中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )… 中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )は、日本の元政治家、農家。 静岡県藤枝市岡部町でみかんと茶の生産を手がける農業を営む。元岡部町議会議員。第3子(長男)の中山雅史は、元プロサッカー選手、元ヤマハ発動機社員。 農家の長男として生まれ、家業を継いだ。岡部町議会議員を3期12年務めた(勇退後も岡部町の様々な役職を務める)。 1993年、長男・雅史がFIFAワールドカップアジア最終予選(ドーハの悲劇)で有名になると、父親の儀助も静岡弁丸出しで(いまだに)息子・雅史を「小僧」と呼ぶなどの飾らない言葉づかいや話し振り、人柄の良さが世間の注目を浴び、「ゴン父」の愛称で知られるようになった。
飯塚 正二(いいづか しょうじ、1913年〈大正2年〉2月2… 飯塚 正二(いいづか しょうじ、1913年〈大正2年〉2月24日 - 1999年〈平成11年〉4月27日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。静岡県藤枝市長。 藤枝市出身。1930年(昭和5年)静岡県藤枝農学校卒業。 静岡県庁に入り、1966年(昭和41年)副出納長、1967年(昭和42年)事業部長、1968年(昭和43年)公営企業管理者を経て、1972年(昭和47年)藤枝市助役に転じた。 1976年(昭和51年)6月、藤枝市長に就任。4期務め、1992年(平成4年)引退した。 1999年(平成11年)4月27日死去、86歳。死没日をもって正五位に叙される。
岡野 繁蔵(繁藏、おかの しげぞう、1894年(明治27年)… 岡野 繁蔵(繁藏、おかの しげぞう、1894年(明治27年)6月4日 - 1975年(昭和50年)7月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。「南洋の貿易王」と称された。 児童文学作家の岡野薫子の大伯父にあたる。 静岡県志太郡青島村南新屋(青島町を経て、現藤枝市)で、岡野和吉の二男として生まれる。高等小学校を経て私立育英学校中学科に進んだ。2年次に瀬戸川の氾濫で実家が被災したため学校を中退し、藤枝駅前の丸十運送で住み込みで働く。育英中学に教師として赴任してきた橋本清之助と知り合い、社会教育団体の修養団藤枝支部の結成に関わった。 1914年(大正3年)にスマトラの雑貨商・豊原辰熊から青年の紹介依頼を修養団の蓮沼門三を通して聞き、同年、東洋貿易に入社した。
大塚 甚之助(おおつか じんのすけ、1883年(明治16年)… 大塚 甚之助(おおつか じんのすけ、1883年(明治16年)3月13日 - 1951年(昭和26年)3月19日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。醸造家。衆議院議員。静岡県会議長。 静岡県志太郡藤枝宿(藤枝町を経て現藤枝市)出身。生家は酒造業を営み、父の先代大塚甚之助は志太電気会社や藤相鉄道などを創設した実業家。 藤枝町長、同町会議員、静岡県会議員、同副議長、議長、静岡県鉄工組合連合会理事、同酒造組合連合会長、全国酒造組合中央会理事、藤相鉄道監査役、静岡県酒類販売社長を歴任した。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙では静岡全県区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。議員在任中は日本自由党総務、衆議院請願委員長を務めた。
山口 忠五郎(やまぐち ちゅうごろう、1882年(明治15年… 山口 忠五郎(やまぐち ちゅうごろう、1882年(明治15年)1月3日 - 1955年(昭和30年)10月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。幼名・治作。 静岡県志太郡西益津村(藤枝町を経て現藤枝市大手)出身。先代忠五郎の息子として生まれ、忠五郎を襲名した。西益津高等小学校、永井東陵の私塾育英学校で学んだ。 農業に従事し、西益津村長、同村会議員、志太郡会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、全国町村会会長を歴任し、1928年の第16回衆議院議員総選挙で静岡1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して初当選。1930年の第17回衆議院議員総選挙では落選。1932年の第18回衆議院議員総選挙から4回連続当選した。
増田 次郎(ますだ じろう、慶応4年2月26日〈1868年3… 増田 次郎(ますだ じろう、慶応4年2月26日〈1868年3月19日〉 - 1951年〈昭和26年〉1月14日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の実業家・政治家。 後藤新平秘書から衆議院議員となり、さらに実業界に転じて電気事業に参加。大同電力社長、日本発送電(日発)初代総裁、台湾電力(台電)社長などを務めた。駿河国(現・静岡県)出身。 増田次郎は慶応4年2月26日(明治元年、新暦:1868年3月19日)、駿河国志太郡稲川村(現・静岡県藤枝市)に増田儀右衛門の次男として生まれた。生家は120俵あまりの収穫がある比較的裕福な農家で、父儀右衛門は戸長に選ばれるような村の有力者であった。 小学校を出た後、世継ぎであり体の丈夫な兄・太郎に農業を継がせるので次郎は商人になるのがよい、という父の意向で、13歳のとき奉公に出され六合村にあった親類の商家に預けられた。
鈴木 辰次郎(すずき たつじろう、1864年3月27日(元治… 鈴木 辰次郎(すずき たつじろう、1864年3月27日(元治元年2月20日) - 1932年(昭和7年)12月9日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(2期)。 駿河田中藩領志太郡忠兵衛新田(静岡県志太郡大洲村を経て現藤枝市)出身。石田武雄の弟として生まれ、先代喜三郎の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する。1883年(明治16年)静岡師範学校を卒業する。 農業を営む傍ら教育に従事する。また、日露戦争に従軍した。大洲村長、志太郡会議員、静岡県会議員、同参事会員、県農会副会長、焼津町長、日本簇機取締役などを歴任した。1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。
小林 勝民(こばやし かつたみ、文久2年4月5日(1862年… 小林 勝民(こばやし かつたみ、文久2年4月5日(1862年5月3日) – 昭和18年(1943年)7月7日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)。ジャーナリスト。弁護士。 駿河国益津郡藤枝(現在の静岡県藤枝市)出身。和漢学、英学、法学を学んだ。『朝野新聞』記者、『日刊民報』記者、『静岡民友新聞』主筆、『台湾民報』主筆、雑誌『国士』主筆、雑誌『大亜細亜』主筆などを務めた。また台北市に弁護士事務所を開いた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その他、台湾物産株式会社取締役、台湾石鹸株式会社監査役などを務めた。