スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広… 奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。プロでは育成選手だった。 府中市立第一中学校では軟式野球部に所属し県大会に優勝。 広島県立府中高等学校では甲子園出場はなく、3年夏の県大会は3回戦敗退。 筑波大学理工学群社会工学類に一般受験で現役合格し野球部に入部。首都大学リーグ戦では主にリリーフとして登板。3年までの登板数はわずか5試合であり目立たなかったが、4年時に自己最速の151km/hを記録し、8月に行われた巨人三軍とのプロアマ交流戦で1回を無失点に抑えるなど、急速にレベルアップしドラフト候補に浮上した。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツより育成ドラフト9位で指名を受け、11月28日に支度金300万円、年俸400万円(推定)で仮契約を結んだ。
町本 絵里(まちもと えり、1983年8月14日 - )は、… 町本 絵里(まちもと えり、1983年8月14日 - )は、日本のモデル、歌手、女優である。2004年(平成16年)の『ミス・ユニバース・ジャパン』である。所属事務所はアーブル。 広島県福山市出身。広島県立府中高等学校を経て、日本大学経済学部卒業。兄が2人いる。 大学1回生のとき、ミスキャンパス「ミス日大」の受賞者となった。大学では産業経営学科に所属し、小林晃ゼミで貿易売買論を受講した。また、在学中にはイギリスのケンブリッジ大学へ短期留学した。 2004年(平成16年)ミス・ユニバース・ジャパンで優勝し、エクアドルで開催された世界大会であるミス・ユニバース2004に日本代表として出場した。 2005年(平成17年)『まだまだあぶない刑事』でスクリーンデビュー。
松浦 淳 (まつうら あつし、1982年1月10日 - )… 松浦 淳 (まつうら あつし、1982年1月10日 - ) は、広島県出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 東京学芸大学卒業後、2004年に水戸ホーリーホックに入団。同年の5月19日にデビューし、2得点を挙げた。2004年シーズンの終わりに引退した。
吉田 信夫(よしだ のぶお、1977年2月2日 - )は、ア… 吉田 信夫(よしだ のぶお、1977年2月2日 - )は、アップ教育企画が運営する学習塾お茶ゼミ√+の数学講師である。以前は同企業の別部門である研伸館にて講師をしていた。独特な授業をすることで知られている。 以上の他、東京出版の『大学への数学』、現代数学社の『理系への数学』にも多数記事を掲載している。
丹下 大(たんげ まさる、1974年9月22日 - 、男性)… 丹下 大(たんげ まさる、1974年9月22日 - 、男性)は、日本の実業家。株式会社SHIFT創業者・代表取締役社長。 広島県神石高原町出身。両親ともに公務員で兄が一人の家庭で育つ。小学校四年生の時、母親に「何をやってお金を稼ぐの?」と聞かれ、その時はプロ野球選手になると答えたが、小学校六年生の時、日本の全人口のうちプロ野球選手になれる人数は少なく、自分がプロ野球選手になるのは極めて困難であると判断し、以後、代替案として経営者になることを目指した。 広島県立府中高等学校、同志社大学工学部機械工学科卒業後、フリーターを経て京都大学大学院工学研究科機械理工学専攻修了。2000年に新卒として製造業向けコンサルティング会社のインクス(現SOLIZE)に入社。
若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、… 若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。福山平成大学福祉健康学部健康スポーツ科学科講師、サッカー部監督。 府中高校サッカー部に所属し、丹下大が同級に当たる。高校卒業後、筑波大学へ進学。興津大三、佐藤一樹らが同級生。天皇杯にも出場した。 1997年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は川島眞也、安武亨、荒木亮次など。リーグ戦・カップ戦合わせて3試合出場。1年で広島を退団。1998年5月に府中高校サッカー部コーチに就任。1999年4月より広島県立戸手高等学校に転じた。また、同時期に中国サッカーリーグ・NKK福山サッカー部でプレーした。
YOSHIKO(よしこ、1969年10月11日 - )は、日… YOSHIKO(よしこ、1969年10月11日 - )は、日本の振付師、ダンサーである。広島県出身。主にハロー!プロジェクトの楽曲の振付を手掛ける。 Week End Survivor
安藤 雅司(あんどう まさし、1969年1月17日 - )は… 安藤 雅司(あんどう まさし、1969年1月17日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督。広島県出身。 邦画歴代興行収入ランキング2位の『千と千尋の神隠し』と3位の『君の名は。』と4位の『もののけ姫』で作画監督を担当した日本のトップアニメーター。 基本的にリアル指向で絵柄もそのようなものを得意とするがある程度の「アニメ絵」っぽさもあり、リアルな中にもソフトな感じがある。例えば現実の存在である人間も空想上の存在である妖怪も両方描けるということである。 スタジオジブリの先輩であり、苦楽を共にした近藤喜文を師と仰ぎ、尊敬している。近藤からは作画における人物の捉え方や動作の描き方などの技術面からアニメーションの仕事に取り組む姿勢まで、多大な影響を受けている。
