石田 實(いしだ みのる、1956年2月14日- )は、日本… 石田 實(いしだ みのる、1956年2月14日- )は、日本の政治家、岡山県新見市長(1期)。岡山県出身。 1956年(昭和31年)、岡山県新見市生まれ。岡山県立新見高等学校卒。石油販売会社社長を経て2013年(平成25年)新見市議会議員選挙に初当選。2022年(令和3年)には、市議会議長を務めた。同年12月、新見市長選挙出馬の準備のため任期の途中で辞職。2024年(令和6年)11月17日投開票の結果、現市長の戎斉を破り初当選。12月2日に戎が同月7日までの任期を残して辞職したことから、3日に市長に就任した。 ※当日有権者数:22,733人 最終投票率:68.89%(前回比:-3.25pts) 選挙戦では、人口減少対策が争点となるなか、公共交通機関見直しを掲げ利用者の少ないものは廃止し、地域のイベントと連携させてJR芸備線の利用促進や新見公立大学と連携し、市民の健康と福祉の充実を目指すことなどを訴えた。
石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月1… 石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月15日 - 2016年〈平成28年〉11月9日)は、平成時代の政治家。岡山県新見市長。新見市名誉市民。 岡山県新見市出身。1959年(昭和34年)岡山県立新見農業高等学校卒業。1971年(昭和46年)旧・新見市役所に入る。建設課長などを経て、1994年(平成6年)に旧・新見市の市長に就任。3期務めた。 2005年(平成17年)市町合併後、初代の新見市長に就任。 3期目在任中の2016年(平成28年)11月9日、山林での作業中の事故による脳挫傷や外傷性脳内出血などにより、倉敷市内の病院で死去した。叙従四位、旭日中綬章追贈。 市長在任中は地域情報化の推進や子育て支援施策の充実、社会資本施設の整備等に貢献した。
近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月… 近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月16日 - 1970年(昭和45年)8月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)。日本初の女性国会議員となった39人のうちの一人であり、2人目の女性閣僚となった。 岡山県新見市に生まれる。1924年日本女子大学校家政科を卒業後、山陽高等女学校(現山陽学園高等学校)、岡山県第一岡山高等女学校(現岡山県立岡山操山高等学校)等で教諭を務める。家事や作法を教えていた。 戦後の1946年、日本進歩党衆議院議員の長兄小谷節夫が公職追放となり、兄の代わりとして、無所属で衆議院議員選挙に岡山全県区(当時)から立候補し当選、日本初の女性代議士の一人となった。
土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1… 土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1日 - 1968年〈昭和43年〉7月8日)は、明治末から昭和期の獣医師、政治家、実業家。衆議院議員、岡山県新見市長、同市名誉市民。旧姓・佐々木。和牛の改良に心血を注ぎ岡山県の「和牛の父」と称された。 岡山県阿賀郡実村(千屋村、阿哲郡千屋村を経て現新見市千屋実)で、農業・佐々木久太郎の三男として生まれる。1908年(明治41年)岡山県農学校(現岡山県立高松農業高等学校)獣医科を卒業した。1913年(大正2年)阿哲郡美穀村唐松の土屋和吉の養子となる。 阿哲郡吏員、同農業技手、阿哲郡産牛馬組合技師を務め、千屋牛の改良に尽力した。1920年(大正9年)阿哲畜産 (株) が設立されると支配人に就任し、その後、同社長を務めた。
川上 貫一(かわかみ かんいち、1888年〈明治21年〉1月… 川上 貫一(かわかみ かんいち、1888年〈明治21年〉1月28日 - 1968年〈昭和43年〉9月12日)は、大正・昭和の労働運動活動家・政治家。後に日本共産党国会議員団長となる。娘は洋画家の川上律江。 岡山県哲多郡(現・新見市)出身。 1907年(明治40年)県立農学校を卒業後、代用教員や岡山県職員を務め、後に大阪府の社会課主事に転じる。1927年(昭和2年)に昭和文化学会に参加して以後、共産党シンパとしての活動を強め、翌年には検挙を受ける。また、1937年(昭和12年)の人民戦線事件でも検挙されて懲役2年の実刑判決を受けている。この間、マルクス経済学を学び、社会主義系の雑誌や研究所の立ち上げに関与した。