平間 隼人(ひらま はやと、1996年12月16日 - )は… 平間 隼人(ひらま はやと、1996年12月16日 - )は、徳島県海部郡牟岐町出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。九州アジアリーグの北九州下関フェニックス所属。 「牟岐若潮クラブ」で軟式野球を始め、牟岐町立牟岐中学校では軟式野球部でエースを務めた。 高校はスポーツ科学科のある鳴門渦潮高に進学し、寮生活を送った。3年生のとき春季四国大会の決勝まで進むが、のちに徳島でチームメイトとなる岸潤一郎がエースを務めていた明徳義塾高に僅差で敗退した。夏には主将を務め、徳島大会決勝に進出したが、河野竜生擁する鳴門高に敗れ、準優勝で高校生活を終えた。 地元からプロ野球を目指したいという理由で、高校卒業後に四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに入団した。
西木 紳悟(にしき しんご、1988年〈昭和63年〉6月30… 西木 紳悟(にしき しんご、1988年〈昭和63年〉6月30日 - )は、日本の男子アーティスティックローラースケート選手。 徳島文理大学人間生活学部児童学科卒業。徳島県海部郡牟岐町出身。 徳島県海部郡牟岐町出身。日本ローラースポーツ連盟、徳島県ローラースケート連盟、コンドーローラークラブ所属。徳島市立論田小学校、徳島市立南部中学校、徳島県立小松島西高等学校、徳島文理大学人間生活学部児童学科を卒業。 世界規模のアーティスティックローラースケート大会でトリプルアクセルジャンプを成功したたった2人のうちの1人。2009年ワールドゲームズ日本代表。アジアローラースポーツ選手権フリースケーティング種目優勝2回(2006年、2010年)、全日本ローラースケートフィギュア選手権優勝7回(2004年 - 2010年)。
根東 裕隆(こんどう ひろたか、1982年〈昭和57年〉6月… 根東 裕隆(こんどう ひろたか、1982年〈昭和57年〉6月29日 - )は、日本のバスケットボール選手。徳島県海部郡牟岐町出身。ポジションはガード。中国・四国・九州リーグ・徳島ガンバロウズオルト所属。 徳島県立海南高等学校から天理大学を経て2005年、松下電器(現パナソニック)に入社。 2010年、パナソニックを退社し、bjリーグトライアウトを受験。bjリーグドラフト会議全体3位指名で新潟アルビレックスBBに入団し、2012-13シーズンまでの3シーズン在籍。 2013年オフ、NBLに参入する熊本ヴォルターズへ移籍。 2014年9月、新潟アルビレックスBBに練習生として復帰。10月に選手契約を締結。
杉口 秀樹(すぎぐち ひでき、1979年8月11日 - )は… 杉口 秀樹(すぎぐち ひでき、1979年8月11日 - )は、日本のスタントマン。徳島県牟岐町出身。所属はフリー。NPO法人日本エクストリームマーシャルアーツ協会代表理事。 XMA-JAPAN代表。スタジオBOSなどで講師を務める。総合エンターテイメントユニット紅音-akane-メンバー。海陽町立海南中学校、徳島県立海南高等学校卒業。血液型はO型。 徳島県牟岐町で生まれ、中学2年生時に海南町に転居。 小学2年生時に親戚の影響で器械体操を始め、スタントマンを志す。大学卒業後、2002年にジャパンアクションエンタープライズ養成部に入り、卒業後は同事務所に所属しスタント活動を開始。デビュー作は『戦国無双』のモーションキャプチャー。
竹井 清(たけい きよし、1945年 - )は、日本の国際コ… 竹井 清(たけい きよし、1945年 - )は、日本の国際コミュニケーター、ガーナのアチュワの部族長(酋長)である。生涯学習振興財団評議員。 徳島県牟岐町出身。徳島県立城東高等学校、上智大学卒業。 1981年、竹井は海外青年協力隊の村落開発普及員としてガーナのアチュワ村に入った。僻地とされた地方の生活の向上が目的であった。 現地の人々は日本人の来訪に、学校、病院の建築、道路の整備など大規模な援助を期待していたが、竹井が課せられた条件は、金銭的援助は提供されず、方法は自由、資材は現地調達というものであったから、失望を与えた。 竹井がなしえたのは、隊員に支給された薬品で、救急所を設立すること、日本の古本の絵本で小型図書館を設立すること、現地の人々とともに耕作狩猟に従事することであった。
小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月… 小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月1日 - )は、日本のフラメンコダンサー。日本フラメンコ協会理事長。徳島県海部郡牟岐町出身。武蔵野音楽大学声楽学科卒業。 1966年 スペインに渡り、マドリードの稽古場「アモール・デ・ディオス」で修業。1976年 十年に及ぶ修業を終えて帰国。2009年 6月14日、高野山真言宗総本山金剛峯寺壇上伽藍金堂にてフラメンコ奉納公演『聖なるいのち ~空海に捧ぐ~』を行う。2011年 2月27日、第15回フェスティバル・デ・ヘレスにて『ラ・セレスティーナ』招聘公演を行う。(会場:ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市ビジャマルタ劇場/演出・振付:ハビエル・ラトーレ/音楽監督:チクエロ) 1986年 『瞋恚の炎』で第18回舞踊批評家協会賞、芸術祭賞を受賞。
木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 19… 木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 1995年1月26日)は、日本の小説家。毎日新聞元編集委員。 1912年(大正元年)10月5日、徳島県海部郡牟岐町出身。 神宮皇學館(現皇學館大学)卒業後、毎日新聞に入社。 毎日新聞時代は新聞記者として数々の出来事の現場取材を経験。 毎日新聞中部本社報道部長、毎日新聞西部本社ラジオ報道部長、毎日新聞大阪本社整理部顧問を務め、毎日新聞東京本社及び大阪本社では出版局参与を務めた。 毎日新聞記者を務める傍ら、小説家としての活動を並行して進め、1960年(昭和35年)に『刀塚』が直木賞候補となった。 木本の代表作である『黒部の太陽』は、毎日新聞東京本社編集委員在任中の1964年(昭和39年)に、毎日新聞連載小説として発表した作品である。