小林 仁志(こばやし さとし、1978年7月20日 - )は… 小林 仁志(こばやし さとし、1978年7月20日 - )は、日本の稲作篤農家。 かわばファーム株式会社代表取締役を務める。縁人-enjin-(世田谷・川場縁組協定交流事業)副隊長。 1978年7月20日、群馬県利根郡川場村出身。1997年、群馬県立沼田高等学校を卒業、2002年、國學院大學文学部史学科を卒業。2014年9月30日、農用地等借受応募を提出。2015年11月23日、第17回米・食味分析鑑定コンクール:国際大会・認定農業者部門で、特別優秀賞を受賞する。2016年8月2日、地方創生加速化交付金の交付(オール川場産でもてなす地鶏ブランド化プロジェクト)。11月、地鶏飼育販売会社「かわばファーム」を設立、12月4日、第18回米・食味分析鑑定コンクール:国際大会・国際部門で金賞を受賞する。
石田 芳雄(いしだ よしお、1955年2月23日 - )は、… 石田 芳雄(いしだ よしお、1955年2月23日 - )は、日本の元プロ野球選手である。群馬県利根郡川場村出身。 上武大一高(現在は廃校)ではエースとして活躍。1年夏の県大会ベスト4、1971年の2年夏は県大会準決勝に勝って北関東大会も決勝へ進むが同県の高崎商に敗れた。秋季県大会は準決勝に進むが、高崎商に惜敗。翌1972年夏の県大会は準々決勝で河原井正雄を擁する桐生高に敗退、北関東大会には進めなかった。 甲子園出場はならなかったが、アンダースローからのその小気味良いいピッチングがスカウトの目にとまり、1972年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。1974年にはチームが前期優勝を決めた後の6月25日、南海ホークス戦で高卒同期入団の石田真が先発した後を受けて3回1失点で石田真にプロ入り初勝利を捧げるとともに自身も初セーブを記録。
元宿 仁(もとじゅく ひとし、1945年(昭和20年)8月4… 元宿 仁(もとじゅく ひとし、1945年(昭和20年)8月4日 - )は、日本の政党職員。長年にわたり自由民主党本部の事務方のトップである事務総長を務めている。群馬県生まれ。日本ペンクラブ会員。 群馬県利根郡川場村生品(なましな)に四人兄弟の次男として生まれる。生家が貧しかったことから、中学卒業後の就職先も決まっていたが、教師や兄などの強い勧めもあり内定先を辞退して群馬県立沼田高等学校に進学、高校では柔道部に所属し、3年時には関東大会に出場するなど活躍する。高校卒業後は昼間はアルバイトをしながら夜間は法政大学短期大学部で学び、同短大卒業後は駒澤大学に編入し、1968年3月に卒業。大学では経済学と経理を学んだ。
江口 きち(えぐち きち、1913年〈大正2年〉11月23日… 江口 きち(えぐち きち、1913年〈大正2年〉11月23日 - 1938年〈昭和13年〉12月2日)は、大正時代から昭和時代前期にかけての女流歌人。 河井酔茗と島本久恵に師事し、貧困の中で多くの歌を詠んだが最期は自殺した。「薄幸の天才歌人」「女啄木」と呼ばれた。ただし作風は啄木とは大きく異なり万葉調であった。 群馬県利根郡川場村大字谷地に、1913年(大正2年)11月23日に父熊吉、母ユワの長女として生まれる。父は博徒で生活能力がなく、兄廣寿は幼時の脳膜炎の後遺症で知的障害があった。母が飲食店を切り盛りして三人の子どもを育てた。川場村尋常高等小学校での学業成績は優秀だったが進学は諦めた。 1930年(昭和5年)2月から沼田の郵便局に勤めるが、6月3日に母が急逝したため帰郷し家族の世話のために家業を継ぐ。
