福田 良彦(ふくだ よしひこ、1970年〈昭和45年〉6月1… 福田 良彦(ふくだ よしひこ、1970年〈昭和45年〉6月14日 - )は、日本の政治家。山口県岩国市長(5期)。衆議院議員(1期)、山口県議会議員(1期)、岩国市議会議員(1期)を務めた。 山口県岩国市生まれ。山口県立岩国高等学校、法政大学法学部卒業。法政大学在学中から、山口県選出衆議院議員・吹田愰の事務所でアルバイトをしており、大学卒業後は吹田の秘書を務める。 1999年、岩国市議会議員選挙に出馬し、トップ当選した。2003年、山口県議会議員選挙に出馬し、当選。 2005年、佐藤栄作元首相の息子で元通商産業大臣の佐藤信二が第44回衆議院議員総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明する。佐藤は前回の第43回衆議院議員総選挙では山口2区で民主党の平岡秀夫に敗れて比例復活しており、保守王国といわれる山口県の一角が切り崩されていたため、佐藤の後継候補の擁立は難航していた。
北島 邦彦(きたじま くにひこ、1959年8月29日 - )… 北島 邦彦(きたじま くにひこ、1959年8月29日 - )は、日本の政治家、新左翼活動家(中核派)。「都政を革新する会」事務局長、東京西部ユニオン副委員長。元東京都杉並区議会議員(1期)。 山口県岩国市生まれ。山口県立岩国高等学校卒業。中央大学法学部法律学科卒業。1982年、読売広告社に入社し、同社労働組合の執行役員を務める。1985年に退社し、「都政を革新する会」に所属。同年、国電同時多発ゲリラ事件に参加し逮捕され、懲役6年の実刑判決を受けて、約6年半の獄中生活を送った。 2003年、杉並区議会議員選挙に出馬するも落選。2005年8月、杉並区長の山田宏が推進する新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の採択をめぐり、暴行の現行犯で逮捕された(杉並区歴史教科書採択騒動)。
井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7… 井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7日 - )は、日本の政治家、労働官僚。山口県岩国市長(2期)を務めた。市民政党「草の根」代表。 1950年(昭和25年)、山口県玖珂郡錦町(現・岩国市錦町)生まれ。山口県立岩国高等学校を経て東京大学法学部を卒業し、1976年(昭和51年)に当時の労働省に入省。同期に金子順一元厚生労働事務次官、松井一實広島市長など。労働大臣秘書官、職業安定局業務調整課長、労働福祉事業団総務部長を歴任する(この間に人事交流の一環で1984年(昭和59年)には長野県職業安定課長として、1986年(昭和61年)には在タイ日本国大使館一等書記官としてそれぞれ赴任している)。
重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月… 重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、日本の政治家、実業家。 参議院議長(第8-10代)、参議院副議長(第4代)、運輸大臣(第24代)を歴任。 山口県岩国市出身。1912年(明治45年)3月、東京高等工業学校附属工業補習学校(現東工大附属高専攻科)を卒業して兄重宗芳水が創業した明電舎に入社、1938年(昭和13年)社長。1946年(昭和21年)8月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。同郷の岸信介、佐藤栄作兄弟に懇請される形で1947年4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選する。
中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月… 中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月23日 - 1965年(昭和40年)9月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。中島と表記する事例がある。 山口県玖珂郡川越村(周東町を経て現岩国市周東町)で、中嶋佐吉の長男として生まれる。小学校を卒業した。 下関唐戸乾物商業組合理事、日満大豆製粉工業取締役社長、中嶋重石鉱業取締役社長、日満食品工業取締役社長、仁田鉱山取締役などを務めた。 政界では、下関市会議員に選出され、同副議長も務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で山口県第2区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、民主党山口県支部長などを務めた。
林 路一(はやし ろいち、1890年8月1日 - 1938年… 林 路一(はやし ろいち、1890年8月1日 - 1938年6月27日)は、日本の政治家。正五位勲四等、衆議院議員。 1890年(明治23年)8月1日、山口県にて、明治政府の地価調査事業に際し賀見畑村地主総代人として官命を果たした先代・福蔵の長男として生まれる。 2歳の時に福蔵の破産と、福蔵の弟である清輔一家の屯田兵家族としての移住に伴い父母に伴われて北海道上川郡当麻村(現 当麻町)に移住。1907年(明治40年)、17歳の時に日給45銭の同村役場臨時雇となり、後昇任して、1919年(大正8年)に28歳にして同村の村長となった。その後8年にわたり村長を務め、役場職員の時代を含めると20年にわたり村政に携わったこととなる。
