濱岡 蒼太 (はまおか そうた、2007年10月10日 -… 濱岡 蒼太 (はまおか そうた、2007年10月10日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 長津田小学校3年生のときに南長津田ジュニアジャイアンツで野球を始め、横浜市立田奈中学校では同校の軟式野球部に所属していた。 中学卒業後は、神奈川県立川和高等学校に進学。1年の夏からベンチ入りを果たし、秋からエースに。3年春の神奈川大会では同校初のベスト8進出に貢献した。3年夏は5回戦で平塚学園高校に敗れ、3年間での甲子園出場経験はない。その後、埼玉西武ライオンズの入団テストを受験して合格を果たし、2025年10月23日に行われたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成4位で指名を受けた。
飛田 悠成(とびた ゆうせい、2005年3月13日 - )は… 飛田 悠成(とびた ゆうせい、2005年3月13日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 幼少期に父親とのキャッチボールで野球に触れる。小学校3年生の時に地元の野球教室に入り、4年生から少年野球チームの「寺尾ジャイアンツ」に所属した。 中学校時代は渋井敬一が監督を務める「緑シニア」で控えの遊撃手だった。 「勉強もしながら野球もする」ことを前提に進学した横浜市立金沢高等学校でも遊撃手だったが、2年生の冬に野球部の監督がキャッチボールを見て素質に気づき、投手に挑戦した。球速が133 km/hから141 km/hに上がった。しかし、公式戦の登板は先発が春季神奈川大会の1試合のみで、夏の県大会も救援登板2試合にとどまった。
島田 舜也(しまだ しゅんや、2003年4月30日 - )は… 島田 舜也(しまだ しゅんや、2003年4月30日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 幼少期はサッカーに魅了されていたが、4歳上の兄に憧れていたこともあり、小学校入学前より野球を始める。中学時代は横浜泉中央ボーイズに所属した。 進学した木更津総合高等学校では、1学年上にのちにDeNAで再びチームメートとなる篠木健太郎がおり、1年秋より寮で同部屋となり生活した。この時、篠木より「チームの中心がコケたらチームがコケる」との言葉をもらったという。甲子園出場はなし。 東洋大学では、1年春の中央大学との試合で初登板したが、サヨナラ打を浴びた。
正木 悠馬(まさき ゆうま、2002年11月19日 - )は… 正木 悠馬(まさき ゆうま、2002年11月19日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。 上智大学出身の初のプロ野球選手。 父親の仕事の関係で1歳から7歳までアメリカ・アラスカ州で育つ。帰国後に野球を始め、14歳から再び渡米し、高校はワシントン州のレドモンド高校へ進学。高校時代は主に二塁手、遊撃手を務めていた。 帰国後、上智大学へ進学すると投手として一年春からリーグ戦登板。二年春には東都四部の最優秀投手、最優秀防御率、ベストナインを獲得したほか、同年秋には最優秀防御率を獲得した。 2025年のドラフト会議にて埼玉西武ライオンズに育成6位指名された。上智大学からのドラフト指名はこれが初であった。
三浦 柚恵(みうら ゆえ、2002年2月26日 - )は、神… 三浦 柚恵(みうら ゆえ、2002年2月26日 - )は、神奈川県横浜市出身の元女子プロ野球選手。ポジションは投手。血液型O型。 小学1年生の時に、きょうだいの影響で野球を始める。4年生で投手となり、中学生時代には学校では背番号1番を付け「横浜クラブ」では全国大会3位となった。 藤沢清流高等学校時代は男子学生にまじり硬式野球部に所属して練習した。3年生時に、2019年11月の女子野球アジアカップ代表となるU18女子野球日本代表を目指したが、不合格だった。同年10月、日本女子プロ野球の入団テストに合格した。 高校卒業後の2020年、レイアに入団。同年は選手減少により、試合開催時には愛知ディオーネの選手として活動する。
山中 稜真(やまなか りょうま、2000年12月14日 - … 山中 稜真(やまなか りょうま、2000年12月14日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 横浜市立倉田小学校2年生の時に下倉田シャークスで野球を始め、横浜市立豊田中学校時代は横浜泉中央ボーイズでプレーした。中学時代のチームメイトに土生翔太がいた。 木更津総合高等学校に進学し、2年夏では一塁、3年夏には正捕手として甲子園に出場した。2年夏は甲子園1試合で打率.667、3年夏は甲子園3試合で打率.417を記録し、大会通算では打率.467を記録した。また、2年夏の甲子園では2打点を記録している。1学年上に山下輝、2学年上に早川隆久、2学年下に篠木健太郎がいた。
