中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - … 中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大洋漁業に入社。 1987年4月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。2002年3月には会長に退いた。社長在任時には、同族会社からの脱皮と総合食品企業への切り替えといった近代化を推し進めた。 1990年から2002年までに横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズのオーナーを務めた。
恩田 怡彦(おんだ よしひろ、1933年2月23日 - 20… 恩田 怡彦(おんだ よしひろ、1933年2月23日 - 2025年9月29日)は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 千葉県出身。1957年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1987年6月に取締役、1990年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に社長に就任した。2003年2月に取締役相談役に就任。 1998年4月に藍綬褒章を受章。 2025年9月29日死去。92歳没。
佐藤 健(さとう たけし、1933年2月23日 - )は、日… 佐藤 健(さとう たけし、1933年2月23日 - )は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に東京大学農学部を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1997年に取締役、2000年6月に常務、2002年6月に専務を経て、2003年2月に社長に就任した。2009年6月に取締役相談役に就任。 2014年11月に旭日中綬章を受章。
星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1… 星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1996年4月2日)は、日本の農学者。 長野県松本市出身。1956年東京大学農学部農学科卒業、1961年同大学院生物学系研究科農学専攻博士課程修了、農学博士。東大農学部助手、1976年東北大学農学部助教授、1984年教授。定年前に死去した。
白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 20… 白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 2019年11月30日)は、日本の山岳写真家。ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。 日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )… 綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )は、日本の俳優。本名は松原 保夫。旧芸名は綾川 香。 香川県出身。香川県立主基高等学校卒。新協劇団、さち子プロ、ぷろだくしょん森に所属していた。 劇団俳優座第3期生。同期は塚本信夫、中台祥浩、穂積隆信、本郷淳、楠侑子など。
古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4… 古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4月22日)は、日本の西洋史学者。専門はイギリス史。山口大学名誉教授。 朝鮮京城生まれ。福岡県立三潴高等学校卒、1951年佐賀大学入学、1953年九州大学編入学、1955年同文学部史学科卒、1960年同大学院西洋史博士課程満期退学。1976年関西学院大学・文学博士。 1960-1965年明治学園高等学校教諭、1965年九州大学助手、1968年山口大学教養部助教授、1975年教授。1996年定年退官、名誉教授、1997年京都女子大学教授。2006年定年退職。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。
鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 201… 鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 2014年1月10日)は日本の実業家。丸紅社長・会長、東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事を歴任。
小寺 武久(こてら たけひさ、1933年2月22日 - 20… 小寺 武久(こてら たけひさ、1933年2月22日 - 2006年2月19日)は、日本建築史学者。工学博士(1978年)。名古屋大学名誉教授。 中国・大連市生まれ。1956年東京大学工学部鉱山学科卒、1960年同建築学科卒、1965年同大学院工学研究科建築学博士課程満期退学。1978年「都市の空間形態に関する史的研究」で工学博士の学位を取得。 1965年名古屋大学工学部助手となり、同年講師、1969年助教授、1985年教授、1996年定年退官となり、名誉教授、中部大学教授を務めた。
