問に答えた。
都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月… 都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月21日 - )は、日本の作曲家、編曲家。第23代文化庁長官。元日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。元エスワン・カンパニー経営者。シュン・トクラ名義でも活動している。 東京都出身。4歳のころからバイオリンを習う。父都倉栄二が外交官であったことから、7歳の時にドイツに渡り、小学校の時は、ボンのアメリカンスクールで音楽の基礎を学ぶ。12歳になり帰国。学習院中等科の同級生には元総務大臣の鳩山邦夫、元日本郵政社長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる。中学校卒業後に再びドイツに渡り、高校ではベルリンのギムナジウムに通って、「ビートキャッツ」というバンドで活動。
永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )… 永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )は、日本の写真家。大阪芸術大学写真学科教授。 故郷の高野山のほか、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国で撮影している。 1948年6月21日、和歌山県高野山生まれ。 大阪芸術大学芸術学部卒業。岩宮武二に師事。 大阪芸術大学写真学科教授。 2019年3月、大阪芸術大学写真学科教授定年退職。 1970年代頃から故郷の高野山の撮影をライフワークとしてはじめる。1980年代前半より空海の足跡を辿って日本各地や中国で撮影。1990年ごろからは日本全国の霊場などを撮影しており、多数の写真集を出版している。 台南市中西区環河街、2019年3月2日(土)~4月14日(日))
庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、… 庄田 隆(しょうだ たかし、1948年6月21日- )は、日本の経営者。石川県出身。 1972年に東京大学薬学部製薬化学科を卒業し、同年に三共に入社した。2001年に取締役に就任し、翌年には常務に就任し、2003年には社長に昇格した。2005年9月に第一三共社長に就任し、2010年から2014年までに会長を務め、2014年6月から2019年6月までに相談役を務めた。 2019年11月に旭日重光章を受章した。
山路 亨(やまじ とおる、1948年6月21日 - )は日本… 山路 亨(やまじ とおる、1948年6月21日 - )は日本の実業家。元原子力発電環境整備機構理事長。 東京都出身。1972年一橋大学法学部を卒業し、東京電力入社。同社資材部長や、常務取締役を務めた。 2006年原子力発電環境整備機構理事長に就任。特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律に基づき、概要調査地区等の選定業務にあたる。これに応じて、2007年に高知県安芸郡東洋町が応募を行ったが、受理を撤回するように求め上京した飯泉嘉門徳島県知事、橋本大二郎高知県知事と面会。面会においては「地域に迷惑を掛けないようにやっていきたい。」と答えるにとどめ、面会後の会見では「原環機構として申請の手続きは粛々と進める。
大島 清(おおしま きよし、1948年6月20日 - )は、… 大島 清(おおしま きよし、1948年6月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県伊奈町長(3期)。 埼玉県北足立郡伊奈村(現・伊奈町)出身。埼玉県立上尾高等学校を卒業後、上尾商工会議所や伊奈町観光協会で町おこしに尽力したという。中央大学法学部通信部を中退。不動産管理会社社長を務めた。 2016年(平成28年)4月24日に行われた伊奈町長選挙に自民党・公明党の推薦を得て立候補。引退する野川和好町長の長男の野川英和を大差で破り、初当選を果たした。投票率は37.57%。5月14日、町長就任。 2020年(令和2年)、無投票により再選。 2024年(令和6年)4月21日に行われた伊奈町長選挙に元兵庫県議会議員の小西彦治を大差で破り、三選を果たした。
緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )… 緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )は、日本のフリーアナウンサー、事件レポーター。 福岡県出身。1972年に上智大学卒業後、福島中央テレビに入社。後に同社を退社し『プロポーズ大作戦』(朝日放送)のコーナー司会などを経て、フジテレビ専属のレポーターとなる。また、オフィスCHKに所属していた時期がある。フジテレビで約28年に渡り事件レポーターを務めた。また、全日空61便ハイジャック事件に遭遇し、番組向けにリポートをしていた。2011年10月をもって『とくダネ!』の事件レポーターを降板。以後は複数のアナウンス学校や声優養成学校のにてアナウンス講師を務めている。
渡辺 憲正(わたなべ のりまさ、1948年6月20日 - )… 渡辺 憲正(わたなべ のりまさ、1948年6月20日 - )は、日本の社会学者、関東学院大学名誉教授。日本哲学会理事。元唯物論研究会委員長。 静岡県清水市生まれ。1973年東京大学教育学部教育哲学科卒、1982年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得満期退学。指導教官は良知力。 一橋大学助手、中国短期大学講師、助教授、1992年関東学院大学経済学部助教授、教授。2007年には副学長として関東学院大学ラグビー部部員の大麻事件に対応し、関東ラグビーフットボール協会へ報告書を提出するなどした。 2008年、唯物論研究協会委員長。2011年日本哲学会評議員、2017年同理事兼評議員。
岩渕 徹(いわぶち とおる、1948年6月20日 - )は徳… 岩渕 徹(いわぶち とおる、1948年6月20日 - )は徳間書店代表取締役会長。宮城県出身。東北大学法学部卒。 1971年、徳間書店に入社、「週刊アサヒ芸能」編集部に配属。1992年「月刊問題小説」編集長。1995年文庫編集部編集長、1998年編集四局局長、1999年取締役、2001年常務を経て、2008年社長に就任。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
西 謙二(にし けんじ、1948年6月20日 - )は、日本… 西 謙二(にし けんじ、1948年6月20日 - )は、日本の裁判官、法務官僚、弁護士。最高裁判所調査官や、法務省東京法務局訟務部長等を経て、福岡高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、法務省難民審査参与員などを務めた。 一橋大学法学部卒業。大阪地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局行政局付、東京地方裁判所判事補、東京簡易裁判所判事等を経て、1983年から1984年まで西ドイツ・シュトゥットガルト地方裁判所等に留学した。 札幌簡易裁判所判事、東京地方裁判所判事補、最高裁判所調査官、福岡地方裁判所判事、福岡高等裁判所判事、法務省東京法務局訟務部長(検事)兼内閣司法制度改革推進本部国際化検討会委員、東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事等を経て、2008年那覇家庭裁判所所長。
田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月2… 田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月20日 - )は、日本の社会思想史学者、北星学園大学元学長。経済学博士(立教大学)。 東京都生。1971年(昭和46年)法政大学経済学部卒業。1979年立教大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、同経済学部助手。1981年北星学園大学経済学部専任講師。1984年北星学園大学経済学部助教授。1991年北星学園大学経済学部教授。2001年北星学園大学院経済学研究科教授。2005年北星学園大学副学長。2006年同副学長。2012年同大学学長に就任。2018年同定年退職。同名誉教授。 専門は、社会思想史・経済思想史・経済政策論など幅広く研究。 従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆が非常勤講師を務める北星学園大に脅迫状が届いた問題では、我々も小さな大学であり学生確保も安泰ではない、来期は非常勤講師の雇用契約を更新しない、来期の更新がなくても外圧に屈したことにはならないとの考えを学内の会議で示したことを2014年10月31日の記者会見で述べた。