桑原 鶴(くわばら つる、1902年〈明治35年〉12月25… 桑原 鶴(くわばら つる、1902年〈明治35年〉12月25日 - 1969年〈昭和44年〉7月28日)は、日本の外交官・文筆家。外交官としてはエジプト王国代理公使などを勤めた。外務省内にあって日独防共協定締結に反対し、太平洋戦争の無条件降伏による敗戦を予見して講和による終結を唱えたことで知られる。戦後は外務省を退官し在野で著述活動を行った。 群馬県利根郡川場村門前に生まれる。川場村尋常小学校を経て、旧制沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)から第一高等学校に進み、東京帝国大学法学部に入学。1924年高等文官試験外交科、翌1925年同行政科に合格。 1926年に外務省入省。イタリアや青島で在勤の後、1936年に公使館三等書記官としてアフガニスタンに赴任。
土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年〈明治22年〉6… 土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年〈明治22年〉6月28日 - 1960年〈昭和35年〉3月26日)は、日本の醸造家、政治家。参議院議員(1期)。 群馬県利根郡川場村立岩に生まれる。父・茂八は新潟県の生まれで川場村に移住し貸蔵で酒造業を営んでいた。 國太郎は群馬県立前橋中学校利根分校(のち旧制群馬県立沼田中学校、現群馬県立沼田高等学校)を卒業したのち、1912年(大正元年)より沼田町(現・沼田市)下之町で酒造りを始める。1923年(大正12年)、同町の酒蔵を買い入れて土田酒造を創業、「譽之國光」の銘板の日本酒の醸造を開始。これが地酒の銘酒として県内外から称賛を浴びるようになる(のちに現名の「譽國光」(ほまれこっこう)に改名)。
井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4… 井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4月12日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト、右翼指導者。本名は井上 昭(いのうえ あきら)、別号に日象。血盟団を結成して「一殺多生」を唱え、1932年に血盟団事件を起こした。無期懲役の判決を受けたが恩赦により出所。戦後は右翼団体・護国団を結成した。日蓮宗を信仰し、仲間からは「和尚」と呼ばれたものの僧籍は有していない。 群馬県利根郡川場村に、医師・井上好人の四男として生まれる。幼名は四郎、通称尚(たすく)。幼少期より母との関係が悪く、野火を付けたり脇差を持ちだして門松を斬り倒したりする悪童だった。
井上 二三雄(いのうえ ふみお、1883年〈明治16年〉12… 井上 二三雄(いのうえ ふみお、1883年〈明治16年〉12月25日 - 1919年〈大正8年〉3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。血盟団指導者の井上日召は弟。 群馬県利根郡川場村谷地に、医師・村会議員の井上好人の子として生まれる。前橋中学校沼田分校(現・群馬県立沼田高等学校)卒業後、成城中学校を経て海軍兵学校33期。同期生に豊田副武、豊田貞次郎、中村亀三郎らがいる。1906年(明治39年)12月少尉任官。初級士官時代の「音羽」、「三笠」乗組みなどを経て、大尉進級後の1912年(大正元年)10月に航空術研究委員を命じられる。
今井 今助(いまい いますけ、慶応2年9月15日〈1866年… 今井 今助(いまい いますけ、慶応2年9月15日〈1866年10月23日〉 - 1948年〈昭和23年〉2月18日)は、明治・大正時代の日本の政治家、実業家。群馬県利根郡川場村出身。衆議院議員(2期)、群馬県会議員(5期)、利根郡会議員、川場村長などを歴任した。 川場村川場湯原の今井悟兵衛の長男として生まれる。今井家は代々名主を務める家柄で、父悟兵衛は領主から帯刀御免・御用達頭取を仰せつけられていた。 今助は1892年(明治25年)に群馬県会議員に当選し、以後1896年(明治29年)、1907年(明治40年)、1911年(明治44年)、1915年(大正4年)の5回当選を果たし、17年間務めた。 1896年(明治29年)、1899年(明治32年)、1903年(明治36年)の3度利根郡会議員に当選。