スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石田 ニコル(いしだ ニコル、1990年〈平成2年〉5月29… 石田 ニコル(いしだ ニコル、1990年〈平成2年〉5月29日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント、女優。長崎県佐世保市生まれ、山口県岩国市出身。アミューズ所属。神コレモデルオーディション2010グランプリ。 アメリカ人の父と日本人の母との間に長崎県佐世保市で生まれ、山口県岩国市で育つ。弟がいる。5歳まで広島でモデルの仕事をしていたが歯が抜けて辞めていた。中学生のときに福岡で従妹と買い物をしている時にスカウトされ、地方で活動した後、アミューズにスカウトされる。山口県立岩国高等学校を卒業後、大学進学のために上京し、医療系の大学の診療放射線学科で診療放射線技師を目指して勉強をしていた。
廣木 弓子(ヒロキ ユミコ、1982年8月1日 - )は、山… 廣木 弓子(ヒロキ ユミコ、1982年8月1日 - )は、山口県岩国市出身のフリーアナウンサー、歌手である。静岡エフエム放送(K-MIX)の元アナウンサー・ラジオパーソナリティである。 山口県立岩国高等学校卒業後、広島修道大学人文学部英語英文学科に入学した。在学中から、広島市でラジオのリポーターとして活動した。 卒業後、2005年に静岡エフエム放送(K-MIX)に入社。同局の入社試験は私服試験のため、青いアロハシャツで受験した。また、試験の中には「みかんのお水・ちゅう」のキャンペーンソングを担当させる人材を探すための歌唱テストがあり、テレサ・テンの「つぐない」を歌った。入社後、実際に「ちゅう」のオリジナルソングを2005年から2012年まで8年連続で担当し、「シンギング・パーソナリティ」と呼ばれた。
岩政 大樹(いわまさ だいき、1982年1月30日 - )は… 岩政 大樹(いわまさ だいき、1982年1月30日 - )は、山口県大島郡周防大島町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。東京学芸大学(教育学部・数学専攻)卒業。サッカー指導者。 現役時代は鹿島アントラーズのJ1リーグ3連覇に貢献。引退後は解説者、指導者として活動している。 瀬戸内海に浮かぶ屋代島(周防大島)の出身。大島町立沖浦西小学校(現・周防大島町立沖浦小学校)2年生時、3歳上の兄とサッカーボールで遊んでいたことをきっかけにサッカーを始めたという。島内の大島スポーツ少年団、及び島外の周東FC(熊毛郡平生町)へは祖父母や両親が送り迎えしてもらって通う。
西本 竜洋(にしもと たつひろ、1980年4月29日 - )… 西本 竜洋(にしもと たつひろ、1980年4月29日 - )は山口県出身の一級建築士、元プロサッカー選手。現役時代は湘南ベルマーレに所属していた。愛称はノッチ。(お笑い芸人、デンジャラスのノッチに似ていた事に由来しており、スーパーサッカーのクラブCMコンテストでもネタにされた)。 山口県立岩国高等学校卒業後、1999年にベルマーレ平塚に入団。同年のJリーグ・ディビジョン1 2ndステージ・名古屋グランパスエイト戦にてデビュー、その試合で2ゴールを挙げる。 その後、湘南ベルマーレに引き続き在籍するが、怪我などに見舞われ出場機会は減少。2002年末に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退。 現役引退後の2003年に広島工業大学専門学校に入学し、一級建築士の資格を取得。
河内 大和(こうち やまと、1978年12月3日 - )は、… 河内 大和(こうち やまと、1978年12月3日 - )は、日本の俳優。山口県岩国市出身。COME TRUE所属。ジーガレージシェイクスピア道カンパニー「G.GARAGE///」主宰。 山口県岩国市出身。山口県立岩国高等学校卒業。雪国に住んでみたいと受験した北海道大学に不合格となり、後期日程の新潟大学工学部建設学科に合格し、入学と同時に新潟大学演劇研究部に入部。演劇に傾倒し、4年目に一年休学したうえで大学は中退した。 休学と同じくして新潟市に大型のホール・りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)が建立され、俳優養成の劇団も立ち上がり、そこでシェイクスピアの作品『夏の夜の夢』に出会う。 アルバイトで生活しながら、2000年、『リチャード三世』(東京公演)のケイツビー役で俳優デビュー。
佐々生 佳典(ささお よしのり、1978年10月14日 - … 佐々生 佳典(ささお よしのり、1978年10月14日 - )は、NHKのアナウンサー。 山口県岩国市出身、山口県立岩国高等学校を経て、一橋大学社会学部を卒業後、2003年(平成15年)4月にNHKに入局。 主にスポーツ番組で活躍。