あべ 弘士(あべ ひろし、1948年6月19日 - )は、日… あべ 弘士(あべ ひろし、1948年6月19日 - )は、日本の絵本作家。 北海道旭川市出身。3人きょうだいの末っ子だった(上に兄と姉)。幼少時から野外での遊びに熱中し、また絵を描いたり工作することが得意だった。小学生から高校時代まで百人一首にも打ち込み、市の大会で優勝したこともあった。中学時代は野球部を目指したがベビーブーム世代で生徒数が多いため断念、スカウトされて合唱部に入り、こちらも高校3年生まで続ける。北海道旭川西高等学校を卒業[要出典]。 高校卒業後、大学受験に3年続けて失敗して進学を諦め、叔父の鉄工所に入り、跡を継ぐ前提で働く。3年間勤務しているうちに、絵に対する興味が再燃して独学で勉強を始める。
大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は… 大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は、日本の天文家。福島県田村市滝根町にある「星の村天文台」の台長。 福島市生まれ。高校生の時に、天体写真家・藤井旭に師事。高校卒業後は家業を営みつつ、藤井らと白河天体観測所を設立し、普及活動を行う。また、国立科学博物館の村山定男にも師事した。 1992年から2005年2月まで14年間、滝根町の「星の村天文台」台長を務め、2009年4月より天文台台長に再任。 (株)大野企画 会長、福島天文同好会 会長、日本宇宙少年団福島分団 団長、福島県環境アドバイザー、光学機器メーカー (株)ビクセンアドバイザー、白河天体観測所メンバー 広報担当などを務める。
三田 誠広(みた まさひろ、1948年6月18日-)は、日本… 三田 誠広(みた まさひろ、1948年6月18日-)は、日本の小説家。日本文藝家協会副理事長。日本文藝著作権センター事務局長。著作権問題を考える創作者団体協議会議長。歴史時代作家クラブ会員。武蔵野大学名誉教授(2019年-)。加賀乙彦顕彰特別文学賞選考委員、委員長。日本メンデルスゾーン協会理事長。 大阪府出身。私立追手門学院小学校、同中学校を卒業。大阪府立大手前高等学校で岩脇正人、佐々木幹郎、山崎博昭らの学生運動に参加する。2年生のとき不登校となり、1年間休学し、読書と思索の日々を送っていたとき書いた小説『Mの世界』で文藝学生小説コンクール佳作入選し、18歳の誕生日を前にして文壇にデビュー。 早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。
里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日… 里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日本の医学者。医学博士。専門は、外科学一般、移植外科、消化器外科。独立行政法人日本学術振興会理事長、日本外科学会名誉理事長。沖縄県那覇市生まれ。 第21代東北大学総長、国立大学協会会長、日本外科学会初代理事長等を歴任。 1948年6月18日、沖縄県那覇市で生まれる。1967年3月、那覇高等学校を卒業。国費・自費沖縄学生制度に応募するも進学先が選べなかったため、沖縄から遠い東北大学に進学した。在学中、東京で祖国復帰運動に参加。 1974年3月、東北大学医学部医学科を卒業。同年4月からは東京都済生会中央病院で勤務し、同年7月に医師免許を取得。
八木橋 孝男(やぎはし たかお、1948年(昭和23年)6月… 八木橋 孝男(やぎはし たかお、1948年(昭和23年)6月18日 - )は、日本の実業家。三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長を経て、藤和不動産代表取締役社長として、三菱地所レジデンス設立にあたり、同社初代代表取締役社長を務めた。東京交通会館代表取締役社長等も歴任。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1973年東北大学経済学部卒業、三菱地所入社。1995年三菱地所住宅販売取締役法人営業部長。2000年三菱地所住宅販売専務取締役。2003年三菱地所執行役員住宅開発事業本部パートナー事業部長。2005年三菱地所常務執行役員不動産サービス部門担当兼三菱地所住宅販売代表取締役社長。
