スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大西 藍(おおにし あい、1993年 - )は、日本の芸術家… 大西 藍(おおにし あい、1993年 - )は、日本の芸術家。NEWBASIC INC代表。goyemonクリエイティブディレクター。 1993年、千葉県に生まれる。東京都立工芸高等学校マシンクラフト科出身。日本大学芸術学部デザイン学科卒業後、家業であるデザイン会社に就職。 2018年に高校の同級生である武内賢太と共にgoyemonを立ち上げ、翌年2019年にMakuakeにて第一弾となる雪駄×スニーカー「unda-雲駄-」をリリース。開始1週間で2,000万円を超える支援を集めた。
きくち ゆうき(1986年 - )は、日本の漫画家、イラスト… きくち ゆうき(1986年 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。 1986年、東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校定時制インテリア科卒業。 2019年12月12日から自身のツイッター上にて4コマ漫画『100日後に死ぬワニ』を連載。多くのメディアが取り上げるほどの反響を呼び、最終回を投稿した2020年3月20日にフォロワー数は230万人を超えた。その後フォロワーは急減し2020年4〜5月の2ヶ月間のみで約50万人の減少を記録。2022年8月28日には100万人を下回り、2024年4月21日時点では約89万人となっている。 2020年『100日後に死ぬワニ』が#Twitterトレンド大賞2020年「Twitterトレンド大賞 最多リツイート賞&最多いいね賞」を受賞。
白石 慶子(しらいし けいこ、1985年10月29日 - )… 白石 慶子(しらいし けいこ、1985年10月29日 - )は、日本のアニメーション監督、映像作家。 主に、劇場・TVアニメのオープニング・エンディングアニメーション監督や、NHKの音楽番組「みんなのうた」などのアニメーションを制作している。 東京都立工芸高等学校 グラフィックアーツ科卒業。 多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科卒業。 東京藝術大学大学院 映像研究科 アニメーション専攻修了。 株式会社サンライズ CGアニメーター勤務後、独立。 株式会社フリッカ ディレクター。 桜美林大学非常勤講師。 日本アニメーション協会会員。
松井 久美(まつい くみ、1985年 - )は、日本の映像デ… 松井 久美(まつい くみ、1985年 - )は、日本の映像ディレクター、アニメーション監督、クリエイティブ・ディレクター、大学教員。東京都出身。株式会社ファンワークス所属。東京工芸大学芸術学部アニメーション学科助教。 1985年、東京都生まれ。高校時代に授業でチェコのアニメーション作品を観たことで衝撃を受け、アニメーションの世界を志すようになる。 2004年に東京都立工芸高等学校デザイン科を卒業後、東京工芸大学芸術学部アニメーション学科に進学。2008年に同大学を卒業し、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻へ進む。2010年に同大学院を修了した。 2010年5月より株式会社ポリゴン・ピクチュアズに入社し、デザイン部でゲーム内イラスト制作などに携わる。
水元 ローラ(みずもと ローラ、1983年 - )は、日本の… 水元 ローラ(みずもと ローラ、1983年 - )は、日本の漫画家。東京都出身。
田尾 沙織(たお さおり、1980年11月28日 - )は、… 田尾 沙織(たお さおり、1980年11月28日 - )は、日本の写真家。 1980年東京都品川区生まれ。2001年日本写真芸術専門学校卒業。同年、第18回写真ひとつぼ展グランプリを最年少で受賞。2007年個展『LAND of MAN』、2013年個展『ビルに泳ぐ』など。グループ展にも積極的に参加。写真集に『通学路 東京都 田尾沙織』『ビルに泳ぐ』(PLANCTON)がある。雑誌、広告、CF、映画スチールなど多方面で活動中。
森 薫(もり かおる、1978年9月18日 - )は、日本の… 森 薫(もり かおる、1978年9月18日 - )は、日本の漫画家、同人作家。東京都出身。東京都立工芸高等学校卒業。代表作に『エマ』『乙嫁語り』など。 高校生の頃から漫画を描き始め、県 文緒(あがた ふみお)名義で同人誌活動を行なっていた。その後、同人即売会にて編集者に声をかけられ、2001年発行の『コミックビーム』(エンターブレイン)2002年1月号に掲載された『エマ』第1話でデビューする。同作は2005年と2007年に『英國戀物語エマ』『英國戀物語エマ 第二幕』のタイトルでそれぞれテレビアニメ化され、2005年に第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀賞を受賞した。 作品の傾向からもうかがえるように、自他共に認めるメイド好きである。