蛭田 二郎(ひるた じろう、1933年2月21日 - )は日… 蛭田 二郎(ひるた じろう、1933年2月21日 - )は日本の彫刻家、教育者。日本芸術院会員、日展常務理事、日本彫刻会理事長、岡山県美術家協会会長、岡山大学名誉教授、倉敷芸術科学大学名誉教授・元芸術学部長。 茨城県出身。彫刻家の小森邦夫に師事。 精妙で感性豊かな作風で日展を中心に多くの女性像を発表しているが、岡山県岡山市の桃太郎大通り沿いにある『ももたろう』シリーズの彫刻群や、郷里の茨城県北茨城市にある『七つの子』の像など子供の世界をあつかった作品も多い。また岡山大学、倉敷芸術科学大学などで教鞭を執り、多くの後進を育成してきた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
西田 正則(にしだ まさのり、1933年(昭和8年)2月21… 西田 正則(にしだ まさのり、1933年(昭和8年)2月21日 - 2016年(平成28年)10月12日)は、日本の政治家。兵庫県たつの市長(2期)、旧龍野市長(2期)。 兵庫県出身。神戸大学教育学部卒。龍野市役所に入り、教育長、助役を務め、1998年龍野市長に当選する。2002年に再選。龍野市は2005年に新宮町・揖保川町・御津町と合併し、たつの市が発足、合併に伴う市長選挙で当選。2009年に再選。たつの市長を2期務め、2013年に退任した。2014年、旭日中綬章受章。2016年死去。叙正五位。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年2月21日 - 2025… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年2月21日 - 2025年)は、日本の古文書研究家。主な分野は江戸から明治期の文芸、草双紙の収集・研究。 1933年、福島県郡山市出身。國學院大学文学部卒業。 林美一に師事し、平成期を通じ古文書解読の講師として活動。 生涯学習1級インストラクター(古文書)。
助川 徳是(すけがわ のりよし、1933年2月21日 - 2… 助川 徳是(すけがわ のりよし、1933年2月21日 - 2016年6月19日)は、日本近代文学研究者。名古屋大学名誉教授。 1933年、東京生まれ。東京大学を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を満期退学。 その後は学習院高等科教諭となった。1967年、福岡女子大学助教授に就く。名古屋大学教養部教授となり、後に情報文化学部教授。1996年に名古屋大学を定年退官し、名誉教授となった。2016年6月19日、間質性肺炎のため中日病院で死去。83歳没。
中瀬 喜陽(なかせ ひさはる、1933年2月21日 - 20… 中瀬 喜陽(なかせ ひさはる、1933年2月21日 - 2018年3月11日)は、和歌山県の郷土史家・南方熊楠研究家。中瀬ゆかりは次女。 和歌山県西牟婁郡上富田町の出身で、1960年に東洋大学中国哲学文学科を卒業した。同年から上富田町立岩田中学校、1964年からは和歌山県立南紀高等学校の教諭として1993年まで勤務した。1993年に大阪青山短期大学非常勤講師となり2003年まで勤める。 2006年5月に南方熊楠顕彰館館長に就任し、2012年3月まで務めた。 南方熊楠邸保存顕彰会副会長、田辺市文化財審議会委員長、紀南文化財研究会会長 南方熊楠顕彰記念館名誉館長を歴任した。2013年に和歌山県文化功労賞と南方熊楠文化賞特別賞を受ける。
大川 寛(おおかわ ひろし、1933年2月21日 - 201… 大川 寛(おおかわ ひろし、1933年2月21日 - 2011年3月22日)は、日本の元プロボクサー。本名は小川 寛(おがわ - )。戸籍上の出生地は千葉県山武郡片貝町であり、出身地は東京都台東区浅草。元日本フェザー級(2度獲得)・ライト級、OBF東洋ライト級・ジュニアライト級王者。現役時代は共栄ジム(後の極東ボクシングジム、現在の極東ボクシングクラブ)所属。大川ボクシングジムを開設し、その初代会長を務めた。 脚が長く均整のとれた体を持ち、左右のフックやスピードのある右ストレートを武器に3階級5王座を制覇した技巧派である。 極東ジムが秋山政司、大越利晴といった日本王者らを抱えて全盛期を迎えていた当時、後に精密機械と言われる世界王者沼田義明を育てた小高伊和夫会長の愛弟子であった大川が本名の小川を変えて戦ったのは、心臓が小さいのは名前からきていると小高会長が案じたためであった。
山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日… 山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日 - 2012年〈平成24年〉10月13日)は、日本の俳優・声優。 北海道瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)出身。北海道深川西高等学校卒業。 高等学校時代に演劇部で活動し、1951年、卒業後に会社員となるも、演劇への夢を捨てきれず、1952年上京。舞台芸術学院本科に入る。卒業後、劇団四季・劇団中芸に所属。 1958年には『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演。猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、これが生涯の当たり役となり、後の劇場版にも同役で出演した。テレビドラマや映画の脇役で活動し、1973年の『仁義なき戦い 完結篇』では大友勝利(宍戸錠)大友組組長から松村保(北大路欣也)天政会会長代行に寝返るヤクザを演じ、1974年の『激突! 殺人拳』では千葉真一が扮する主人公の相棒である中国人を演じている。
