林﨑 萌維(はやしざき めい、1994年8月17日 - )は… 林﨑 萌維(はやしざき めい、1994年8月17日 - )は、兵庫県養父市出身の女子サッカー選手。 ポジションは、GK。 小学1年時にサッカーを始め、中学3年時にGKとなる。常盤木学園高等学校では全国高校選手権2連覇を経験。3年時の第21回大会では準々決勝・藤枝順心戦のPK戦において2本のシュートをストップする活躍を見せた。 2013年、岡山湯郷Belleに加入。 2014年9月、AC長野パルセイロ・レディースに加入。2017年、契約満了により退団。
坂本 誠志郎(さかもと せいしろう、1993年11月10日 … 坂本 誠志郎(さかもと せいしろう、1993年11月10日 - )は、阪神タイガースに所属する兵庫県養父市出身のプロ野球選手(捕手)。
YO-HEY(ヨー-ヘイ、1988年2月6日 - )は、日本… YO-HEY(ヨー-ヘイ、1988年2月6日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は藤田 洋平(ふじた ようへい)。兵庫県養父市出身。プロレスリング・ノア所属。血液型A型。 2008年12月22日、DRAGON GATEの若手興行「DRAGON GATE NEX」で藤田洋平として対近野健一戦でデビュー。 2009年1月18日、DRAGON GATE大阪府立体育会館第2競技場大会でDRAGON GATEに初登場。3月20日、勢いの良さとファイトぶりを評価されてユニット「WARRIORS-5」に加入と同時にリングネームをRYOMAに改名。リングネームはCIMAの首の治療時にトレーニングパートナーとして訪れた高知県ゆかりの坂本龍馬にあやかったものである。
千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年… 千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年〉3月8日 - )は、九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は根岸 秀則(ねぎし ひでのり)。 兵庫県養父市出身。身長194cm、体重167kg。最高位は東十両9枚目(1996年11月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げ、血液型はB型。 実家は青果店を営んでいた。小学生では水泳を習い、養父市立養父中学校では1年間だけ卓球部に所属した。親の知人から手紙で連絡を受けて訪ねて来た現役時代の横綱・千代の富士にスカウトされ、当初は入門の意志はあまりなかったが周囲が盛り上がったので入門を決意した。1987年5月場所、初土俵を踏む。三段目までは比較的順調に昇進したが、三段目・幕下で伸び悩み三段目、幕下でそれぞれ2年を過ごした。
大林 賢一(おおばやし けんいち、1969年〈昭和44年〉8… 大林 賢一(おおばやし けんいち、1969年〈昭和44年〉8月8日 - )は、日本の政治家、実業家。兵庫県養父市長(1期)。 兵庫県養父市出身。兵庫県立八鹿高等学校、近畿測量専門学校測量学科卒業後、大阪府の測量会社に勤務する。 2001年、母親が体調を崩したのを機に帰郷し、測量会社オーシスマップを創業。2003年に法人化。2011年には同社のシステム企画課が独立する形でWEB制作会社ピーナッツを設立し、同社の役員に就任。 2016年10月、養父市長選挙に立候補したが、現職の広瀬栄に敗れ落選。 2024年6月27日、同年10月の市長選への立候補を表明。10月20日の投開票の結果、462票差で広瀬を破り、初当選した。
コンタロウ(本名:高階 光幸(たかしな みつゆき)、1951… コンタロウ(本名:高階 光幸(たかしな みつゆき)、1951年12月11日 - )は、日本の漫画家。兵庫県養父市出身。兵庫県立八鹿高等学校から岡山大学薬学部を経て、1977年、千葉大学工学部印刷工学科卒業。 1974年、大学在学中に『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞に『先生の日』が佳作入選。翌年の1975年、同じく『週刊少年ジャンプ』にて開催された赤塚賞に、応募した作品『父帰る!!』が入選し、同作品が掲載された後、『友情学園』で連載デビューする。 趣味は蕎麦打ち。プロレスに造詣が深く、プロレスをテーマにした作品も数多く発表している。子息は映像作家の高階匠。姪はシンガーソングライターのさぁさで、MVのコラボも行っている。
濱 筆治(はま ふでじ、1949年1月2日 - )は、兵庫県… 濱 筆治(はま ふでじ、1949年1月2日 - )は、兵庫県養父市出身の日本の実業家である。東京海上日動火災保険専務取締役、あおぞら銀行専務取締役、損害保険事業総合研究所理事長、JALUX取締役、三菱鉱石輸送取締役、日本貨物航空非常勤監査役を務めた。 兵庫県立八鹿高等学校を経て滋賀大学経済学部を卒業後、1971年4月に東京海上火災保険に入社した。入社後は主に財務・金融関連部門を歩み、1998年6月に融資部長、2001年6月に取締役 財務本部金融サービス部長に就任した。 2002年6月、あおぞら銀行に転じ、専務取締役および専務執行役員を務めた。同銀行では営業部門の統括を担当し、銀行経営にも関与した。
藤原 勉(ふじわら つとむ、1948年〈昭和23年〉1月2日… 藤原 勉(ふじわら つとむ、1948年〈昭和23年〉1月2日 - )は、日本の政治家。岐阜県本巣市長(5期)。 兵庫県養父市出身。1972年(昭和47年)3月、岐阜大学教育学部卒業。同年4月、岐阜県庁に入庁。議会事務局長、西濃振興局長などを歴任。2007年(平成19年)4月、岐阜県産業経済振興センター副理事長に就任。 2008年(平成20年)2月17日に行われた本巣市長選挙に出馬し初当選した。3月7日、市長就任。 2012年(平成24年)、無投票で再選。2016年(平成28年)、無投票で3選。2020年(令和2年)、無投票で4選、2024年(令和6年)、無投票で5選。