本田 仁海(ほんだ ひとみ、1999年7月27日 - )は、… 本田 仁海(ほんだ ひとみ、1999年7月27日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 大和市立北大和小学校1年生時に、地元の北大和ドリームスで野球を始め、5年生時から本格的に投手を始めた。つきみ野中学校時代は、同校の軟式野球部に所属した。 高校は星槎国際高等学校湘南に入学。入学当初の本田は体重55kg・ストレートの球速は125km/h程度で、2011年に創部したばかりで本田の入学(2015年)当時は主だった実績のなかった同校野球部の中でも、Bチームの補欠という立場だった。同校野球部監督の土屋恵三郎も、中3の視察時から高校入学直後頃の本田の印象について「真面目そうだが、元気がない」「特徴のない子で、いつ辞めるかなという感じだった」と語っている。
飯田 琉斗(いいだ りゅうと、1999年6月24日 - )は… 飯田 琉斗(いいだ りゅうと、1999年6月24日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学2年生の時に野球を始める。中学校時代は横浜都筑ボーイズに所属していた。 向上高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースとなるが、最速は140km/hにとどまっていた。3年夏の大会は5回戦で東海大相模高等学校相手に延長11回の末1-2で敗れ、甲子園出場とはならなかった。 横浜商科大学ではトレーニングに着手。1年秋には150km/hに到達し、2年春には自己最速の154km/hを記録して、注目を集めた。3年春には好調を維持していたが、新型コロナウイルスの拡大の影響で春のリーグ戦が中止になり、調子を落とす。
山本 武白志(やまもと むさし、1998年2月17日 - )… 山本 武白志(やまもと むさし、1998年2月17日 - )は、神奈川県横浜市出身のクリケット選手、元プロ野球選手(内野手、右投右打)。実父は元プロ野球選手・監督の山本功児。 プロ野球では育成選手であり、2018年シーズンのみ名前の武白志(むさし)を登録名に用いていた。 小学3年生から「元石川サンダーボルト」で野球を始め、中学時代には「都筑ジャイアンツボーイズ」(前田幸長が主宰する硬式野球チーム)で投手兼4番打者として活躍。中学卒業後は、九州国際大学付属高校へ進学。 九州国際大学付属高校では、1年生の秋からレギュラーに定着。2年生の夏に第96回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3年生の夏の第97回全国高等学校野球選手権大会・福岡大会では投手として登板。
渡邊 佳明(わたなべ よしあき、1997年1月8日 - )は… 渡邊 佳明(わたなべ よしあき、1997年1月8日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 祖父は横浜高等学校硬式野球部で監督を務めた渡辺元智。 実母は元智の次女で、元智が横浜高校の硬式野球部監督を務めていた時期に、野球部の寮母を務めていた。その関係で、幼少期から寮内で生活。横浜市立六浦南小学校2年時から軟式野球を始め、6年時には横浜ベイスターズジュニアに合格し、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。横浜市立富岡中学校時代には、中本牧シニアでプレーをしていた。 中学校からの卒業を機に、横浜高校へ入学。中学生時代に当時硬
鈴木 翔天(すずき そら、1996年8月19日 - )は、神… 鈴木 翔天(すずき そら、1996年8月19日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 地元のクラブチーム、アローズ少年ソフトで小学校3年生からソフトボールを始め、6年生で瀬谷リトルで野球を始めた。横浜市立万騎が原中学校では瀬谷シニアに所属した。シニアでは藤井聖とチームメイトだった。 向上高校進学後、レフト兼ピッチャーとして、2年夏にベンチ入りし、3年春には神奈川県大会準優勝。準決勝の小笠原慎之介、吉田凌ら擁する東海大相模高校戦では9回からリリーフし、2回を無失点に抑え勝利に貢献。第66回春季関東大会でも準優勝に輝いた。3年の夏の神奈川県大会でも決勝まで進み、再び東海大相模高校と対戦。
松本 裕樹(まつもと ゆうき、1996年4月14日 - )は… 松本 裕樹(まつもと ゆうき、1996年4月14日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 妻はSDN48の元メンバーで歌手・タレントの甲斐田樹里。 南瀬谷小学校1年生の時に軟式の「南瀬谷ライオンズ」で野球を始め、南瀬谷中学校時代は「瀬谷ボーイズ」に所属していた。 岩手県盛岡市の盛岡大学附属高校に進学。同校では1年生の春にベンチ入りした。第94回全国高等学校野球選手権大会では背番号11でベンチ入りしたが、出場機会は無かった。2年生時の第85回記念選抜高等学校野球大会の2回戦(初戦)において「6番・投手」で先発出場し、8回2/3を投げ9奪三振3失点の成績で、3回戦では「4番・右翼手」で先発し、5回の途中で救援登板すると4回2/3を投げ無失点の成績だった。