シャオヘイ(xiaohei、1969年 - )は、日本の飲食… シャオヘイ(xiaohei、1969年 - )は、日本の飲食文化ライター、食の評論家、ブロガー、行政書士、講師。広島県出身。快食.com主宰。シャオヘイ行政書士事務所代表。広島県内を食べ歩いて30年になる。本名・池上弘一。 1969年、広島県に生まれる。広島県立府中高等学校を卒業し、広島県庁に入庁し職員になり、商工労働局にて長年奉職。 1998年、ハンドルネーム「シャオヘイ」(漢字表記:小黒)としてウェブサイト「広島快食案内」を開設。メディアに姿は見せず、広島県出身で広島市在住のサラリーマンというプロフィールで活動。後にサイト名を「快食.com」と改名する。 広島ガイドメールマガジン「広島食べ歩き」を執筆。
森友 嵐士(もりとも あらし、1965年10月30日 - )… 森友 嵐士(もりとも あらし、1965年10月30日 - )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ。血液型AB型。既婚。2児の父。 ロックバンド・T-BOLANのボーカリストとしてデビューし、T-BOLANのほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。 広島県府中市出身。東海大学理学部化学科卒業。音楽活動のほか、2019年1月18日から東峰村復興親善大使。2019年6月6日から府中ロマン親善大使。 ※Youtubeで公式に視聴できる。 森友嵐士(Vo)と鬼龍院翔(Vo)によるユニット
ak(エーケー、1964年12月10日 - )は、日本の女性… ak(エーケー、1964年12月10日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名はアケミ・クリビット(Akemi Krivit)、旧活動名・旧姓名は柿原 朱美(かきはら あけみ)で、「ak」はそのイニシャル。愛称はカッキー。 広島県福山市出身、ニューヨーク在住。ユニバーサルミュージック所属。
ak(えーけー、1964年12月10日 - )は日本の女性シ… ak(えーけー、1964年12月10日 - )は日本の女性シンガーソングライター。本名はAkemi Krivit(アケミ・クリビット)、旧アーティスト名・旧姓は柿原 朱美(かきはら あけみ)で、「ak」はそのイニシャル。愛称はカッキー。
丸山 秀治(まるやま ひではる、1964年〈昭和39年〉7月… 丸山 秀治(まるやま ひではる、1964年〈昭和39年〉7月 - )は、日本の法務官僚。出入国在留管理庁長官。 広島県神石郡神石高原町出身。1983年広島県立府中高等学校卒業。1987年広島大学法学部卒業、法務省入省。2011年法務省入国管理局参事官。2012年法務省入国管理局出入国管理情報官。2013年法務省入国管理局審判課長。2015年法務省入国管理局入国在留課長。2019年出入国在留管理庁在留管理支援部長。2021年出入国在留管理庁出入国管理部長。2023年出入国在留管理庁次長、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)兼内閣情報調査室。2024年出入国在留管理庁長官。
宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - … 宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - 2017年12月11日)は、日本の経営者。青山商事社長、会長を務めた。 広島県出身。1963年に広島県立府中高校を卒業し、1964年に青山商事に入社。1987年12月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格。2005年に理に社長を譲り副会長を経て、2009年6月から会長を務めた。 2017年12月11日、死去。72歳没。
吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2… 吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2014年1月5日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。専門は華厳、東アジア仏教思想。学位は、博士(仏教学)(駒澤大学・乙種)。駒澤大学教授。駒澤大学仏教経済研究所所長を務めた。広島県府中市出身。 1943年、広島県府中市の曹洞宗松林寺に生まれる。広島県立府中高等学校卒業後、駒澤大学仏教学部に進学。1966年に卒業。同級生の石井修道(同大教授)・袴谷憲昭(同大教授)と共に三羽烏と称された。同大学院進学、鎌田茂雄・宮本正尊の両師に師事、1971年に同大学院博士課程満期退学。1980年に『阿毘達磨倶舎論索引』(平川彰らとの共同研究)で日本学士院賞受賞、日本印度学仏教学会賞も受賞。
小川 英光(おがわ ひでみつ、1942年 - )は、日本の情… 小川 英光(おがわ ひでみつ、1942年 - )は、日本の情報工学者。東京工業大学名誉教授。元電子情報通信学会情報・システムソサイエティ会長。 1960年広島県立府中高等学校卒業。1965年東京工業大学理工学部電子工学科卒業、通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所。1972年東京工業大学電気工学科助手。1977年東京工業大学より論文博士として工学博士の学位を取得。飯島泰蔵に師事。 1978年東京工業大学情報工学科助教授。1984年ヘルシンキ工科大学客員教授。1987年東京工業大学情報工学科教授。2001年東京工業大学大学院情報理工学研究科長。研究室の指導学生に杉山将東京大学教授や、平林晃衆議院議員など。
藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )… 藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )は、日本の法学者。専門は民法。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1975年)(学位論文『自動車交通事故による損害の補償―交通災害保険化構想への総論的展望(1)~(2完)』)。広島県出身。 1979年3月から1981年3月にいたる2年間
根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 20… 根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 2009年11月27日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(捕手、投手)・コーチ・監督。 1945年8月6日の原爆投下直前まで広島市に住んでいたが、現在の府中市に疎開して難を逃れた。 中学時代は大分県別府市で育ち、河村英文は根来の姉と高校が同級である。 府中高校時代はエースで、県内では有名な投手であった。当時の広島はレベルが高く、広瀬叔功・木下強三ら県内の同期は7人がプロ入りした。 卒業後の1955年に東京鉄道管理局へ入部すると、1956年には熊谷組の補強選手として都市対抗に出場。決勝に進出し日本石油の藤田元司と投げ合うが惜敗、準優勝にとどまった。
浦上 浩(うらかみ ひろし、1936年6月24日 - )は、… 浦上 浩(うらかみ ひろし、1936年6月24日 - )は、日本の経営者。リョービ相談役。同社社長、会長を務めた。 広島県出身。東京で生まれ育ち、小学2年生だった1944年に父の郷里である広島県芦品郡岩谷村(現在の府中市目崎町)へ家族で移り住む。1955年広島県立府中高等学校を卒業、1959年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、広島市にある大学の工学部の工業経営学科で学び、1960年1月、に菱備製作所(のちのリョービ)に入社した。1969年に取締役に就任し、1972年に父で創業者の浦上豊社長が急逝したことから二代目社長に就任。1980年から仕事の都合により再び東京に住む。1998年11月に藍綬褒章を受章。
小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 20… 小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 2021年2月26日)は、日本の部落解放運動家、政治家。部落解放同盟広島県連合会委員長、同中央本部書記長、広島県府中市議会議員(3期)、衆議院議員(2期)、新社会党中央執行委員長などを歴任し、解放同盟広島県連顧問を務めた。 広島県府中市出身。1951年、広島県立府中高等学校卒。1961年、広島県青年連合会会長となる。 1962年、日本社会党に入党。部落解放同盟の専従活動家として頭角を現し、1960年代後半に表面化した解放同盟分裂に際しては、日本共産党主導の広島県連に対抗して中央本部につながる広島県連再建に尽力し、県連委員長に就任、福山市、三原市など県東部を中心に組織拡大に成功、広島市内の組織をほぼ維持するにとどまった従前県連を圧倒した。
渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 -… 渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 府中高校から明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは1952年秋季リーグで打率.333の記録を残し、同じ明大の岩崎亘利と首位打者を分け合う。1953年秋季リーグでは、秋山登らの好投もあって戦後初優勝を飾った。リーグ通算71試合出場、227打数57安打、打率.251、0本塁打、26打点。 1954年に国鉄スワローズへ入団。1年目から一軍に上がり、9月から遊撃手として36試合に先発出場。一番打者としても20試合に起用される。その後も中村栄、大久保英男と定位置を争い、5年目となる1958年にはレギュラーを獲得した。
栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 20… 栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 2010年6月30日)は、日本の書家。本名は靖。広島県福山市駅家町出身。 1950年広島県立府中高校卒業後、4年間天満屋デパートに勤務。1954年、脱サラして村上三島に師事し、大阪に住む。1962年、第5回日展で特選受賞。1965年、蘆交会を主宰し、書道文化の普及や後進の育成に尽力。1969年、改選第1回日展審査員就任、以後12回務める。1988年、日展文部大臣賞、1994年、日本芸術院賞などを受賞。日本を代表する書家として活躍した。翌1995年、日展理事就任。2001年、日本書芸院理事長に就任。同年、勲四等旭日小綬章受章。日展常務理事、全国美術振興会常務理事なども務めた。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008… 青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008年1月15日)は、日本の実業家。『洋服の青山』の名称で知られる紳士服チェーン大手、青山商事の創業者。広島県府中市出身。日本でいち早く郊外型店舗を導入したとされる。讀賣テレビ放送社長を務めた青山行雄、第3代府中市長を務めた青山春雄は実兄。青山商事社長の青山理は長男。