尾形 英夫(おがた ひでお、1933年2月20日 - 200… 尾形 英夫(おがた ひでお、1933年2月20日 - 2007年1月25日)は、TMF代表取締役社長、元徳間書店常務取締役、『アニメージュ』初代編集長。宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼市松岩出身。宮城県気仙沼高等学校、明治大学卒業。 1961年に徳間書店入社後『アサヒ芸能』編集長などを経て、日本初のアニメ専門雑誌『アニメージュ』を創刊し初代編集長。誌名の由来は「animation」と「image」をミックスさせ、「アニメージュ」(Animage)とした。 アニメーターに目を掛け、漫画家として発掘するという手法を実践し特集号を多く組み、部数増加に成功。宮崎駿『風の谷のナウシカ』を『アニメージュ』(1982年 - 1994年)で連載させ、1984年春公開の同劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』や、1986年夏公開の『天空の城ラピュタ』でプロデューサーをつとめる。
内井 昭蔵(うちい しょうぞう、1933年2月20日 - 2… 内井 昭蔵(うちい しょうぞう、1933年2月20日 - 2002年8月3日)は、日本の建築家。博士(工学)(京都大学・論文博士・1992年)(学位論文「住宅の集合形態に関する実践的研究」)。京都大学教授・滋賀県立大学教授を歴任。戦後の日本建築史を代表する建築家の一人。勲三等旭日章受章。東京都出身。 1933年、東京市神田区に生まれる。祖父の河村伊蔵と父の内井進は建築家であり、進は金成ハリストス正教会と小田原ハリストス正教会の両聖堂、およびニコライ堂のイコノスタスの設計に関わった。祖父の河村伊蔵は司祭でもあったため幼少期から教会で過ごすことが多く、「ロシア正教会の持つ空間と祈りと形の関係が、幼少期にすでに強く印象づけられていたように思う」と述べ、こうした経験はモダニズム全盛期の学生時代を経た後に手がけた日蓮宗の寺院やYMCA野辺山高原センターなどにおける合理性のみの形態とは異なるアプローチ、さらには親しみやすさを旨とした公共建築への設計思想へとつながっていったと述べている。
佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は… 佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算3期)。 大阪府大阪市大正区出身。大阪府立高津高校定時制卒業。カメラマン、赤旗記者などを経て、1983年の衆院選で東京10区から出馬し初当選を果たす。以後3期連続で衆議院を務めた後、1993年の衆院選には出馬せず引退を表明する。地盤は元赤旗外信部記者の佐々木陸海に継承。
小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )… 小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )は、日本の厚生官僚。第23代社会保険庁長官。薬害エイズ事件時の厚生省薬務局長。 静岡県静岡市出身。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京大学法学部卒業。同年、厚生省入省。1972年、医務局指導課長、1973年、内閣審議官、1976年、社会保険庁年金保険部計画課長、1977年、保健局企画課長、1979年7月、大臣官房会計課長、1981年8月、社会保険庁年金保険部長、1982年11月、大臣官房総務審議官、1984年8月、薬務局長、1986年6月、社会局長、1989年、社会保険庁長官、1990年6月、退任。同年同月、財団法人厚生年金事業団副理事長。
公地 次男(こうち つぐお、1933年2月20日 - 没年不… 公地 次男(こうち つぐお、1933年2月20日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、再度伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名同じ。現在の秋田県横手市出身。179cm、100kg。最高位は西十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所初土俵、1958年11月場所に十両昇進し、30場所務めた。1964年1月場所限りで廃業した。
江森 國友(えもり くにとも、1933年2月19日 -202… 江森 國友(えもり くにとも、1933年2月19日 -2022年4月9日)は、日本の詩人。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、慶應義塾大学文学部仏文科卒。村野四郎に師事。1954年水橋晋、堀川正美、三木卓らと『氾』を創刊。『三田詩人』『現代詩』に発表し、個人誌『南方』を創刊。のち『歴程』同人。
