伊藤 明里(いとう あかり、2001年7月10日 - )は、… 伊藤 明里(いとう あかり、2001年7月10日 - )は、広島県福山市出身の女子サッカー選手。ディオッサ出雲FC所属。ポジションはミッドフィールダー。広島文教女子大学附属高等学校出身。 サッカーをやっていた兄の影響で、小学2年生からサッカーを始める。 2009年に、新涯フットボールクラブ に入団。 2014年、第37回広島県女子サッカーリーグ(4位) 2016年、第39回広島県女子サッカーリーグ(3位) 2017年、広島文教女子大学附属高等学校に入学。 2020年1月、第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会出場(初戦敗退) 2020年3月、同校を卒業。 2020年3月、ディオッサ出雲FC加入。
曽我 大地(そが だいち、1998年3月10日 - )は、広… 曽我 大地(そが だいち、1998年3月10日 - )は、広島県福山市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィルダー(MF)・ディフェンダー(DF)。中国サッカーリーグ・福山シティFC所属。 2015年、ガイナーレ鳥取U-18在籍時に2種登録選手として登録され、2016年シーズンからU-18で同期の磯江太勢と共にトップチーム昇格内定が発表された。2018年シーズン終了後に契約満了。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。 2019年、U-18在籍時の監督であった辻本茂輝が監督に就任したFCティアモ枚方に加入。 2020年、地元である福山市を本拠地とする当時広島県社会人サッカーリーグ1部所属だった福山シティFCに移籍。
千布 一輝(ちぶ かずき、1995年7月13日 - )は、広… 千布 一輝(ちぶ かずき、1995年7月13日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・鹿児島ユナイテッドFC所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 サンフレッチェ常石を経て、ファジアーノ岡山U-18へ1期生として入団。 2014年より、同期の板野圭竜、加藤健人、田中宏昌、田中雄輝と共にトップチームへ昇格。シーズン開幕前の同年2月、ファジアーノ岡山ネクストへ登録変更された。 2017年よりヴェルスパ大分に完全移籍。しかしわずか1年で退団。 2018年3月、テゲバジャーロ宮崎に移籍。 2023年、鹿児島ユナイテッドFCへ完全移籍。
加藤 潤也(かとう じゅんや、1994年12月30日 - )… 加藤 潤也(かとう じゅんや、1994年12月30日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC今治所属。ポジションは、フォワード。 サンフレッチェ常石からサンフレッチェ広島ユースに昇格することができなかったため、米子北高校に進学、2年上に昌子源がいた。1年生から3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会に出場(1年生の時はベンチ入りをしていたものの出場機会はなし)。3年生で出場した第91回全国高校サッカー選手権では2回戦で旭川実業高校にPK戦負け。 高校卒業後は城西国際大学に進学し、入学直後から公式戦に出場する。2017年より高校時代を過ごした鳥取県にあるガイナーレ鳥取に加入した。
松浦 尚人(まつうら なおと、1994年12月26日 - )… 松浦 尚人(まつうら なおと、1994年12月26日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。 九州国際大学在学中の2014年にギラヴァンツ北九州の特別指定選手に承認された。 2017年にJFLのヴェルスパ大分に加入した。しかし、僅か1年で退団となった。 2018年より関西福祉大学サッカー部のコーチに就任した。
日高 裕貴(ひだか ゆうき、1993年8月25日‐)は、広島… 日高 裕貴(ひだか ゆうき、1993年8月25日‐)は、広島県福山市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 2015シーズンにJAPANサッカーカレッジからアルビレックス新潟シンガポールへ移籍するも野沢洋輔や荻野賢次郎ら、実力派揃いのJリーグ経験者からポジションを奪取することが出来ずシーズン終了をもってチームを退団。 2017年にタイ・リーグ4(T4)のパッターニーFCと契約。シーズン中に同リーグの東地区に所属するカビン・ユナイテッドFC(英語版)に移籍。ガビンでは8試合出場8失点とチームに貢献。来季のオファーもあったが、これを断って1部リーグへのキャリアアップを目指した。
ダ・シルバ・ファビオ・岡(Da Silva Fabio OK… ダ・シルバ・ファビオ・岡(Da Silva Fabio OKA、1991年5月22日 - )は、ブラジル出身の実業家、ポーカープレイヤー、元サッカー選手。サッカー選手時代のポジションは、FW、MF。 ブラジルに生まれ、父親の仕事の関係で広島県福山市松永町で育つ。福山市立松永中学校時は、尾道市にあるサンフレッチェ広島の提携スクール・サンフレッチェびんごジュニアユース でプレー。 その後岡山に転居し、岡山のクラブチームであるアヴァンサールFCに所属。岡山学芸館高校サッカー部を経て、2010年ファジアーノ岡山へ加入。同年4月より、ネクスト所属 となる。2011年もネクスト所属 となり、5月から11月まで、ブラジルのクラブアトレチコ・ソロカーバへサッカー留学 する。