市川 実和子(いちかわ みわこ、 1976年3月19日 - … 市川 実和子(いちかわ みわこ、 1976年3月19日 - )は、日本の女優・ファッションモデル・歌手。東京都大田区出身。パパドゥ所属。同じくモデル出身の女優である市川実日子は妹。
池田 稔(いけだ みのる、1974年10月1日 - )は、日… 池田 稔(いけだ みのる、1974年10月1日 - )は、日本の実業家。株式会社INH代表取締役社長、ゲーセンミカド経営者兼店長。ギタリスト・イケダミノロックとしても活動。 小学生の時からゲームセンターに通い始め、1993年、高校卒業後にゲームセンターの店員として働き始める。 2004年に会社を設立し、サウンドトラックCDや攻略DVDを作製して資金を貯め、2006年に歌舞伎町にて「ゲーセンミカド」を開店。 2020年現在、東京都内山手線沿線に3店舗を構える。独特の企画運営で知られ、マスメディアにもしばしば取り上げられる名店である。詳しくは ミカド (ゲームセンター) の項を参照。 『THE MADNESS BATTLE GAREGGA』(2004年)を始め、全一ハイスコアラーによるアーケードゲームの攻略DVDや独自技術で収録したサウンドトラックCDを数多く企画・制作。
井上 彩名(いのうえ あやな、1967年4月30日 - )は… 井上 彩名(いのうえ あやな、1967年4月30日 - )は、日本の女優・声優・演出家・作家 ・シルバーデザイナー。 東京都中野区出身。東京都立工芸高等学校金属工芸科卒業。 1986年に木曜ドラマストリート「若い人」でデビュー。 1988年に月9ドラマ『君が嘘をついた』の主役に抜擢され、女優として注目を集める。 1988年当時は、ロックバンド「B-Bee」のボーカリストとしても活動した。 ロックバンド筋肉少女帯のアルバムレコーディングメンバーとして参加。1989年『猫のテブクロ』 - 1992年『エリーゼのために』 1999年『ぐるぐるタウンはなまるくん』ペンギンのぺんぺ役で声優デビュー エッセイスト、イラストレーターとして、愛猫シゲチヨのエッセイを猫雑誌『猫の手帳』に掲載したのち、シゲチヨの最期の闘病記『シゲチヨ日記』を、2010年、漫画家まつらゆうこ作画で原作コミック出版。
合田 経郎(ごうだ つねお、1967年1月16日 - )は日… 合田 経郎(ごうだ つねお、1967年1月16日 - )は日本のアニメーション作家である。東京都出身。 日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。電通プロックス(現・電通テック)、ティー・ワイ・オーにてCMディレクターを務めた後、2003年に株式会社ドワーフをたちあげてアニメーション作家として独立。 日本放送協会のキャラクター「どーもくん」や2007年に劇場公開された『こまねこ』など、「こま撮り」と呼ばれる手法を使用した人形アニメ作品で知られる。宇多田ヒカル『ぼくはくま』も手掛ける。 2004年、『こまねこはじめのいっぽ』で第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。 2011年には、東日本大震災のチャリティー活動の一環として「てをつなごう だいさくせん」を提唱した。
善養寺 幸子(ぜんようじ さちこ、1966年 - ) は、日… 善養寺 幸子(ぜんようじ さちこ、1966年 - ) は、日本の女性ソーシャルシステムクリエーター。環境コンサルタント。女性建築家・一級建築士事務所オーガニックテーブル株式会社代表取締役。株式会社エコエナジーラボ 代表取締役。社団法人日本建築家協会環境行動委員会委員。有限責任中間法人環境ビジネスウィメン理事, 事務局長。eco japan cup事務局長。日本建築家協会、東京建築士会会員。現代和装スタイリストも務めている。 2004年に当時の小池百合子環境大臣の呼びかけで発足した環境ビジネスウィメンの第1期メンバー。環境省環の国くらし会議分科会メンバー。中央環境審議会臨時委員。現在、環境建築分野のオピニオンリーダー的存在で環境と共生した社会づくりに取り組み、健康や環境、省エネルギーなどに配慮する独創な環境住宅を提案。