末廣 健児(すえひろ けんじ、1975年 - )は、日本の作… 末廣 健児(すえひろ けんじ、1975年 - )は、日本の作曲家・編曲家・マンドロンチェロ奏者。 岩国市美和町生まれ。現在は京都府宇治市に在住。4歳からエレクトーンを始め、作曲の基礎を学ぶ。15歳の時、自作曲にてヤマハジュニアオリジナルコンサートに出演。その後、岩国高等学校プレクトラムアンサンブル部にてマンドロンチェロを始め、京都大学入学後は同大学マンドリンオーケストラにて指揮者を務めた。 大学卒業後、井上泰信主宰のARSNOVA Mandolin Orchestraに結成当初より所属。マンドロンチェロ首席奏者や指揮者を務めた他、ARSNOVA Mandolin QuartetおよびARSNOVA Mandolin Ensembleにもマンドロンチェロ奏者として参加しながら、同団体での演奏ピース全般の編曲を担当。
塩屋 紀克(しおや ただよし、1972年10月13日 - )… 塩屋 紀克(しおや ただよし、1972年10月13日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 山口県岩国市出身。山口県立岩国高等学校を経て、広島大学総合科学部を卒業後、1995年に入局。 好きな食べ物はポン酢。 地域職員(地元要員)として転向。
福田 良彦(ふくだ よしひこ、1970年〈昭和45年〉6月1… 福田 良彦(ふくだ よしひこ、1970年〈昭和45年〉6月14日 - )は、日本の政治家。山口県岩国市長(5期)。衆議院議員(1期)、山口県議会議員(1期)、岩国市議会議員(1期)を務めた。 山口県岩国市生まれ。山口県立岩国高等学校、法政大学法学部卒業。法政大学在学中から、山口県選出衆議院議員・吹田愰の事務所でアルバイトをしており、大学卒業後は吹田の秘書を務める。 1999年、岩国市議会議員選挙に出馬し、トップ当選した。2003年、山口県議会議員選挙に出馬し、当選。 2005年、佐藤栄作元首相の息子で元通商産業大臣の佐藤信二が第44回衆議院議員総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明する。佐藤は前回の第43回衆議院議員総選挙では山口2区で民主党の平岡秀夫に敗れて比例復活しており、保守王国といわれる山口県の一角が切り崩されていたため、佐藤の後継候補の擁立は難航していた。
周防 柳(すおう やなぎ、1964年12月21日 - )は、… 周防 柳(すおう やなぎ、1964年12月21日 - )は、日本の小説家。本名:非公表。東京都練馬区出身。 東京都練馬区で生まれ、5歳から小学3年生まで広島県大竹市で、小学4年生から高校卒業まで山口県岩国市で育つ。岩国市立岩国小学校、岩国市立岩国中学校、山口県立岩国高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、三井石油化学(現・三井化学)に入社。その後、編集プロダクション勤務を経てフリーの編集者・ライターとなる。 父親は陸軍軍人の子として広島に生まれ、中学生のとき被爆。その父親をモデルとした「八月の青い蝶」(「翅(はね)と虫ピン」を改題)で2013年、第26回小説すばる新人賞を受賞。作家活動に入る。2015年、「八月の青い蝶」で第5回広島本大賞受賞。
片塰 満則(かたあま みつのり、1964年6月15日 - )… 片塰 満則(かたあま みつのり、1964年6月15日 - )は、日本のコンピュータグラフィック (CG) アニメーションディレクター。山口県岩国市出身。カタアマ光画設計所属。 中学1年生の頃に観た『宇宙戦艦ヤマト』劇場版よりアニメの魅力を知る。岩国高等学校を卒業後、1984年に東京藝術大学美術学部デザイン科に入学し、藤幡正樹に師事して3DCGの道へ進む。 1990年1月、大学を中退し、映像制作会社リンクスに中途採用として入社。OVA『マクロスプラス』やテレビアニメ『マクロス7』で3DCGとセルアニメのマッチングに挑戦する。 1994年秋、『マクロスプラス』『マクロス7』のために制作した3DCGのデモリールを携え、スタジオジブリでプレゼンを行う。
森本 章倫(モリモト アキノリ、1964年(昭和39年)4月… 森本 章倫(モリモト アキノリ、1964年(昭和39年)4月 - )は、日本の交通工学者、都市計画研究者。第38代日本都市計画学会会長。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員、宇都宮大学助手、助教授、教授などを経て、現在は早稲田大学理工学術院 創造理工学部教授。博士(工学) (早稲田大学)、技術士(建設部門)。日本都市計画学会会長のほか、日本交通政策研究会常務理事、土木学会 コンサルタント委員会 副委員長。芳賀・宇都宮LRT協議会会長。専門は土木計画学、交通工学。山口県出身。 山口県岩国市生まれ。岩国市立麻里布小学校、岩国市立麻里布中学校、山口県立岩国高等学校を経て、1983年04月 早稲田大学 理工学部 土木工学科 (現・社会環境工学科)入学。
