遠田 誠治(えんだ せいじ、1964年5月11日 - )は、… 遠田 誠治(えんだ せいじ、1964年5月11日 - )は、北海道増毛郡増毛町出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者。 北海高では、中距離ヒッターの遊撃手として主軸を打っていた。2年春の選抜にエース安田や同じ増毛中出身の河尻と共に出場、北海が久々に(11年ぶり、選抜は19年ぶり)甲子園に戻ってきたと話題になった。甲子園ではエース川相昌弘(巨人-中日)、3番横谷総一(阪神)、4番本間立彦(日本ハム)を擁する岡山南高と対戦し2-3で敗れている。 高校卒業後は、社会人野球の新日本製鐵室蘭に入団、2年目から頭角を現し、俊足の内野手として都市対抗野球などで活躍した。 1985年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位での指名を受けるも、会社に1年残留し、翌1986年のオフに入団した。
三國 清三(みくに きよみ、1954年8月10日 - )は、… 三國 清三(みくに きよみ、1954年8月10日 - )は、日本のフランス料理シェフ、著作家、料理系YouTuber。東京四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナーシェフ、株式会社ソシエテミクニ代表取締役、日本フランス料理技術組合代表。称号(名誉学位)は美食学名誉博士(仏トゥール大学)。東京観光大使、北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使。黄綬褒章、レジオンドヌール勲章、フランス農事功労章オフィシェ章受章。一般社団法人全日本・食学会理事長代行ほか、政府・各種社団法人の委員・理事等を務める。現在YouTubeチャンネルの登録者数が54万人、Instagramのフォロワー数は18万人、家庭で作れる様々なレシピの紹介やシェフのちょい語りコーナーが人気を博している。
琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 201… 琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 2016年3月10日)は、北海道増毛郡増毛町雄冬出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名は香島 春男(かしま はるお)。最高位は東前頭2枚目(1979年1月場所)。現役時代の体格は197センチメートル、139キログラム。得意手は右四つ、上手投げ、突っ張りなど。 雄冬中学校在学時は、野球部に在籍していた(一塁を守り、チームの主軸打者として活躍したという)。相撲の経験はまったくなかったが、中学卒業後地元で港湾作業に従事していた際に60キログラム詰めのセメント袋を2つ持ち運ぶ怪力が評判となり、1971年6月頃、佐渡ヶ嶽部屋のマネジャーである大林(二所ノ関部屋に所属した元力士でもあり、現役時代の名は「飛幡山」(最高位:序二段47枚目)、福岡県出身)という人の勧誘を受けて角界入りを決めるに至った。
富野 康日己(とみの やすひこ、1949年8月29日 - )… 富野 康日己(とみの やすひこ、1949年8月29日 - )は、日本の医師、医学者。専門は腎臓内科学。主に糸球体腎炎(IgA腎症)、糖尿病腎症、高血圧性腎障害、腎不全の臨床・研究、および教育に携わると同時に、腎臓病をはじめとする生活習慣病の早期発見・早期治療の重要性について啓発活動を行っている。 順天堂大学腎臓内科学教授。約100名の現役医局員とOBに支えられ、IgA腎症、ネフローゼ症候群、糖尿病腎症、本態性高血圧、腎不全をテーマに、臨床・教育・研究にあたっている。研究は、炎症性腎疾患、代謝性腎疾患、高血圧、腹膜透析、補体系と腎疾患の各基礎研究グループと臨床研究グループに分かれ、それぞれのテーマに取り組んでいる。
小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - … 小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - 2004年10月4日)は日本の文芸評論家。北海道増毛郡増毛町出身。 中学卒業後に集団就職で上京し蒲田の町工場で働くも、父の死を挟み進学を志して、その年に帰郷。北海道増毛高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。1975年、同大学院修士課程修了。小田切秀雄に師事。 大学院在学中から「週刊読書人」の編纂に携わり、1986年退職。その後、法政大学や日本ジャーナリスト専門学校などで教鞭を取る。1995年、『終焉からの問い』で第3回ながらみ書房出版賞受賞。評論は小説だけに限らず、短歌、俳句も積極的に対象とした。 2004年、肺がんのため東京都立川市の病院で死去。
佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )… 佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )は、レスラー。ローマオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町育ち。 北海道増毛高等学校-中央大学高校大学とも全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にローマオリンピックでフェザー級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー2人が入賞する大活躍だった。
菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 20… 菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 2015年7月5日)は、日本の政治家。北海道砂川市長(3期)。 北海道増毛郡増毛町出身。1958年、北海道留萌高等学校卒。1961年、砂川市役所に入る。1971年、自治労砂川市職員労働組合特別執行委員となり、同年の砂川市議会議員選挙で当選する。砂川市議は1999年まで務め、この間、副議長と議長を歴任した。同年の砂川市長選挙に立候補し当選し、3期務める。2011年に市長を退任した。
浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990… 浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990年1月6日)は、レスラー。1956年メルボルンオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。 北海道増毛高等学校-中央大学-北日本砂鉄鉱業 高校と大学を通じて、金メダリストの池田三男と同期、プロ野球国鉄スワローズに進んだ桂本和夫は1期上、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にメルボルンオリンピックでフライ級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー3人が入賞する大活躍だった。中大卒業後の1960年ローマオリンピックでもレスリング王国増毛高校勢は3人が出場し、4期下の佐藤多美治とともに4位入賞した。
池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月1… 池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月14日 - 2002年(平成14年)9月12日)は、日本の北海道留萌支庁増毛郡増毛町出身のレスリング選手。メルボルンオリンピック金メダリスト。 北海道増毛高等学校-中央大学を通じてプロ野球に進んだ桂本和夫とともに全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 2002年9月12日、67歳で死去した。 中央大学4年の時にメルボルンオリンピックで優勝、エースの桂本は5位入賞となった。中大卒業後の世界選手権でも入賞、桂本は銅メダルを取った。二人は幼なじみで良きライバルとして互いに強く意識していた。
北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 20… 北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 2006年)は、レスラー。ローマオリンピックライト級グレコローマン5位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。