清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 20… 清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 2024年7月23日)は、日本の経営学者。日本ベンチャー学会特別顧問、人を大切にする経営学会顧問、地域活性学会会長、地域経済総合研究所評議員。専門は中小企業論。 法政大学総長・理事長、事業構想大学院大学学長を歴任した。東京都生まれ。
石川 逸子(いしかわ いつこ、1933年2月18日 - )は… 石川 逸子(いしかわ いつこ、1933年2月18日 - )は昭和後期から平成時代の日本の詩人。 東京都生まれ。お茶の水女子大学史学科卒業。中学校教員を務めながら詩作を行い、1961年に詩集『狼・私たち』で第11回H氏賞を受賞。1986年、詩集『千鳥ケ淵へ行きましたか』で第11回地球賞を受賞。2011年、第15回女性文化賞受賞。 1982年から29年間にわたって、季刊ミニコミ誌「ヒロシマ・ナガサキを考える」全100号を発行した。原爆や従軍慰安婦問題をテーマとするなど、社会派の作風。 西田敏行、山田洋次、黒柳徹子らと共に「平和のための戦争展」(日本中国友好協会主催)の呼びかけ人を務めている。
オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 … オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。 1933年(昭和8年)2月18日、小野英輔・磯子の長女として東京で出生した。兄弟姉妹は、洋子(ヨーコ)・啓輔・節子の3人であった。 父・英輔は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務していた。
中田 康子(なかだ やすこ、1933年2月18日 - )は、… 中田 康子(なかだ やすこ、1933年2月18日 - )は、日本の元女優。宝塚歌劇団・日劇ダンシングチーム(NDT)出身。数多くの日本映画で脇役、端役をそつなくこなした。1964年のハリウッド調ミュージカル映画アスファルト・ガールでは歌って踊る主役を演じる。
宮崎 莊平(宮崎荘平、みやざき そうへい、1933年2月18… 宮崎 莊平(宮崎荘平、みやざき そうへい、1933年2月18日 - 2024年3月26日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 長野県生まれ。國學院大學文学部卒、東京都立大学大学院博士課程満期退学。95年「女房日記の研究」で東京都立大学より文学博士。藤女子大学助教授、教授、新潟大学教授、97年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。2004年退職。 2024年3月26日午後1時18分、特発性血小板減少性紫斑病のため千葉県松戸市の高齢者施設で死去。91歳没。
稲毛 教子(いなげ のりこ、1933年2月18日- )は、日… 稲毛 教子(いなげ のりこ、1933年2月18日- )は、日本の発達心理学者、東京国際大学名誉教授。 東京出身。1956年東京女子大学文学部心理学科卒、同年愛育研究所教養部。1961年日本リサーチセンター研究部。1964年早稲田大学システム科学研究所・早大学生相談センター。1977年国際商科大学教養学部教授、校名変更で東京国際大学教授。2004年定年、名誉教授となる。
小西 正一(こにし まさかず、1933年2月17日 - 20… 小西 正一(こにし まさかず、1933年2月17日 - 2020年7月23日)は、日本の生物学者、動物行動学者。京都府京都市出身。カリフォルニア工科大学名誉教授。 1956年北海道大学理学部生物学科卒業。1958年に渡米し、1963年カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得。マックスプランク研究所、ウィスコンシン大学、プリンストン大学を経て、1975年よりカリフォルニア工科大学教授。1987年国際ニューロ・エソロジー学会会長。 小鳥のさえずりに関する研究の第一人者で、フクロウの聴覚による定位を通して動物行動学と大脳生理学を結合させた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
吉田 喜重 (よしだ よししげ、1933年2月16日 - 2… 吉田 喜重 (よしだ よししげ、1933年2月16日 - 2022年12月8日)は、日本の映画監督、小説家。名は「きじゅう」と音読みされることが多い。 福井県福井市佐佳枝下町で生まれる。1945年に順化小学校を卒業後、旧制の県立福井中学に入学。同年8月、福井大空襲で家が焼失する。1947年春に一家で東京へ転居し、田園調布の自宅から都立城南中学に通う。同校は吉田の在学中、学制改革により城南高校となる。この頃、フランス語を習うためアテネ・フランセへ通い、フランス映画をよく観ていた。また、NHKラジオに詩を投稿して賞金を貰ったり、演劇部には入らなかったが、自作の演劇脚本を文化祭で上演するなど、高校時代から映画、演劇への強い関心を示していた。
岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 … 岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・解説者。 済々黌高では1950年、エース岡本和弘(明大-日立製作所)を擁し、夏の甲子園に一塁手として出場。準決勝に進むが大久保英男のいた鳴門高に敗退。高校同期に大学、プロ野球でもチームメートとなる遊撃手の片山嘉視がいた。卒業後は専修大に進学。東都大学野球リーグでは在学中に4回優勝。1954年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、秋山登らのいた明大に敗れる。1953年秋季リーグから2季連続でリーグ打撃成績2位を記録し、東都のスラッガーとして注目された。片山以外の大学同期に渡辺清がいる。
西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16… 西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16日 - 2016年12月27日)は、日本のフリーライター、地方史家、出版事業者。宮城県気仙沼市出身。大学(不明)中退後、記者、商工会議所勤務を経て、1976年より出版社・耕風社を始める。『三陸地方総合誌』主宰。東日本大震災で住居が全壊し、山形県にて被災避難生活していた。
上 笙一郎(かみ しょういちろう、1933年2月16日 - … 上 笙一郎(かみ しょういちろう、1933年2月16日 - 2015年1月29日)は、日本の児童文化研究家。本名は山崎健寿(けんじゅ)。妻は、女性史研究家の山崎朋子。共著で『日本の幼稚園 - 幼児教育の歴史』(ちくま学芸文庫)がある。 埼玉県飯能市生まれ。1945年、文化学院卒。 売文業をしながら児童文学、女性問題を研究し、青地晨に師事する。1959年、山崎朋子と結婚、共著『日本の幼稚園』で1966年、毎日出版文化賞受賞。1981年、共著『光ほのかなれども』で日本保育学会保育学文献賞。1990年、『日本児童史の開拓』で日本児童文学学会特別賞。2006年、『日本童謡事典』で日本童謡賞、三越左千夫少年詩賞特別賞受賞。
岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15… 岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 西南学院高校から日鉄二瀬を経て、1952年に西鉄ライオンズへ入団。 しかしプロ初登板の試合で二者連続四球を出して降板。結果的にこれがプロ唯一の登板となった。 1954年に引退。その後はノンプロに参加した後、起業。「岡本食品機器販売」の社長を務めている。
吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 19… 吉原 通雄(よしはら みちお、1933年2月15日 - 1996年2月18日)は、日本の現代美術家。具体美術協会のメンバーであった。美術家の吉原治良の息子(次男)である。 1933年2月15日兵庫県芦屋市生まれ。芸術家吉原治良の息子(次男)である。灘高等学校、関西学院大学出身。 具体美術協会の会員であった。 1996年2月18日、脳内出血のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月… 薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月15日 - 2004年(平成16年)3月7日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(2期)。 大分県で生まれ、中央大学法学部を卒業し、目黒区職員課長、区議会事務局長、総務部長、助役など務めた。 1998年10月18日の目黒区長選挙で、自民党・民主党・公明党・自由党・社民党・自由連合から推薦を得て立候補し、共産党推薦の片岡敏康を破り初当選した。 1988年の区長選挙で選挙参謀を務めた元区長室長の菊谷伸夫と目黒区議会議員の横山大は、公職選挙法違反で2001年5月に逮捕されるも起訴猶予となる。 2002年10月に自民党・民主党・公明党・自由党・社民党から推薦を受けて再選される。
加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は… 加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は、日本の外交官。 岐阜県生まれ。1955年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。フランスのポワティエ大学とトゥール大学で、フランス語とフランス哲学を学んだ後、パリの日本大使館勤務。その後エジプト大使館、ヨーロッパ共同体 (EC) 日本代表部、ベトナム大使館などの書記官として、外務省で主として経済協力局、官房調査部に勤務。その間、昭和天皇のフランス語通訳、外交官試験試験官。1975年以後は、国連日本代表部参事官、公使、国際協力事業団 (JICA) 企画部長と同時に、上智大学、早稲田大学等の非常勤講師を務める。1983年には、オマーン常駐の初代大使として、在オマーン日本国大使館を開設。
