田畑 和美(たばた かずみ、1943年 - 2020年) 松… 田畑 和美(たばた かずみ、1943年 - 2020年) 松濤館 空手八段のグランドマスターである。 1943年に日本で生まれ、13歳で空手を始めた。高校入学後、鹿児島の保勇師範が主宰する少林寺流空手道錬心舘で二段を習得。その後早稲田大学に進学して空手部に入部し、船越義珍師範の最初の弟子の一人であり、日本空手協会の初代会長である小幡功の下で松濤館流空手を学ぶ。大学卒業後に小幡の勧めで渡米し北米空手道連盟(NAKF)とニューイングランド大学空手会議(NECKC)を設立し、米国のマサチューセッツに在住し、定期的に教えている。現在、松濤館流と少林寺流錬心舘の多彩な蹴り技を合わせたものが田畑空手となっている。
野口 京子(のぐち きょうこ、1943年 - )は、日本の臨… 野口 京子(のぐち きょうこ、1943年 - )は、日本の臨床心理学者、文化学園大学教授。 東京生まれ。1966年早稲田大学商学部卒業。77年渡米し臨床心理学を学ぶ。帰国後、早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻修士課程修了。91年コロンビア大学大学院社会福祉学研究科修了、M・S・W取得、同大学健康教育学部博士課程を経て日米で心理士、ソーシャルワーカー。94年北里大学保健学博士。文化女子大学教授、校名変更で文化学園大学教授、同国際文化研究科長。日本健康心理学研究所所長。
原田 鎮郎(はらだ しずお、1943年 - )は、日本の建築… 原田 鎮郎(はらだ しずお、1943年 - )は、日本の建築家。環境システム研究所代表取締役。工学修士。一級建築士。愛知県立芸術大学客員教授。上海同済大学客員教授。早稲田大学、日本大学、昭和女子大学 非常勤講師。国際建築アカデミー(IAA)プロフェッサー。東京生まれ。 1966年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1968年から1975年まで、(株)菊竹清訓建築設計事務所に在籍し、ハワイ海上都市、沖縄海洋博政府館アクアポリス等の設計を担当。2005年 愛・地球博では、チーフ・プロデューサー(3名のうちの1人)。 著書に、空へ伸びる都市空間(テクノライフ選書.オーム社.1999年)がある。
平倉 章二(ひらくら しょうじ、1943年- )日本の建築家… 平倉 章二(ひらくら しょうじ、1943年- )日本の建築家で平倉建築研究所/HAL代表。社団法人日本建築家協会、社団法人日本建築学会の他、日本コンストラクション・マネージメント協会にも所属。日本建築家協会と日本建築学会では理事も務め、学会では委員会委員もいくつか歴任した。 1968年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年、株式会社黒川紀章建築都市設計事務所勤務。1972年にG.O.A建築企画室設立。1975年に株式会社久米建築事務所(現:久米設計)入社。2003年から株式会社久米設計取締役副社長。2009年に久米設計を退社し、同年平倉建築研究所/HAL 設立。2004年より、早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師。
宗像善樹(むなかた よしき、1943年 - 2021年)は、… 宗像善樹(むなかた よしき、1943年 - 2021年)は、日本の古代史研究者、咸臨丸研究者、作家。本名:宗像善樹。 旧筆名「沖島信一郎(おきしましんいちろう)」による著書もある。埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。さいたま市浦和区在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者… 山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者、坂道研究家。講談社顧問、日本坂道学会会長。広島県呉市出身。 広島県呉市で生まれ、2歳から山口県柳井市で、小学校1年から東京都で育つ。早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業後、報知新聞社に入社し、その後講談社に入社する。「週刊ヤングマガジン」編集長、常務取締役、講談社コミッククリエイト代表取締役社長を歴任後、フリーへ転身。「週刊ヤングマガジン」編集長時代には『AKIRA』、『ビー・バップ・ハイスクール』などを世に出した。 歩けば東京が分かるだろうと、45歳頃から坂の魅力に目覚め、2年半かけ、名前のある約640の坂を「踏襲」。2000年に居酒屋で偶然会ったタモリと2人で坂道愛好家の会、日本坂道学会を設立した。
