小笠原 蒼(おがさわら そう、2005年10月20日 - )… 小笠原 蒼(おがさわら そう、2005年10月20日 - )は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 豊田市立竹村小学校で1年生の時に竜神JBCで野球を始める。5年生で山之手少年野球クラブに移籍。豊田市立竜神中学校在学時は硬式野球のクラブチームである愛知港ボーイズでプレーしていた。 京都翔英高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年秋から背番号3で一塁手のレギュラーを務めた。3年夏は4番を務めて京都大会で決勝に進出し、立命館宇治と対戦。一時リードを広げる2点本塁打を放つもその後逆転され、9回に追い付いたもののサヨナラ負けを喫した。3年間で甲子園大会出場はなかった。
畔柳 亨丞(くろやなぎ きょうすけ、2003年5月3日 - … 畔柳 亨丞(くろやなぎ きょうすけ、2003年5月3日 - )は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 豊田市立竹村小学校1年生のときに硬式野球のクラブチームである豊田リトルリーグで野球を始め、豊田市立竜神中学校在学時にはSASUKE名古屋ヤングに所属。3年時の2018年には同年行われたWBSC U-15ワールドカップの日本代表に選出されている。 愛知県名古屋市の中京大中京高校に進学し1年夏からベンチ入りしたが、同年秋に右肘を痛めて戦線を離脱した。チームはこの秋に明治神宮大会で優勝するなど公式戦を無敗で終え、第92回選抜高等学校野球大会への出場が決まっていたが、新型コロナウイルスの影響で同大会と夏の公式戦が全て中止になった。
磯村 嘉孝(いそむら よしたか、1992年11月1日 - )… 磯村 嘉孝(いそむら よしたか、1992年11月1日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。右投右打。 小学校2年で野球を始め、豊田市立松平中学校では豊田シニア(リトルシニア)でプレー。1学年上の堂林翔太とバッテリーを組む。 堂林と同じ愛知県名古屋市の中京大中京高校に進学し、2年春には5番レフトで第81回選抜高等学校野球大会に出場。打率.500を記録し、チームもベスト8に進出。夏には正捕手として再び堂林とバッテリーを組み第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。堂林の後を打つ5番打者として打率.350、2本塁打を記録し、同校の甲子園史上最多となる春夏通算11度目(春4回・夏7回)の優勝に貢献した。
堂林 翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日 - … 堂林 翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日 - )は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 妻はフリーアナウンサーの枡田絵理奈。 小学校2年時に愛知県豊田市の「豊田リトル」で野球を始める。 豊田市立崇化館中学校時代は豊田シニア(リトルシニア)に所属し、投手兼遊撃手だった。宮城県で開催された国際大会で名古屋北シニアの補強選手として出場し、この時、東北選抜との試合で菊池雄星と対戦している。 愛知県名古屋市の中京大中京高校に進学すると1年春から投手としてベンチ入り。1年秋から2年夏までは打力を買われて一塁手のレギュラーになる。2年春には選抜大会に出場するも試合出場はなし。
十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 - )は、愛知… 十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 - )は、愛知県豊田市出身出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズに所属。
山内 壮馬(やまうち そうま、1985年7月1日 - )は、… 山内 壮馬(やまうち そうま、1985年7月1日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 和紙工芸作家の山内一生は祖父の義弟に当たる。 一家を挙げて中日ドラゴンズのファンで、実父は同球団の納会や東海クラシックの女子トーナメントにも使われている新南愛知カントリークラブの支配人。このような家庭環境の下で、「中日のエースになりたい」という理由から、豊田市立梅坪小学校への在学中に軟式野球を始めた。 豊田市立梅坪台中学校を卒業するまでは投手だけでなく捕手も兼ねていたが、杜若高等学校への進学後に投手へ専念するとともに、同級生で左腕投手の長谷部康平とエースの座を争っていた。
岡本 浩二(おかもと こうじ、1981年8月3日 - )は、… 岡本 浩二(おかもと こうじ、1981年8月3日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)。
ユウキ(ゆうき、本名:田中 祐貴(たなか ゆうき)、1979… ユウキ(ゆうき、本名:田中 祐貴(たなか ゆうき)、1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 プロ野球選手時代は、東京ヤクルトスワローズへ移籍した直後を除いて「ユウキ」の登録名を用いていた。 オリックス・バファローズ創設期の選手の1人。 豊田市立平和小学校時代に5歳年上の兄が所属していた軟式野球チームの「水源パイレーツ」に在籍していたが、当時から「田中」という姓ではなく、名前の「祐貴」と呼ばれていたという。杜若高等学校在学中は2年夏に愛知大会の準決勝で愛知高等学校の関屋智義(のち横浜ベイスターズ)と投げ合って敗退、3年夏もベスト8で延長の末に敗れる。
ユウキ(1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元… ユウキ(1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)。本名、田中 祐貴(たなか ゆうき)。
平田 洋(ひらた ひろし、1975年〈昭和50年〉11月25… 平田 洋(ひらた ひろし、1975年〈昭和50年〉11月25日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)。 豊田大谷高校時代から高校球界屈指の剛腕投手として注目され、1993年のドラフト会議で地元球団である中日ドラゴンズ(セ・リーグ)から1位指名を受けた。入団当初から「将来のエース」と高く期待されたが、プロ入り後は一軍でわずか2試合のみ先発登板して0勝1敗とまったく活躍できず、プロ入り5年目の1998年限りで戦力外通告を受けた。 豊田市立挙母小学校・豊田市立崇化館中学校出身で、小学校5年生の時に父親が監督を務めていた少年野球チームで野球を始めた。 野球を始めてから投手一筋で、中学卒業時には後に愛知県大会で敗れた享栄高校を含め多くの強豪高校を抱える高校からスカウトされた末に豊田大谷高校へ進学し、高校時代は2年生(1992年)でエースになった。
村上 真由美(むらかみ まゆみ、1975年 - )は、愛知県… 村上 真由美(むらかみ まゆみ、1975年 - )は、愛知県豊田市出身の女子ソフトボール選手(投手)。元NPF選手。日本人初のプロソフトボール選手。
杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17… 杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17日 - 2001年〈平成13年〉11月11日)は、愛知県西加茂郡挙母町大字挙母(現:豊田市若宮町)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球 (NPB) 史上5人目・パ・リーグ初の投手5冠を達成し、「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと呼ばれた。 現在の豊田市若宮町で生まれる。5人兄弟の四男で、「忠」の名は「南総里見八犬伝」から取られたもので、父・定治は、長男を「仁」、次男を「智」、三男を「孝」、四男を「忠」、五男を「義信」と命名した。挙母町立第一小学校(現:豊田市立挙母小学校)、挙母市立東部中学校(現:豊田市立崇化館中学校)、愛知県立挙母高等学校(現:愛知県立豊田西高等学校)を卒業。
杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009… 杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009年3月27日)は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 身長180cmを超える体であったことから、「デカちゃん」の愛称で知られた。 1943年、旧制岡崎中学校卒業。パワーのあるバッティングがスカウトの目にとまり、軟式野球のチームであったユタカ産業から1948年に中日ドラゴンズへ入団。2年目の1949年には31本塁打をマークし、1952年には27本を打って本塁打王のタイトルに輝き、ベストナインも受賞する。1954年には主に5番を打ち、7月25日の大阪戦(大阪)では延長10回表に駒田桂二から2点本塁打を放ったが、その裏にタイガースが河合保彦のファウルチップ打球処理に絡むトラブルで試合の続行を拒否して放棄試合となり、中日の9-0勝利となった。