松下 宗之(まつした むねゆき、1933年2月15日 - 1… 松下 宗之(まつした むねゆき、1933年2月15日 - 1999年2月9日)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞社社長。 東京市深川区御船蔵前町(現東京都江東区新大橋)で歯科医師の父幸雄、母さだゑの次男として生まれる。1945年3月10日の東京大空襲で父を失い、終戦を両親の故郷である長野県で迎える。1954年、長野県飯田長姫高等学校定時制を卒業し、医者を目指して東京大学教養学部理科二類に入学したが文学部へ転部。1958年、東京大学文学部美学・美術科を卒業、朝日新聞東京本社に入社。山形支局、浦和支局を経て1962年4月政治部員となる。1974年8月政治部次長、1975年11月内勤次長、1977年1月編集委員、1978年5月論説委員兼務、1983年8月政治部長、1987年6月東京本社編集局次長、1989年5月東京本社編集局長、1991年6月取締役・東京本社編集局長、1992年4月常務取締役(総務・労務担当)、1993年8月常務取締役(編集担当)、同年12月専務取締役(編集担当)、1994年8月代表取締役専務取締役(編集担当)を歴任して、1996年6月社長に就任。
遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1… 遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1999年4月10日)は、日本の指揮者。 東京都出身。1956年、東京藝術大学声楽科を卒業後、東京藝術大学大学院指揮研究科に進み、1960年大学院前期博士課程修了、1962年東京藝術大学専攻科修了。指揮法を山田一雄、渡辺暁雄に師事。また、1982年~1983年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣され、セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。 群馬交響楽団指揮者、札幌交響楽団副指揮者、東京音楽大学講師を経て、1963年東京藝術大学指揮科助教授、1997年東京藝術大学指揮科教授に就任、後進の育成にあたったが、1999年に死去。
彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日… 彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日本の社会評論家、翻訳家、社会運動家。 宮城県仙台市生まれ。1945年旅順工科大学勤務の父について渡り、3か月後敗戦。1949年帰国。1957年東北大学文学部国史学科卒業、1967年早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻博士課程満期退学。 木材検収員、通訳、非常勤講師(芝浦工業大学)などをしつつ戦争論や社会評論活動を行う。九条の会会員。 父は物理学者で新潟大学名誉教授の彦坂忠義。弟は物理学者で広島大学名誉教授の彦坂正道。母方の祖父は西洋史学者の阿刀田令造。妻は作家・フランス文学者の白井愛。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14… 西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1992年〈平成4年〉3月21日)は、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。 ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる。ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られ、現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれる。
吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2… 吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2022年1月21日)は、日本のマルクス経済学・フランス古典派経済学研究者、護憲論者、反戦主義者。福島大学名誉教授、元学長。福島県九条の会代表。九条の会全国講師団メンバー。専門は経済理論・経済理論史。 茨城県古河市生まれ。1951年埼玉県立浦和高等学校卒、東京大学教養学部文科一類に入学。教養学部の同級に井上喜一、小和田恒、栗山尚一、黒井千次がいる。東大教養学部在籍中は三鷹寮に入り、4期と6期の寮委員長を務め、初代都寮連委員長。その後、東京大学法学部三類(政治学)に進学、1955年に卒業し同大学経済学部に学士入学、1957年同学部卒業。同大学院社会科学研究科(博)に進学、1962年単位取得満期修了。