小菅 正夫(こすげ まさお、1948年6月17日 - )は、… 小菅 正夫(こすげ まさお、1948年6月17日 - )は、日本の獣医師。札幌市環境局参与(札幌市円山動物園担当)。旭川市旭山動物園元園長。北海道大学客員教授。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、北海道大学獣医学部卒業。在学中は柔道に打ち込み、キャプテンもつとめた。段位は四段。 本人によると、「北大柔道部での過酷な練習であまりにも腕が太くなったため牛の直腸に腕が入らず、産業獣医師を断念した」という。就職先が見つからず悩んでいたところ、卒業間際になって旭山動物園の獣医師募集を知り、応募。 大学卒業後、1973年に入園。1986年飼育係長、1991年副園長などを経て、1995年園長に就任。一時は閉園の危機にあった旭山動物園を再建し、日本最北にして日本一の入場者を誇る動物園にまで育て上げた。
ショー・コスギ(Sho Kosugi、1948年6月17日 … ショー・コスギ(Sho Kosugi、1948年6月17日 - )は、東京都港区出身のアクション映画俳優。 本名は小杉 正一(こすぎ しょういち)。英語・演技・武道を通して国際的な俳優・人格の育成をするショー・コスギ塾(Sho Kosugi Institute、略称:SKI)の塾長でもある(2012年閉校)。 長男のケイン・コスギ、次男のシェイン・コスギも俳優。次男のシェインはショー・コスギ塾日本校のスーパーバイザーも務める。 日本大学第三高等学校在学中、六大学野球に憧れていた。本人曰く「姉に早慶戦を観戦しに初めて連れて行ってもらった時、自分の後ろで慶應義塾大学を応援しているのを聞いていたら、自分の大学じゃないかと勘違いしてしまった」ことで、慶應義塾大学に入学することを強く望んだこともあり慶大を受験するが失敗。
深沢 修一(ふかさわ しゅういち、1948年6月17日 - … 深沢 修一(ふかさわ しゅういち、1948年6月17日 - )は、山梨県北杜市武川(現役当時は、同県北巨摩郡武川村)出身の元プロ野球選手(外野手)である。
太田 素子(おおた もとこ、1948年6月17日 - )は、… 太田 素子(おおた もとこ、1948年6月17日 - )は、日本の教育学者、和光大学名誉教授。 東京都豊島区生まれ。1972年東京学芸大学卒。1975年お茶の水女子大学大学院教育学修士課程修了。郡山女子大学助教授、共栄学園短期大学教授、湘北短期大学教授、2007年和光大学現代人間学部教授。2019年退任、名誉教授。 2006年、『子宝と子返し――近世農村の家族生活と子育て』』で第2回河上肇賞奨励賞受賞。同論文を改稿出版した『子宝と子返し 近世農村の家族生活と子育て』で2008年に第6回角川財団学芸賞受賞。
倉嶋 清次(くらしま せいじ、1948年〈昭和23年〉6月1… 倉嶋 清次(くらしま せいじ、1948年〈昭和23年〉6月17日 - )は、日本の政治家。元山梨県笛吹市長(1期)。市民団体「市民連合やまなし」共同代表。 北海道旭川市出身。北海道大学農学部を経て1972年(昭和47年)に農水(現在の農林水産省)に入省。東海農政局企画調整室長、農林水産大臣官房情報化対策室長、九州農政局農政部長を歴任し、2000年(平成12年)に退職した。 2012年(平成24年)、笛吹市長選挙に出馬。多目的アリーナの建設白紙を訴え、2012年10月21日投開票の結果現職の荻野正直を破り当選した。選挙結果は以下の通り。※当日有権者数:57,141人 最終投票率:68.85%(前回比:-3.36pts) 2016年10月23日の市長選挙で再選を目指すも新人の山下政樹に敗れ落選。
ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - … ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - )は、日本の詩人、小説家。本名は禰寝 正一(読みは同じ)。東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並第四小学校、杉並区立高円寺中学校、日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。俳人としての俳号は、エンジン。 父は俳人のねじめ正也。長男は俳優のねじめ宗吾(ねじめ そうご、本名:禰寝宗吾)。長女は脚本家のねじめ彩木(ねじめ さえき)。 高円寺北口商店街の乾物屋の長男として生まれる。1966年に乾物屋が廃業し、父正也が美術・骨董を趣味としていたことから民芸店「ねじめ民芸店」を開店する。1972年に区画整理による立ち退きに遭い、阿佐ヶ谷・パール商店街に移転。
斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ… 斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ)、1948年6月15日 - )は、日本の俳優、お笑いタレント。欽ちゃんファミリーの一人であった。 東京都北区赤羽出身。日本大学法学部卒業。浅井企画所属であったが後に独立し、個人事務所「清六企画」を立ち上げた。 実家は米屋であった。地元区立小中学校を経て日大豊山高校入学。演芸が好きで中学高校時代に浅草等に通う。付属校対象による日大統一試験により内部推薦で日大法学部へ入学するも、学園紛争のあおりでレポートのみで卒業した。本人がメディア・著作で語ったところによると、学園紛争が無かったら卒業出来なかったという。 1971年、萩本欽一に弟子入りを求めて押しかける。
牧野 広義(牧野 廣義、まきの ひろよし、1948年6月15… 牧野 広義(牧野 廣義、まきの ひろよし、1948年6月15日- )は、日本の哲学研究者、阪南大学名誉教授。ヘーゲル弁証法が専門。関西勤労者教育協会会長。 奈良県生まれ。1971年京都大学文学部哲学科卒、1977年同大学院博士課程単位取得満期退学、大阪経済法科大学教養部講師、助教授、阪南大学経営情報学部教授。労働者教育協会副会長。
兜 眞徳(かぶと みちのり、1948年6月15日 - 200… 兜 眞徳(かぶと みちのり、1948年6月15日 - 2006年10月10日)は、日本の疫学研究者。 「生活環境中電磁界による小児の健康リスクに関する研究」、通称、兜研究を担当した。
藤森 利雄(ふじもり としお、1948年6月15日 - )は… 藤森 利雄(ふじもり としお、1948年6月15日 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、名古屋商工会議所副会頭、愛知県公安委員会委員長、日本港運協会副会長、名古屋税関保税会会長、東海港運協会会長、名古屋港運協会会長。黄綬褒章受章。 愛知県出身。1971年南山大学経済学部卒業、名港海運入社。2000年業務企画室長。2003年取締役業務部長兼業務企画室長に昇格。2007年常務取締役。2011年専務取締役。2013年から代表取締役社長を務めた。2016年には小林耕士、安井香一らとともに名古屋商工会議所副会頭に選任された。 平成30年度海事関係大臣表彰受賞。2019年名港海運代表取締役副会長。
柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、… 柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、日本の作家、反地雷活動家。 東京都生まれ。フェリス女学院短期大学卒。特定非営利活動法人「難民を助ける会(AAR Japan)」理事長(2000年-2008年6月)、同会会長(2009年7月~)。地雷撤去キャンペーン絵本「地雷ではなく花をください」により日本絵本賞読者賞受賞。1996年多年にわたる国際協力活動により、外務大臣表彰を受ける。2002-2004年法務省出入国管理政策懇談会難民問題に関する専門部会委員。 2021年4月21日に衆議院法務委員会で「難民を助ける会」からの参考人として、「参与員制度が始まったのは2005年からですので、私は既に17年間、参与員の任にあります。
村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 201… 村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 2013年7月5日)は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。身長177cm、体重62kg。血液型はA型。 東京都立工芸高等学校卒業。1974年4月1日に劇団青年座に入団。2013年7月5日0時20分、肝硬変のため死去。 趣味はスポーツ観戦、野外生活、園芸。 ✳︎ 十津川警部シリーズ19 伊豆七滝殺人事件 被害者原田役
吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 20… 吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 2018年8月29日)は、長野県塩尻市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 塚原高校では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で松山商の西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団。 がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の10月14日の阪神25回戦(東京)の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。