山本 弘明(やまもと ひろあき、1991年4月12日 - )… 山本 弘明(やまもと ひろあき、1991年4月12日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 2014年7月1日から8月4日に行われたモンテネグロトライアルに参加し、モンテネグロ2部リーグのFKイガロ1929と契約した。 2015年にFKイバルに移籍。 2016年8月に1部リーグのFKロヴチェンに移籍。 2017年に足の怪我の影響もあり引退。
兼田 亜季重(かねだ あきしげ、1990年2月26日 - )… 兼田 亜季重(かねだ あきしげ、1990年2月26日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 広島県福山市の少年チームを経て2002年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する。同級生に横竹翔がいる。2003年、ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、決勝戦はPK戦となったが1本止めて勝利に貢献している。それにより出場権を得たマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは最終戦である順位決定戦1試合のみ出場している。 2005年、広島ユースに昇格。同級生に横竹・内田健太・篠原聖・中野裕太。2006年高校2年時途中、1学年上で正GKを務めていた金山隼樹が怪我により欠場したことからレギュラーを掴み、Jユースカップ優勝に貢献した。
永井 謙佑(ながい けんすけ、1989年3月5日 - )は、… 永井 謙佑(ながい けんすけ、1989年3月5日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・名古屋グランパス所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 父親の仕事の都合で3歳の頃から家族とともにブラジル・イパチンガに移住。兄の影響を受け、近所の道端にて裸足で現地の子供達とストリートサッカーをしており、ポルトガル語も喋れたという。 8歳の時に帰国。福岡県北九州市八幡西区の中学校を卒業後、兄と同じく九州国際大学付属高等学校に進学。入学時には小柄だったが在学中に「背が伸びて急に脚が速くなった」と抜群の脚力と得点力が開花。杉山公一監督の下、3年時に第85回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、強豪・富山第一高等学校相手に2得点を挙げて1回戦を突破するも、2回戦では桐光学園高等学校に0-1で敗退。
碇野 壱馬(いかりの かずま、1986年5月31日 - )は… 碇野 壱馬(いかりの かずま、1986年5月31日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 多々良学園高等学校(現・高川学園高等学校)出身。卒業後、大原スポーツ専門学校に進み、当時長野県社会人リーグに所属していた同専門学校の社会人チーム「大原学園JaSRA SC」にも参加。北信越チャレンジリーグを経て北信越リーグ2部でも2シーズンを戦った。 2008年、同じく北信越リーグ1部のAC長野パルセイロに入団するが、2シーズンで7試合の出場にとどまった。 2010年、当時中国リーグに所属していたレノファ山口FCに移籍。加入1年目から守備の要として2010年の中国リーグ優勝や2013年の日本フットボールリーグ (JFL) 昇格に貢献。
森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は… 森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、広島県福山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。元日本代表。 小さい頃は野球少年で憧れの選手は広島東洋カープの山内泰幸だった。小学2年時に友人に誘われ、サッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である尾道市のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に平石健太がいる。ジュニアユースではFWのポジションを担当しており、島卓視らから指導を受けた。 2002年にサンフレッチェ広島ユースへ昇格した。同期には前田俊介、佐藤昭大、髙萩洋次郎、髙柳一誠、桒田慎一朗、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司らがいる。