村上 勉(むらかみ つとむ、男性、1943年 - )は、日本… 村上 勉(むらかみ つとむ、男性、1943年 - )は、日本のイラストレーター。兵庫県養父郡八鹿町(現:養父市)出身。 児童文学の挿絵を多数担当する。細部のリアルな描き込みと、デフォルメされたデッサンとが融合した画風を特徴とする。 挿絵を担当する作家のコンビとしては、佐藤さとるが圧倒的に多く有名で、デビュー作も佐藤の『だれも知らない小さな国』である。末吉暁子作品がこれに続く。また、1979年の日本の歌シリーズ「ふるさと」以降、日本切手の原画家として何度も起用されており、特に「ふみの日」のキャンペーン切手では永田萌と共に常連原画家となっている。 第16回小学館絵画賞(佐藤さとる作の『おばあさんのひこうき』)、ライプツィヒ図書展銅賞(1972年)、郵政功労賞 (2000年、切手50種)など受賞。
田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、… 田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、日本の言語学者。専門は社会言語学。モンゴル研究も行う。言語と国家の関係を研究。国際言語として日本語の漢字を批判。一橋大学名誉教授。2009年モンゴル国北極星勲章受章。著書に『言語からみた民族と国家』(1978年)、『名前と人間』(1996年)、『ことばとは何か』(2004年)など。 兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)生まれ。兵庫県立八鹿高等学校を経て、1953年、東京都立戸山高等学校卒業。1956年11月、草創期の言語学研究会運営委員となる。1957年、東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)を卒業。同年東京外国語大学言語学研究室副手となる。
佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月… 佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月8日 - 2000年(平成12年)3月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。雅号は良素。 民社党委員長(第4代)、衆議院議員(12期)、参議院議員(1期)を歴任。 元鹿島建設副社長鹿島新吉は岳父に当たり元中央大学総長の升本喜兵衛は実兄、甥に初代養父市長の佐々木憲二がいる。 兵庫県養父郡伊佐村浅間(八鹿町を経て現養父市八鹿町浅間)生まれ。旧制豊岡中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1939年(昭和14年)京都帝国大学法学部を卒業。創立間もない日本発送電に入社し、1946年に日本電気産業労働組合協議会(翌年電産労組として単一化される)が結成されると、初代書記長兼副闘争委員長となる。
村上 藤太郎(むらかみ とうたろう、1895年〈明治28年〉… 村上 藤太郎(むらかみ とうたろう、1895年〈明治28年〉2月21日 - 2004年〈平成16年〉7月30日)は、男性長寿日本一だった人物。 兵庫県八鹿町(現・養父市)生まれ。1910年ごろ病気を機に金光教に入信。1946年から朝来教会教会長を務めた。2002年までは朝の祈祷を日課としていた。2003年ごろからは自室で休むことが多く、2004年6月から体調を崩し入院していた。 2004年7月、腎不全のため兵庫県和田山町(現・朝来市)の病院で死去。109歳160日没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西村 淳蔵(淳藏、にしむら じゅんぞう、1864年(元治元年… 西村 淳蔵(淳藏、にしむら じゅんぞう、1864年(元治元年3月) - 1939年(昭和14年)2月14日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。勲7等 但馬国養父郡八鹿村(のち兵庫県養父郡八鹿村→八鹿町、現・養父市)に生まれる。普通学を修め、上京し、慶應義塾に入り、1888年に卒業する。農業を営み、八鹿村長、同町長を長年にわたって歴任する。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において兵庫9区から憲政党公認で立候補して当選する。1902年の第7回衆議院議員総選挙では兵庫県郡部から憲政本党公認で立候補したが落選した。1939年に死去した。 妻、小静は、但馬国歌詞柏原町の名家、田艇吉の長女、内助の功多く婦人会長として活躍した。
大島 貞益(おおしま さだます、弘化2年2月17日(1845… 大島 貞益(おおしま さだます、弘化2年2月17日(1845年3月14日) - 大正3年(1914年)10月19日)は明治時代の著作家(経済評論家)・翻訳家・教育者。号は「石華」。 日本におけるF・リストの紹介者および保護貿易論者として知られ、「日本のリスト」と称される。 但馬国養父郡大藪村(現兵庫県養父市大藪)で、大藪領主旗本小出英道の家臣、西洋兵学者・大島貞薫と敦子の三男に生まれる。幼名は益三郎。箕作麟祥の英学塾に学んだ後、慶応4年(1868年)7月に新政府の海軍省翻訳方に出仕し、以降文部省・統計寮・外務省などを転々とし明治11年(1878年)1月に外務省御用掛を免職となるまで翻訳業務に従事した。
北垣 国道(きたがき くにみち、1836年9月17日〈天保7… 北垣 国道(きたがき くにみち、1836年9月17日〈天保7年8月7日〉- 1916年〈大正5年〉1月16日)は、幕末期の志士、明治時代の官僚、政治家。幼名は捨蔵。通称は晋太郎。号は静屋。 高知県令(第4代)、徳島県令(第7・8代)、京都府知事(第3代)、北海道庁長官(第4代)、貴族院議員(勅選)、枢密顧問官を歴任した。 1836年(天保7年)、但馬国養父郡能座村(現:兵庫県養父市)に生まれる。6歳の時の1841年(天保12年)、池田草庵の私塾「青谿書院」で学んだ。1863年(文久2年)、公卿澤宣嘉を主将とし、河上弥市、平野国臣らと生野銀山にて挙兵(生野の変)するも敗れ、進藤俊三郎(原六郎)らと因幡(鳥取藩)、ついで京都、江戸(桶町千葉道場→赤坂桧町の長州藩邸)を経由し長州へ潜伏した。