川上 椋輔(かわかみ りょうすけ、1995年8月29日 - … 川上 椋輔(かわかみ りょうすけ、1995年8月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元北海道文化放送のアナウンサー。BASE CAMP TESHIKAGA代表。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)で生まれ育つ。小学校6年時の2008年に茨城県つくば市へ転居。中学時代には同市のクラブチーム・つくばFCに所属し、クラブユース選手権で関東大会に出場。茨城県選抜に選出。 中学3年時の2011年に宮城県へ戻り、大崎市立古川東中学校を経て、宮城県古川高等学校に入学、高校在学時には体力テストで学年1位を獲得していたほどの運動神経の持ち主で、同校サッカー部の主将を務めていた。 2014年に横浜国立大学人間教育科学部学校教育課程に入学。
中島 源陽(なかじま もとはる、1962年9月5日 - )は… 中島 源陽(なかじま もとはる、1962年9月5日 - )は、日本の政治家。宮城県議会議員(6期)。元宮城県議会議長。
佐藤 仁一(さとう じんいち、1951年(昭和26年)4月2… 佐藤 仁一(さとう じんいち、1951年(昭和26年)4月22日 - )は、日本の政治家。宮城県議会議員(2期)。元宮城県岩出山町(現・大崎市)長(4期)。 宮城県大崎市出身、大崎市立岩出山中学校、宮城県古川高等学校卒業後、酪農業に従事する。1990年、岩出山町長に当選、大崎市に合併する2006年まで4期務めた。この間、岩出山町にある道の駅あ・ら・伊達な道の駅の社長に就任、経営を黒字に転換させた。2010年の大崎市長選挙に立候補したが、現職の伊藤康志に敗れた。2014年の大崎市議会議員選挙に立候補してトップ当選した。2018年の選挙でも2位で再選。2019年の宮城県議会議員選挙で大崎市選挙区から立憲民主党公認で立候補し、当選した。
佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2… 佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉12月24日)は、日本の政治家。宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。旭日小綬章。 宮城県大崎市志田郡古川町(旧・古川市→現・大崎市古川)出身。大崎市立古川中学校、宮城県古川高等学校を経て、1961年に東北学院大学文経学部卒。古川商工会議所に入り、中小企業相談所次長などを経て、1983年、古川市議会議員に当選。4期務め、議長も務めた。1999年に古川市議を退任し、翌2000年に古川市長に当選した。古川市長を2期務め、在任中に古川市は近隣の町村との合併に向け、協議会が結成され、古川市長の佐々木が合併協議会会長となった。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日… 千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日 - 2017年(平成29年) 2月28日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(1期)。位階は正六位。旭日双光章。 宮城県大崎市志田郡古川町(のち古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒。国民学校教諭を務め、1946年、古川町役場に入る。財政、秘書、商工、都市計画課長のほか、古川青年会議所理事長、古川市体育協会理事などを歴任した。その後、古川市収入役となり、1988年の古川市長選挙に立候補し、元市議会議長の中川俊一を破って当選した。4年後の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した中川俊一に敗れた。
大衡 照夫(おおひら てるお、1911年〈明治44年〉6月2… 大衡 照夫(おおひら てるお、1911年〈明治44年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)を経て、1948年、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学農学部)卒。卒業後は全国購買組合連合会に入り、同連合会東京支所肥料部肥料飼料統制課属、同肥料課長、同肥料飼料統制課長となり、退職、帰郷し、1950年、保護司となる。1951年から古川市議会議員に当選し、7期務め、副議長、議長を歴任し、この間、宮城県社会教育委員を務めた。1976年の古川市長選挙に立候補し、現職の三上馨一を破って初当選した。
三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 199… 三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 1996年1月8日)は、宮城県志田郡古川町(現・大崎市古川)生まれ、旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)、法政大学出身、日本の政治家。元・宮城県議会議員、日本社会党宮城県本部委員長、日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)宮城連合会長、河北新報社厚生部部長などを歴任。第46代内閣総理大臣の片山哲は義理の叔父にあたる。 仙台市博物館にある「魯迅の碑」設置にも尽力をした。