松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は… 松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
黒木 優太(くろき ゆうた、1994年8月16日 - )は、… 黒木 優太(くろき ゆうた、1994年8月16日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
樋口 龍之介(ひぐち りゅうのすけ、1994年7月4日 - … 樋口 龍之介(ひぐち りゅうのすけ、1994年7月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の野球選手(内野手)。右投右打で、プロ野球2球団(新潟アルビレックスBCと北海道日本ハムファイターズ)でのプレーを経て、2023年からクラブチームの全府中野球倶楽部にコーチ兼任で在籍している。 横浜市立旭小学校在籍時、1年生で「別所ベアーズ」にて野球を始め、6年生時には横浜ベイスターズジュニアのメンバーとしてENEOS CUP 2006に出場。横浜市立寺尾中学校では「中本牧リトルシニア」に在籍して全国大会に3度出場した。 中学卒業後に横浜高校へ進学。硬式野球部で渡辺元智の指導を受けた。1年秋から二塁手として試合に出場し、2年生春夏、3年生春の3度甲子園大会に出場。
大貫 晋一(おおぬき しんいち、1994年2月3日 - )は… 大貫 晋一(おおぬき しんいち、1994年2月3日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 神奈川県横浜市出身。横浜市立奈良小学校、横浜市立奈良中学校卒。小学校3年生の時に野球を始める。中学時代は、硬式野球の横浜青葉シニアに所属していた。シニア時代はチームの出場メンバーに入ることができないこともあったという。 中学卒業後は地元を離れ、静岡県の桐陽高等学校に進学。在学中に右肘痛を発症したが、3年時の夏にはエースとしてチームを18年ぶりの静岡大会ベスト8に導いた。ただ、甲子園出場はならなかった。なお、森川夕貴(テレビ朝日アナウンサー)は高校の同級生である。
井口 和朋(いぐち かずとも、1994年1月7日 - )は… 井口 和朋(いぐち かずとも、1994年1月7日 - )は、神奈川県横浜市緑区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ベラクルス・イーグルス所属。 小学校1年生のときにDMファイターズで野球を始め、遊撃手や捕手など複数のポジションを任され、打順では4番を争った。5年生のときに熊本県へ引っ越し、熊本市立健軍小学校時代は熊本中央リトルシニアでプレー。中学入学と同時に緑区へ戻り、横浜市立中山中学校時代は横浜都筑ボーイズでプレーし、3年生に上がってから投手に挑戦した。 神奈川・武相高等学校では2年秋からエースとなる。野球部には同期に塩見泰隆、1学年下にXENO(お笑い芸人、金の国)がおり、XENOとバッテリーを組んでいた。
乙坂 智(おとさか とも、本名:乙坂・ルーセロ・智・ニコラス… 乙坂 智(おとさか とも、本名:乙坂・ルーセロ・智・ニコラス〈おとさか・ルーセロ・とも・ニコラス〉、1994年1月6日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。現在はアトランティックリーグのヨーク・レボリューション所属。 アイスホッケー選手だったアメリカ人の父と、日本人の母との間に出生。小学1年時から野球を始めると、横浜市立庄戸中学校(現在は横浜市立上郷中学校)への進学後に中本牧シニアへ所属した。子どもの頃から横浜スタジアムにもよく通うベイスターズファンで、石井琢朗や金城龍彦に憧れていた。 2009年に横浜高校に入学し、硬式野球部で1年生の秋からレギュラーとなる。なお、同期に近藤健介がいた。
青柳 晃洋(あおやぎ こうよう、1993年12月11日 - … 青柳 晃洋(あおやぎ こうよう、1993年12月11日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 2021年開催の東京オリンピック野球金メダリスト。NPB史上初の2年連続最多勝・最高勝率の同時獲得者。 小学校5年生の頃「寺尾ドルフィンズ」で野球を始めると、6年生の頃に肩が強かったことから投手を始め、指導者の勧めでサイドスローに取り組む。生麦中学校で軟式野球部に所属すると、1年生当時、松坂大輔に憧れ自らオーバースローに転向するもすぐに肘を痛め、サイドスローに戻した。 川崎工科高校へ進学すると、1年生秋から主力投手としてチームをけん引する。3年生夏の神奈川県大会2回戦では横浜隼人高校の左澤優に投げ勝ったが、5回戦では桐蔭学園高校の茂木栄五郎から本塁打を打たれた末に敗退し、全国大会出場は叶わなかった。
中村 亘佑(なかむら こうすけ、1991年4月2日 - )は… 中村 亘佑(なかむら こうすけ、1991年4月2日 - )は、神奈川県横浜市中区出身のプロ野球選手(捕手)。
