松本 眞(まつもと しん、1979年〈昭和54年〉9月21日… 松本 眞(まつもと しん、1979年〈昭和54年〉9月21日 - )は、日本の官僚、政治家。兵庫県尼崎市長(1期)。 静岡県静岡市生まれ。2003年3月、東京学芸大学教育学部卒業。2005年3月、東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。同年4月、文部科学省入省。2013年7月、内閣官房出向。2015年10月、文部科学省生涯学習政策局情報教育課課長補佐。2018年4月、稲村和美市長の元で尼崎市教育長に就任する。2021年4月、文部科学省総合教育政策局教育DX推進室室長補佐。 2022年7月15日、文部科学省を退職し、同21日に開いた記者会見で、稲村から後継指名を受けたとして同年11月20日投開票の尼崎市長選挙に立候補することを表明。
倉田 哲郎(くらた てつろう、1974年6月7日 - )は、… 倉田 哲郎(くらた てつろう、1974年6月7日 - )は、日本の政治家、郵政・総務官僚。大阪府箕面市長(3期)。
川又 竹男(かわまた たけお、1964年〈昭和39年〉8月2… 川又 竹男(かわまた たけお、1964年〈昭和39年〉8月25日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、同年4月に厚生省入省。 入省後、本省で大臣官房総務課企画官、老健局振興課長、社会・援護局障害保健福祉部企画課長、雇用均等・児童家庭局総務課長、大臣官房審議官(子ども家庭、少子化対策担当)、大臣官房審議官(子ども家庭、少子化対策、地域共生・自殺対策担当)などを歴任。老健局振興課長在任時には、定期巡回・随時対応型訪問介護看護の制度設計を担った。 内閣府や内閣官房で内閣府参事官(少子・高齢化対策第1担当)(政策統括官(共生社会政策担当)付)、内閣府子ども・子育て本部審議官兼大臣官房審議官(大臣官房及び共生社会政策担当)兼内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)を務めたほか、千葉県や文部科学省、国立国際医療研究センターに出向した。
大石 吉彦(おおいし よしひこ、1963年(昭和38年)5月… 大石 吉彦(おおいし よしひこ、1963年(昭和38年)5月4日 - )は、日本の警察官僚。第97代警視総監。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高等学校、東京大学法学部卒業、警察庁入庁。警察庁警備局警備企画課危機管理企画官、内閣官房内閣参事官、警察庁警備局警備課長を経て、2012年安倍晋三内閣総理大臣秘書官。2019年、警察庁警備局長。2021年9月16日、警視総監。2022年9月に実施された故安倍晋三国葬儀について大石は、警察として安倍晋三銃撃事件を防げなかったことを踏まえ、「国葬儀の警備は、警視庁、ひいては警察の存在意義そのものが問われる」と述べた。2022年10月6日、警視総監退任。安倍晋三銃撃事件を受けた事実上の引責辞任と見られる。
浅川 雅嗣(あさかわ まさつぐ、1958年1月25日 - )… 浅川 雅嗣(あさかわ まさつぐ、1958年1月25日 - )は、日本の財務官僚。アジア開発銀行総裁、財務官を歴任。静岡県静岡市出身。 静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学を受験するも不合格となり、早稲田大学に入学する。仮面浪人で東京大学を受け直し入学。財政学の貝塚ゼミに入ったが、金融にも関心を持ち、館龍一郎の授業も受けていた。東京大学経済学部卒業。金融政策や国際金融に携わろうと大蔵省入りする(関税局国際第一課)。同期に中原広、羽深成樹、門間大吉、宮内豊、百嶋計、石井菜穂子、松田学等。廿日市税務署長を経て、1988年 国際金融局国際機構課課長補佐。1994年 主計官補佐として運輸省の予算を担当する。
前田 隆平(まえだ りゅうへい、1954年 - )は、日本の… 前田 隆平(まえだ りゅうへい、1954年 - )は、日本の運輸・国土交通官僚、外交官。2013年(平成25年)1月15日からスイス兼リヒテンシュタイン駐箚特命全権大使。 静岡県静岡市出身。1973年武蔵中学校・高等学校卒業。東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。1977年運輸省に入省し、航空局国際課に配属される。 1992年6月外務省在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、1995年7月関西国際空港株式会社業務部長、1997年7月運輸省運輸政策局国際業務第二課長、1998年7月運輸省航空局監理部国際航空課長、2001年1月国土交通省鉄道局財務課長、2002年7月16日国土交通省政策総括官付政策調整官、2003年4月国土交通省総合政策局観光部企画課長、2004年7月1日国土交通省鉄道局総務課長、2005年8月国土交通省大臣官房審議官(国際、国土計画局担当)、2006年7月国土交通省大臣官房審議官(総合政策局、航空局担当)、2008年7月国土交通省航空局長、 2010年8月10日から国土交通省政策統括官として国際問題を担当。