永田 新之允(ながた しんのじょう、明治4年4月8日(187… 永田 新之允(ながた しんのじょう、明治4年4月8日(1871年5月26日) – 昭和46年(1971年)6月21日)は、日本の衆議院議員(憲政会→中正倶楽部→新正倶楽部)。岩国市長。ジャーナリスト。 周防国玖珂郡岩国(現在の岩国市)出身。扶桑新聞社で活版職工として勤務。1888年(明治21年)より名古屋逓信管理局、東京逓信管理局、横浜郵便電信局、東京郵便電信局で勤務した。1896年(明治29年)に読売新聞社記者、編集局長となる。その後、国民新聞社に転じ、1902年(明治35年)には理事・編集長となった。さらに1904年(明治37年)に実業之日本社に移り、理事、編集長、営業部長、総務部長を歴任した。
山本 六彦(やまもと ろくひこ、1857年2月12日(安政4… 山本 六彦(やまもと ろくひこ、1857年2月12日(安政4年1月18日)- 1899年(明治32年)6月25日)は、日本の地主、政治家、衆議院議員(1期)。 周防国玖珂郡(山口県玖珂郡高森村、高森町、周東町を経て現岩国市)生まれ。農業を営む。第四大区第十小区戸長となり、1889年(明治22年)6月から1891年(明治24年)7月まで初代高森村長を務めた。 1895年、小田伴輔辞職に伴う衆議院山口5区の補欠選挙に立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1899年に死去した。
江木 千之(えぎ かずゆき、1853年5月21日〈嘉永6年4… 江木 千之(えぎ かずゆき、1853年5月21日〈嘉永6年4月14日〉- 1932年〈昭和7年〉8月23日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の文部・内務官僚、政治家。号は狂塢。 文部省普通学務局長、内務省県治局長、茨城・栃木・愛知・広島各県知事、貴族院議員、文部大臣、皇典講究所長、全国神職会長、枢密顧問官を歴任した。 周防国岩国藩出身。岩国藩士・江木仙左衛門俊敬の長男として生まれる(幼名・吉太郎)。1870年(明治3年)、藩命により大阪開成所で外国語を学び、翌年より開拓使仮学校、大学南校、工部省工学寮などに学ぶ。1874年(明治7年)に文部省に出仕し、会計局副長、視学官、参事官、普通学務局長を歴任。
硲 俊聡(俊聰、はざま しゅんそう、1853年1月24日(嘉… 硲 俊聡(俊聰、はざま しゅんそう、1853年1月24日(嘉永5年12月15日) - 1931年(昭和6年)8月30日)は、明治から昭和初期の教育者、政治家。衆議院議員、第5代・10代山口県会議長、山口県玖珂郡伊陸村長、同郡神代村長。旧姓・村岡、旧名・米村平之進。 周防国玖珂郡神代村原(山口県玖珂郡神代村、由宇町を経て現岩国市)で、村岡伝左衛門の三男として生まれる。兄に村岡柳太郎。 米村家の養子となるが、その後、伊陸村の硲家の養子となる。幼くして学問を好み、藩儒の東沢瀉に学び、和漢学を修めた。戊辰戦争では精義隊に入隊し中央隊長として奥羽に出征した。 大阪開成所(のち大阪英語学校)で仏蘭西学を学び、1878年(明治11年)官立大阪師範学校を卒業した。
沖原 光孚(おきはら こうふ、1848年4月6日〈嘉永元年3… 沖原 光孚(おきはら こうふ、1848年4月6日〈嘉永元年3月3日〉- 1931年〈昭和6年〉9月11日)は、明治から昭和初期の日本陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。男爵。 岩国藩士・松浦周蔵の四男として生まれ、沖原為蔵の養子となる。精義隊士として戊辰戦争に従軍。 1871年(明治4年)、陸軍中尉。御親兵第7番大隊付、第14番大隊付、東京鎮台第1大隊付などを経て、陸軍戸山学校に学ぶ。第8大隊付、歩兵第3連隊付、歩兵第2連隊中隊長などを歴任し、1877年(明治10年)3月から11月まで西南戦争に出征した。 別働第1旅団歩兵第1大隊長、歩兵第2連隊副官、歩兵第10連隊大隊長、近衛歩兵第1連隊大隊長、陸軍省人事局次長、総務局第4課長、人事課長、第2師団参謀長、陸軍教導団長などを歴任し、日清戦争には歩兵第13連隊長として出征した。
大谷 靖(おおたに / おおや やすし、弘化元年9月14日〈… 大谷 靖(おおたに / おおや やすし、弘化元年9月14日〈1844年10月25日〉 - 1930年〈昭和5年〉3月6日)は、明治から昭和初期の内務官僚、政治家。貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。位階および勲等は正三位、勲二等。 周防国玖珂郡岩国城下錦見(山口県玖珂郡岩国町を経て現岩国市)で、岩国藩士・大谷権左衛門の長男として生まれる。文武を修め、1871年(明治4年)福岡県に出仕。福岡県権典事、大蔵権少丞、太政官少書記官、大蔵少書記官、大蔵権大書記官、内務権大書記官、内務省会計局長、同庶務局長、社寺局長心得、内務書記官・造神宮副使などを歴任した。 1914年(大正3年)に退官後は済生会理事長を務めた。
平岡 秀夫 は、日本の政治家、大蔵官僚、弁護士。