木村 優人(きむら ゆうと、2005年6月1日 - )は、茨… 木村 優人(きむら ゆうと、2005年6月1日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 土浦市立斗利出小学校1年生のときに斗利出ベアーズで野球を始め、6年時は藤沢イーグルスでプレー。霞ヶ浦高校附属中学校では霞ヶ浦高校附属ボーイズに所属した。 中高一貫の霞ヶ浦高校に進学すると、1年夏はベンチ入りし、2試合にリリーフ登板。1年秋以降は、マウンドに上がらない試合では「3番・右翼手」で出場し、2年秋からはエースを務め、3年春の茨城大会で自己最速の150km/hを計測した。3年夏の茨城大会では準決勝を突破し、土浦日大との決勝では8回まで無失点に抑えたが、3点リードの9回に5失点し、逆転負けを喫した。
菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は… 菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手。右投右打。 土浦市立真鍋小学校1年時に牛久リトルで野球を始め、U-12日本代表に投手で選出されW杯に出場。土浦市立土浦第二中学校では取手ファイトクラブに所属し全国大会に出場。 常総学院高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年夏の県大会は3番打者を務め準優勝。常総のバレンティンの異名で注目されるも、3年夏は県大会ベスト8で敗退し甲子園出場はなかった。高校通算本塁打は58本。 2019年10月17日に行われた2019年のプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから3巡目で指名され、契約金5000万円、年俸600万円で入団した(金額は推定)。
遠藤 淳志(えんどう あつし、1999年4月8日 - )は、… 遠藤 淳志(えんどう あつし、1999年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 小学1年生から斗利出ベアーズ(当時)で野球を始め、4年生から投手として活躍。 土浦市立新治中学校を経て、霞ケ浦高校に入学。1年の夏にはチームが甲子園出場を果たしたものの、ベンチ入りできず、1年秋から念願のベンチ入りを果たした。2年の秋からエースとして活躍が期待されたが、夏休み中に右手の甲を縫うけがを負ったため調整が遅れて登板できなかった。しかしオフシーズンに練習を重ね3年春の関東大会にはベスト8の原動力となって注目を集め、第99回全国高等学校野球選手権大会・茨城大会2回戦では日米8球団20人のスカウトが視線を送る中、自身の最速に2キロ迫る140キロを計測。
鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、… 鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 土浦市立東小学校1年時から美浦ブレーブスで野球を始め、3年時からは永国東ジャイアンツでプレー。 土浦市立土浦第四中学校に進学し、土浦霞ケ浦ボーイズに所属。チームメイトかつ同級生に佐野如一がいた。全国大会で準優勝を果たし、U-15の日本代表入りした。 常総学院高校進学後は、1年秋からエースを務め、2年春の第87回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の米子北戦で7回6安打無失点で勝利を収めると、続く今治西戦でも7回と1/3を1安打無失点で勝利し、ベスト8進出を果たした。
佐野 如一(さの ゆきかず、1998年9月2日 - )は、茨… 佐野 如一(さの ゆきかず、1998年9月2日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 土浦市立土浦第四中学校時代は陸上部で、野球は土浦霞ヶ浦ボーイズでプレーした。同じチームに同学年の鈴木昭汰が在籍していた。 霞ヶ浦高等学校へ進学後、1年からベンチ入り。2年時には全国高等学校野球選手権大会に出場。3年時には主将としてチームを牽引した。同学年に根本薫、1学年上に綾部翔、1学年下に遠藤淳志が在籍していた。 仙台六大学野球連盟に所属する仙台大学体育学部に進学。硬式野球部では、1年から外野手として活躍。2018年春季リーグ戦と2019年春季リーグ戦では外野手としてベストナインを獲得した。
大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - … 大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年生から野球を始め、土浦市立都和中学校時代は硬式野球のクラブチームである常総ドリームボーイズに所属。茨城県立土浦湖北高等学校では1年秋からチームのエースとなったが、3年夏は右手を疲労骨折していた影響もあって3回戦で敗退し、プロ志望届を提出したものの指名漏れとなった。甲子園出場経験は無し。 その後仙台大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。リーグ戦では通算19試合に登板して4勝3敗、54回1/3を投げて防御率3.15という成績を残し、2019年9月24日付でプロ志望届を提出したが、チームのエース格ではなく、ドラフト前の調査書が届いたのは福岡ソフトバンクホークスのみであった。
渡邉 諒(わたなべ りょう、1995年4月30日 - )は、… 渡邉 諒(わたなべ りょう、1995年4月30日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は… 西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年の時に荒川沖サニーズで野球を始めると、土浦市立土浦第三中学校時代は土浦シニアに在籍。佐野日本大学高等学校への進学後は、1年秋からのベンチ入りを経て、2年秋からダブルエースの1人として活躍した。3年夏の選手権栃木大会では、栃木県立鹿沼商工高等学校戦との準々決勝でダブルエースによる完封リレーを達成。救援で登板した西宮は、キレのあるスライダーとストレートで、鹿沼商工打線を寄せ付けなかった。しかし、栃木県立宇都宮工業高等学校との準決勝に敗れ、在学中には春夏とも甲子園球場の全国大会に出場できなかった。
大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨… 大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。 かつてヤクルト、南海でプレーしたプロ野球選手大塚徹は父親。 土浦三高では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将をつとめる。主将として参加した2001年秋の県大会で準優勝。関東大会でもベスト8に残っている。2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。3年夏は県大会4回戦で敗退した。 2002年のドラフト11巡目でヤクルトに入団。高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。
島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、… 島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。常総学院高等学校職員。 常総学院高等学校硬式野球部の出身。2003年に現役を引退してからは、(独立リーグを含む)日本のプロ野球3球団でのコーチや監督などを経て、2020年7月26日から同部の監督を務めている。 小学1年から野球を始め柏市立富勢中学時代はエースピッチャーであった。常総学院高時代は捕手、内野手、外野手と様々なポジションを経験した後に再び投手となる。1987年の甲子園に春・夏連続出場を果たし、春は常総学院初の甲子園出場も1回戦敗退、夏は決勝でPL学園高に敗れて準優勝投手となる。
石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22… 石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22日 - 2008年〈平成20年〉7月15日)は、茨城県出身のプロ野球選手(投手)。 1994年から1998年までの登録名は「石田 大也」(読み方は「いしだ ともや」)。血液型はA型。 1966年(昭和41年)8月22日、茨城県新治郡新治村(現在の土浦市)で生まれる。小学3年の時に投手として野球を始める。それ以来、投手一筋でやってきた。 取手第二高では当時の監督であった木内幸男の指導の下、1年秋からエース投手になる。高校同期のチームメイトに捕手の吉田剛(のち遊撃手)がいた。甲子園に通算3回出場した。2年生の時の1983年春の第55回選抜では1回戦で泉州高に敗退した。
大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 201… 大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 2018年7月13日)は、日本のプロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。 茨城県立土浦第三高等学校では、捕手として1962年秋季関東大会準決勝に進むが、宇都宮商に敗退。 1964年国鉄スワローズに入団。1964年、1965年と2年連続でジュニアオールスターに出場。しかし根来広光、岡本凱孝らの壁を破れず、1968年から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は… 鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 土浦第三高校、全藤倉、東京ガスを経て1957年に中日ドラゴンズへ入団。1959年に退団した。
木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、… 木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、茨城県土浦市出身の高校野球指導者。茨城県立取手第二高等学校・常総学院高等学校の野球部監督を歴任したことで知られる。