山田 孝夫(やまだ たかお、1949年5月29日 - 202… 山田 孝夫(やまだ たかお、1949年5月29日 - 2021年2月16日)は、日本の大蔵官僚。 静岡市出身。静岡県立静岡高等学校、京都大学法学部卒業。1973年 大蔵省入省(主税局国際租税課)。1978年7月 大館税務署長。1995年6月 造幣局東京支局長。1996年7月12日 四国財務局長。1998年7月1日 北陸財務局長。1999年7月8日 横浜税関長。2001年7月10日 退官。同年7月24日 自動車安全運転センター理事(〜2007年3月31日)。2007年4月 独立行政法人住宅金融支援機構監事。2021年2月16日 死去。 同期に金田勝年(法務大臣、外務副大臣)、佐藤隆文(日本取引所自主規制法人理事長、金融庁長官)、牧野治郎(国税庁長官)、井戸清人(日本銀行理事)、新井将敬(衆議院議員)、加藤秀樹(内閣府行政刷新会議事務局長、(公財)東京財団理事長)、花角和男(税務大学校長、総務省人事・恩給局次長)、東正和(さわやか信用金庫専務理事(代表理事)、東京国税局長、国税庁調査査察部長、関東信越国税局長)、塚原治(国際空港上屋会長、同社長、アジア開発銀行理事)らがいる。
小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )… 小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )は、日本の厚生官僚。第23代社会保険庁長官。薬害エイズ事件時の厚生省薬務局長。 静岡県静岡市出身。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京大学法学部卒業。同年、厚生省入省。1972年、医務局指導課長、1973年、内閣審議官、1976年、社会保険庁年金保険部計画課長、1977年、保健局企画課長、1979年7月、大臣官房会計課長、1981年8月、社会保険庁年金保険部長、1982年11月、大臣官房総務審議官、1984年8月、薬務局長、1986年6月、社会局長、1989年、社会保険庁長官、1990年6月、退任。同年同月、財団法人厚生年金事業団副理事長。
海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 200… 海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚、エコノミスト。経済企画庁で物価局長、国民生活局長、総合計画局長、経済企画審議官等を歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる。 1962年から64年までスタンフォード大学留学。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。
菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 202… 菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 2021年)は、日本の運輸官僚。海外鉄道技術協力協会(JARTS)最高技術顧問。極東鋼弦コンクリート振興株式会社(FKK)顧問。日本モノレール協会副会長。日本地下鉄協会リニアメトロ研究委員長。工学博士。 静岡県静岡市出身。1939年、静岡県立静岡中学校入学、四年終了にて1943年、陸軍予科士官学校に入学。翌1944年、陸軍航空士官学校に進み、満州・平安鎮にて訓練を受けた。その地で敗戦を迎え、1945年8月末、帰国、故郷の静岡での大学受験準備を経て、1946年、東京大学第二工学部土木工学科に入学、1949年、同卒業、運輸省入省。1952年6月、鉄道技術研究所。
杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)1… 杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)10月18日 – 1994年(平成6年)3月1日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、専売局長官。 静岡県静岡市出身。小樽高等商業学校を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業した。同年、大蔵省に入省し専売局書記となる。 以後、専売局参事、大蔵省調査官、専売局長官などを歴任。その他、東北興業(のち東北開発)副総裁、専売事業協会会長、全国たばこ耕作組合中央会理事などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して初当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政… 大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政3年5月14日〉- 1927年〈昭和2年〉3月3日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、皇太后宮大夫、男爵。 幕臣、駿府与力・大森直正(水野忠邦家臣森川源左衛門の男)と先代鯛次郎直由の娘である銀の長男として生まれる。幼名は鍾一郎、後に諱の直興を名乗る。静岡学校、名古屋学校を経て、明治5年10月(1872年11月)に林欽次塾に入り、後に中退。 1873年(明治6年)4月、明治政府に出仕し陸軍造兵司・一等附属となる。司法省、法制局、太政官を経て、1878年(明治11年)10月、内務省に移り四等属に任官。以後、内務権大書記官、兼戸籍局長、内務卿官房長心得、内務大臣秘書官(山縣有朋大臣)、内務書記官・総務局文書課長兼勤、県治局長、兼警保局長などを歴任した。