スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
福原 耕平(ふくはら こうへい、1982年5月8日 - )は… 福原 耕平(ふくはら こうへい、1982年5月8日 - )は、日本の男性声優、ナレーターである。福島県出身。青二プロダクション所属。 高校時代位、国語の時間に「朗読うまいね」と言われて声優を目指した。 福島県立福島商業高等学校卒業。 東映アニメーション研究所卒業後、青二プロダクション所属。 声優としては多数のアニメ、洋画、ゲームなどに出演している。 趣味は映画鑑賞。特技はギター。 太字はメインキャラクター。
古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - … 古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手。 福島県福島市出身(ニックネームは「トラさん」)。 福島商業高3年生時の1981年に春夏連続で甲子園に出場。2年秋の東北大会決勝では秋田経大付高の松本豊と投げ合って延長15回日没引分け再試合となり、再度二人が完投するが1失点で惜敗。第53回選抜は1回戦で御坊商工高に敗れる。第63回選手権は清水雅治のいた浜田高を延長10回の熱戦で降し1回戦を突破するが、秋田経大付高の松本豊投手に抑えられ2回戦敗退。 高校卒業後は、社会人野球の専売公社東北に入社。早くから注目され、1983年夏の都市対抗野球に新日本製鐵釜石、1984年夏の同大会に岩手銀行に補強され出場。
三浦 広之(みうら ひろゆき、1959年6月5日 - )は、… 三浦 広之(みうら ひろゆき、1959年6月5日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(投手)。 福島商ではエースとして活躍。1976年秋季県大会準決勝に進むが、学法石川高に敗退。翌1977年は夏の県大会で8回コールド参考記録ながら完全試合、続く試合で同7回ノーヒットノーランを達成して夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で九州産業高の梅津茂美と投げ合い完封勝利。九州産業高の一塁手は吉竹春樹であった。3回戦に進むが、プロで同僚となる山森雅文のいた熊本工に延長11回裏サヨナラ負けを喫する。この夏は県大会3回戦から甲子園を通じて55回連続無失点を記録した。 進学の話もあるなかで、1977年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。
島貫 省一(しまぬき しょういち、1957年7月24日 - … 島貫 省一(しまぬき しょういち、1957年7月24日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(外野手)。 福島商業高では、2年次の1974年に夏の甲子園に出場も、初戦(2回戦)で大石大二郎や久保寺雄二らがいた静岡商に1-6で敗退している。 1976年に高校卒業後、早稲田大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1978年秋季リーグ、1979年春季リーグで2回の優勝を経験。1978年秋の明治神宮大会は、準決勝で3年中本茂樹投手に抑えられ優勝した同大に1-4で敗退。1979年春の全日本大学選手権は、同期の向田佳元、2年下の三谷志郎(プリンスホテル)両投手の好投もあり決勝まで進んだが、中大の4年香坂英典投手から序盤に島貫が2ラン本塁打を放つものの後続を抑えられ3-7で敗れ準優勝に終わる。
山口 和之(やまぐち かずゆき、1956年4月7日 - )は… 山口 和之(やまぐち かずゆき、1956年4月7日 - )は、日本の政治家、理学療法士。元衆議院議員 (1期)、元参議院議員 (2期)、日本維新の会福島県総支部幹事長。福島県理学療法士会会長、医療創生大学客員教授。日本理学療法士協会東北ブロック会長、同協会理事などを歴任。 福島県福島市生まれ。福島市立三河台小学校、福島市立岳陽中学校、福島県立福島商業高等学校、東京国際大学、東京衛生学園専門学校リハビリテーション学科卒業。理学療法士の国家資格を取得し、総合南東北病院リハビリテーションセンター科長や郡山女子大学非常勤講師を務めた。 2009年、第45回衆議院議員総選挙に民主党から比例東北ブロック単独25位で立候補。