只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉… 只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉10月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月26日)は、日本の政治家、衆議院議員 (3期)。陸軍司政官。 宮城県大崎市出身。1932年(昭和7年)、東北帝国大学法文学部を卒業。東北中学の教諭や東北薬学専門学校の講師を経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙に非推薦で立候補したが落選した。同年、陸軍司政官となった。他にも東北中学・商業学校校長代理や東北農学校長などの役職を務め、1946年(昭和21年)に日本人民党を結成して党首となった。同党は実質的に只野の個人政党であったが、1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙に宮城1区から立候補し初当選した。
三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日… 三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日 - 1965年(昭和40年)2月8日)は、日本の政治家。参議院議員、宮城県知事を歴任した。 宮城県の大崎地方(旧古川市域)生まれ。宮城県立古川中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、鉄道省に入省した。 1943年(昭和18年)、運輸省(現在の国土交通省)施設局長に就任。1953年(昭和28年)、参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選、参議院議員となった。翌1954年(昭和29年)、日本民主党に入党、国会対策委員長などを務めた。1950年から1951年までは、土木学会の会長職にもあった。
吉野 信次(よしの しんじ、1888年〈明治21年〉9月17… 吉野 信次(よしの しんじ、1888年〈明治21年〉9月17日 - 1971年〈昭和46年〉5月9日)は、日本の農商務・商工官僚、政治家。 商工大臣、運輸大臣、貴族院議員、参議院議員を歴任。大正デモクラシーを主導した政治学者吉野作造の弟。 宮城県志田郡大柿村(現大崎市古川)に綿屋を営む吉野年蔵、こう夫妻の三男として生まれた。吉野作造は長兄である。 旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、一高を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学独法科を首席卒業(銀時計受領)し、農商務省に入省する。農商務大臣秘書官、1925年に農商務省が農林省と商工省に分離し、以後は商工省文書課長、工務局長を経て、1931年(昭和6年)商工次官。
佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12… 佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12月7日 - 1954年3月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、宮城県知事(1期)。「百姓知事」と呼ばれた。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。宮城県古川高等学校、盛岡高等農林学校農学科(現・岩手大学農学部)で学ぶ。 志田郡志田村(のち古川市、現大崎市)助役、同村長、同村会議員、宮城県会議員、同議長、同参事会員、志田村、志田郡、宮城県各農会長となる。 1930年、仙台市長選挙に立候補したが、市会(市議会)での得票数は4位に終わり、落選した。1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に宮城県第1区から出馬して当選。1936年の第19回衆議院議員総選挙の再選時は投票のための買収があり、虚偽の約束手形を手に入れてそれに合わせた証言が行われた偽証証憑偽造偽造証憑使用教唆事件で1937年11月4日、大審院は上告棄却し佐々木は懲役4か月の実刑判決が確定。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
鎌田 三之助(かまた さんのすけ、1863年3月2日(文久3… 鎌田 三之助(かまた さんのすけ、1863年3月2日(文久3年1月13日) - 1950年(昭和25年)5月3日)は、日本の公共事業家、政治家。衆議院議員、宮城県鹿島台村(現在の大崎市鹿島台地域)村長。品井沼干拓事業に打ち込み「わらじ村長」の名で知られた。 1863年(文久3年)陸奥国志田郡木間塚村竹谷(現在の宮城県大崎市古川、旧・古川市)に鎌田三治の次男として生まれる。生家の鎌田家は、仙台藩士の流れを汲む家で鳴瀬川に沿った大地主の家柄であり、祖父玄光、父三治とも地元の治水事業に生涯を傾けた。1878年(明治11年)政治家を志し上京し、漢学塾や明治法律学校で学ぶ。郷里に戻り農業に従事しながら木間塚に青年教育の場として大成館を設立し夜学で教える。
永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月… 永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月)- 1906年(明治39年)6月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市古川)に生まれる。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した。 1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。