根本 悠楓(ねもと はるか、2003年3月31日 - )は、… 根本 悠楓(ねもと はるか、2003年3月31日 - )は、北海道白老郡白老町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校1年から野球を始め、白老町立白翔中学校では軟式野球部に所属し、3年時の第39回全国中学校軟式野球大会では決勝戦で完全試合を達成、その数ヶ月後に行われた第9回U-15アジア野球選手権大会では後に東京ヤクルトスワローズに入団する内山壮真とバッテリーを組み、優勝に貢献。この大会でチームメイトであった山城航太郎は後にプロでもチームメイトになる他、同じくチームメイトであった寺西成騎、平尾柊翔も後にプロ入りする。 進学した苫小牧中央高校では、3年夏は準々決勝で駒大苫小牧相手に15奪三振を記録するも敗れ、甲子園出場経験はなかった。
平館 真生(ひらだて まさき、1998年8月30日 - )は… 平館 真生(ひらだて まさき、1998年8月30日 - )は、日本の女優、タレント。 株式会社ディーツーエフ所属。 北海道白老郡白老町出身。札幌大谷短期大学卒業。
若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )… 若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )は、北海道白老郡白老町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 5歳で野球を始め、白老町立緑丘小学校1年次に緑丘ファイターズに入る。6年生の時にはファイターズジュニアでもプレーした。白老町立白老中学校野球部3年次には全日本少年軟式野球大会でベスト16を経験している。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年秋からベンチ入り、3年次から三塁手のレギュラーだった。2年春に全道大会で準優勝したが、甲子園出場経験はない。1学年上には伊藤大海がいる(ドラフトでは同期にあたる)。 駒澤大学に進学すると、1年春からベンチ入りし、2年生からはレギュラーとして活躍。
渡部 龍一(わたなべ りゅういち、1985年10月2日 - … 渡部 龍一(わたなべ りゅういち、1985年10月2日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(捕手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズのブルペン捕手。 父は元社会人野球選手・監督で、バルセロナオリンピック銅メダリストの渡部勝美。 1998年、小学校卒業までは白老町で過ごし、中学は札幌市の札幌市立月寒中学校に通う。 札幌第一高時代は、2002年の2年時の夏に第84回全国高等学校野球選手権大会に正捕手として出場し、1回戦で同大会の準優勝校である智辯和歌山高に延長10回の末に4-5で敗れた。 2003年のプロ野球ドラフト会議で、2004年からの本拠地北海道移転が決定していた日本ハムに7巡目で指名され、入団した。
石原 可奈子(いしはら かなこ、1980年12月24日 - … 石原 可奈子(いしはら かなこ、1980年12月24日 - )は、北海道白老町出身のピュアニスト(ピアノ、ピアニカ演奏)。「ピュアニスト」は造語(「ピア」ノ・「ピア」ニカ・自然の「ピュア」さをかけている)。 【ピュアニスト・石原 可奈子(いしはら かなこ)】 (ピアノ・鍵盤ハーモニカ・クラビオーラ・歌・作曲・作詞・編曲) 1980年12月24日生まれ、A型。北海道白老町出身。現在、白老町観光大使を務める。 2003年、国立音楽大学ピアノ専攻卒業。 「ピュアニスト」というオリジナルの肩書きで、ピアノ・鍵盤ハーモニカ・クラビオーラ・歌・作曲・作詞・編曲等の活動を行う。 ※「ピュアニスト」とは、“ピアニスト”と“自然のピュアさ”を融合させた、オリジナルの言葉(自然をテーマにして作曲したオリジナル多数)。
吉村 将生(よしむら まさき、1979年4月29日 - )は… 吉村 将生(よしむら まさき、1979年4月29日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 東海大四高では、2年夏に南北海道大会準優勝。3年時に11本塁打を記録。 1997年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受け、12月1日に契約金3500万円・年俸480万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は93。俊足で、二軍の試合では代走で使われていたことがしばしばあった。 2001年10月5日に戦力外通告を受け、現役引退。