石幡 信弘(いしはた のぶひろ、1944年7月29日 - )… 石幡 信弘(いしはた のぶひろ、1944年7月29日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(投手)。 福島商業高を中退し、社会人野球の清峰伸銅へ入団。1964年から補強選手も含めて3回連続都市対抗野球大会に出場した。チーム解散に伴い、1966年に富士重工業へ移籍。4回目の出場となる1969年の都市対抗野球大会では、準決勝で大昭和製紙の三輪田勝利と投げ合い1対0で撃破。電電関東との決勝戦も6回まで1対0とリードするが、豪雨で再試合となる。再試合でも9回裏まで1対0と優勝寸前であったが、四球を発端にまさかの逆転負けを喫した。この大会で石幡は全試合に先発し、左腕からの大きなカーブを武器に好投、久慈賞を獲得して注目される。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
佐藤 嘉重(さとう かじゅう、1938年(昭和13年)12月… 佐藤 嘉重(さとう かじゅう、1938年(昭和13年)12月15日 - )は、日本の政治家。元福島県本宮市長(1期)。 福島県本宮町出身。福島商業高等学校卒業。後に洋服製造業の東和グループに就職。平成6年4月、当時の本宮町長選挙に「町政を変えよう」のスローガンで立候補。当時町長を5期20年務めた伊藤備文を破って当選。それ以来さまざまな改革を行ってきており、一時は夕張市以上あった借金を減らすことに成功した。元福島県知事の佐藤栄佐久とは従兄弟の関係にあった。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月1… 古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月11日 - 1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。
小関 庄太郎(こせき しょうたろう、1907年(明治40年)… 小関 庄太郎(こせき しょうたろう、1907年(明治40年)1月25日 - 2003年(平成15年)3月20日)は、戦前日本を代表するピクトリアリスム・芸術写真の写真家。 福島県福島市生まれ。1924年より写真を撮り始め、亡くなった2003年まで80年近い写歴をもつ、「最後の芸術写真家」の一人。 福島商業学校卒業後、家業(小関屋、古着等を扱う)を手伝いながら、写真同好会・二葉会(1921年 - 1944年頃)に入会し、佐藤信(さとう まこと、1897年 - 1987年)、本田仙花(ほんだ せんか、1897年 - 1951年)の薫陶を受ける。 二葉会のメンバーには他に、菊田蝶秋、伊藤晨水、伊東松葉、伊藤弥十郎、川村重和、吹澤龍一、本間第一郎、三瓶秀三、金澤治男、三浦通庸、木村長雄、氏家健吉、村山俊吾、島崎得三郎、山崎金三郎などがいた。
平館 利雄(ひらだて としお、1905年11月2日 - 19… 平館 利雄(ひらだて としお、1905年11月2日 - 1991年4月26日)は、日本の経済学者。専修大学・青森大学・横浜国立大学で教授を務めた。 福島県西白河郡白河町(現在の白河市)に生まれる。家業の不振により白河から平に転居する。1919年平商業学校に入学し、3年修了で福島商業学校4年に編入し、1924年に同校を卒業、横浜高等商業学校に入学する。1927年に同校を卒業し、東京商科大学本科に入学する。大学では大塚金之助教授のゼミに参加し、また、ロシア語を学ぶ。1930年に東京商科大学を卒業し、東京社会科学研究所に入り、小椋広勝の紹介で「プロ科」に参加し、プロ科では、経済批判会に属して主に翻訳活動に従事する。
野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 19… 野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 1966年10月27日)は、日本の作詞家、詩人。福島県福島市出身。本名は鈴木 喜八。 福島県福島市大町の魚屋に生まれる。幼少期、近所には作曲家の古関裕而が住んでおり、5歳年上の野村は兄貴分であり遊び仲間だった。 1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。1931年をもって福島民友新聞社を退社。すでにコロムビア専属の作曲家として東京で活動していた古関裕而のすすめで上京する。同年、古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売され互いにデビュー作となった。この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
遠藤 武夫(えんどう たけお)、( 1934年(1935年?… 遠藤 武夫(えんどう たけお)、( 1934年(1935年?) - 2023年 (令和5年) 8月9日)は、福島県の合唱指揮者、音楽教師。福島商業高等学校を経て、福島大学教育学部音楽科卒業。長年母校及び福島県立梁川高等学校の音楽教諭を務める傍ら、「フロイデ合唱団」の常任指揮を務め、福島の合唱文化の発展に尽くす。同僚にピアニストの斎藤一次がいた。