日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 200… 日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家、文芸評論家。東大社会学科卒。新聞社特派員としての韓国・ベトナム駐在経験が創作の基調。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。『あの夕陽』(1975年)で芥川賞受賞。日本芸術院会員。 東京府豊多摩郡生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1… 古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本の文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」。 広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業。1950年、早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業。 高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義・戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
平 参平(たいら さんぺい、本名:橘高 文夫、別名:近松 小… 平 参平(たいら さんぺい、本名:橘高 文夫、別名:近松 小二郎、1916年11月10日-1986年9月14日)は、日本の喜劇俳優。吉本新喜劇の男優。広島県府中市中須出身。吉本興業所属。岡八朗、花紀京、山田スミ子、木村進、桑原和男らとともに吉本新喜劇の黄金時代を担った看板座長。
姿 節雄(すがた せつお、1916年 <大正5年> 5月15… 姿 節雄(すがた せつお、1916年 <大正5年> 5月15日 - 1999年 <平成11年> 2月18日)は日本の柔道家(講道館9段)。広島県神石郡神石町(現・神石高原町)古川出身。 子供の頃から柔道を始め(記録上の講道館入門は1932年4月で15歳の時)、1934年の3月に県立府中中学校を卒業する時には全国でも数少ない中学生での3段位に列せられた。 卒業後は上京して明治大学の専門部へ入学し、名人・三船久蔵の内弟子に。入学から3ヵ月後に4段、翌35年1月には2年生の弱冠18歳ながら5段に昇段して同年秋の講道館紅白試合では5段の部で5人抜きを達成している。 3年次の1936年4月30日に福岡市で開催された第1回全日本東西対抗大会(両軍32人ずつの抜き試合)には大会最年少選手として出場し、武専の名手・阿部謙四郎5段をあっさり横四方固で降したものの、続く南満州鉄道の加藤幸蔵5段には跳巻込で敗れた。
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月2… 木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月27日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。 広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、養父の結核発病に伴い家業を継ぐために転学した。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島県福山市の実家で薬局を営む。以後、終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4… 江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。 1909年(明治42年)9月4日、広島県芦品郡有磨村下有地(現・福山市芦田町)に農家の九右衛門とキタの三男として生まれる。江草家は旧家で代々地主である。江草姓は、同地方の戦国時代の豪族などに見られ、広島と岡山の県境に多く見られる。 1925年(大正14年)、海軍兵学校と陸軍士官学校の両方を合格。江草は海兵に行く気だったが、入校直前の身体検査で結核と誤診されて海兵57期には入校できなかった。
浦上 豊(うらかみ ゆたか、1909年7月20日 - 197… 浦上 豊(うらかみ ゆたか、1909年7月20日 - 1972年7月19日)は、日本の実業家。菱備製作所(現・リョービ)創業者。 広島県芦品郡岩谷村(現在の同県府中市目崎町)生まれ。肥料商の長男。旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に江草隆繁、岡崎平夫ら。東京株式取引所に就職し、夜学の日本大学専門部商業学科に通い1930年卒業。成瀬証券を経て東京で友人と工具やベルト販売の会社を設立。1943年設立された三菱電機福山工場(現・福山製作所)が航空機部品の協力企業を探していることを耳にして交渉の末、34歳で帰郷し、岩谷村に醤油蔵を改造したダイカスト工場建屋を完成させ、第1号製品を三菱電機に納入した。
岡崎 平夫(おかざき ひらお、1909年(明治42年)2月1… 岡崎 平夫(おかざき ひらお、1909年(明治42年)2月1日 - 1993年(平成5年)12月27日)は、日本の政治家。第22 - 26代岡山市長で、歴代最多の5期務めた。岡山市名誉市民。 旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に江草隆繁、浦上豊ら。徳島高等工業学校(現・徳島大学)卒業後、大阪市水道局に就職したが応召、ボルネオで終戦を迎えた。帰国を待つ間に大腸ガンを2度手術、1946年病院船で帰国。 戦後の1947年、大阪に水道工事会社を設立後、翌1948年吹田市水道部長に転職。1952年関西大学第二部法学部を卒業。岡山市水道局長を経て、1963年岡山市長に初当選、以来連続5期20年在任し、歴代の岡山市長では最も長く市長を務めた。