ミト カツユキ(三戸 克幸、1978年3月23日 - )は、… ミト カツユキ(三戸 克幸、1978年3月23日 - )は、日本のシンガーソングライター。 北海道白老郡白老町出身。4歳から鍵盤楽器を始める。17歳のときにラジオでアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」を聴き、ファルセットボイスに衝撃を受けて歌に目覚める。その後、北海道札幌市のライブバーで働く傍ら黒人シンガー達とのセッションを繰り返し、ジャズ、ソウルミュージック、ゴスペル等の音楽に触れ歌と演奏力を磨く。 2004年に上京。路上ライブを展開。ラジオパーソナリティやドラマ主題歌等活動の場を広げる。 2005年、アルバム「Natural Soul」をリリースし、ADLIB AWARDS 2005において「国内ニュースター賞」を受賞する。
太田 崇(おおた たかし、1976年4月27日 - )は、北… 太田 崇(おおた たかし、1976年4月27日 - )は、北海道白老郡白老町出身の陸上競技選手・指導者。専門は長距離種目。北海道苫小牧南高等学校、札幌学院大学商学部商学科卒業。現役時代はNEC陸上競技部、コニカミノルタ陸上競技部に所属した。身長175cm、体重57kg。 中学から陸上競技をはじめ、苫小牧南高校を経て札幌学院大学に進学。大学時代は出雲駅伝に北海道学連選抜のメンバーとして3回、全日本大学駅伝にも3回出場した。 1999年に日本電気(NEC)へ入社するも、2003年に陸上競技部が廃部。コニカ陸上競技部へ移籍する。 2000年から2011年まで、ニューイヤー駅伝に12年連続出場。2005年・2006年・2008年にはそれぞれ1区を務めチームの優勝に貢献した。
高梨 利洋(たかなし としひろ、1974年1月9日 - )は… 高梨 利洋(たかなし としひろ、1974年1月9日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学2年の時に野球を始め、中学時代は2年連続で北海道大会を優勝した。 札幌第一高時代、3年次の夏には4番・エースとして南北海道大会で準優勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団。 長く二軍生活が続いたが、プロ4年目の1995年に一軍初出場を果たし初安打を本塁打で記録する。1996年は一軍選手に故障が相次いだこともあり39試合に出場し、わずか1試合ではあるが4番も任された。 1999年オフに戦力外通告を受け退団し、地元である札幌市に本拠地を置く社会人野球のサンワード貿易に入団。
山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は… 山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元スピードスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック銅メダリスト。現姓・山中。 3歳頃からスケートを始める。白老中学校1年の時に全国中学校体育大会で優勝した。駒大苫小牧高校を卒業後、王子製紙に入社し、全日本スピードスケート選手権などで活躍。スピードスケートの種目では主に中・長距離を得意とした。 だが1992年の年明けに脳腫瘍を患い入院。1993年春頃には左足首の靱帯を断裂する大怪我を追い手術を受ける。このケガを機に、足に負担が掛からない小刻みなピッチ走法に変えた所、これが功を奏してスピードスケートの自己記録を次々と更新し、翌1994年に自身初の冬季オリンピック日本代表に選出された。
堀尾 浩(ほりお ひろし 1965年 - )は、日本の建築家… 堀尾 浩(ほりお ひろし 1965年 - )は、日本の建築家。北海道を拠点に活動。北海道白老町生まれ。 1988年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業。1990年3月、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程を修了。同年、日建設計に入社し、1992年にアトリエブンクに移る。 2007年に堀尾浩建築設計事務所を開設した。 教職としては、1999年に北海学園大学の非常勤講師に就任。以降、北海道大学、室蘭工業大学、北海道科学大学で非常勤講師を務める。
あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、… あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、俳優、放送作家、武術家。 「ひらがなのあらいけい」 と呼ばれている。 本名は新井勲(あらい いさお)で、芸名の「あらいけい」は40代後半から使用。 20代から40代後半までは「新井螢」という漢字を使っていた。 北海道白老町出身。身長172cm。 番組制作会社IBC・JAPAN代表、大東流合気 実践あらい道場 代表、師範、大東流武術連盟 八段 専務理事。 1993年よりプロレス・格闘技の60分番組HBCラジオ 「ラジプロ」のメインキャスター。 千葉商科大学卒業、 早稲田大学中退。 1998年7月 大東流合気柔術 幸道会札幌西支部入門 2001年1月 札幌西支部の主要メンバーと共に、新規会派無傳塾を旗揚げ、移籍。
計良 智子(けいら ともこ、1947年〈昭和22年〉6月9日… 計良 智子(けいら ともこ、1947年〈昭和22年〉6月9日 - 2016年〈平成28年〉3月17日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道札幌市でアイヌの文化の伝承に取り組む市民団体「ヤイユーカラの森」の創設メンバーの1人であり、旧静内町のアイヌ文化伝承者である織田ステノから受けた教えをもとに、長期にわたってアイヌ文化や歴史を伝える活動のために貢献した。 北海道白老町で誕生した。祖父母がアイヌだが、自身の誕生時にはすでに祖父が故人であり、祖母は同化政策に従って、民族の文化を捨てて父を育てざるを得なかったことから、子供の頃はアイヌ文化とは無縁の生活だった。 中学校を卒業し、集団就職で上京した際に、周囲から「北海道・イコール・アイヌ」と言われ、他者との違いを考えさせられ、苦悩に陥った。
野村 義一(のむら ぎいち、1914年10月20日 - 20… 野村 義一(のむら ぎいち、1914年10月20日 - 2008年12月28日)は、北海道ウタリ協会理事長。 1914年、胆振の白老村に生まれる。幼少期から父親はおらず、母の野村ミツの元で育つ。母方の野村家は、白老の『コタンコロクル』(首長)の家系である。 1935年(昭和10年)、日本軍の第7師団月寒歩兵第25連隊に入隊する。1936年、白老漁協会に就職する。1939年、再び日本軍に徴兵されたが、1940年、除隊となった。1943年(昭和18年)、3度目の徴兵を受けた。1945年、樺太にてソ連軍に抑留されたが、1948年、引き揚げた。1949年に、白老漁業協同組合の専務理事となる。 1955年に、白老町議会議員に当選する。
小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年… 小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年2月20日)は、北海道白老郡白老町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 北海道庁立札幌第一中学校(現:北海道札幌南高等学校)を経て、1927年に中央大学法学部英法科に入学。在学中に札幌一中時代のチームメイトと共にサッカー部を創部した。 1933年に大学を卒業し、1935年より日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、JFA)代議員に就任し、同年の第1回日満親善蹴球大会では選手団団長。1936年のベルリンオリンピックでは日本代表に帯同し総務全般を担当した。 1951年、JFA常務理事に就任し総務・財務といった実務を担当。1974年からはJFAの財団法人化に伴い専務理事に就任した。
森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1… 森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1976年8月3日)は、昭和時代の歌人。違星北斗やバチェラー八重子とともにアイヌ三大歌人に数えられる。筑堂と号する。 北海道白老郡白老のコタンに父エヘチカン、母オテエの長男として生まれる。父の急逝により家は窮乏におちいり、9歳から漁場で働くようになる。1915年に白老第二尋常小学校を卒業後、石狩・厚田・臼谷(小平町)・留萌の鰊漁場に出稼ぎに行く。白老郵便局長・満岡伸一の好意により1917年から郵便局に勤める。1919年に白老駅夫を拝命し、正職員となるため勉学に励む。1923年に札幌鉄道局雇員採用試験に合格。1927年に札幌鉄道局雇員を拝命し、以後は追分・佐瑠太(富川)・苫小牧・静内に貨物掛として転勤する。