中川 皓太(なかがわ こうた、1994年2月24日 - )は… 中川 皓太(なかがわ こうた、1994年2月24日 - )は、大阪府富田林市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 富田林市立高辺台小学校時代は3年生からジュニア金剛に所属。富田林市立葛城中学校時代は富田林ブルーウェーブに所属。 広島県の山陽高等学校では県大会準優勝が最高で、甲子園出場歴はなし。硬式野球部での2学年先輩に森原康平がいる。 東海大学では1年春からリーグ戦に出場。4年次の第46回明治神宮野球大会ではベスト4。リーグ通算16勝1敗、防御率1.31。同期に田中俊太、渡辺勝、吉田侑樹、1学年上に大城卓三、1学年下に丸山泰資がいる。 2015年10月22日に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受けた。
勧野 甲輝(かんの こうき、1992年7月12日 - )は、… 勧野 甲輝(かんの こうき、1992年7月12日 - )は、大阪府富田林市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 4歳から富田林リトルリーグの外野手として野球を始めると、PL学園小学校で投手、遊撃手、外野手を務めた。富田林市立第二中学校に進学して富田林シニアに所属し、2年秋に関西大会で優勝。2007年、3年時にベネズエラで開催された第13回世界ユース選手権大会に出場し、世界3位に貢献した。なお同大会はベネズエラの不正や台湾チームへのビザ発給拒否問題によりIBAFの冠が外れ中止扱いとなった。 2008年、PL学園では1年夏からベンチ入りし、左翼手のレギュラー兼投手で4番打者を任されるなどした長距離砲だった。
太田 弘昭(おおた ひろあき、1972年7月28日 - )は… 太田 弘昭(おおた ひろあき、1972年7月28日 - )は、大阪府富田林市出身の高校野球指導者。社会科教諭。 愛媛県立松山商業高等学校では3年生だった1990年に正捕手かつ主将として、夏の愛媛大会決勝で同年春に行われた第62回選抜高等学校野球大会準優勝の新田を延長11回の末に9-8で破って第72回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たし、海星(三重)と竜ヶ崎一に勝って3回戦に進出した。大学時代は亜細亜大学硬式野球部でプレーし、同期に入来祐作や沖原佳典がいた。 大学卒業後は母校の松山商、柏原、名古屋産大でコーチを歴任し、2006年8月に京都翔英の監督に就任。それまで夏の京都大会は4回戦が最高成績だった同校を、就任4年目の2010年夏の大会で龍谷大平安や京都学園など初戦から準決勝までの5試合全て甲子園出場経験がある相手を破り決勝に進出した。
山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は… 山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は、大阪府富田林市出身の元プロ野球選手(投手)。 イタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つ二世で、現役時代は、そのスタイルとマスクで阪神タイガースファンに人気があった。 大阪・柏原高校(現・東大阪大学柏原高等学校)では高校三年生から本格的に投手をはじめエースとして活躍。1975年(昭和50年)秋季大阪府大会準々決勝に進むが、山田勉らを擁する大鉄高校(現・阪南大学高等学校)に敗退ベスト8に終わる。非常に優れた身体能力と運動神経を持ち、人並み外れたバネを生かした投球フォームで、球威ある快速球に加えてドロップ(縦に割れるカーブ)を武器に投げ込み、当時の関西No.1本格右腕として脚光を浴び、12球団のスカウトマンが連日、学校や家へ挨拶に来たほどの逸材であった。