渡辺 重範(わたなべ しげのり、1943年 - )は、日本の… 渡辺 重範(わたなべ しげのり、1943年 - )は、日本の法学者(憲法)・政治学者、早稲田大学名誉教授。憲法学・比較憲法学・比較政治制度論・国法学・選挙法・憲法史・教育論専攻。早稲田大学教育学部・大学院教育学研究科・早稲田大学政治経済学部・大学院政治学研究科で、憲法、比較憲法学、政治制度論、政治学、社会科学基礎研究の講義、演習、研究指導を担当、多くの門下生を育てた。主な門下生に、辻元清美(参議院議員)、山本譲司(元衆議院議員、ジャーナリスト)、高橋義人(中央学院大学教員)、樋口雄人(都留文科大学教員)、屋良栄作(沖縄県那覇市議会議員)、遠藤美奈(早稲田大学教育学部教員)、飛田綾子(東京医科歯科大学教員)、杉本篤史(東京国際大学教員)、吉田俊之(ジャーナリスト、元衆議院議員候補者・元参議院議員候補者)など。
渡部 武(わたべ たけし、1943年 - )は、中国文化史学… 渡部 武(わたべ たけし、1943年 - )は、中国文化史学者、東海大学名誉教授。 東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。安田学園高等学校教諭を経て、東海大学文学部教授、2012年定年退任、名誉教授。中国農業博物館客員教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今井 徹也(いまい てつや、1943年 - )は、日本の建築… 今井 徹也(いまい てつや、1943年 - )は、日本の建築家。主に山口県で活動。
永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の… 永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の実業家。ホテルルートイングループ創業者・会長、ルートインジャパン代表取締役会長。 長野県上田市出身。家業の青果店をスーパーマーケットにし、1977年永山興産(現・ルートインジャパン)設立。1985年に上田ロイヤルホテルを1号店として開業。以降、利益率を重視した施設整備を進め、業容を拡大させた。長野県庁への寄付で基金が作られ、2015年度に児童養護施設出身者を対象にした「長野県飛び立て若者!奨学金」が創設された。後任のルートインジャパン代表取締役社長を務める永山泰樹は息子。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大越 俊夫(おおごし としお、1943年 - )は元株式会社… 大越 俊夫(おおごし としお、1943年 - )は元株式会社オーアイシー代表取締役。現ダルボイ・アカデミー塾長、パピリオ・イングリッシュアカデミー学院長。 広島県尾道市生まれ。1973年、関西学院大学大学院米文学研究科博士課程修了。同大学院在籍中に帝塚山短期大学専任講師を務める。ブリティッシュコロンビア大学留学を経て、1975年、神戸市御影に、不登校・高校中退生のための私塾リバースアカデミー師友塾を設立。塾長として「命に火をつける教育」を理念として掲げ、師友塾創設以降45年以上もの間、7000人を超える若者と向き合う。2015年からは、教え子たちがその意志を受け継ぎ設立した「Dull Boi Academy」の塾長に就任。
オダ シゲ(オダ・シゲ、おだ・しげ、1943年 - 、男性)… オダ シゲ(オダ・シゲ、おだ・しげ、1943年 - 、男性)は、神奈川県川崎市出身の漫画家。本名・長田重親(おさだ しげちか)。日本漫画家会議事務局長。『まんまる団地』が1万7千話を超えて日本最長寿新聞掲載4コマ漫画となり、現在も連載中である。 15歳でニコンに入社し製造系の労働者となる。同時に通っていた定時制高校では美術部に所属し、労働組合機関紙に挿絵を描く程度でプロ漫画家ではなかったが、26歳の時に日本漫画家会議主催の教室に行ったことがきっかけとなり、同会議所属風刺漫画家田村久子の紹介で1974年、『全国商工新聞』に4コマ漫画「のんき通り」の週刊連載が開始される。 その連載を見た赤旗編集局員からの打診で1975年、4コマ漫画「まんまる団地」の日刊連載を開始。
細田 傳造(ほそだ でんぞう、1943年 - )は日本の詩人… 細田 傳造(ほそだ でんぞう、1943年 - )は日本の詩人。 東京都北区生まれ、さいたま市在住。会社経営のかたわら、60代も半ばを過ぎた2009年より詩の習作を始める。2011年より大阪文学学校の通信講座を受講。2013年、『谷間の百合』で第18回中原中也賞受賞。同賞の最年長受賞者だった。2015年、『水たまり』で第22回丸山薫賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