角 晃多(すみ こうた、1991年1月13日 - )は、武蔵… 角 晃多(すみ こうた、1991年1月13日 - )は、武蔵ヒートベアーズに所属するプロ野球選手(内野手)。
川相 拓也(かわい たくや、1990年11月25日 - )は… 川相 拓也(かわい たくや、1990年11月25日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投げ右打ち。神奈川県横浜市出身。
安田 裕希(やすだ ゆうき、1990年6月18日 - )は、… 安田 裕希(やすだ ゆうき、1990年6月18日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身のプロ野球選手(内野手)。アメリカ合衆国やオーストラリアの独立リーグやサマーリーグなどでプレーした。 高校時代は横浜市立桜丘高等学校野球部の内野手としてプレーし、大学進学後は法政大学第二体育会準硬式野球部にてプレーした。大学在学中に千葉熱血MAKINGに入団。その後はアメリカで行われているカリフォルニア・ウィンターリーグ(スカウティングリーグ)に参加し、アメリカ独立リーグやサマーリーグなどでプレーをした。 2014年はアメリカ独立リーグのひとつであるペコス・リーグのダグラス・ディアブロスにてプレーし内野手として3割を超える打率を残した。
松山 傑(まつやま すぐる、1989年9月8日 - )は、日… 松山 傑(まつやま すぐる、1989年9月8日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
加藤 正志(かとう まさし、1989年9月7日 - )は、神… 加藤 正志(かとう まさし、1989年9月7日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)、高校野球指導者。右投右打。 駒岡小学校3年生の時に「駒岡ジュニアーズ」で野球を始め、投手、一塁手、遊撃手を務め、寺尾中学校軟式野球部では投手および右翼手としてプレーした。東京実業高校入学後、野球部に自身を含めて10人の投手がいたため、人と違う事をして勝ち抜こうとアンダースローに転向した。周りにアンダースローの指導者がいなかったため、インターネットで当時千葉ロッテマリーンズに所属していた渡辺俊介の映像を入手して参考にしていた。その後1年生時の夏にベンチ入りし、2年生時の秋にエースになった。甲子園出場経験はない。
赤坂 和幸(あかさか かずゆき、1989年9月4日 - )は… 赤坂 和幸(あかさか かずゆき、1989年9月4日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 小学校時代は、三ツ沢リトルに所属。横浜市立神奈川中学校時代は、東京青山シニアに所属し、元中日投手の宮下昌己、元巨人外野手の前田隆の指導を受けていた。 浦和学院高時代は、投手ながらも高校通算58本のホームランを放ったスラッガーであった。 高校2年の5月、練習中に負傷した右ひざに雑菌が入り化膿、高熱が続き1か月間練習出来ない状態に陥る。医師からは大会には間に合わないと通告され、一時は右足切断のおそれもあったが、驚異的な回復力で埼玉大会までに復帰し、チームを優勝に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では調整不足ながらも141km/hをマーク。
中溝 雄也(なかみぞ ゆうや、1989年6月14日 - )は… 中溝 雄也(なかみぞ ゆうや、1989年6月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は千葉ロッテマリーンズの球団職員。 小学2年生の時、中山ヤンガースで野球を始める。 横浜市立中山中学校時代は軟式野球部に所属し、主将として活躍。また4年上には高校の先輩でもある加藤幹典が、2年上には大学でもバッテリーを組む加藤貴大の加藤兄弟も所属していた。 川和高校時代には、1年生秋よりレギュラーとして活躍する。3年生夏の第89回全国高等学校野球選手権大会では 横浜高校の俊足打者・髙濱卓也の盗塁を刺すなど活躍し、川和高校野球部の創部以来初となる神奈川県大会ベスト8進出に貢献した。 高校卒業後は、一般入試で明治学院大学に進学。
西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は… 西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は、神奈川県出身の元野球選手(投手)。
