成田 晴風(なりた はるせ、2006年2月27日 - )は、… 成田 晴風(なりた はるせ、2006年2月27日 - )は、青森県南津軽郡大鰐町出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。 大鰐町立大鰐小学校3年生のときに『あじゃらベースボールクラブ』で野球を始め、大鰐町立大鰐中学校では軟式野球部に所属した。 弘前工業高校へ進学すると、1年春からベンチ入り。入学時は最速135km/hほどであったが、徹底的に下半身を鍛え、1年時から最速140km/hを超え、1年秋からは背番号1を付けた。3年夏の県大会では2回戦で八戸学院光星と対戦し、中澤恒貴に本塁打を打たれるなど敗れたものの、強力打線から9つの三振を奪う力投を見せた。高校時代の最速は150km/h。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた。
福田 修子(ふくだ のぶこ、1980年7月29日 - )は青… 福田 修子(ふくだ のぶこ、1980年7月29日 - )は青森県大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。現姓は籏(はた)。冬季オリンピックに3度出場した。所属は大鰐町立大鰐中学校-青森県立大鰐高等学校-弘果スキーレーシングクラブ-岐阜日野自動車。同学年に石田正子がいる。 リンゴ農家に生まれ、幼いころから重い木箱を担いだことから自然と下半身の筋力を養ったという。小学生でスキーを始め、1999年の全国高等学校スキー大会(インターハイ)女子10kmフリーで優勝し注目される。 高校卒業後、クロスカントリースキーの強豪チームであった弘果弘前中央青果に入社。2001年全日本スキー選手権の複合と30kmフリーで優勝する。
一の谷 崇帥(いちのたに そうし、1976年6月10日 - … 一の谷 崇帥(いちのたに そうし、1976年6月10日 - )は、青森県南津軽郡大鰐町出身で中村部屋所属の元大相撲力士。本名は木田 崇帥(きだ そうし 以前は木田 崇師(読み方は同じ))。現役時は身長182cm、体重128kg。最高位は東十両12枚目(2004年7月場所)。得意技はもろ差し、寄り。 大鰐町立大鰐中学校在籍中は野球部に所属していたため、相撲経験は無かった。しかし相撲が盛んな地域であったため、父の勧めにより中学卒業と同時に中村部屋に入門。1992年3月場所に初土俵を踏んだ。初土俵から4年で幕下まで番付を上げたが、定着するまでに時間が掛かったため幕下と三段目を往復する生活が続いた。2002年頃から幕下に定着。
福士 謙介(ふくし けんすけ、1966年 - )は、日本の工… 福士 謙介(ふくし けんすけ、1966年 - )は、日本の工学者。専門は、環境工学、サステイナビリティ学。東京大学サステイナビリティ学連携研究機構教授、国連大学高等研究所客員教授。東京大学未来ビジョン研究センターセンター長(2023年 - 現任中)。
クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月2… クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月23日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は三浦 利美(みうら としみ)。青森県南津軽郡大鰐町出身。第48代日本バンタム級王者。現役時代は国際ボクシングスポーツジム所属。現在はドリームボクシングジム会長として後進の指導に当たる。エディ・タウンゼント賞受賞トレーナーでもある。弘前電波工業高等学校(現・弘前東高等学校)卒業。 高校時代はボクシング部に在籍し、1981年の国体では高校団体3位の成績を残した。その後、同郷の高橋美徳が経営する国際ボクシングスポーツジムでプロへ転向し、1982年5月25日、プロデビュー戦に4RTKO勝利を収めた。同年7月23日のプロ2戦目からライトフライ級で新人王戦に参戦したが、9月4日の予選2試合目で倉持正(角海老宝石)と対戦し、判定負けを喫した。
福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説… 福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説家、詩人、映画評論家。 趣味のユダヤ人研究、 映画、専門の世界史を結びつけた本を執筆している。2013年には自身初の小説も刊行した。 青森県大鰐町出身、在住。父は中学校の教員であった。日本作詞家協会に所属した時期もあった。青森県立弘前高等学校入学後は演劇部に入部した。演劇部では全国大会優勝を成し遂げた。小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー川口淳一郎は同期。一浪の後、早稲田大学第一文学部に入学。入学後1年目の夏には弘前市で劇団「炎天下」を立ち上げた。寺山修司は大学時代、一時アルバイトしていた渋谷のパブレストランの常連であった。
2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日… 2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日 - 2022年7月16日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身で二子山部屋に所属した大相撲力士、第56代横綱。本名は下山 勝則(しもやま かつのり)。引退後は年寄・間垣。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付き年寄だった11代荒磯の元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである。)身長186cm、体重133kg。血液型はA型。現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。 小学校二年から青森県下の相撲大会に出場、大鰐地区の小学生相撲大会で4年連続優勝、中学2年の夏休みの作文には「将来は横綱か大関になりたい」と書いた。
山田 年伸(やまだ としのぶ、1952年8月 - )は、日本… 山田 年伸(やまだ としのぶ、1952年8月 - )は、日本の政治家。青森県大鰐町長(4期)。元大鰐町議会議員(4期)。 青森県大鰐町宿川原生まれ。大鰐町立大鰐小学校、大鰐町立大鰐中学校、青森県立弘前南高等学校卒業。千葉商科大学中退。 大鰐町議会議員を4期務める。 2006年(平成18年)の大鰐町長選挙に立候補するも、現職の二川原和男に敗れ落選。 2010年(平成22年)6月27日執行の大鰐町長選挙に再び挑戦。3期目を目指す現職の二川原和男との一騎打ちとなったこの選挙において、得票がともに3,524票と同数となったため、公職選挙法に基づいて抽選が行われた。くじ引きをした結果、山田が初当選を果たした。
浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本… 浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本の作曲家、元歌手。旧満洲(中国東北部)出身。 旧芸名は牧 宏次、大木 賢、浜 真二。本名は金野 孝(こんの たかし)。妻は元歌手の奥村チヨ。 1946年4月8日、旧満洲(中国東北部)の収容所で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げる。青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。 15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し上京。森山加代子の付き人となる。 1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。しかしヒットに恵まれず、一度青森に戻る。1966年に大木 賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - … 山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - 2002年2月26日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。オリンピアン。 旧制五所川原農林学校 → 明治大学 → 青森営林局 中学時代から才能を発揮し、1940年の第18回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)・少年の部で優勝。その後明大に進み、1942年から1943年の同大会個人長距離・成年の部を連覇。同じ1942年~1943年の全日本学生スキー選手権大会では、リレーで連覇した他、1943年の個人長距離で前年王者の落合力松(明大)を破り優勝。 戦後1948年に再開された全日本スキー選手権大会個人長距離では、ライバル落合に敗れるが、翌1949年の同大会同種目は山本が制した。
山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 197… 山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 1978年12月25日)は、日本のクロスカントリースキー選手。青森県南津軽郡大鰐町出身。1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック日本代表。 大鰐尋常高等小学校高等科を卒業後、青森営林局(青森林友)に勤務する。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)で優勝。翌年の同大会32kmリレーでは、山田伸三らとともに青森林友を優勝に導いた。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で56位、4x10kmリレーで12位だった。 現役引退後は、地元青森で後進の育成に尽くした。
山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 20… 山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日)は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックにノルディック複合、クロスカントリースキーで出場。青森県出身。 青森県南津軽郡大鰐町出身。旧制弘前中学校を卒業。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される。 中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。