栗 良平(くり りょうへい、本名・伊藤 貢、1943年 - … 栗 良平(くり りょうへい、本名・伊藤 貢、1943年 - )は、日本の作家。 北海道砂川市出身。北海道砂川北高等学校卒業後、病院職員として10年間勤務。退職後、全国を行脚し各地の民話を収集。創作民話作家として、執筆講演活動を始める。 1989年、元々栗が口演し書籍化された童話『一杯のかけそば』が口コミで広がり、2月17日に開かれた衆議院予算委員会で、当時公明党所属の大久保直彦が質疑中に本書を朗読して涙を誘ったということもあって話題となり、映画化もされた。 しかしその後、自称していた「北海道大学医学部卒」が虚偽である事が発覚。さらに、滋賀県で寸借詐欺をしたことも明らかになり、表舞台から姿を消すこととなった。
卯木 照邦(うき てるくに、1943年〈昭和18年〉 - )… 卯木 照邦(うき てるくに、1943年〈昭和18年〉 - )は、群馬県高崎市出身の武道家、日本犬の専門家。現在、一剣会羽賀道場第三代目会長を務めるとともに過去には公益社団法人日本犬保存会専務理事だった。 中学生で剣道と出会い、高校時代にはインターハイに出場する。高校時代から羽賀準一の指導を仰ぐために高崎から羽賀道場に通い始めるが、速さと巧さの剣道にどっぷり浸かっていた卯木は、大きく異なる羽賀の古流剣道に最初は戸惑ったという。法政大学進学後も剣道部に入部するとともに羽賀道場に通い羽賀の訓導を受ける。羽賀の没後は、門弟たちにより設立された一剣会羽賀道場に加わるとともに、生涯を剣道に捧げることを決心し、稽古場である日本武道館近くの飯田橋に定食屋を開き剣道を第一とした生活を始め現在にいたる。
佐賀 そおた(さが そおた、1943年(昭和18年) - )… 佐賀 そおた(さが そおた、1943年(昭和18年) - )は、日本の児童教育者。山形県天童市出身。大阪在住。児童教育に関する著書多数。
赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究… 赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究家。 新潟県長岡市生まれ。裏千家茶道研修所卒業後、茶陶の研究に入る。東京国立博物館陶磁室調査員を経て、1979年、茶道資料館の開設時に学芸部長に就任。三井記念美術館参事。専門は茶の湯にかかわる東洋陶磁器の研究。
宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)… 宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)は、秋田県能代市出身の漫画家。別名義:宮越義勝、塚本光治。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
漆原 徳光(うるしはら のりみつ、1943年 - )は、東京… 漆原 徳光(うるしはら のりみつ、1943年 - )は、東京都出身の日本の実業家、元レーシングドライバー。 漆原不動産株式会社(東京都文京区)代表取締役社長。 父は戦時中に軍需工場の社長をしており、1945年東京大空襲の際には工場が米軍B-29による攻撃の標的となった。戦争が終わると実家が不動産業「漆原不動産」に転身した。 1969年レースデビュー。1970年のマカオグランプリにはロータス・41(英語版)で出場し4位の記録を残している。以後1970年代に富士グランチャンピオンレース(富士GC)、フォーミュラカーレースに移行後の日本グランプリ、全日本F2000選手権などで活躍。普段から口数が少ないことやメガネをかけた風貌から「ドクター漆原」の異名で知られた(なお「ドクター」の名がついているが、本人は医者ではない)。
眞神 博(まがみ ひろし、1943年 - )は、日本のノンフ… 眞神 博(まがみ ひろし、1943年 - )は、日本のノンフィクション作家。 北海道紋別市生まれ。上智大学文学部新聞学科中退。フリーライター、編集者をへて、1977年『文藝春秋』記者、1985年フリーとなる。 1989年「衝突現場 15分間の新事実」で文藝春秋読者賞受賞。