福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )… 福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )は、神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 神奈川県横浜市で生まれ、3歳から水泳を始め、10歳の時に背泳ぎ部門でジュニアオリンピック代表候補になるほど成長した。同時期にサッカー部にも所属し、サッカー・水泳の指導者からの引き留めに会ったが最終的に野球を選択した。野球は佐賀県唐津市出身で唐津東高校で3年時に佐賀県大会ベスト4に進んだ父からも厳しい指導を受けた。横浜市立谷本小学校1年生の時に、藤が丘ファイヤーズに入り軟式野球を始め、投手と遊撃手を兼任し、6年生では主将も務めた。横浜市立緑が丘中学校在学中は、世田谷ボーイズで硬式野球を始め、主に遊撃手を守った。
大谷 真徳(おおたに まさのり、1988年9月4日 - )は… 大谷 真徳(おおたに まさのり、1988年9月4日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。元福井ミラクルエレファンツの大谷尚徳は実兄。 小学1年生の時に、兄の所属していた緑中央リトル・シニア(現:横浜青葉)に加入。チームは中学時代に全国選抜やジャイアンツカップで優勝を果たしたが、大谷は「体が小さい」という理由でそれらの試合に出場できなかった。同期に下水流昂・福田永将がいる。 兄の後を追う形で世田谷学園高に進学する。世田谷学園では遠投力がつき、体も成長し始め、2年生からレギュラーとなった。 大学は、東都大学リーグの立正大学に進学。同期に南昌輝がいた。周囲のレベルの高さに驚き、独自の練習にも取り組んだものの4年間ほとんど試合には出ることがなく、4年生の時には「脱走」も経験している。
福田 永将(ふくだ のぶまさ、1988年7月23日 - )は… 福田 永将(ふくだ のぶまさ、1988年7月23日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)、コーチ。右投右打。 神奈川県横浜市青葉区(旧:緑区)出身で、出身小中学校は区内の市立鴨志田第一小学校・鴨志田中学校である。下水流昂とは小・中学校の同級生で、横浜高校まで同じチームでプレーし続けた。 幼少期はサッカー少年で、将来の夢はJリーガーだったという。小学校入学前から友人たちとともに野球を始め、小学1年生のとき、友人に誘われたことがきっかけで鴨志田スワローズに入団、4年生からチームの主軸となる。当時の守備位置は捕手だった。幼少期から大柄であり、小学校卒業時は身長173cmだった。
下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、… 下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響で野球を始め、横浜市立鴨志田第一小学校から横浜市立鴨志田中学校に進学。中学時代に所属した緑中央シニアで本格的に野球に打ち込んだ。 横浜高時代は、1年時春からベンチ入り。2年秋になって中堅手のレギュラーに定着。3年時春の第78回選抜高等学校野球大会では、準決勝から4番に座り、同校8年ぶりとなる優勝を達成した。夏の第88回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦で大阪桐蔭高に6-11で敗れた。高校の同期に福田永将や佐藤賢治や西嶋一記、2学年先輩に涌井秀章や石川雄洋、1学年後輩に髙濱卓也、2学年後輩に土屋健二や倉本寿彦がいる。
田上 健一(たがみ けんいち、1987年12月12日 - )… 田上 健一(たがみ けんいち、1987年12月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者で、YouTuber。 横浜市立都田西小学校3年生の時に野球を始めた。中学はクラブチーム(緑中央シニア)に入団、中学野球で外野手に転向。 横浜市立川和中学校に進学後、シニアの監督からは団体競技だと週末の試合などでバッティングする可能性があるので「学校の部活は運動部なら個人競技の陸上部以外入るんじゃない!」と言われ監督は日ごろの体力向上の為に陸上部に入ると思っていたようだが田上は文化部のパソコン部に入部した。 本人曰く、この時にワープロ検定1級相当の技術を学べたので今の仕事にも役に立っていると語っている。
山室 公志郎(やまむろ こうしろう, 1987年7月14日 … 山室 公志郎(やまむろ こうしろう, 1987年7月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。
黒羽根 利規(くろばね としき、1987年6月2日 - )は… 黒羽根 利規(くろばね としき、1987年6月2日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。
田澤 純一(たざわ じゅんいち、1986年6月6日 - )は… 田澤 純一(たざわ じゅんいち、1986年6月6日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLB・マイアミ・マーリンズ所属。