羽海野 チカ(うみの チカ、1965年〈昭和40年〉8月30… 羽海野 チカ(うみの チカ、1965年〈昭和40年〉8月30日 - )は、日本の女性漫画家・同人作家。東京都足立区(幼少期は葛飾区)出身。東京都立工芸高等学校・デザイン科卒業。 小学生の頃からキャラクターデザイナーや漫画家になる夢を抱いており、工芸高校在学中の17歳で『ぶ〜け』(集英社)に1度だけ投稿作品が掲載されたが、卒業後は美術担当の恩師の計らいもあり入社試験を受けられ合格し、株式会社サンリオへ就職しキャラクターグッズのデザインを担当。勤務外に同人誌活動をはじめる。 3年後に同社を退職、フリーで、イラストやグッズのカットを手掛ける。漫画家への夢をあきらめず、同人誌活動は継続し、コミックマーケット参加時代には同人誌を発行。
松原 伸生(まつばら のぶお、1965年4月14日- )は、… 松原 伸生(まつばら のぶお、1965年4月14日- )は、日本の染織作家。長板中形の人間国宝。 1965年、東京都江戸川区生まれ。祖父の松原定吉は長板中形の人間国宝として知られている。父親の松原利男も染織家であり、伸生は学校卒業後に父親に師事して染織の技術を学んだ。 1984年に都立工芸高等学校デザイン科を卒業後、長板中形や藍形染めの技術を父から学び始めた。2000年には第40回伝統工芸新作展で奨励賞を受賞し、その後も数々の賞を受賞した。彼の作品は、藍染めの美しいコントラストと細やかな模様で知られており、日本国内外で高い評価を得ている。 彼のスタジオは千葉県君津市にあり、自然に囲まれた環境で手作業による染色を行っている。
尾澤 勇(おざわ いさむ、1964年 - )は、日本の工芸家… 尾澤 勇(おざわ いさむ、1964年 - )は、日本の工芸家、美術学者(美術科教育・工作・工芸科教育・金属工芸(鍛金)による作品制作)、教育者。学位は教育学修士(東京学芸大学・1989年)。秋田公立美術大学美術学部教授。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、尾沢 勇(おざわ いさむ)とも表記される。 東京都公立中学校教諭、広島大学附属中学校・高等学校教諭、東京学芸大学附属高等学校教諭、秋田公立美術大学美術学部准教授などを歴任した。 1964年、東京都にて生まれた。東京都立工芸高等学校に進学し、金属工芸科にて学んだ。1982年、東京都立工芸高等学校を卒業した。国立大学である東京学芸大学に進学し、教育学部にて学んだ。
東 啓子(あずま けいこ、1957年8月31日 - )は、日… 東 啓子(あずま けいこ、1957年8月31日 - )は、日本の女優。本名、小藤 啓子。旧姓名は芸名と同じ。 東京都中野区出身。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。創作集団、エム・スリーを経て、希楽星所属。 1969年、東映児童演技研修所(のちの東映アカデミー)に入団。高校1年時には『創作集団』に所属。 その後芸能活動を休止するが、高校卒業後に芸能活動を再開し、1976年、NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』で正式デビュー。以後、テレビドラマを中心に活動する。 1984年、テレビ朝日系のバラエティー番組『たみちゃん』にレギュラー出演。当時の紹介記事では「お笑い番組には抵抗ありません」と述べているが、当番組の出演者である萩本欽一から、過激な演技をしていたところ、抑えた演技するようにと注意されたことで「抑えた演技の方が、強烈な笑いを誘うことが分かった」と述べている。
永井 裕明(ながい ひろあき、1957年 - )は、日本のア… 永井 裕明(ながい ひろあき、1957年 - )は、日本のアートディレクター。東京造形大学教授。 東京都生まれ。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業後、ブレックファーストを経て、1989年にN.G.inc.を設立。広告デザインを中心に、ブランディング、CI・VI開発、書籍装丁、空間デザイン等を手掛ける。東京アートディレクターズクラブ(ADC)会員、東京タイプディレクターズクラブ(TDC)会員、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員。
槇村 さとる(まきむら さとる、1956年〈昭和31年〉10… 槇村 さとる(まきむら さとる、1956年〈昭和31年〉10月3日 - )は、日本の漫画家。東京都葛飾区西亀有町出身、血液型はB型。東京都立工芸高等学校工芸デザイン科卒業。女性。ペンネームの由来は、漫画家デビュー当時に好きだった人の名前から。 小さいころから絵を描くことが好きで、毎日描いていた。思春期に父親から性的虐待を受け、そのトラウマから逃れるために漫画を描き始める。漫画家を志し最初に投稿し続けたのは『りぼん』だったが、浮気心から投稿先を変更し送付したら忽ち採用となり、1973年、高校1年で『別冊マーガレット』4月号(集英社)に掲載された「白い追憶」でデビュー。高校卒業後、メーカーに就職したが、漫画の原稿料が給料を上回ったので退職し専業作家になる。
