畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉… 畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉11月17日 - 2023年〈令和5年〉6月3日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(2期)、大館市長を務めた。 秋田県北秋田郡森吉町出身。1954年(昭和29年)農業講習所農業科を卒業。同年、秋田県庁に入庁。1962年(昭和37年)大館地方労事務局長。1965年(昭和40年)県北生活協同組合理事。1976年(昭和51年)県職労中央執行委員長。1979年(昭和54年)大館市長に初当選。以降3期務めた。 1993年(平成5年)日本社会党公認で第40回衆議院議員総選挙で旧秋田1区から初当選。1996年(平成8年)の第41回総選挙では社会民主党公認で秋田2区から立候補。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年… 河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年)2月27日 - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 秋田県北秋田郡鷹巣村(現・北秋田市鷹巣)の豪農。河田与惣兵衛の二男として生まれ、1888年(明治21年)3月に家督を相続する。 1902年(明治35年)秋田銀行取締役となり、のち秋田県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1906年(明治39年)12月24日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。 その後、秋田郡地主会長、同郡中央会長、赤十字有功社員などを歴任した。 妻 きさ (1881年生まれ、佐藤新三郎三女) 義弟 高安 正一 (1903年生まれ、扇田鉄鉱取締役高安虎治長男)
高橋 本吉(たかはし もときち、1873年(明治6年)2月1… 高橋 本吉(たかはし もときち、1873年(明治6年)2月17日 - 1920年(大正9年)11月26日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 秋田県北秋田郡綴子村(現在の北秋田市)出身。東京高等師範学校を卒業した後、アメリカ合衆国に渡り、プリンストン大学で修士号を得た。1908年(明治41年)から1910年(明治43年)まで関東都督秘書官を務めた後、関東都督府経済調査嘱託、農商務省海外実業練習生、南満州鉄道株式会社文書係主任、ジャーディン・マセソン商会大連出張所主任などを歴任した。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。 日米問題の調査のため渡米中、シアトルで病死した。
畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永… 畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永4年3月12日)- 1932年(昭和7年)1月24日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。旧姓・長岐。 出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で、素封家・長岐家の三男として生まれた。1869年(明治2年)山本郡仁鮒村(響村、二ツ井町を経て現能代市)の地主・畠山藤左衛門の婿養子となる。1873年1月(明治5年12月)養父の死去に伴い家督を相続した。 1870年(明治3年)久保田藩御山守となる。仁鮒村副戸長、同戸長、第三大区書記役、秋田県勧業諮問会議員などを歴任。また自由民権運動に加わる。
11代目長岐 貞治(ながき ていじ、1849年(嘉永2年) … 11代目長岐 貞治(ながき ていじ、1849年(嘉永2年) - 1904年)は、日本の政治家。 出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で七日市村の肝煎を務める長岐家の長男に生まれる。弟に衆議院議員などを務めた畠山雄三がいる。13歳の時に肝煎役を継いだ。1871年に秋田県第2大区2小区戸長に就任する。1879年に秋田県会議員に選出された。 1880年に秋田県畜産協議会会頭に就任した。1888年に秋田県が畜産会を組織すると、その第1期(第1回)の副会長を務めた。1889年に七日市村長に就任した。1896年に内閣に設けられた馬政調査委員を嘱託される。1900年に産牛馬組合会の第1期(第1回)組長に就任した。