末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フ… 末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、サックス奏者。元白夜書房取締役編集局長。 岡山県吉永町(現:備前市)出身。7歳のとき、母親が若い男とダイナマイト心中した。 岡山県立備前高等学校の機械科に進学。高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職したが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3か月で退職し、川崎の父親の元へ。父親と同じ自動車工場で働く。1967年、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学。デザイン会社に入社。主に看板のデザインをする。キャバレーや風俗店の看板描きをしていたとき、元同僚がエロ本の出版社に転職し、その縁で、のちに白夜書房を創業する森下信太郎からエロ総合誌の創刊をまかされ、1975年に『ニューセルフ』を立ち上げる。
石村 僐悟(いしむら ぜんご、1948年6月14日 - 20… 石村 僐悟(いしむら ぜんご、1948年6月14日 - 2020年4月8日)は、日本の実業家。 和菓子の老舗「石村萬盛堂」の2代目社長石村善右の長男として、福岡市に生まれる。1967年福岡県立修猷館高等学校を経て、1971年東京大学経済学部を卒業。 1971年11月石村萬盛堂に入社。東京営業所長、1974年3月取締役、1776年4月専務取締役を経て、1979年12月、父・善右の死去に伴い、3代目代表取締役社長に就任。 専務取締役であった1977年、少女雑誌に、バレンタインデーのお返しがなぜ無いのかという記事が掲載されているのが目に留まり、そのお返しの日として「マシュマロデー」を創案し、翌1978年からキャンペーンを開始した。
椎橋 重(しいばし しげる、1948年6月14日 - 199… 椎橋 重(しいばし しげる、1948年6月14日 - 1998年9月3日)は、日本の男性声優。81プロデュースに所属していた。千葉県出身。 専修大学経済学部卒業。野沢那智主宰の劇団薔薇座出身。劇団フェドー劇場創立メンバー。 『ジャンヌ・ド・ピエンヌ』で初舞台。 1998年9月3日死去。50歳没。 趣味・特技はスポーツ全般、モダンダンス。 太字はメインキャラクター。
亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、… 亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、日本の実業家。帝人ファイバー代表取締役社長や、東邦テナックス代表取締役社長、帝人代表取締役副社長等を歴任した。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、1972年神戸大学経営学部卒業。荒川祐吉ゼミ出身。特技は囲碁。同年帝人入社。三原事業所での研修ののち、工繊販売部産業資材第2課に配属され、以降主に営業を担当した。2001年帝人執行役員に就任し、Akra Teijin,S.A.de.C.V.副社長を兼務。 2005年帝人グループ常務執行役員産業繊維事業グループ長兼帝人テクノプロダクツ代表取締役社長。2007年帝人グループ専務執行役員。2009年から帝人専務執行役員ポリエステル繊維事業グループ長兼帝人ファイバー代表取締役社長。
徳川 康久(とくがわ やすひさ、1948年〈昭和23年〉6月… 徳川 康久(とくがわ やすひさ、1948年〈昭和23年〉6月13日 - )は、日本の神職。靖国神社元宮司。 江戸幕府最後の征夷大将軍の徳川慶喜の曾孫。 日本銀行に務める徳川脩の長男として誕生。 学習院大学を卒業後は、石油会社にて勤務。 後に退職し、國學院大學にて、神道を学び、神職の資格を取得。 2013年に定年退任した、京極高晴の後を継ぎ、靖国神社の宮司に就任。康久の叔父の徳川熙は海軍少佐で、太平洋戦争で戦死している。2018年2月28日付で退任し、後任には伊勢神宮禰宜の小堀邦夫が就任している。 日本相撲協会の外部理事(2014年 - 2016年)、日本会議代表委員、神道政治連盟事務局長などを務めた。