副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は… 副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクターである。 1950年、福岡県生まれ、東京都育ち。1968年、東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て副田デザイン制作所設立。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイナー協会会員。 朝日広告賞、東京ADC賞、TCC特別賞、毎日広告デザイン賞、読売広告大賞、フジサンケイグループ広告大賞新聞制作者賞、日経広告賞、日経広告賞商品広告賞など受賞多数。
福田 哲夫(ふくだ てつお、1949年 - )は、日本のイン… 福田 哲夫(ふくだ てつお、1949年 - )は、日本のインダストリアルデザイナー。 1967年に東京都立工芸高等学校を卒業して日産自動車に入社する。1970年代に独立してデザイナーとしての活動を始める。 デザインする製品は幅広く、特に鉄道車両の分野では新幹線300系電車、新幹線400系電車、新幹線700系電車、新幹線N700系電車、新幹線E2系電車、新幹線E4系電車などを手がけた。一連の新幹線車両の設計では、前頭部分に空力デザインのエリアルールの考え方を鉄道車両に持ち込んだとされている。JR東日本651系、JR東海キハ85など多数の在来線車両の内外装のデザインにも関わった。 学術分野では、首都大学東京教授を経て、2008年より東京都立産業技術大学院大学教授を務め、その後同大学名誉教授となる。
秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 20… 秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 2018年9月19日)は、日本の編集者、プロデューサー、クリエィティブディレクター、装丁家、俳優、作詞家、作曲家。千葉県松戸市生まれ。スコブルコンプレックス會社・主宰。資生堂文化デザイン部編集委員。 本人いわく「都市・空間・商品・宣伝・編集・芸能・芸術・食・身体・生活・ファッションなど多領域の仕事群を『魅力づくり』として遂行」する仕事を行っている。 1960年代には「秋山未知汚」「秋山未痴汚」名義を、1970年代には「秋山ミチヲ」名義を用いていた。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。同級生には南伸坊がいた。高校時代はバンドを組んでいて、おしゃれだった。
村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 201… 村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 2013年7月5日)は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。身長177cm、体重62kg。血液型はA型。 東京都立工芸高等学校卒業。1974年4月1日に劇団青年座に入団。2013年7月5日0時20分、肝硬変のため死去。 趣味はスポーツ観戦、野外生活、園芸。 ✳︎ 十津川警部シリーズ19 伊豆七滝殺人事件 被害者原田役
南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月… 南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月30日 - )は、日本の編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家。本の装幀も多数手掛ける。 ペンネームは、宮武外骨の『滑稽新聞』に登場する絵師、「墨池亭黒坊」に因んで、本名の伸宏をもじったもの。エッセイに自らイラストをつける手法により、「イラストライター」と自称する。あたたかみのある描線の似顔絵や、シンプルながら洗練された装幀で知られる。第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。 『ハリガミ考現学』での貼紙の研究により、赤瀬川原平が提唱した路上観察学会にも参加。丸刈りでおむすび型の頭をトレードマークにしており、これを強調した自画像イラストでも知られる。