柳川 洋平(やながわ ようへい、1986年2月25日 - )… 柳川 洋平(やながわ ようへい、1986年2月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。右投右打。 2歳年上の兄の影響で、小学1年生から新橋コスモで野球を始めた時から投手を務めた。中学時代は横浜泉中央ボーイズに所属。元々練習嫌いだったが、中学2年時に全国大会出場が懸かった一戦でサヨナラ本塁打を打たれてからは、練習の虫と呼ばれる程の練習量をこなし、3年時にはジャイアンツカップでの優勝に貢献した。 平塚学園高時代は、140km/h台の速球で1年生エースとして活躍し、2001年の神奈川県秋季県大会で優勝した。しかし2年時に椎間板ヘルニアを発症し、その後は怪我との闘いとなる。
大谷 尚徳(おおたに ひさのり、1986年1月2日 - )は… 大谷 尚徳(おおたに ひさのり、1986年1月2日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は柔道整復師、パーソナルトレーナー。 元徳島インディゴソックスの大谷真徳は実弟。 つつじが丘小学校時代から、緑中央リトル(現:横浜青葉シニア)に入りマイナー・リトル・シニアと中心選手として活躍する。 世田谷学園高進学後、1年よりクリーンアップを打つ。2年秋には、東京都大会準優勝ながら選抜大会を逃す。後に同僚になる清水貴之は、1学年先輩である。 立正大学に進学、1年生よりベンチ入り守備はライトを守った。同期には田中慎太朗(元:阪神タイガース・育成選手)がいる。 その後、2008年、社会人野球のフェデックスに進む。
鈴江 彬(すずえ あきら、1985年12月25日 - )は、… 鈴江 彬(すずえ あきら、1985年12月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。
吉田 幸央(よしだ ゆきひろ、1985年9月13日 - )は… 吉田 幸央(よしだ ゆきひろ、1985年9月13日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 シニア時代に全国大会に出場し、東海大相模高校に入学するも野球部の体質に馴染めず、1ヶ月もたたないうちに退部し、さらにその後1学期限りで高校も中退した。その後2学期から城郷高校に転入し、野球部に入部。高校時代は、加藤幹典、内竜也と共に「神奈川公立三羽烏」、「神奈川公立BIG3」などと称されていた。エースとして140km/h台後半のストレートと切れ味鋭いスライダーを武器に無名だったチームを引っ張った。 その素質を買われて在校中に大リーグのサンディエゴ・パドレスのテストに合格していたが、ヤクルトスワローズにドラフト5位で入団。
加藤 幹典(かとう みきのり、1985年6月4日 - )は、… 加藤 幹典(かとう みきのり、1985年6月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。2023年より、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の山梨ファイアーウィンズで代表を務め、準加盟球団だった2024年は監督も兼務した。 プロ野球選手で東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した投手の加藤貴大は実弟。 小学校1年時に、横浜市緑区少年野球連盟の寺山スネークスで軟式野球を始める。横浜市立中山中学校では軟式野球部に所属していた。 神奈川県立川和高等学校への進学後は、1年時の秋季県大会からエースの座を確保。甲子園球場の全国大会とは無縁であったが、3年時には内竜也(川崎工業高等学校)や吉田幸央(城郷高等学校)と並んで「神奈川公立BIG3」と称された。
平野 貴志(ひらの たかし、1985年6月4日 - )は、社… 平野 貴志(ひらの たかし、1985年6月4日 - )は、社会人野球の選手(投手、右投げ右打ち)。JX-ENEOS所属。174cm、78kg。
篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )… 篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は広島東洋カープの一軍マネージャーを務めている。 横浜市立生麦小学校1年時に、横浜市鶴見区軟式少年野球連盟・生麦中部スターズで一塁手兼投手で野球を始める。野球を始めたきっかけは、「近所で野球をやっていた友達から誘われたから。本当はサッカーと迷っていたが、1番仲のいい友達の勧めだったので…。」と述べている(出典:プロ野球ai2008年9月号)。中学から前橋市へ転居し、前橋市立第五中学校を経て、前橋商業高校に進学する。 4番・一塁手で出場し、投手も務めた3年夏の県大会決勝で久米勇紀(元読売ジャイアンツ)を擁する桐生第一高校に敗れて全国高等学校野球選手権大会出場はならなかった。
岩﨑 達郎(いわさき たつろう、1984年12月28日 - … 岩﨑 達郎(いわさき たつろう、1984年12月28日 - )は、中日ドラゴンズに所属する神奈川県横浜市瀬谷区出身のプロ野球選手(内野手)。