村上 勉(むらかみ つとむ、男性、1943年 - )は、日本… 村上 勉(むらかみ つとむ、男性、1943年 - )は、日本のイラストレーター。兵庫県養父郡八鹿町(現:養父市)出身。 児童文学の挿絵を多数担当する。細部のリアルな描き込みと、デフォルメされたデッサンとが融合した画風を特徴とする。 挿絵を担当する作家のコンビとしては、佐藤さとるが圧倒的に多く有名で、デビュー作も佐藤の『だれも知らない小さな国』である。末吉暁子作品がこれに続く。また、1979年の日本の歌シリーズ「ふるさと」以降、日本切手の原画家として何度も起用されており、特に「ふみの日」のキャンペーン切手では永田萌と共に常連原画家となっている。 第16回小学館絵画賞(佐藤さとる作の『おばあさんのひこうき』)、ライプツィヒ図書展銅賞(1972年)、郵政功労賞 (2000年、切手50種)など受賞。
丹羽 祐而(にわ ゆうじ、1943年 - )は、日本の実業家… 丹羽 祐而(にわ ゆうじ、1943年 - )は、日本の実業家、市民活動家、環境活動家、大学講師。 朝鮮生まれ。1945年太平洋戦争終結に伴い北海道に引き揚げ。北海道札幌北高等学校卒業。1966年北海学園大学経済学部卒業。北海道協同組合通信社に入社。1972年同社を退社し、株式会社丹羽企画研究所を設立。その後、札幌市PTA協議会会長。1983年クリエイティヴ・コア株式会社代表取締役社長(2000年まで)。1992年酪農学園大学環境システム学部では非常勤講師として「北海道産業論」を担当(2006年まで)。1995年社団法人日本PTA全国協議会副会長(1996年まで)。札幌市社会教育委員(1996年まで)。
森 征一(もり せいいち、1943年 - )は、日本の法学者… 森 征一(もり せいいち、1943年 - )は、日本の法学者(西洋法制史・中世ローマ法学)。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学法学部教授、慶應義塾常任理事、常磐大学・常磐短期大学学長、学校法人常磐大学理事長を歴任。 北海道室蘭市出身。北海道室蘭栄高等学校を経て、1967年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、1970年慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了。イタリア政府給費留学生としてローマ大学留学を経て、1976年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。勝田有恒の指導を受けた。 1970年慶應義塾大学法学部助手、1976年慶應義塾大学専任講師、1979年慶應義塾大学助教授。サンパウロ大学国際交流基金派遣講師を経て、1988年慶應義塾大学教授。
太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - … 太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - )は、日本の思想評論家、映画評論家、編集者、翻訳家。 東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行っている。 釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。 出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた。
吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は… 吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は、日本の工学者。工学博士。専門は基礎電気工学。秋田大学および東北公益文科大学で学長を務めた。 新潟県で生まれ秋田県秋田市で育つ。 秋田県立秋田高等学校を卒業後、秋田大学に進学。1969年3月同大学院鉱山学研究科修士課程電気工学専攻修了。1974年名古屋大学より工学博士(電子・電気材料工学)の学位を受く。 1969年4月秋大鉱山学部助手、1974年4月同講師、1975年同助教授に就き、一度は外国の大学で研究したいと考えていた時、米国ニューヨーク州にあるクラークソン工科大学客員研究員として招かれ、家族とともに渡米。約2年間滞在した。 帰国後の1983年4月、39歳で秋大鉱山学部教授に昇進。
朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - … 朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - )は日本の外交官。EU大使等を務めた。名誉法学博士(アマースト大学・2005年)。 栄光学園高等学校を経て、1962年(昭和37年)一橋大学商学部入学。マーケティング専攻。体育会空手部に所属。大学入学時には、公務員になるつもりはなかったが、大学在学中の1964年(昭和39年)に外務公務員上級試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省。その後在外研修員としてアマースト大学卒業(政治学)。 外務省では大臣官房総務課首席事務官、北米二課長、安倍晋太郎外務大臣秘書官、カナダ公使等を経て、第3回気候変動枠組条約締約国会議等を担当したのち、2000年(平成12年)4月国際貿易経済・地球環境問題担当大使に就任。
西山 賢一(にしやま けんいち、1943年 - )は、日本の… 西山 賢一(にしやま けんいち、1943年 - )は、日本の経済学者。帝京大学教授、埼玉大学教授などを歴任。5年間の理論化学の研究の後、10年余りの理論生物学の研究から経済学に移った。専門は複雑系の経済学、経済情報学、文化生態学。
進村 武男(しんむら たけお、1943年 - )は、日本の工… 進村 武男(しんむら たけお、1943年 - )は、日本の工学者。宇都宮大学第18代学長、工学博士。研究分野は生産工学・精密加工・砥粒加工・磁気加工で、磁気研磨法の基礎と応用・強力磁気加工技術の研究開発・電気磁気複合精密加工法(ローレンツ力の利用,フレミングの左手の法則の利用)が研究テーマである。
菅原 利夫(すがはら としお、1943年 - )は、日本の歯… 菅原 利夫(すがはら としお、1943年 - )は、日本の歯学者。岡山大学大学院医歯学総合研究科歯顎口腔機能再建外科学分野(歯学系)教授。日本口腔科学会評議員。口腔、顎の外科的治療法についての研究と菅原式人工顎関節の開発で知られる。福井県立藤島高等学校、東京歯科大学卒業。1973年 大阪大学より歯学博士号を得る。論文の題は「口唇口蓋裂発生原因としての風疹ウイルスに関する血清疫学的および実験奇形学的研究」。
石川 憲一(いしかわ けんいち、1943年 - )は、日本の… 石川 憲一(いしかわ けんいち、1943年 - )は、日本の工学者。金沢工業大学第5代学長・顧問・教授。工学博士(大阪大学)。専門は精密工学、振動応用、技術者教育。精密工学会フェロー・名誉会員、日本工学教育協会名誉会員、砥粒加工学会名誉会員。 静岡県生まれ。静岡県立富士高等学校を経て、金沢大学工学部精密工学科卒業・大学院工学研究科修士課程修了。同大助手を経て、1970年金沢工業大学専任講師に就任。1973年助教授、1977年教授、1984年~1989年機械工学科主任、1990年~1993年教務部長、1993年副学長を歴任した後、前学長の推薦により1994年金沢工業大学第5代学長に就任。就任当時は「最年少学長」と呼ばれた。
土倉 莞爾(とくら かんじ、1943年(昭和18年) - )… 土倉 莞爾(とくら かんじ、1943年(昭和18年) - )は、日本の政治学者。専門は西洋政治史。関西大学名誉教授。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の… 柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の技術者・実業家。元会社経営者。
渡部 英喜(わたなべ ひでき、1943年〈昭和18年〉 - … 渡部 英喜(わたなべ ひでき、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本の漢文学者。
細井 為行(ほそい ためゆき、1943年 - )は、日本の弁… 細井 為行(ほそい ためゆき、1943年 - )は、日本の弁護士、警察官僚。
佐々木 博茂(ささき ひろしげ、1943年 - )は日本の実… 佐々木 博茂(ささき ひろしげ、1943年 - )は日本の実業家。 ダイエー社長代行、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)代表取締役会長などを務めた。
伊東 英幸(いとう ひでゆき、1943年(昭和18年))は、… 伊東 英幸(いとう ひでゆき、1943年(昭和18年))は、日本の実業家。ダスキン代表取締役会長。 北海道美唄市生まれ。北海道美唄東高等学校卒。1968年(昭和43年)ダスキン入社。長年、営業畑を歩み、経理部門や生産部門の業務に携わった。1998年同取締役。2001年(平成13年)同常務取締役。2002年(平成14年)ダスキン代表取締役社長に就任。2009年(平成21年)から現職。 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
