岩倉 文也(いわくら ふみや、1998年8月31日 - )は… 岩倉 文也(いわくら ふみや、1998年8月31日 - )は、日本の詩人。歌人。福島県福島市生まれ。 2016年頃より歌作、詩作をはじめ、新聞歌壇や詩誌への投稿を開始する。2018年、「ユリイカの新人」に選ばれる。同年、「階段」が『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品に選出。同年、毎日歌壇賞(加藤治郎選)を受賞。2019年2月、第一詩集『傾いた夜空の下で』により、第24回中原中也賞最終候補となる。 詩作の原点には美少女ゲームのテキストがあると語っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 八畳(、1995年〈平成7年〉10月3日 - )は、日… 渡辺 八畳(、1995年〈平成7年〉10月3日 - )は、日本の詩人、アーティスト。福島県福島市出身。福島大学人間発達文化学類卒業。 2014年頃より本格的に詩作を始める。福島県立福島東高等学校、福島大学人間発達文化学類卒業。2017年第70回福島県文学賞詩部門奨励賞を受賞。2018年、「詩と思想」現代詩の新鋭に選出。同年から2年間、詩の投稿サイト「B-REVIEW」の運営に携わる。2019年、「文学極道」2018年度エンターテインメント賞を受賞。2023年、第19回文芸思潮現代詩賞奨励賞を受賞。個人サークル「自然体同好会」としてコミックマーケットなど各種同人即売会にも参加する。詩誌『BONE』主催。
和合 亮一(わごう りょういち、1968年8月18日 - )… 和合 亮一(わごう りょういち、1968年8月18日 - )は、日本の詩人、ラジオパーソナリティ、高校教員。福島県福島市出身。福島市生まれ、福島市育ち(小学校から中学にかけ郡山に3年間)。福島市在住。既婚、1男あり。 第1詩集『AFTER』(1998年)で中原中也賞受賞。東日本大震災では自らも被災する中、ツイッターで「詩の礫」と題した連作詩を発信し続けた。ほかに『地球頭脳詩篇』(2006年)、『木にたずねよ』(2015年)など。 郡山市立安積中学校を経て、福島市立福島第三中学校、福島県立福島高等学校、福島大学教育学部卒業。福島県の高校教諭の傍ら詩作活動を行う。1998年、第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞受賞。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 19… 野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 1966年10月27日)は、日本の作詞家、詩人。福島県福島市出身。本名は鈴木 喜八。 福島県福島市大町の魚屋に生まれる。幼少期、近所には作曲家の古関裕而が住んでおり、5歳年上の野村は兄貴分であり遊び仲間だった。 1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。1931年をもって福島民友新聞社を退社。すでにコロムビア専属の作曲家として東京で活動していた古関裕而のすすめで上京する。同年、古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売され互いにデビュー作となった。この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年〈明治27年〉10月1… 田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年〈明治27年〉10月13日 - 1980年〈昭和55年〉4月9日)は、日本の詩人である。本名は吉之助。 銀行員として働きつつ、郷愁をテーマに多くの詩作を行う。専ら旅を題材とした詩を作り、山国や北国の自然、日常生活を初々しい感覚で表現した叙情詩集「青い夜道」(昭和4年)を発刊。多作ではなくマイナーポエットとも評されるが、一貫して日本の自然や生活に根ざした詩を作り続け、吉行淳之介は象徴的に「青い夜道の詩人」と評している。詩作のほか散文や俳句も手がけている。堀口大學らと交友関係があった。 銀行員だった父吉次郎と、母やゑの長男として福島県福島市栄町に生まれた。1901年(明治34年)に父が、1906年(明治39年)には母が相次いで亡くなったため、上京して叔父・安田善助のもとで養育される。