真柴 あずき(ましば あずき、本名:佐々木直美、1964年3… 真柴 あずき(ましば あずき、本名:佐々木直美、1964年3月20日 - )は、日本の女優、演出家、劇作家、脚本家。山口県岩国市出身。演劇集団キャラメルボックス所属。 山口県立岩国高等学校、早稲田大学第二文学部文芸専攻卒業。学生劇団「てあとろ50'」を経て、成井豊・加藤昌史等と共に1985年、演劇集団キャラメルボックスを旗揚げ。 1993年『四月になれば彼女は』で劇作家デビュー。以後、成井豊と共同(作品のプロットはほぼ彼女が担当)でキャラメルボックス作品の作・演出を年1-2本程度手がける。 また、同劇団員の坂口理恵・声優の緒方恵美と共に、2009年に劇団「ARMs」を旗揚げした。 太字以外は全て成井豊と共同担当している
北川 浩(きたがわ ひろし、1960年3月18日 - )は、… 北川 浩(きたがわ ひろし、1960年3月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、貨幣論・金融論。成蹊大学元学長。 1960年、山口県生まれ。山口県立岩国高等学校を経て、1979年一橋大学経済学部に入学する。1984年に同大学を卒業し、同大学大学院に進む。1986年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1989年博士後期課程単位取得満期退学。指導教官は寺西重郎。 1989年より成蹊大学経済学部専任講師に就く。1992年、成蹊大学経済学部助教授に昇格。1999年、成蹊大学経済学部教授に昇格。2004年より成蹊大学学長補佐。2006年から成蹊大学キャリア支援センター所長を務め、丸の内ビジネス研修を立ち上げる。
北島 邦彦(きたじま くにひこ、1959年8月29日 - )… 北島 邦彦(きたじま くにひこ、1959年8月29日 - )は、日本の政治家、新左翼活動家(中核派)。「都政を革新する会」事務局長、東京西部ユニオン副委員長。元東京都杉並区議会議員(1期)。 山口県岩国市生まれ。山口県立岩国高等学校卒業。中央大学法学部法律学科卒業。1982年、読売広告社に入社し、同社労働組合の執行役員を務める。1985年に退社し、「都政を革新する会」に所属。同年、国電同時多発ゲリラ事件に参加し逮捕され、懲役6年の実刑判決を受けて、約6年半の獄中生活を送った。 2003年、杉並区議会議員選挙に出馬するも落選。2005年8月、杉並区長の山田宏が推進する新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の採択をめぐり、暴行の現行犯で逮捕された(杉並区歴史教科書採択騒動)。
沢田 幸二(さわだ こうじ、1957年〈昭和32年〉12月8… 沢田 幸二(さわだ こうじ、1957年〈昭和32年〉12月8日 - )は元九州朝日放送役員待遇エグゼクティブアナウンサー。山口県岩国市出身。
田中 清行(たなか きよゆき、1957年 - )は、出版社社… 田中 清行(たなか きよゆき、1957年 - )は、出版社社長、編集者、元日本有権者連盟会長。 山口県岩国市錦見出身。山口県立岩国高等学校、上智大学文学部卒業。会社勤務などを経て、1994年に出版社「四谷ラウンド」を設立。佐藤亜紀、兵頭二十八、松原隆一郎、潮匡人などの文芸出版や、『中学生の教科書』シリーズ『下町酒場巡礼』シリーズ、社会政治評論で『政治家の通信簿』などを80点近くの書目を刊行。四谷ラウンド文学賞を設け(第5回まで)、『モンスーン』『40's』などの雑誌を創刊した。2002年11月、四谷ラウンドは倒産し田中は自己破産した。 2004年に市井文学株式会社を設立した。2006年、岩国飛行場の縮小・撤去を掲げて岩国市長選に立候補し落選した。
渡辺 純志(わたなべ じゅんし、1952年8月17日 - )… 渡辺 純志(わたなべ じゅんし、1952年8月17日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(内野手)。 岩国高から、社会人野球の東洋紡岩国に進むがチームが解散。1976年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 1978年には、シーズン中盤に藤田平が一塁手に回り、遊撃手として榊原良行と併用され20試合に先発出場を果たす。翌1979年には真弓明信が遊撃手に定着したこともあり、二塁手、三塁手としても起用され、プロ初本塁打を含む2本塁打を放った。しかしその後は活躍の場に恵まれず、1981年オフに退団、引退した。引退後は喫茶「トーク・トーク」を経営した。 プロ通算34安打であるが、通算21得点を記録している。