清水 義明(しみず よしあき、1943年 - 2021年10… 清水 義明(しみず よしあき、1943年 - 2021年10月20日)は、日本のバスケットボール指導者である。日本体育大学名誉教授。北海道出身。 北見北斗高校在学中にインターハイ出場。日本体育大学では1年時からレギュラーを務め全日本にも選出される。卒業後も日体大に残り1967年より助手。アメリカのミシガン州立大学にバスケットボール留学し、帰国後コーチに就任。在任中日本体育大学を関東大学選手権優勝20回、同リーグ戦優勝24回、日本学生選手権優勝14回を記録した。また、全日本男子監督も3度務め、1982年アジア大会では銅メダルに導いた。2012年3月を以て退官。2021年、日本バスケットボール殿堂に尾崎正敏、加藤廣志とともに掲額者として、選出された。
北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作… 北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作家。宮城県牡鹿郡蛇田村(現石巻市)出身。仙台市在住。 大学を中退して演劇の世界に身を投ずる。その間、十指に余る職業を経験。この体験から、長く労働組合運動に関わる。のちに一線を退き、作家。小説のほか、ノンフィクション、文芸評論など幅広い分野で執筆活動をおこなっている。 日本民主主義文学会会員。 2011年3月11日、仙台市若林区にいて東日本大震災に遭遇。その体験と大勢の児童・教師が犠牲になった郷里石巻市の市立大川小学校の惨事から、管理下にあった児童・生徒全員が助かった釜石市への取材を思い立ち、ルポルタージュ『津波の町に生きる』を執筆、出版する。
長井 鞠子(ながい まりこ、1943年 - )は、日本の通訳… 長井 鞠子(ながい まりこ、1943年 - )は、日本の通訳者、会議通訳者。株式会社サイマル・インターナショナルの顧問。主要国首脳会議(サミット)をはじめとする、多くの国際会議やシンポジウムの同時通訳で活躍している。 宮城県仙台市生まれ。宮城学院中学校・高等学校卒業。国際基督教大学卒業。 小学1年の時、音楽教室のスズキ・メソードで、ヴァイオリンを始める。高校在学中、AFS生として奨学金でアメリカ合衆国に留学している。 大学2年生だった1964年、東京オリンピックで通訳を経験する。1967年、日本初の同時通訳エージェントであったサイマル・インターナショナルの専属通訳者になる。以降、日本の会議通訳者の草分け的存在として活躍する。
村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県… 村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県東海村長。 茨城県那珂郡石神村(現在の東海村)生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年に一橋大学社会学部を卒業し、地元の常陽銀行に入行。主に融資業務を担当。融資業務部副部長、ひたちなか支店長を歴任。 1997年に東海村長に就任。 2016年安保関連法の廃止、立憲主義の回復を求める茨城県市民連合共同代表。 2021年7月9日付け朝日新聞投書面に、八街児童5人死傷事故に関連し「道路の安全整備が喫緊に必要」とする意見を寄せた。
持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2… 持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2013年〈平成25年〉9月24日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった。茨城県水戸市出身。 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた。
浦野 文男 (うらの ふみお、1943年 - ) は、日本の… 浦野 文男 (うらの ふみお、1943年 - ) は、日本の実業家。PENTAX代表取締役元社長。 1943年に埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、東京大学工学部精密工学科卒業。UCLAエンジニアリング・デパートメント大学院留学。1968年旭光学工業株式会社(2002年にペンタックスに社名変更)入社。1989年取締役に就任。2000年に代表取締役社長に就任。M&A、他社とのライアンス、工場の統廃合等を実施し、収益性の向上と財務体質の改善を果たす。2007年HOYA顧問に就任。HOYAとの合併を目指すが、失敗に終わり社長を解任。日本カメラ財団評議員、TERARECON,INC.社外取締役、俯瞰工学研究所理事、オンコリスバイオファーマ社外取締役、SESA代表取締役会長、株式会社ジナリス社外取締役、(株)エクスキャリバー代表取締役、(株)アップドラフトコム社外取締役、AVRJapan(株)社外監査役。
梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都… 梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都市計画家。工学博士。元東京大学大学院工学系研究科教授。東京都出身。 大川端リバーシティ21、幕張メッセ・幕張新都心、筑波テクノパークなど、多数の大規模都市開発をプロデュース。
若杉 敬明(わかすぎ たかあき、1943年 - )は、日本の… 若杉 敬明(わかすぎ たかあき、1943年 - )は、日本の経済学者。 東京大学名誉教授。2004年4月から2013年3月まで東京経済大学経営学部教授。 HRガバナンス・リーダーズ株式会社のアドバイザリーボード。 バブル経済下における株価高騰を理論的に正当化させようとする「Qレシオ」を唱えたことで有名。 日本経営財務研究学会会長(1998年 - 2001年)
遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月… 遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月4日)は、日本の著述家、プランナー、フリーライター。新潟県南魚沼郡六日町(現南魚沼市)出身。六日町立六日町中学校を経て新潟県立六日町高等学校卒業、法政大学中退。「大衆食の会」代表。編集プロダクション「アルシーヴ社」監査役。通称「エンテツ」「大衆食堂の詩人」。 1943年に新潟県南魚沼郡六日町で生まれ、1962年に上京して法政大学に通う(同大学は中退)。1971年より食品・飲食店のプランナーの道へ進み、独自の料理論・文化論を展開した料理評論家の江原恵の影響を受け、江原との共同活動等を行う。 1995年に『大衆食堂の研究 』を三一書房から刊行する。
秋山 真男(あきやま まさお、1943年 - 2003年2月… 秋山 真男(あきやま まさお、1943年 - 2003年2月25日)は、山梨県甲府市出身の日本の元バドミントン選手。主に1960年代から1970年代に活躍。1966年全英オープンで準優勝。 甲府商業高等学校でバドミントンを始め、3年生の1961年インターハイ男子シングルで優勝。 中央大学に進学後、4年生の時インカレで優勝。また在学中に全日本総合でも初優勝を遂げる。 大学卒業後ヨネヤマラケットに就職し2年程在籍。退社後は山梨県に戻り家業を継ぎ、以降トーナメント表やリザルトの所属欄は秋山紙店の表記でエントリー。社会人としても全日本総合シングル、ダブルス共に優勝経験がある。1966年全英オープンにシングル初出場で日本人初の決勝進出、準優勝を果たす。
石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月… 石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月21日)は、日本を代表するジュエリーデザイナーの一人。独自の感性で、日本の美意識と西欧の様式美の世界をジュエリーに追い求めた。NOBUKO ISHIKAWA 創業者。 1943年、静岡県富士宮市に生まれる。1962年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、東京藝術大学工芸科卒業。市川市に居を構える。1968年、東京藝術大学大学院彫金科修了。1960年代よりジュエリーのデザイン、及び制作を始める。日展入選3回(~'70)。1970年、創作グループ 閑ジュウリー(現 NOBUKO ISHIKAWA)設立。1980年、西ドイツ、オーストリア、イギリス、オーストラリア、スイス等、国際展多数招待出品。
横山昭正(よこやま あきまさ、1943年- )は、日本のフラ… 横山昭正(よこやま あきまさ、1943年- )は、日本のフランス文学者、広島女学院大学名誉教授。スタンダールをはじめとする19世紀フランス文学が専門。 広島県福山市生まれ。1969年広島大学文学部卒、76年同大学院文学研究科フランス文学科博士課程満期退学。72-75年フランス政府給費生。広島女学院大学助教授、教授、2010年退任、名誉教授。1999-2004年広島平和記念資料館資料調査研究会委員。 2019年8月15日、広島県福山市において酒気帯び状態で車を運転し、軽自動車と衝突事故を起こした。軽自動車に乗っていた女性は頚椎捻挫などの怪我を負った。