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、… 大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、東京出身の俳人。本名・一昭。東京市(現・北区)生。東京都立工芸高校機械科卒。在学中より作句。1965年、「春燈」の木下夕爾追悼号を読んだことで同誌に興味を持ち、1967年入会。安住敦に師事、成瀬櫻桃子に兄事。1975年、春燈賞受賞。1982年、『遠嶺』で第6回俳人協会新人賞受賞。2004年、「春燈」退会し、季刊同人誌「瀝」を創刊、代表同人を務める。2007年、『笙歌』で第47回俳人協会賞受賞。代表句に「笛吹いて了る童話よ遠嶺に雪」などがあり、叙情味のある自然詠が特色。他の句集に『桐の花』がある。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
倉俣 史朗(くらまた しろう、1934年11月29日 - 1… 倉俣 史朗(くらまた しろう、1934年11月29日 - 1991年2月1日)は、日本のインテリアデザイナーである。空間デザイン、家具デザインの分野で60年代初めから90年代にかけて世界的に傑出した仕事をしたデザイナー。欧米の追随に陥らず日本的な形態に頼るでもなく日本国固有の文化や美意識を感じる独自のデザインによってフランス文化省芸術文化勲章を受章するなど国際的に評価をうけていた。そのあまりの独創性ゆえ「クラマタ・ショック」という言葉まで生まれた。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は… 園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は、日本の元俳優。テレビドラマへの出演を通じ、孤独と哀愁をたたえたマスクで多くの女性を魅了した。 東京市浅草生まれ。本名・永井之弘。1950年(昭和25年)、東京都立工芸高等学校木材工芸科を卒業して新東宝美術部に入り、映画装置の助手を務める。1953年(昭和28年)に劇団青俳の国民文化研究所演劇科に入り、1954年(昭和29年)青俳に入団、テレビ番組に初出演し、1957年(昭和32年)からNHK『刑事部屋物語』、日本テレビ『見事な娘』などに出演。1958年(昭和33年)、青俳を退団、フリーとなってNHK『事件記者』に山崎記者の役で出演、人気を集める。
杉本 幸治(すぎもと こうじ、1927年4月27日 - 20… 杉本 幸治(すぎもと こうじ、1927年4月27日 - 2011年3月13日 )は、書体設計者。三省堂勤務を経て、リョービイマジクスの本明朝を制作・監修した。タイポデザインアーツ主宰。 東京市下谷区(東京都台東区下谷)生まれ。東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)印刷科卒業。 1947年に三省堂入社。今井直一の元で本文用明朝体、ゴシック体、辞書用の特殊書体などの設計開発と、ベントン父型・母型彫刻システムの管理に従事し、書体研究室、技術課長代理、植字製版課長を歴任した。 独自に明朝体活字の開発を進めようとしていた晃文堂の社長・吉田市郎からスカウトを受ける。三省堂にとどまった杉本は、晃文堂の新書体開発に構想段階からプライベートに監修するような立場で関わることになった。
川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)… 川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)1月11日 - 2010年(平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。日本アニメーション協会名誉会長。日本を代表する人形アニメ監督。
村木 与四郎(むらき よしろう、1924年8月15日 - 2… 村木 与四郎(むらき よしろう、1924年8月15日 - 2009年10月26日)は日本映画の美術監督。東京府出身。第9代日本映画・テレビ美術監督協会理事長。村木忍は妻。
川上 景司(かわかみ けいじ、1912年〈明治45年〉2月 … 川上 景司(かわかみ けいじ、1912年〈明治45年〉2月 - 1973年〈昭和48年〉6月2日)は、日本の撮影技師、特撮監督。東京府東京市小石川区(現東京都文京区小石川)出身。 1931年(昭和6年)、東京府立工芸学校(現:東京都立工芸高等学校)を卒業し、文部省文書課に入省する。その後、社会教育映画課に異動し、映画キャメラマンとなる。 1939年(昭和14年)10月27日を以て、東宝に見習い入社し、円谷英二を課長とする特殊技術課に配属される。特殊技術課には同期として、川上に先駆けて6月に鷺巣富雄(うしおそうじ)が入社している。 1940年(昭和15年)、『燃ゆる大空』(阿部豊監督)に参加。 1941年(昭和16年)、特殊技術課内の、三谷栄三を主任とする合成作画係に異動。
