安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月3… 安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日 - 1998年〈平成10年〉10月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた。 現在の山形県村山市で生まれる。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した。 1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する。 1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する。
松岡 俊三(まつおか としぞう、1880年(明治13年)7月… 松岡 俊三(まつおか としぞう、1880年(明治13年)7月14日 – 1955年(昭和30年)2月16日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→自由党)、拓務政務次官。ジャーナリスト。 山形県北村山郡楯岡村(現在の村山市)出身。1899年(明治32年)に浄土宗大学を卒業した後、日本法律学校(現在の日本大学)で学んだ。日露戦争に従軍。都新聞社に入り、政治部記者、副社長、常任監査役、編集顧問を歴任した。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回に至るまで7回当選を果たし、1940年(昭和15年)に発足した米内内閣では拓務政務次官を務めた。この間、1927年(昭和2年)には、議会乱闘事件に関与したとして傷害の容疑で起訴。
細梅 三郎(ほそめ さぶろう、1874年(明治7年)8月18… 細梅 三郎(ほそめ さぶろう、1874年(明治7年)8月18日 - 1951年(昭和26年)7月31日)は、明治から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、山形県北村山郡楯岡町長。ブラジル移民としてサンパウロ州に渡り同地で没した。 山形県村山郡楯岡村(北村山郡楯岡村、楯岡町を経て現村山市楯岡)で、細梅勘六、タニの長男として生れた。1900年(明治33年)1月、家督を相続した。同年、宮城農学校(現宮城県農業高等学校)農科を卒業し、1903年(明治36年)7月、早稲田大学政治経済科を卒業した。農業を営む。 1903年、北村山郡会議員に選出され同議長も務めた。1905年(明治38年)楯岡町長に就任。1907年(明治40年)9月、山形県会議員に選出され、1911年(明治44年)9月まで1期在任した。
高橋 勝兵衛(たかはし かつべえ、1859年7月24日〈安政… 高橋 勝兵衛(たかはし かつべえ、1859年7月24日〈安政6年6月25日〉 - 1932年〈昭和7年〉10月31日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。山形県会議長。山形県山形市長(第9代)。幼名は源吉、のち謙。 先代勝兵衛の長男として、出羽新庄藩領村山郡大槇村(山形県北村山郡大槇村、戸沢村を経て、現村山市大槇)に生まれる。代々酒造業を営む旧家であった。漢学を修めたのち、米沢中学に遊学する。1876年(明治9年)大槇小学校設立とともに補助教師となり、のち白鳥稲長小学校兼務となる。学務委員を経て、連合町村会議員に当選。1886年(明治19年)2月には28歳で山形県会議員に当選し、その後死去するまで12回当選した。
菊池 大二郎 は、日本の政治家、行政書士。