村林 聡(むらばやし さとし、1958年11月8日 - )は… 村林 聡(むらばやし さとし、1958年11月8日 - )は、日本の実業家。三菱UFJフィナンシャル・グループ最高情報責任者、三菱UFJリサーチ&コンサルティング代表取締役社長を経て、インターネットイニシアティブ取締役副社長、ディーカレット代表取締役会長。 三重県松阪市出身。1981年名古屋大学経済学部卒業。金融論山崎研治ゼミ出身。同年三和銀行入行。2009年三菱東京UFJ銀行執行役員システム部長兼UFJ日立システムズ出向、三菱UFJフィナンシャル・グループ執行役員事務・システム企画部長。2011年三菱東京UFJ銀行常務執行役員システム部長。2013年三菱東京UFJ銀行常務執行役員コーポレートサービス長。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 201… 井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 2011年5月6日)は、日本の実業家。井村屋グループの創業者。三重県松阪市出身。井村正勝は長男。 1932年に松阪商業学校を卒業し、父親が経営する和菓子屋を継ぐ。1947年に井村屋製菓を創業し、社長に就任。1974年に会長を経て、1979年に相談役に就任した。 2011年5月6日、肺炎のために死去。96歳没。
西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - … 西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - 1987年4月12日)は、日本の経営者。井村屋製菓社長、会長を務めた。三重県松阪市出身。 1932年に三重県立松阪商業学校を卒業。髙島屋での勤務を経て、1947年に井村屋に転じ、専務に就任し、1970年に副社長を経て、1974年5月には社長に就任。1979年6月に監査役に就任。 1987年4月12日食道静脈瘤破裂と肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 19… 安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 1971年3月20日)は、日本の実業家。三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣。 1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業。 1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した。1957年に近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年に東海ラジオ放送社長にも就任した。1957年に東海テレビ放送副社長にも就任し、1967年には社長に昇格した。
丹羽 五郎(にわ ごろう、1890年(明治23年)7月28日… 丹羽 五郎(にわ ごろう、1890年(明治23年)7月28日 - 1958年(昭和33年)11月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 三重県飯高郡(現松阪市)で丹羽雨斉の五男として生まれる。岩手水産学校(現岩手県立宮古水産高等学校)漁撈科を修了。漁撈の研究を行う。 1915年(大正4年)丹羽船舶漁業部を開設。1919年(大正8年)大阪海事を設立し取締役社長に就任。その他、泰和洋行船舶部長、東明銀行取締役、日本索道常務取締役、丹羽船舶部社長、大阪機帆船海運組合理事、日本海獣取締役、大阪機帆船運送取締役、日本近海汽船取締役、日本海運協会小型船委員会委員、丸三商店取締役、尼崎船渠社長、中央産業社長、海上交通社(大阪)社長、近畿造船連合会副会長などを務めた。
安保 庸三(あぼ ようぞう、1865年 3月13日(元治2年… 安保 庸三(あぼ ようぞう、1865年 3月13日(元治2年2月16日)– 1942年(昭和17年)5月16日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、三重県会議長。旧姓・四方。 伊勢国飯高郡、のちの三重県飯南郡松阪町(現松阪市)で、四方梅次郎の長男として生まれ、1884年(明治17年)安保ひさ の養子となり家督を相続した。明治法律学校で学んだ。 才賀藤吉の指導を受けて松阪電気を設立し、のち社長に就任。その他、松阪鉄道社長、勢和自動車社長、南勢新聞社長、松阪共産取締役、三重出版取締役、三重県農工銀行監査役、松阪劇場監査役などを務めた。 政界では、松阪町会議員、飯南郡会議員、三重県会議員、同議長などを務めた。
原田 二郎(はらだ じろう、嘉永2年10月10日〈1849年… 原田 二郎(はらだ じろう、嘉永2年10月10日〈1849年11月24日〉 - 昭和5年〈1930年〉5月5日)は、日本の実業家・篤志家。伊勢国松阪(現・三重県松阪市)出身。公益財団法人原田積善会の創設者。歌人としての号は原田嘉朝、詩人としての号は原田均斎。 嘉永2年10月10日(1849年11月24日)、伊勢国松阪城下の同心町(現・三重県松阪市殿町)に生まれた。父は東谷小平次の四男である清一郎、母は田中彦左衛門の長女である時雨子であり、いずれも原田家に養子に入った人物である。幼名は徳松であり、上京する頃までこの名前を用いた。原田家は下級武士の家であるが、徳松は文武両道に秀でており、14歳だった文久2年(1862年)には松阪学問所から褒章を受けている。
大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元… 大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元年12月22日) - 1933年(昭和8年)2月3日)は、日本の商人、実業家、政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。幼名は藤吉。名の「衞」は「衛」の旧字体のため、新字体で大谷 嘉兵衛とも表記される。 横浜市会議員、横浜市会議長、横浜商業会議所会頭、貴族院議員などを歴任した。 伊勢国出身の商人、実業家、政治家である。製茶貿易業に携わり、「茶聖」と呼ばれた。第2代横浜商業会議所(現在の横浜商工会議所)会頭や貴族院議員などを務めた。正五位勲三等。族籍は神奈川県平民。 伊勢国飯高郡谷野村(現在の三重県松阪市飯高町宮本)に、父の吉兵衛、母つなの4男1女の末子として生まれた。