三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) … 三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日) は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 本名、三浦二郎。1911年、父松五郎、母志津江の次男として、東京都小石川区に生まれる。1925年、東京府立工芸学校印刷科に入学、1927年中退。1928年17歳、窪田商会に就職、その後、フィリップス日本ラジオに入社。印刷工をしていた兄の影響を受け、マルクス主義を学び始める。1933年、このころ勤めを辞め、ガリ板製版で生計を立てるようになった。
織田 政雄(おだ まさお、1908年1月6日 - 1973年… 織田 政雄(おだ まさお、1908年1月6日 - 1973年8月30日)は、東京都出身の俳優。本名は斎木 政雄。後名は織田真佐男。 戦前は舞台俳優として活動し、戦後から多くの映画やテレビドラマに出演した。その地味な風貌から脇役ばかりを演じたが、名監督の一流作品に起用され、日本映画黄金期の中で約150作以上の映画に出演した。 1908年(明治41年)1月6日、東京市牛込区早稲田(現在の東京都新宿区)に生まれる。6歳で舞台に立ち、後に東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)、尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に第一期生として入り、卒業後の1934年(昭和9年)に日本俳優学校劇団に参加した。
新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 198… 新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 1981年6月10日)は、洋画家。 福井県三国町(現・坂井市)出身。1924年東京府立工芸学校卒業。1934年光風会会員。1951年日展審査員。1955年女子美術大学講師、1958年文部大臣賞受賞、日展評議員、1961年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1971年光風会常務理事、1975年日展常務理事、1977年日本芸術院会員、1979年勲三等瑞宝章受章。 1960年以降は「松」を繰り返し描いた。
秋山 日出夫(あきやま ひでお、1905年(明治38年)2月… 秋山 日出夫(あきやま ひでお、1905年(明治38年)2月14日 - 1976年(昭和51年)3月20日)は、昭和時代の合唱指揮者。戸籍上の本名は秋山 秀雄(読み同じ)。 東京本所北割下水にて生まれる。東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)精密機械科卒業。アマチュア合唱団運動に加わり、1925年(大正14年)男声合唱団東京リーダーターフェル・フェライン(現・男声合唱団東京リーダーターフェル1925)の設立に参加する。戦時中は軍隊や職場慰問で活動し、戦後は職場合唱団の指導に従事する。 主に官庁の合唱団を指導し、1948年(昭和23年)の第1回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に運輸省合唱団を指揮して出場、優勝を果たす。
原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3… 原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3月26日)は、昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。 ヨーロッパで開花した近代タイポグラフィー運動『ノイエ・ティポグラフィー』の理念を支持しながら、日本の活字文化で独自の表現の確立を志し、原はこれを『僕達の新活版術』と呼んだ。原のデザインスタイルは理論的に組立てるもので、作家性のあるものではなく、依頼者側に立ち、装幀、ポスター、パッケージなどを数多く手がけた。生涯に手がけた出版物の総数は、雑誌の表紙デザインなども含めれば、おおよそ3000点近くにもおよぶ。 特に装幀において高く評価されており、1940年代末から1970年代半ばまで装幀者として第一線で活躍。