神原 史(かんばら ふみ、1982年12月23日 - )は、… 神原 史(かんばら ふみ、1982年12月23日 - )は、広島県福山市出身の女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2005年にTEPCOマリーゼに入団。第2節の伊賀フットボールクラブくノ一戦で後半途中から出場しリーグデビューを果たす。しかし第7節のTASAKIペルーレFC戦で左膝前十字靭帯を断裂。それから2年間はリハビリのため試合から遠ざかっていた。 2007年の日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)第8節・清水第八プレアデスとの試合で約2年1ヶ月ぶりに試合に復帰。リーグ終盤よりレギュラーとして試合に出場するようになった。
若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、… 若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。福山平成大学福祉健康学部健康スポーツ科学科講師、サッカー部監督。 府中高校サッカー部に所属し、丹下大が同級に当たる。高校卒業後、筑波大学へ進学。興津大三、佐藤一樹らが同級生。天皇杯にも出場した。 1997年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は川島眞也、安武亨、荒木亮次など。リーグ戦・カップ戦合わせて3試合出場。1年で広島を退団。1998年5月に府中高校サッカー部コーチに就任。1999年4月より広島県立戸手高等学校に転じた。また、同時期に中国サッカーリーグ・NKK福山サッカー部でプレーした。
古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は… 古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは、ディフェンダー(DF)。一時期、登録選手名を"考功"から"芳昇"に改名(読みは同じ)していた事がある。 大学卒業後、香川紫雲クラブ (現:カマタマーレ讃岐)を経て、1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスに加入。以後ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格、アビスパ福岡へとプロ化した直後のチームをキャプテンとして支え、1998年末にはJ1参入決定戦で川崎フロンターレやコンサドーレ札幌を破りJ2降格回避に貢献した。 1999年にJ2・FC東京に移籍。プロ化及びJリーグ加盟初年度のチームにおいて、Jリーグ経験者として守備陣をバックアップし、激しくパワフルなプレーでチームの精神的支柱として活躍した。
今川 正浩(いまがわ まさひろ、1960年10月28日 - … 今川 正浩(いまがわ まさひろ、1960年10月28日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手(FW)・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現東海大学競技スポーツ学科専任准教授、サッカー部総監督(2024年–)。 福山市立樹徳小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校–東海大学卒。大学卒業後、1983年にマツダに入社。同期に小林伸二、信藤克義ら。現役時代はマツダSCでプレー。1987年、信藤と共にマツダのプロ契約第1号となる。同年には、高橋真一郎、猿沢茂、ディド・ハーフナーらと共に天皇杯決勝進出に貢献した。 現役引退後、母校の東海大学体育学部特任教員などを経て、1999年に東海大学体育会サッカー部監督に就任。
森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011… 森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011年7月17日)は、広島県福山市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー。サッカー日本代表として56試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。
石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 20… 石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジタ工業(旧、藤和不動産/現、湘南ベルマーレ)監督、元日本代表監督。2001年よりFC東京アドバイザー。 福山市立西小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校卒。石井らの時代に広島でサッカーが盛んだったのは広島市内だけで、福山の高校にサッカー部があったのは葦陽高校と広島大学福山分校の二校だけだった。当時の葦陽高校のグラウンドは福山城下にあり、野球、ラグビー、サッカー、陸上と共用で狭く、生徒総会で野球、ラグビー、サッカーのどのボールが一番危ないかの投票があり、断然野球が多く、野球部が潰れたという。
森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島… 森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島県福山市生まれ、広島市育ちの元サッカー選手。木之本興三と共にJリーグを創設した最大の功労者である[3][4][5][6][7][8][9]。