伊藤 礼(いとう れい、1933年〈昭和8年〉2月14日 -… 伊藤 礼(いとう れい、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 2023年〈令和5年〉9月22日)は、日本の英文学者、エッセイスト、翻訳家。元日本大学芸術学部教授。 中国生まれ。一橋大学経済学部卒業。父は伊藤整、兄は伊藤滋。 大学在学中に体調を崩し、1955年(昭和30年)7月から3年間、富士見高原療養所に入院。アメリカ合衆国のロードアイランド大学(en:University of Rhode Island)で政治学を学んだのち、帰国し広告代理店に勤務。退職後、日本大学で教えるようになり、2002年(平成14年)まで日本大学芸術学部教授を務めた。 2023年(令和5年)9月22日、病気のため東京都三鷹市の病院で死去。
岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14… 岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14日 - )は、日本の工業技術者、経営者。金属加工会社・岡野工業株式会社の代表取締役(社長・ただし2018年に2年後を目途に廃業すると表明している・後述)。東京都墨田区出身。 1933年(昭和8年)生まれの東京都出身。金属深絞り加工の世界的工業技術者(金型職人)として知られていて、東京都墨田区の従業員数6人という小さな町工場でありながら、その高い技術カが日本はもちろん、世界の大企業やNASAなどに注目され、製品が次々に採用される実績を持つ。講演多数、著書20以上。 1945年、向島更正国民学校初等科を卒業後、実父が創業した金型工場を手伝い始める。
佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 20… 佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 2016年4月30日 )は、日本のインプレサリオ(impresario)、著作家。東京バレエ団総監督、日本舞台芸術振興会(略称 NBS)専務理事を務める。
上田 宏(うえだ ひろし、1933年2月13日 - )は、日… 上田 宏(うえだ ひろし、1933年2月13日 - )は、日本の経営者。西友社長を務めた。東京都出身。 1957年に早稲田大学第二商学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。1965年8月に西友ストアに転じ、1975年4月に取締役に就任し、1982年6月に常務を経て、1985年5月に専務に就任し、1987年3月に社長に昇格。1992年3月に副会長に就任。
辻 静雄(つじ しずお、1933年2月13日 - 1993年… 辻 静雄(つじ しずお、1933年2月13日 - 1993年3月2日)は、日本のフランス料理研究家、辻調グループの創設者。 新聞記者から転身して辻調理師学校を開校し、本格的にフランス料理の研究に着手した。英仏の文献を元に独学していたが、アメリカを訪れ、料理研究家のサミュエル・チェインバレン、M.F.K.フィッシャーから研究の手ほどきを受けたのをきっかけに、ヨーロッパのレストランを巡り始めた。多くの料理人や料理関係者と親交を結び、本物のフランス料理に触れたことが、料理への理解を深めた。渡欧のたびに収集した料理関係の文献は数千冊にのぼり、フランス料理古書などの稀こう本を含む世界有数のコレクションとなっている。
千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日… 千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、教育者。市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校校長、日本映画大学特任教授。キリスト教徒。川崎市のみやまえ映像コンクール審査委員長。 1933年2月12日、福島県福島市に9人兄妹の次男として生まれる[1]。福島県立福島高等学校卒業。高校時代は元総務官僚で川崎市長を務めた阿部孝夫と同窓。福島大学経済学部に入学し、役場で働きながらの学生生活を送る。仕事の合間に訪れた映画館で黒澤明監督の「生きる」を観た影響で映画監督を目指すことを決意。福島大学から日本大学へ編入をし、1956年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。 大学卒業時に応募をした「新人シナリオコンクール」で入賞(千葉は最年少入賞、受賞者6人の中には既に助監督として働いていた深作欣二もいた。
蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日… 蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。 栃木県那須郡那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校、明治大学政治経済学部を卒業する。 作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年の江川事件にも関わった。 1983年、栃木県選挙区の参議院議員補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙に旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。 1993年、第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。