丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29… 丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29日 - 1982年〈昭和57年〉7月23日)は、日本の医師、政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。環境庁長官(第7代)を歴任した。所属派閥は福田派。青嵐会の結成にも参加した。陸軍軍医大尉。 1916年(大正5年)、群馬県吾妻郡坂上村(現・東吾妻町)の出身。出生地は坂上村とも長野県とも。高崎市に移り住み、1934年(昭和9年)旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業、1940年(昭和15年)東京医学専門学校卒業。医師免許取得後日本鋼管病院に勤務するが、同年10月軍医として応召。最終階級は陸軍軍医大尉。 1946年(昭和21年)7月に復員、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業。
一場 武平(いちば ぶへい、1891年〈明治24年〉4月5日… 一場 武平(いちば ぶへい、1891年〈明治24年〉4月5日 - 1971年〈昭和46年〉)は、日本の政治家(群馬県吾妻郡吾妻町長・岩島村長ほか)・軍人。藍綬褒章(1963年)。 吾妻町(現・東吾妻町)生まれ。岩島高等小学校卒業。高崎歩兵第15連隊に入営。1921年(大正10年)、岩島村軍人分会会長に就任。1924年(大正13年)、岩島村消防組頭に就任。 1929年(昭和4年)、岩島村会議員に当選した。1933年(昭和8年)同村助役となった。1937年(昭和12年)助役に再任された。同年3月、村会議員の再選を果たした。1941年(昭和16年)8月に助役を辞職した。1942年(昭和17年)7月、村会議員に3選。
菅谷 勘三郎(すがや かんざぶろう、1886年〈明治19年〉… 菅谷 勘三郎(すがや かんざぶろう、1886年〈明治19年〉1月2日 - 1953年〈昭和28年〉4月18日)は、大正・昭和時代の日本の政治家。群馬県議会議員(1期)、群馬県会議員(6期)、第27代群馬県会議長、吾妻郡岩島村長などを務めた。幼名は善之(よしゆき)。 1886年(明治19年)、群馬県吾妻郡郷原村(岩島村を経て現・東吾妻町)の旧家に、村会議員などを務めた先代勘三郎とやいの次男として生まれる。先祖は菅谷勘右衛門の名を世襲し苗字帯刀を許された豪農・名主であった。1892年(明治25年)に父が死去したため勘三郎を襲名し、後に村長を務める叔父・慎三郎の後見を受ける。1903年(明治36年)に群馬県立農学校を卒業した後は、家業の農業に従事した。
木檜 三四郎(こぐれ さんしろう、明治元年8月4日〈1868… 木檜 三四郎(こぐれ さんしろう、明治元年8月4日〈1868年9月19日〉 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の政治家。初代参議院仮議長、参議院議員(1期)、衆議院議員(7期)、群馬県会議員、吾妻郡会議員、原町長を歴任した。位階・勲等は正四位勲二等(旭日重光章)[要出典]。号に吾川。 明治元年(1868年)、群馬県吾妻郡岩島村(現・東吾妻町)の片貝家に生まれる。幼少期に原町の木檜家の養子となった。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学ぶ。 1894年(明治27年)に群馬県会議員に当選し、6期務める。1896年(明治29年)から1907年(明治40年)まで吾妻郡会議員、1903年(明治36年)から1907年(明治40年)まで同議長。
塩谷 眞康(しおのや しんこう、文久3年12月14日〈186… 塩谷 眞康(しおのや しんこう、文久3年12月14日〈1864年1月22日〉 - 大正7年〈1918年〉3月24日)は、日本の政治家、教育家。衆議院議員(1期)、群馬県会議員(2期)。前名は塩谷 五十足(しおのや いそく)。 上野国吾妻郡小泉村(太田村を経て現・群馬県吾妻郡東吾妻町)出身。父は塩谷真雄。群馬師範学校(現・群馬大学教育学部)卒業後、郷里で教員となる。その後上京し1887年(明治20年)に慶應義塾を卒業。自宅の近くに春山館という私塾を開いて多くの若者を育成し、図書を多く収蔵して図書館の先駆となった。 1890年(明治23年)、群馬県会議員に当選。1894年(明治27年)に再選され常置委員となる。