菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は… 菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学生(大子町立矢田小学校)の時は、ドッジボールの全国大会に出場。大子町立大子中学校卒。常磐大学高等学校では1年時からベンチ入りし、2006年秋季茨城県大会で準優勝し、関東大会に出場した。初戦で唐川侑己擁する成田高校と対戦し、相手打線を6安打に抑えるも味方打線の援護なく敗れセンバツ出場を逃した。3年時にエース兼4番として活躍。夏の茨城県大会では準決勝の東洋大牛久高校戦では16奪三振で完封勝利を挙げる。しかし決勝戦で清原大貴擁する常総学院に敗戦、甲子園出場は叶わなかった。 2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目指名を受け、入団。
鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - … 鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)、元コーチ。右投右打。 大子リトルで野球を始め、勝田シニアでエース。水戸短大附高校時代は最速152km/hの速球で鳴らし、3年春は県大会優勝。同じく速球派投手であり、後にオリックスでチームメイトとなる日南学園高の寺原隼人とともに「東の鴨志田、西の寺原」と言われた。 2001年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3巡目指名を受け、入団。 2002年にその年の独走優勝もあり消化試合で一軍テスト登板。新人ながら10月10日の対ヤクルトスワローズ戦で初セーブを挙げる。 2003年はリリーフ崩壊をうけ原辰徳監督に戦力として期待されるが、7月18日の対横浜ベイスターズ戦で小田嶋正邦にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、満足な成績を挙げられず二軍へ降格。
大子錦 大伍郎(だいごにしき だいごろう、1977年10月1… 大子錦 大伍郎(だいごにしき だいごろう、1977年10月12日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は齋藤 佳信(さいとう よしのぶ)。身長176cm、体重188kg、血液型はA型。最高位は西三段目77枚目(2002年9月場所)。 茨城県立大子第一高等学校(現・茨城県立大子清流高等学校)出身。 高校時代はレスリングに没頭し、在学中に体重が120kgに達した。3年生の夏休み期間中に高砂部屋の関係者・久慈乃里(高砂部屋の同郷力士)の父・高校の担任教諭の3名が齋藤の元を訪れ、高砂部屋への勧誘が行われた。齋藤は入門を断ったが、夏休み明けの9月に当時現役で同部屋の幕内力士として有名だった水戸泉が勧誘のために学校に訪問したため、学校中が騒然となった。
髙信 幸男(たかのぶ ゆきお、1956年〈昭和31年〉8月1… 髙信 幸男(たかのぶ ゆきお、1956年〈昭和31年〉8月10日 - )は、日本の名字研究家、司法書士、作家。日本家系図学会理事。元国家公務員(法務省法務局職員)。茨城県久慈郡大子町出身、水戸市在住。 茨城県立大子第一高等学校時代からの趣味で名字研究を始める。法務省法務局職員として長らく戸籍の業務に携わる。水戸地方法務局・札幌法務局・さいたま地方法務局・甲府地方法務局・東京法務局・横浜地方法務局にて勤務。県や市町村、大学等での講演、テレビ・ラジオなどの番組客演や監修に協力。 2017年3月に法務省を退官。以降は、司法書士を本業としつつ、フリーの名字研究家として活動している。 後年はバラエティ番組『沸騰ワード10』にて、「はんのひでしま」店主の秀島徹との対決企画が定期的に特集として組まれて話題となり、名字の由来を世に紹介する文化的な側面で貢献している。
益子 英明(ましこ ひであき、1953年 <昭和28年> 4… 益子 英明(ましこ ひであき、1953年 <昭和28年> 4月8日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。茨城県大子町長(第15代)、同町議会議長(第31代)を務めた。 茨城県大子町出身。駒澤大学卒業。大子町議会議員、2009年に同町議会議長。2010年12月の大子町長選挙で、2期目を目指した現職の綿引久男を60票差で破り初当選。2014年12月の選挙で、元職の綿引久男に敗れる。2018年12月の選挙で、再び立候補するも落選。高梨哲彦が当選。県町村議長会副会長、大子造園土木会長、町森林組合理事などを歴任。 2025年秋の叙勲で旭日双光章を受章した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 20… 豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、茨城県久慈郡大子町出身のプロ野球選手・野球解説者。 現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。引退後はニッポン放送、フジテレビ、文化放送、テレビ東京、テレビ大阪、スポーツニッポンなどの野球解説者をつとめた。2006年に野球殿堂入り。 3歳の時に日立市へ転居し、父は建設業を営んでいたが、国民学校(小学校)2年生の時に太平洋戦争に伴うアメリカ軍の空襲が起こったため 母の実家があり自分も生まれた大子町へ疎開し、5年生の時に戦争が終結した後も同地へ留まった。この終戦直後、国民学校(小学校)の教師が持ってきたソフトボールの道具 で野球をやったことが、豊田が野球を本格的に始めるきっかけとなった。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 … 肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 - 1981年(昭和56年)2月24日)は、日本の歴史学者。東京教育大学文理科教授を経て、東京教育大学名誉教授。日本古代史の重鎮であった。茨城県久慈郡大子町出身。従三位勲三等旭日中綬章。 茨城県久慈郡大子町生まれ。茨城県立下妻中学校、東京高等師範学校を卒業後、福岡県立東筑中学校、長野師範学校で教鞭をとる。1927年(昭和2年)京都帝国大学史学科(国史科専攻)卒業。同大学院入学。1932年(昭和7年)より東京文理科大学(後の東京教育大学)講師となり、1933年(昭和8年)同大助教授、1943年(昭和18年)同大教授。1946年(昭和21年)公職追放。