中村 克洋(なかむら かつひろ、1951年1月18日 - )… 中村 克洋(なかむら かつひろ、1951年1月18日 - )は、元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー兼広島経済大学教授。 山口県岩国市出身。山口県立岩国高等学校、早稲田大学教育学部を卒業。 1974年4月にNHKに入局。米子放送局(当時)、山口放送局、函館放送局などでの勤務を経て、1981年に東京(放送センター)アナウンス室に配属。『NHKニュースワイド』リポーター、『どんなモンダイQてれび』、『NHKナイトワイド』『スポーツタイム』(土曜日)、『サンデースポーツスペシャル』キャスター、『歴史誕生』などの番組を担当した。 1992年6月、広島放送局へ異動。1994年には広島アジア大会の開会式と閉会式の番組司会を担当。
井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7… 井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7日 - )は、日本の政治家、労働官僚。山口県岩国市長(2期)を務めた。市民政党「草の根」代表。 1950年(昭和25年)、山口県玖珂郡錦町(現・岩国市錦町)生まれ。山口県立岩国高等学校を経て東京大学法学部を卒業し、1976年(昭和51年)に当時の労働省に入省。同期に金子順一元厚生労働事務次官、松井一實広島市長など。労働大臣秘書官、職業安定局業務調整課長、労働福祉事業団総務部長を歴任する(この間に人事交流の一環で1984年(昭和59年)には長野県職業安定課長として、1986年(昭和61年)には在タイ日本国大使館一等書記官としてそれぞれ赴任している)。
松塚 展門(まつつか のぶかど、1950年 - )は、山口県… 松塚 展門(まつつか のぶかど、1950年 - )は、山口県岩国市在住の会社経営者、松屋産業株式会社代表取締役であり、岩国生コンクリート協同組合理事、アロプラス協同組合理事長を務める。 1978年3月に東京工業大学大学院理工学研究科(現・東京科学大学工学院)博士課程建築学専攻を修了後、清水建設株式会社勤務を経て、1981年4月より松屋産業株式会社に勤務。1985年8月には同社代表取締役に就任した。1991年5月からは松屋総合研究所の代表も務めている。 日本建築学会終身正会員[要出典]、土木学会会員[要出典]、日本コンクリート工学会会員[要出典]でもある。工学博士、デザイナー、手すり研究家、錦帯橋研究家、書家、作詞家、作曲家など、多岐にわたる分野で活動している。
奥村 哲(おくむら さとし、1949年5月24日 - )は、… 奥村 哲(おくむら さとし、1949年5月24日 - )は、日本の中国史学者、首都大学東京名誉教授。 1949年、北海道美唄生まれ。山口県立岩国高等学校卒業。1972年京都大学文学部卒業。1978年京都大学大学院文学研究科博士課程(史学専攻)単位取得退学。1981年より名古屋工業大学講師。1986年東京都立大学人文学部助教授となり、1996年より教授。2006年都立大学にて博士号を取得(史学)。2007年首都大学東京人文科学研究科教授。2015年に定年退職し、名誉教授。
有元 秀文(ありもと ひでふみ、1949年 - )は、日本の… 有元 秀文(ありもと ひでふみ、1949年 - )は、日本の教育学者である。 山口県立岩国高等学校卒業。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業国語科教諭、文化庁文化部国語課国語調査官、国立教育研究所教科教育研究部主任研究官、国立教育政策研究所教育課程センター総括研究官などを務めた。アナウンサーの上柳昌彦は教え子。 2014年11月、『まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育/なぜ、文科省の国語教育は主張する子どもを育てられないのか!?』(合同出版)が第14回日本文芸アカデミー大賞を受賞した。
ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 -… ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 - )は、日本の元プロレス編集者。山口県岩国市生まれ。 本名は山本 隆司(やまもと たかし)。身長178cm。愛称はターザン、ター山、落武者等。 山口県立岩国高等学校卒業、立命館大学文学部中国文学専攻中退ののち、映写技師を経て、1977年に新大阪新聞社に入社した。『週刊ファイト』のプロレス担当記者を務める。 1980年にベースボール・マガジン社へ移籍する。1987年、『週刊プロレス』の編集長に就任し、のちには『格闘技通信』の編集長も兼任、“活字プロレス”、“密航”などの流行語を生む。また、『週刊プロレス』の発行部数(公称40万部)を背景に、新興団体SWSに対するバッシング・四天王プロレスの評価・インディ団体FMWのプッシュなどを行い、プロレス界に大きな影響を与えた。
佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23… 佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23日 - )は、日本の教育者、著述家。 1942年(昭和17年)2月23日、佐古利正の長男として、山口県岩国市に生まれた。 山口県立岩国高等学校卒業後、早稲田大学教育学部に進学し、1965年(昭和40年)に卒業。同年、山口県の公立高校に教諭として採用され、日本史を教えた。部活動では弓道部の顧問を預かり、昭和58年(1983年)開催の第38回国民体育大会で優勝に導いた。山口県立防府高等学校教頭、山口県立山口高等学校教頭、山口県立宇部中央高等学校校長を歴任し、2002年(平成14年)に定年退職した。 2004年(平成16年)、岩国掃除に学ぶ会を設立し代表世話人となる。
加藤 暠(かとう あきら、1941年(昭和16年)8月24日… 加藤 暠(かとう あきら、1941年(昭和16年)8月24日 - 2016年(平成28年)12月26日)は、日本の相場師。1980年代に株投機(仕手筋)集団「誠備グループ」を率いて「兜町の風雲児」と呼ばれた。2003年には株式研究の会「泰山」を立ち上げ、業界に本格復帰。加藤が手掛ける銘柄は「k筋」「k銘柄」などと呼ばれ、晩年に至るまで強い影響力を持ち続けた。 広島県佐伯郡能美島の高田村(現・江田島市能美町高田)に、6人きょうだいの4男として生まれる。7歳上の長姉、恭子の下にいた2人の兄は早くに亡くなり、弟もその後、不慮の事故が原因で、5歳で他界した。加藤は事実上、恭子と3歳年上の兄の3人きょうだいで育った。
佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 20… 佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 2022年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。本名は佐々木正路(ささき まさみち)。日本アート・シアター・ギルド(ATG)二代目社長。 ATGにて、他の映画会社とは一線を画す非商業主義的な芸術作品を製作・配給し、数多くの若手映画監督の輩出に尽力した。 永年の映画界への貢献が称えられ、日本アカデミー賞協会特別賞や文化庁映画賞(映画功労部門)を受賞。東京国際映画祭の創設にも尽力。日本映画大学の理事長も長年務めた。黒沢清がカンヌ国際映画祭ある視点部門の監督賞を受賞した「岸辺の旅」の製作。 長年 新進気鋭の若手監督や錚々たる監督(大森一樹、
杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は… 杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 岩国高校ではエース金沢宏を擁し、1955年秋季中国大会県予選準決勝に進むが山口高に敗退。翌1956年春季山陽大会では決勝に進出するが、岡山東商に大敗を喫する。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 卒業後は立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは長嶋茂雄の後継三塁手として立大黄金期後半を支え、在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1959年春季リーグではリーグ史上初の5連覇が期待されたが、高校同期の金沢を主戦投手とする早大に競り負け2位に終わる。リーグ通算79試合出場、283打数72安打、打率.254、3本塁打。
金沢 宏(かなざわ ひろし、1938年 - )は、山口県出身… 金沢 宏(かなざわ ひろし、1938年 - )は、山口県出身のアマチュア野球選手(投手)。 岩国高校では、エースとして1955年秋季中国大会県予選準決勝に進むが山口高に敗退。翌1956年春季山陽大会では決勝に進出するが、岡山東商に大敗を喫する。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に杉本公孝がいた。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。1959年春季リーグでは野村徹とバッテリーを組み、1年下の安藤元博との二本柱で活躍。木次文夫、徳武定之らの強力打線の援護もあって、4連覇を続けてきた立大に競り勝ち優勝を飾る。同季のベストナインにも選出された。直後の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。
藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は… 藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺(山口県岩国市)住職、学校法人理事長、参議院議員(1期)、山口県議会議員(4期)、旧岩国市議会議員(4期)などを務めた。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会「劇団のんた」を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞。1988年には児童劇団「ゆりかご」を設立した。 旧岩国市議会議員(4期)・山口県議会議員(4期)を経る。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬、35名中17位で当選。
十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 200… 十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 2001年9月27日)は、光写真印刷株式会社の元社長。プロ野球選手。引退後の姓は「惟村(これむら)」。 山口県岩国市出身。岩国高校では、1953年秋季中国大会準決勝に進むが、広島観音高に延長13回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、萩高に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。 卒業後、1955年に読売ジャイアンツに入団。1956年に一軍に上がり、8月から右翼手として16試合に先発出場。同年の西鉄との日本シリーズは4試合に出場し2四球を選ぶ。1957年の西鉄との日本シリーズでは第1戦、第4戦に代打で起用され連続安打。
村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は… 村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本文化史。国際日本文化研究センター・滋賀県立大学名誉教授、財団法人京都市芸術文化協会顧問、元京都市美術館館長。 1930年、山口県生まれ。1953年に京都大学文学部史学科を卒業。同大学院に学び、1958年博士課程を中退。 1958年に京都女子大学助教授となり、1966年に教授昇格。1964年、学位論文『律令国家解体過程の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年に設立された国際日本文化研究センター教授となり、1995年には定年退官し、名誉教授となった。その後も滋賀県立大学教授、京都市歴史資料館館長を兼ねた。
御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 201… 御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 2015年1月18日)は、日本の詩人、医師。広島共立病院名誉院長。医師としては本名の丸屋博名義での著書もある。 山口県岩国市出身。岩国中学校から広島高等学校に学び、1945年、岡山医科大学に入学。帰省中のその年8月、近隣の住人の消息を探りに被爆直後の広島に入り入市被爆する。1949年、峠三吉と知りあい、峠たちの詩誌『われらの詩』に1950年から寄稿をはじめる。1951年、肺結核で入院中の岩国病院の患者自治会報に掲載した詩「失われた腕に」が、政令325号(占領目的阻害行為処罰令)違反にあたるとして逮捕される(不起訴となった)。 1952年、詩集『岩国組曲』を上梓、詩誌『列島』のグループに加わる。
吉田矢 健治(よしだや けんじ、1923年(大正12年)10… 吉田矢 健治(よしだや けんじ、1923年(大正12年)10月25日 - 1998年(平成10年)11月6日)は、昭和期の作曲家。山口県岩国市出身。明治大学卒業。通称:ダヤ先生。 明治大学マンドリン倶楽部を経て、作曲家の利根一郎に師事。1950年(昭和25年) 12月よりテイチクレコード専属となり、村澤良夫歌唱の「見果てぬ夢」で作曲家としてデビュー。翌年に菅原都々子の『広東エレジー』で初ヒットを飛ばす。(尚、此の作品は後にシンガポールの演歌歌手黄清元によってカヴァーされ、現地でも広く知られる様になった。)1953年(昭和28年)からキングレコードに専属し、「あなたと共に」、「夕焼けとんび」、「山の吊橋」など昭和期に多くの曲を作曲した。
