櫻本 直樹(さくらもと なおき、1976年(昭和51年)6月… 櫻本 直樹(さくらもと なおき、1976年(昭和51年)6月17日 -)は、日本の政治家。滋賀県野洲市長(1期)。滋賀県彦根市出身。 立命館大学経営学部卒業。1999年(平成11年)滋賀県庁採用。市町振興課、財政課、病院事業庁、総務省自治大学校派遣、森林政策課係長などを歴任。2021年(令和3年)野洲市に出向し野洲市政策調整部次長兼行財政改革推進室長を務め2024年(令和6年)6月退庁。 2024年10月13日、任期満了に伴う野洲市長選挙に初出馬し現職の栢木進、元市議会議員の益川教智を破り初当選。 開票結果は、当選 櫻本直樹(48歳)無所属 新 8,368票、栢木進(68歳)無所属 新 6,174票、益川教智(42歳)無所属 新 6,167票だった(当日有権者数:41,120人、投票率:50.9%、前回比:-1.02Pts)。
和田 裕行(わだ ひろゆき、1970年〈昭和45年〉10月1… 和田 裕行(わだ ひろゆき、1970年〈昭和45年〉10月14日 - )は、日本の政治家、実業家。元滋賀県彦根市長(1期)、彦根党共同代表。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。 1997年(平成9年)、映画の衣装や小物のレプリカ製作と販売を行う「マックス・ケイディ」を創業。 2005年(平成17年)4月24日に行われた彦根市長選挙に立候補。元市長で弁護士の獅山向洋、元県議の大久保貴と戦うも次点で落選。 ※当日有権者数:82,943人 最終投票率:47.19%(前回比:pts) 2009年(平成21年)4月26日に行われた市長選挙に再び挑戦し、得票数3位で落選。
大久保 貴(おおくぼ たかし、1963年10月22日 - )… 大久保 貴(おおくぼ たかし、1963年10月22日 - )は、日本の政治家。元滋賀県彦根市長(2期)、元滋賀県議会議員(2期)。 滋賀県彦根市出身。1988年(昭和63年)8月、ミシガン大学社会学部卒業。社会福祉法人近江ふるさと会に就職。1991年(平成3年)4月30日、滋賀県議会議員に就任。1995年(平成7年)に再選。 1998年(平成10年)第18回参議院議員通常選挙に滋賀県選挙区より出馬するも落選。2001年(平成13年)4月22日に行われた彦根市長選挙に出馬。計4人の候補者のうち得票数3位で落選。投票率は47.16%。 2005年(平成17年)4月24日に行われた市長選に出馬。計3人の候補者のうち得票数3位で落選。
田島 一成(たじま いっせい、1962年6月15日 - )は… 田島 一成(たじま いっせい、1962年6月15日 - )は、日本の政治家。滋賀県彦根市長(1期)。元衆議院議員(4期)。元立憲民主党滋賀県連代表。環境副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、滋賀県議会議員(1期)、彦根市議会議員(2期)等を務めた。 滋賀県彦根市生まれ。彦根市立旭森小学校、彦根市立東中学校、滋賀県立彦根東高等学校、中央大学商学部会計学科卒業、同志社大学大学院総合政策科学研究科修士課程修了(修士論文は「日本社会におけるNPO(民間非営利組織)の現状と方向性―新たなセクターとしての役割と可能性の考察―」)。大学卒業後、竹中工務店勤務を経て、生家が経営する田島物産に入社。またアメリカ合衆国カールトン・カレッジに留学し、単位を取得した。
獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11… 獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11月2日 - 2024年(令和6年)8月3日)は、日本の政治家、弁護士、検察官。滋賀県彦根市長(通算3期)、彦根市議会議員(通算4期)、聖泉大学・聖泉短期大学理事長を務めた。 滋賀県彦根市出身。彦根市立城西小学校、彦根市立西中学校、滋賀県立彦根東高等学校を経て、1964年3月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969年に弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。 1979年、彦根市議会議員選挙に立候補し、初当選する。1985年、彦根市長選挙に立候補したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989年の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。
野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13… 野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13日 - 1993年〈平成5年〉10月29日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。 滋賀県彦根市生まれ。旧制滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)中退。1950年(昭和25年)逓信講習所卒。その後、郵政事務官になり、全逓滋賀県委員長、滋賀地評議長などを経て、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で滋賀全県区から日本社会党公認で立候補して当選。5期務めた。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1993年10月29日、死去。64歳没。同年11月12日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。
阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4… 阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1937年(昭和12年)5月12日)は、日本の実業家、政治家。族籍は滋賀県平民。 近江国彦根(滋賀県彦根市)出身。辻兼三の長男。阿部家の養子となり、1896年(明治29年)に分家して一家を創立する。 1892年(明治25年)、慶應義塾正科を卒業。 1894年(明治27年)、近江銀行、1900年(明治33年)、近江精油取締役、1901年(明治34年)、阿部製紙(王子製紙の前身のひとつ)専務、1904年(明治37年)経営不振の金巾製織に専務として入り、再建に尽力する。その後金巾製織は1906年(明治39年)に大阪紡績と、1914年(大正3年)に三重紡績と合併して東洋紡績が発足、山辺丈夫社長の下で専務となった。
兼松 寅太郎(かねまつ とらたろう、1867年2月4日(慶応… 兼松 寅太郎(かねまつ とらたろう、1867年2月4日(慶応2年12月30日)- 1941年(昭和16年)5月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 近江国犬上郡、のちの滋賀県犬上郡彦根町(現彦根市)出身。(株)近江米取引所監査役、同理事長、彦根米穀取引所仲買人、長浜製氷冷蔵(株)社長、大津商業会議所会頭、近江絹糸紡績(株)取締役、近畿バラスト(株)監査役となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において滋賀1区から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1964年死去。
西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6… 西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6年1月18日)- 1937年(昭和12年)6月23日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、滋賀県犬上郡千本村長。 近江国犬上郡西沼波村(滋賀県犬上郡千本村字西沼波を経て現彦根市)で、西田教寛の長男として生まれる。深見東岳から漢学を学んだ。1881年(明治14年)12月、家督を相続した。農業、商業を営む。 1884年(明治17年)10月、平田村外11ヶ村連合会議員・同議長に就任。以後、地蔵村外2ヶ村連合会議員・同議長、彦根沼波町外6ヶ町村連合会議員・同議長、今井水利土工連合会議員・同議長、犬上郡彦根町外101ヶ町村連合会議員、犬上郡所得税調査委員、滋賀県米質改良組合規則設定委員、滋賀県勧業諮問会員などを務めた。
水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(… 水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(安政4年12月27日)- 1936年(昭和11年)4月3日)は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。 近江国彦根出身。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業。徳島始審裁判所・大阪始審裁判所・大阪控訴院で判事を務め、京都地方裁判所部長・福井地方裁判所所長・岐阜地方裁判所所長を歴任した。1898年(明治31年)、大阪地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長・長崎控訴院検事長・大阪控訴院検事長を歴任した。その間、日露戦争の際には佐世保で捕獲審検所検察官を務めた。1913年(大正2年)、名古屋控訴院長に就任し、のち大阪控訴院長に転じた。1921年(大正10年)6月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した。
大橋 利左衛門 (おおはし りざえもん、1853年2月3日(… 大橋 利左衛門 (おおはし りざえもん、1853年2月3日(嘉永5年12月25日) - 1888年(明治21年)1月2日) は植林家・政治家。 1853年2月3日(嘉永5年12月25日)に近江国犬上郡(後の日夏村、現・滋賀県彦根市日夏町)に生まれる。1878年に日夏村の戸長となり、1881年には県会議員も務めた。1887年には日夏村から東海道本線が開通していた河瀬村南川瀬の区間に日夏街道を開通させるなど地域の交通面の整備を手がけた。 1872年当時の日夏村民たちは生活苦のために、荒神山の樹木を伐採し売却して生計を維持していた。乱伐のために荒神山はわずかな年月の間にはげ山となり治水機能が低下して土砂崩れがしばしば発生していた。
西村 捨三(にしむら すてぞう、天保14年7月29日(184… 西村 捨三(にしむら すてぞう、天保14年7月29日(1843年8月24日) - 明治41年(1908年)1月14日)は、日本の武士、官僚、政治家。沖縄県令(第4代)、大阪府知事(第6代)、初代内務省警保局長などを務めた。
大東 義徹(おおひがし ぎてつ/よしあきら/よしてつ、184… 大東 義徹(おおひがし ぎてつ/よしあきら/よしてつ、1842年8月20日〈天保13年7月15日〉- 1905年〈明治38年〉4月8日)は、 日本の政治家。司法大臣(第9代)、衆議院議員(7期)を務めた。元は小西姓。父は小西新左衛門。通称、近江西郷。 彦根藩士で足軽の小西貞徹の次男として生まれる。幼名を寛蔵。 戊辰戦争に従軍し武功を立てた。戸籍編成の際、姓を小西から大東に改めた。廃藩置県後、司法省に入り、権少判事となる。明治六年政変(征韓論政変)の際に下野し、1877年(明治10年)の西南戦争の勃発後に代言人仲間だった有馬藤太らとともに大阪で警察に拘束されるが、後に放免となる。 1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に滋賀郡部から立候補し初当選。