相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は… 相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は、日本の技術者。北海道夕張市出身。 1914年、小学5年生の際に1860年のロンドンの博覧会に出展された人造人間「マシンボックス」の写真に感銘を受けロボットへの志向を高める。 1931年、日本初のロボット工作指南書「図解 人造人間の作り方」を著し、1933年には「ロボット管弦楽団」を展覧会に出品し1934年には「ロボット」「ROBOT」の登録商標を取得したが「ロボットはみな兄弟」の信念のもとに、その商標権を行使せずにロボットの普及に務める。 戦後は東京都立工芸高等学校の講師や安立電気の技師の傍らで子供向けの制作活動を再開、上野動物園のおサル電車や象型ロボット「多摩吉君」などを制作、また当時海外輸出で人気を博したブリキ製のロボット玩具についてのアドバイスも行った。
滝沢 英輔(瀧澤 - 、たきざわ えいすけ、1902年9月6… 滝沢 英輔(瀧澤 - 、たきざわ えいすけ、1902年9月6日 - 1965年11月29日)は、日本の映画監督、脚本家である。本名瀧澤 憲( - けん)名義で大正末期に脚本家としてスタート、俳優兼助監督として脚本も手がけ、「英輔」名義で監督となった。第二次世界大戦前の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に参加、映画史に名を残す。マキノ正博、山中貞雄との共同作業、戦後の女性映画・青春映画でも知られる。 1902年(明治35年)9月6日、東京市芝区三崎町(現在の港区三田4丁目)の葉茶屋の家に生まれる。3歳上の兄は映画監督の二川文太郎(本名・瀧澤吉之助)である。旧制東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)卒業後、新劇の研究をすべく劇研究会を組織した。
山本 丘人(やまもと きゅうじん、1900年(明治33年)4… 山本 丘人(やまもと きゅうじん、1900年(明治33年)4月15日 - 1986年(昭和61年)2月10日)は、日本画家。文化勲章受章者。本名は山本 正義(やまもと まさよし)。 東京市麻布(現在の東京都港区)に生まれる。府立三中、府立工芸を経て、1924年(大正13年)東京美術学校卒業。その後松岡映丘に師事。 1936年(昭和11年)、文展に出品した『海の微風』が選奨(文部大臣賞に次ぐ賞)を受賞 1944年(昭和19年)東京芸術大学助教授、1947年(昭和22年)女子美術専門学校(現女子美術大学)教授に就任、多数の後進を育てる。1977年(昭和52年)文化勲章受章、文化功労者顕彰。 「到春」 1942年、彩色・絹本・軸(1面)58.0cm×72.5cm「冬岳」 1953年、絹本・彩色・額(1面)55.4cm×71.5cm
浅野 孟府(あさの もうふ、1900年(明治33年)1月4日… 浅野 孟府(あさの もうふ、1900年(明治33年)1月4日 - 1984年(昭和59年)4月16日)は、日本の彫刻家。東京都渋谷区生まれ。昭和時代初期、前衛美術運動に参加し、活躍したことで知られる。本名は猛夫。東京美術学校(現在の東京芸術大学)塑造科で北村西望に学ぶが中退。1973年(昭和48年)、大阪芸術賞受賞。作品に「レーニン像」「原爆母子像」「テラコッタの馬」「方形婦女」など。連作に「大阪の女」など。
吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 19… 吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 1982年5月1日)は、日本の舞台美術家・舞台装置家、映画の美術監督、衣裳デザイナー、タイポグラフィ作家である。 1897年(明治30年)2月10日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる。京橋小学校では同級生に歌舞伎役者の坂東三津之丞、先輩に松竹社長の城戸四郎、後輩に築地小劇場系の劇作家久保栄らがいた。1909年(明治42年)、府立一中に入学するが3年生進級の際、父の倒産により中退。1911年(明治44年)、府立工芸学校金属科鋳金科に入学。1915年(大正4年)に卒業後、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善麿に師事し生活歌を学ぶ。
