杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月… 杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月1日 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の海軍軍人。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少尉。 1924年7月1日、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)で大農家の次男として生れる。家が山中にあったので険しい山道を渡って麓にある学校に通い、雪の日でも休むことはなかった。そのため足腰が鍛えられ、杉田はよく「軍は厳しいとよく言うが俺の家の方がずっと厳しい」と語っていた。1940年(昭和15年)、舞鶴海兵団に入団。1941年2月、予科練丙3期に入り、戦闘機専修練習生となる。同期生には杉野計雄、谷水竹雄らがいる。 1942年(昭和17年)4月、第6航空隊に配属。
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2… 長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 明治28年(1895年)6月2日、新潟県頸城郡寺野村(現在の上越市板倉区)に三男三女の長男として生まれる。喜一は、明治35年(1902年)4月寺野村立久々野尋常高等小学校に入学、同41年(1908年)同校を卒業し、有恒学舎(現在の新潟県立有恒高等学校)に入学する。往復四里の道を通学、帰宅後は農業を手伝うなどの努力家であり、周囲からは大変な頑張り屋として知られていた。
高橋 直武(たかはし なおたけ、1869年4-5月(明治2年… 高橋 直武(たかはし なおたけ、1869年4-5月(明治2年3月) - 1929年(昭和4年)6月21日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階および勲等、軍功は従四位・勲三等・功四級。 新潟県頚城郡高田町(現在の上越市)出身。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業。 1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐・中津連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に歩兵第14連隊長(第12師団、歩兵第12旅団)に任官し、シベリア出兵に従軍。ハバロフスクおよびブラゴベシチェンスクを占領した。ついで1921年(大正10年)6月に陸軍少将に進級と同時に待命、同年10月に予備役に編入した。
古木 秀太郎(ふるき ひでたろう、慶応3年12月13日(18… 古木 秀太郎(ふるき ひでたろう、慶応3年12月13日(1868年1月7日)– 1948年(昭和23年)2月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。群馬県高崎市長。 越後国中頸城郡三郷村出身。1887年(明治20年)、陸軍教導団砲兵科課程を卒業。1893年(明治26年)に陸軍士官学校を卒業し、翌年に歩兵少尉に任官した。第2師団副官、高崎連隊区司令官を経て、1913年(大正2年)に歩兵大佐・歩兵第15連隊長に任じられた。1918年(大正7年)に陸軍少将に昇進し、待命となった。 1919年(大正8年)、予備役に編入され、高崎市長に選出された。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。