鶴田 六郎(つるた ろくろう、1916年11月10日 - 1… 鶴田 六郎(つるた ろくろう、1916年11月10日 - 1997年3月30日)は、日本の歌手。山口県大島出身。 沈没した戦艦陸奥の記念館や、作詞家星野哲郎の出身地で有名な山口県大島出身。岩国中学卒業後、日本大学芸術科に進み、同時に声楽を勉強するために東洋音楽学校にも籍を置く。東洋音楽学校在籍時に、渡辺はま子の「忘れちゃいやよ」などのヒット曲でも知られる細田義勝に見初められ、1938年(昭和13年)5月ビクターより「晴れの土俵」でデビュー。8月「カタカナ忠義」発売。この「カタカナ忠義」は国内よりアメリカ在住の日系人たちの間で評判を取り、米国でヒットする。 その後、細田がテイチクに移籍したのに行を共にする。
兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2… 兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2018年4月22日)は、日本の国文学者。 山口県生まれ。1939年九州帝国大学法文学部国史学科卒。山口県立岩国高等学校教諭などののち、1966年山口県立文書館長、1983年徳島文理大学教授を務め、1990年退任。桂園派の歌人を研究した。
奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - … 奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - 2001年3月22日)は、日本の歴史学者。立命館大学教授、部落問題研究所所長などを歴任。日本中世史、幕末史、特に郷里でもある長州藩に関係した著作多数。 1913年、山口県大島郡小松志佐村(後に大島町を経て現・周防大島町)で生まれた。旧制岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)を経て、1935年3月旧制松山高等学校文科甲類を卒業。 京都帝国大学文学部国史学科に進学し、西田直二郎に師事した。1938年、同大学を卒業。卒業論文は『近世に於ける市民的世界観への通路-主として思想史に於ける商業資本の問題-』であった。 1938年、兵庫県立豊岡中学校(現:兵庫県立豊岡高等学校)教諭となった。
田島 直人(たじま なおと、1912年(大正元年)8月15日… 田島 直人(たじま なおと、1912年(大正元年)8月15日 - 1990年(平成2年)12月4日)は、日本の男子陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック金メダリスト。位階は正五位。 大阪府において出生。その後、父の郷里である山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)に戻り、岩国尋常高等小・旧制岩国中学(山口県立岩国高校の前身)に進学。兄・田島元も三段跳の日本チャンピオンになったことのあるジャンパーで、旧制広島一中時代の織田幹雄と親交があり岩国中学に来てよく一緒に練習した。この兄と織田の影響で三段跳を始めた。 山口高校(山口大学の前身)を経て京都帝国大学経済学部(現京都大学)を卒業する。 1932年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、走幅跳で6位入賞。
佐古 利正(さこ としまさ、明治45年〈1912年〉6月26… 佐古 利正(さこ としまさ、明治45年〈1912年〉6月26日 - 平成10年〈1998年〉9月22日)は、日本の神職、教育者。宇津神社宮司。 明治45年(1912年)6月26日、佐古吉浦・しづ夫妻の五男として、山口県都濃郡鹿野町(現周南市)に誕生した。 昭和5年(1930年)、旧制山口県立岩国中学校を卒業すると、姉幸嬰の強い影響を受けて、同年4月1日に神宮皇學館本科第二部に入学した。同期には呉市出身の白石舜逸がいた。在学中の昭和7年(1932年)5月、神宮皇學館大講堂に於いてジョセフ・ウォーレン・ティーツ・メーソンの「神道の創造性について」という講演会が開かれこれに出席すると強い衝撃を受け、メーソンの『神ながらの道』を日夜読み耽ったという。
曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月… 曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月16日 - 2013年(平成25年)11月27日、旧姓:山本)は、日本の教育者、教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。 福岡教育大学教育学部教授、韓国社会事業大学(現大邱大学校)教授・大学院長、社会福祉法人しいのみ学園理事長兼園長を歴任。関西大学法学士、広島文理科大学文学博士、九州大学医学博士。福岡教育大学名誉教授、韓国・建陽大学校名誉教授、中国・長春大学名誉教授、上海・華東師範大学名誉教授、モスクワ心理教育大学名誉教授。大韓民国国民勲章受章、ペスタロッチー教育賞受賞。吉川英治文化賞受賞。