泉 正義(いずみ まさよし、1984年10月24日 - )は… 泉 正義(いずみ まさよし、1984年10月24日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は瀬谷シニアに在籍。好投手として2度全国大会を制覇する。この頃は素行不良になっていた時期もあり、「監督を殴った」「教師を妊娠させた」「相手ベンチの前でキャッチボールした」などといった数々の噂が広まったものの、後に泉は「(前述した3件を含め)8割は嘘。事実じゃないことも広まって、たまったもんじゃない」と語っている。また、友人が巻き込まれたケンカに加勢して有名高校の進学がなくなるも、当時の宇都宮学園高校の野球部長で後に監督も務めた星野英雄の誘いで同校進学を決めた。泉は星野を恩人として慕い、彼に影響を受けたことが引退後の指導者転身に繋がっている。
円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )… 円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)・コーチ。 横浜市立洋光台第一小学校1年の時から「洋光台キングタイガース」で投手、内野手として野球を始める。中学時代は中本牧リトルシニアに所属。 横浜高等学校では1年春からベンチ入りし、1年秋からレギュラー。2年夏に第83回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 青山学院大学では1年春からベンチ入り。3年春に首位打者、3年春秋はベストナインを獲得。4年で大学全日本に選出。東都大学リーグ通算86試合出場、303打数87安打、打率.287、6本塁打、37打点。ベストナイン2回受賞。1年時に東都大学野球一部秋季リーグで優勝、3年春季から4年春季まで大﨑雄太朗、高市俊、横川史学、小窪哲也などとともにリーグ戦3連覇を達成し、戦国東都と言われる東都大学野球一部リーグで計4度の優勝を経験。
原 拓也(はら たくや、1984年5月18日 - )は、神奈… 原 拓也(はら たくや、1984年5月18日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
内田 和也(うちだ かずや、1984年1月31日 - )は、… 内田 和也(うちだ かずや、1984年1月31日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元プロ野球選手(外野手)、高校野球指導者。右投右打。 日大三高時代には1年の夏からベンチ入り。3番を打ち、近藤一樹、都築克幸、千葉英貴、齋藤達則らとともに春・夏と甲子園に連続出場。 第73回選抜高等学校野球大会では、2回戦の兵庫県立姫路工業高等学校戦で、真田裕貴からセンターバックスクリーンに飛び込む本塁打を放つなど活躍。2年ぶり9度目の出場となった第83回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の日本航空高校戦で、八木智哉から本塁打を放つなど大会を通して活躍し、チームを全国制覇へと導く。 高校通算19本塁打、走攻守三拍子揃った野手であるとマスコミに評され、ドラフト時の話題性は高かった。
山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )… 山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツに所属し、セントラル・リーグ新人王を受賞。NPB最多タイ記録となる最優秀中継ぎ投手を3回獲得している。2014年にNPB史上初となる200ホールドを達成。2008年から2016年までの9年連続60登板はプロ野球記録であり、この9年で5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献した。 横浜市立池上小学校1年時に少年野球を始める。横浜市立菅田中学校では軟式野球部に所属。3年時にはエースとして全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。 横浜商業高校3年夏にはエースとして全国高等学校野球選手権神奈川大会ベスト8に進出。
八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、神… 八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。義理の弟(八木の妻の弟)は総合格闘家の徳留一樹。 小学2年の時、地元横浜市の軟式野球チーム「くぬぎ台レッドパンサーズ」で野球を始めた。中学時代はヤングリーグ「横浜旭ベースボールクラブ」に所属し、全国大会に出場。中学卒業後は山梨県の日本航空高等学校に進学し、3年夏には第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の鳴門工戦で11奪三振を記録して3回戦に進出。 創価大学に進学した後、1年時からベンチ入りし大学通算35勝。4年時の2005年の全日本大学野球選手権では49奪三振の大会新記録を樹立し、準決勝で優勝した青山学院大学に敗れたがベスト4進出。