山口 重彦(やまぐち しげひこ、1894年(明治27年)9月… 山口 重彦(やまぐち しげひこ、1894年(明治27年)9月30日 - 1965年(昭和40年)10月19日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、山口自転車社長。 鹿児島県で山口林五郎の長男として生まれる。鹿児島県姶良郡国分村(現霧島市)出身。東京府立工芸学校(現東京都立工芸高等学校)精密機械科を卒業。ダット自動車製造(快進社)に技師として入社。1914年(大正3年)に独立して東京府南葛飾郡吾嬬町(向島区を経て現葛飾区)に山口自転車工場を設立し、同社取締役社長に就任。その他、東京自転車工業組合理事、東京市少年職業委員、全国自転車業組合連合会評議員、東京市工業指導所評議員、協調会中小企業講座講師、厚生省労務管理調査委員、日本自転車工業会顧問などを務めた。
間宮 不二雄(まみや ふじお、1890年(明治23年)6月2… 間宮 不二雄(まみや ふじお、1890年(明治23年)6月26日 - 1970年(昭和45年)10月24日)は、日本の実業家。日本で最初の図書館用具商社を開く。図書館用品製造販売業者である間宮商店を創業した。 東京市本郷区(現在の東京都文京区)の旧旗本の家に生まれる。生母はいわゆる「未婚の母」であったために、戸籍上は実の祖父母の5男として記録されている。 東京高等師範学校付属小学校(現在の筑波大学附属小学校)高等科卒業後、家運が傾いたために書籍販売業の丸善に丁稚として入社する。24歳の時、担当していたタイプライターの構造を学ぶために東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)の夜学に通う。だが、会社側は丁稚上がりの間宮の能力を正当に評価しなかった。
西念 武志(さいねん たけし)は、日本のデザイナー、画家、ク… 西念 武志(さいねん たけし)は、日本のデザイナー、画家、クリエイティブディレクターでビジュアルアーティストである。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。ニューヨークに芸術留学。当時描いていたキャンバス画がフランスのファッションブランドの目に止まり、女性像を多く描くようになる。その後は、抽象的な作品が目立ち、反面、社会性の強いコンテンポラリー作品なども発表している。 画家、デザイナーとして活動する一方、クリエイティブディレクターとしての側面もある。電子書籍「音楽絵本」の製作者でもあり、本人が描いた『銀河鉄道の夜』では、デジタルアワードを受賞している。 美に最上の価値を認めるような具象とも抽象ともいえない独特な美しいスタイルが目立つ。
永坂 景子(ながさか けいこ)は、日本のジュエリーデザイナー… 永坂 景子(ながさか けいこ)は、日本のジュエリーデザイナー。 宝飾会社に勤めた後、学校でジュエリーのデザインを学ぶ。その後、化粧品会社がもつジュエリーブランドのデザイナーとして勤務、国内外でのコンテストで受賞を重ねる実力者に。日本の伝統技法の螺鈿・蒔絵をあしらった独創的なジュエリーを創作している。
豆千代 は、昭和期の日本の芸者歌手。本名は福田八重子。
澤田 りえ(さわだ りえ、7月2日 - )は、東京都出身の中… 澤田 りえ(さわだ りえ、7月2日 - )は、東京都出身の中国で活動する料理研究家、食育料理研究家。 幼少期を長崎県で過ごす。東京都立工芸高等学校卒業。文化女子大学生活造形学科卒業(現 文化学園大学)後OLを経て、1997年、中国北京の国立大学である北京広播学院(現 中国伝媒大学)へ留学。卒業後、広告会社やホテル勤務、通信社の翻訳者等を経て独立。カフェやレストランのプロデュース、日中間のビジネスコンサルティング等を行う。 2013年に北京に澤田工作室/Sawada Studioを創立。 日本のキャラ弁などをはじめとした家庭料理の教室や、独自のアイデアを取り入れた食育メソッドクッキングの講演活動を中国各地で行っている。
神保 昌登(じんぼ まさと)は、日本の男性アニメーション演出… 神保 昌登(じんぼ まさと)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家である。東京都出身。PartsCraft代表社員。 東京都立工芸高等学校卒業後、スタジオ・グラフィティで下積みをした後、スタジオキャブとシオンで制作進行を経て演出家になる。 スタジオディーンやJ.C.STAFF、動画工房、C-Station制作作品に参加することが多く、最近ではSILVER LINK.制作作品によく参加しており、監督作の多くはSILVER LINK.制作である。 2017年放送の『CHAOS;CHILD』では、自身初のシリーズ構成、及びに脚本(2~12話)を監督兼任で務め、同年放送の『異世界食堂』でも同様に務める。