佐藤 武夫(さとう たけお、1899年10月22日 - 19… 佐藤 武夫(さとう たけお、1899年10月22日 - 1972年4月11日)は、日本の建築家。建築音響工学の先駆者。 日本建築学会元会長、同名誉会員、日本建築家協会終身正会員、英国王立建築家協会名誉会員。日本芸術院賞受賞者。 オーディトリウム設計の第一人者として、さらに市庁舎、市民会館、公会堂などが彼の数多い作品の中でも圧倒的に数が多い。科学者としての学識、一方で新劇運動に熱中し、劇場史を研究するほどの芸術青年で分離派時代の山口文象をしてまったくシャッポを脱がされた、といわしめたほどのスケッチの名手、作品はその天賦の芸術家の才能と、情熱のぬくもりがあるとされ、また塔も多く、”塔の佐藤"ともいわれるゆえんである。
宇野 千代(うの ちよ、1897年〈明治30年〉11月28日… 宇野 千代(うの ちよ、1897年〈明治30年〉11月28日 - 1996年〈平成8年〉6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。日本芸術院会員。 山口県玖珂郡横山村(現・岩国市)出身。実家は酒造業を営む裕福な家だが、父親は生涯生業に就いたことはなく、博打好きだった。幼い頃に母親が没し、父親は千代と12歳しか違わない若い娘と再婚。実母と思って育ち、大変慕っていた。
青木 武三(あおき たけぞう、1894年(明治27年)3月2… 青木 武三(あおき たけぞう、1894年(明治27年)3月21日 - 1982年(昭和57年)8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 山口県出身。岩国中学校(現山口県立岩国高等学校)を卒業し、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第21連隊付となる。1919年(大正8年)5月、操縦術を修了し、同年12月、航空第2大隊付となる。航空第3大隊付を経て航空第3大隊中隊長に就任し、1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵に転じ航空兵大尉となる。以後、明野陸軍飛行学校教官、陸軍航空本部員、第2飛行集団司令部員、同参謀、飛行第33戦隊長を歴任し、1939年(昭和14年)3月、航空兵大佐に昇進した。
末川 博(すえかわ ひろし、1892年(明治25年)11月2… 末川 博(すえかわ ひろし、1892年(明治25年)11月20日 - 1977年(昭和52年)2月16日)は、日本の法学者(民法)。法学博士(京都帝国大学・論文博士・1931年)。日本学士院会員。立命館大学名誉総長。京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長・学校法人立命館総長を歴任。立命館では末川を名誉総長として顕彰している。長男は立命館大学名誉教授で歴史学者の末川清。清の妻は日本画家・橋本関雪の孫娘。勲四等瑞宝章(1942年)、従四位(1945年)。岡松参太郎に師事。弟子に谷口知平、亀井秀夫、石本雅夫、浅井清信、草鹿浅之介、吉田五郎など。筆名に欽風生。 末川は滝川事件後、大阪商科大学で教鞭を執る傍ら、滝川事件により辞職した助教授・副手の復帰に向けて活動していた。
小野 弥一(おの やいち、1884年(明治17年)2月26日… 小野 弥一(おの やいち、1884年(明治17年)2月26日 - 1939年(昭和14年)4月6日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校33期。最終階級は海軍中将。 山口県玖珂郡玖珂町(現岩国市)出身。小野友蔵長男。岩国中学校を経て、1905年11月海軍兵学校(33期)を卒業。1906年12月に海軍少尉任官。1912年に海軍大学校乙種及び海軍大学校専修を卒業した後、音羽、韓崎の航海長を経て、1915年軍艦政本部艤装員として英国で建造中だった駆逐艦江風の艤装に従事する。 1916年海軍少佐任官。浅間、鞍馬、霧島、比叡の航海長を歴任し、1920年富士(運用術練習艦)教官兼海軍大学校教官に就任。1921年に海軍中佐に任官、海軍大学校教官専任となる。
ウーロン亭 ちゃ太郎(ウーロンてい ちゃたろう、1955年9… ウーロン亭 ちゃ太郎(ウーロンてい ちゃたろう、1955年9月8日 - 山口県岩国市に生まれる。山口県立岩国高等学校を卒業。15歳より声楽の勉強を始め、東京芸術大学音楽学部声楽科を受験したが失敗した。その後、慶応義塾大学文学部史学科にてインド仏教史をかじり卒業。33歳でオペラ落語を制作した。
平岡 秀夫 は、日本の政治家、大蔵官僚、弁護士。