長井 満(ながい みつる、1895年(明治28年)1月16日… 長井 満(ながい みつる、1895年(明治28年)1月16日 - 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。 最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。 東京府立第四中学校を経て、1917年(大正6年)11月、海軍兵学校(45期)を卒業。卒業席次は89名中5位(首席は皇族の名誉席次であり、実質上の4位)で、優等生として恩賜品を下賜されている。1918年(大正7年)8月1日、海軍少尉に任官。
伊藤 範治(いとう のりはる、1892年(明治25年)4月3… 伊藤 範治(いとう のりはる、1892年(明治25年)4月30日 - 1985年(昭和60年)10月31日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1892年(明治25年)に福井県福井市にて伊藤恒右エ門の四男として生まれた。陸軍士官学校第25期卒業。1938年(昭和13年)5月30日に高射砲第16連隊長に就任し、7月15日に陸軍砲兵大佐に進級した。1940年(昭和15年)8月に陸軍防空学校幹事に転じ、1941年(昭和16年)7月に第2高射砲隊長に着任。 1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し、11月9日に中部防空旅団長(中部軍)に着任。1944年(昭和19年)4月27日に砲兵監部附となり、8月22日に千葉陸軍高射学校長を経て、1945年(昭和20年)4月1日に西部高射砲集団長に着任。
津田 静枝(つだ しずえ、1883年〈明治16年〉4月11日… 津田 静枝(つだ しずえ、1883年〈明治16年〉4月11日 - 1964年〈昭和39年〉9月13日)は、日本の海軍軍人。海軍の中国専門家。最終階級は海軍中将。福井県福井市出身。 旧制福井県立福井中学校より海軍兵学校第31期入校。津田の履歴の特徴は中国勤務が多いことであるが、これは津田が中国の専門家であったためである。日本海軍は陸軍と比較して中国問題に暗く、対応が後手に回ることが多かったことから、対中国問題の専門家が必要となり、その最初の人物として育成されたのが津田であった。日本海軍はのちに須賀彦次郎、田尻穣、藤原喜代間、沖野亦男などの対中国の専門家を輩出した。
加藤 寛治(かとう ひろはる、有職読み:かんじ、1870年1… 加藤 寛治(かとう ひろはる、有職読み:かんじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1939年(昭和14年)2月9日)は、明治、大正、昭和期の日本の海軍軍人、海軍大将。福井県福井市出身。元福井藩士、海軍大尉・加藤直方の長男。子息・孝治は陸軍大将・武藤信義の養子。
河上 清吉(かわかみ せいきち、1869年9月6日(明治2年… 河上 清吉(かわかみ せいきち、1869年9月6日(明治2年8月1日) - 1936年(昭和11年)6月16日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 越前福井藩領、越前国丹生郡国見村(現・福井県福井市国見町)出身。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業。 任官後、日清戦争・日露戦争に従軍。さらに、1914年(大正3年)8月に盛岡連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第35連隊長(第9師団 歩兵第31旅団)に任官しシベリア出兵に出征した。 その後、1921年(大正10年)7月に陸軍少将・歩兵第36旅団長を経て、1924年(大正13年)2月4日に待命、同月26日に予備役に編入した。
武内 徹(たけうち とおる、慶応3年5月4日(1867年6月… 武内 徹(たけうち とおる、慶応3年5月4日(1867年6月6日) - 昭和4年(1929年)11月25日) は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍中将。福井市長。 越前国足羽郡木田村(現在の福井県福井市)出身。陸軍士官学校を卒業後、1887年(明治20年)に工兵少尉に任官し、日清戦争には工兵大尉として出征した。1896年(明治29年)、陸軍大学校を卒業し、参謀本部に勤務するとともに陸軍大学校教官を兼務した。1899年(明治32年)に工兵少佐に昇進し、翌年には軍事研究のためオーストリア=ハンガリー帝国に派遣された。帰国後は参謀本部員となり、工兵中佐に昇進した。 1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争では線区司令官、大本営幕僚、野戦鉄道提理を歴任し、遼東半島で敵が破壊した線路の補修や物資輸送など鉄道の運営を行い、工兵大佐に昇進。