楢山 芙二夫(ならやま ふじお、1948年6月13日 - 2… 楢山 芙二夫(ならやま ふじお、1948年6月13日 - 2003年1月15日)は、日本の小説家。 岩手県岩手郡雫石町生まれ。本名・富士雄。桐朋学園短期大学演劇学部卒業。1975年「ニューヨークのサムライ」でオール読物新人賞受賞、直木賞候補。1977年、『マンハッタンのバラード』で同候補。ハードボイルド小説を書いた。 2003年1月15日、内臓疾患のため岩手県雫石町の自宅にて死去。享年54 。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 202… 和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 2023年11月4日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。革命家。日本赤軍元メンバー。 宮城県仙台市出身。仙台第三高校卒業後、1968年に慶應義塾大学文学部に入学。[要出典] 映画少年だったが、医学部が米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加、マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動していた。一方で新宿の映画館「アンダーグラウンド蠍座」でアルバイトをしており、三島由紀夫、寺山修司、若松孝二といった文化人の知遇を得る機会を持った。大学中退後、若松孝二の下で働き始め、1971年から1972年にかけて、若松と足立正生の映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の『赤バス隊』と呼ばれた上映隊で全国を巡った。
上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - 202… 上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - 2025年9月18日)は、日本の政治家、弁護士。北海道札幌市長(第9代・3期)、札幌弁護士会副会長を務めた。 北海道中川郡幕別町生まれ。父は保守系の幕別町議会議員であった。幕別町立幕別中学校、北海道帯広三条高等学校、中央大学法学部卒業。 1975年、26歳で司法試験に合格し、司法修習第30期を修了。1978年。、弁護士登録し、道央法律事務所に所属する(当時の同僚に後の北海道知事・衆議院議長となる横路孝弘がいる。1983年北海道知事選挙では横路の勝手連に参加した)。「全国中学校一斉学力調査」を阻止しようとした反対派が公務執行妨害罪などに問われた旭川学力テスト事件の弁護も担当した。
戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11… 戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、日本の地理学者、高崎経済大学名誉教授。第36代日本地理学会会長(2016年 - 2017年)。群馬県前橋市総社町出身。
ちあき 哲也(ちあき てつや、本名:小林 千明(こばやし ち… ちあき 哲也(ちあき てつや、本名:小林 千明(こばやし ちあき)、1948年6月11日 - 2015年5月10日)は、神奈川県藤沢市出身の作詞家。別名:千明 哲也(ちあき てつや)。 関東学院大学卒業後、浜口庫之助に師事。作品を認められ、作詞家デビュー。在学中に「女の旅路」(歌:いとのりかずこ)を作ったことはあったが、1972年(昭和47年)の「黄色い麦わら帽子」(歌:松崎しげる)がデビュー作。 2007年に『吾亦紅』(歌:すぎもとまさと)で日本レコード大賞作詞賞を受賞。2008年に第16回スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞。 2013年7月17日 ちあき哲也・杉本眞人コンビ作品集CD『すぎもとまさと Meets ちあき哲也』発売。
大槻 正(おおつき ただし、1948年6月11日 - )は、… 大槻 正(おおつき ただし、1948年6月11日 - )は、日本の研究者。京都府生まれ。AIBOの開発、事業化の責任者として有名。 1972年に静岡大学工学部電気工学科卒業後、ソニー入社。カラーテレビの選局システムの開発等に従事。 1994年には株式会社ナムコ(現バンダイナムコゲームス)に転職して3次元CGの研究開発した。 1997年ソニーに復帰。復帰後はエンターテインメントロボット開発・事業化の責任者としてエンターテインメントロボットAIBOの開発、商品化に従事。 2003年にスミダコーポレーション、2006年にニコンに移る。ニコンでは映像カンパニーのプロジェクトリーダーとして、ヘッドマウントディスプレイ「MediaPort UP」や、静止画共有サービス「myPictureTown」などを手がけた。
神宮 敏男(じんぐう としお、1948年〈昭和23年〉6月1… 神宮 敏男(じんぐう としお、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、昭和時代の日本のフェンシング選手。1970年代の日本のトップ選手として活躍した。 群馬県安中市高別当に生まれる。私立新町高等学校を経て専修大学に学ぶ。1971年(昭和46年)佐田建設に入社。その後保険会社に勤務[要出典]。 全日本学生選手権優勝、全日本選手権優勝などの実績をあげ、1976年モントリオールオリンピックの日本代表に選出された。1974年(昭和49年)テヘランで開催されたアジア競技大会で優勝を飾る。体力的にも恵まれ、抜群の集中力を武器にしていた[要出典]。 前橋フェンシングスクールを主宰し、1988年ソウルオリンピック代表の出野晴信(英語版)を輩出した。
軒上 泊(けんじょう はく、1948年6月10日 - )は、… 軒上 泊(けんじょう はく、1948年6月10日 - )は、日本の作家。兵庫県加東郡滝野町(現・加東市)出身。本名・丸山良三。 兵庫県立社高等学校卒業後、神戸市役所に勤務しながら神戸大学経営学部第二課程で学ぶ。1973年に同大学を卒業後、播磨少年院で法務教官を務めた体験を基に小説『九月の町』を書き上げ、1977年に第50回オール讀物新人賞を受賞。同作は、翌1978年に東陽一監督、寺山修司脚本により『サード』として映画化され、高い評価を受けた。その後、1987年に『ウェルター』(村上修監督)、1989年に『べっぴんの町』(原隆仁監督)が同タイトルで映画化され、1990年には『八月の濡れたボール』を原作としたテレビドラマ『スクールウォーズ2』が放送された。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
波多江 伸子(はたえ のぶこ、1948年6月10日 - )は… 波多江 伸子(はたえ のぶこ、1948年6月10日 - )は、日本の作家、倫理学研究者。 1948年6月10日、福岡県福岡市に生まれる。西南学院大学文学部を卒業後、九州大学大学院へ進む。倫理学研究者、および作家として、医療倫理や終末期の諸問題をテーマに、公演や執筆、ボランティア活動を行う。自らも、甲状腺ガンの手術や糖尿病を長く患うといった経験があり、患者としての視点も活動に生かしている。 また、患者や医師からの依頼により、治療法などについての話し合いを仲介するコーディネーターを務めたり、遺伝子診断の倫理問題、老人心理、高齢者問題などにも取り組む。1990年、生命の尊さと死をみつめながら、助産婦を目指す若い女性の成長を描いた小説「お産婆カメちゃん」により、NTT薫風(かぜ)ドラマ大賞を受賞。
西浦 三郎(にしうら さぶろう、1948年(昭和23年)6月… 西浦 三郎(にしうら さぶろう、1948年(昭和23年)6月10日 - )は、日本の銀行家、実業家。ヒューリック代表取締役会長。リソー教育取締役。 東京都出身。父は陸軍大佐、戦後は防衛庁防衛研修所戦史室初代室長を務めた西浦進。 1971年、早稲田大学第一政経学部卒業後、富士銀行入行。 1993年5月目黒支店長、1995年5月数寄屋橋支店長、1998年6月取締役法人開発部長、1999年5月取締役営業第一部長、2000年8月常務執行役員法人グループ長兼法人開発部長を歴任。 2002年4月みずほ銀行常務執行役員、2004年4月取締役副頭取。 2006年3月、杉山清次頭取から打診を受け、日本橋興業社長(旧・ヒューリック)に就任。
有為 エンジェル(うい エンジェル、1948年6月9日 - … 有為 エンジェル(うい エンジェル、1948年6月9日 - )は、日本の小説家。初期の筆名は「有爲エィンジェル」。 岩手県出身。本名・千田有為子。東京都立千歳丘高等学校中退。「ちだ・うい」名義でハプニング・アートを行い、三島由紀夫暗殺計画を吹聴した。 イベントの企画、テレビレポーター、英国でのレストラン経営などを経て1981年帰国後、創作を始める。1982年「前奏曲」で第5回群像新人長篇小説賞受賞、1990年「踊ろう、マヤ」で第104回芥川賞候補、第19回泉鏡花文学賞受賞。