浜田 恵造(濵田 惠造、はまだ けいぞう、1952年〈昭和2… 浜田 恵造(濵田 惠造、はまだ けいぞう、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。香川県知事(公選第17・18・19代)を務めた。 香川県観音寺市観音寺町出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。官庁訪問の時に財政だけではなく、金融や国際的なことなどもできると思い、1975年(昭和50年)に大蔵省(現:財務省)へ入省。配属先は大臣官房調査企画課(現:総合政策課)。経済見通しの調整を担当。理財局の係長時代は道路公団や住宅金融公庫の査定結果の取りまとめ業務に携わる。銀行局総務課長補佐時代では金融関係の税制を担当。1986年(昭和61年)6月に主計局主計官補佐(農林第四係主査)。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7… 加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の政治家。実業家。香川県観音寺市長(4期)。加ト吉(現・テーブルマーク)創業者。 香川県三豊郡観音寺町(現・観音寺市)出身。1951年、観音寺町立観音寺中学校(現・観音寺市立観音寺中学校)卒。中学卒業後、魚の行商を始め、1956年、20歳で加ト吉水産を創業し、社長となる。1967年、観音寺市議会議員となり、2期務め、1973年に市議会議長となった。1975年、観音寺市長に当選、1991年までの4期16年務めた。その一方で1974年、加ト吉会長に就任、冷凍食品開発で業績を伸ばした。1994年、居酒屋チェーン店の村さ来を傘下に入れ、社長を兼務。
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月… 月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任。
川端 喜久治(かわばた きくじ、1912年10月25日 - … 川端 喜久治(かわばた きくじ、1912年10月25日 - 1982年9月18日)は、香川県三豊郡観音寺町大字伊吹(現・観音寺市伊吹町、伊吹島)出身の政治家。伊吹村議会議員、観音寺市議会議員、観音寺市議会議長。 1912年(大正元年)10月25日、香川県三豊郡観音寺町大字伊吹(後の三豊郡伊吹村、現在の観音寺市伊吹町)に篠原三吉の五男として生まれ、川端虎吉の養子となった。1925年(大正14年)3月に観音寺町立伊吹尋常高等小学校を卒業した。 1932年(昭和7年)12月には応召されて佐世保海兵団に入隊し、支那事変や大東亜戦争に参加した。1945年(昭和20年)9月に召集解除されて帰郷した。 川端家の家業である漁業を継ぐと、鯛さわら縛網漁、いわし巾着網漁、いわしパッチ網漁、伊吹いりこの製造等を行い、また漁具や漁法の改良に努めた。
岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 19… 岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 1970年10月1日 )は、日本の実業家、政治家。 元衆議院議員(通算1期)。岸井成格(毎日新聞特別編集委員)の実父。 香川県豊田郡常磐村(現 観音寺市村黒町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。『連盟を脱退すべし』『満洲の我移民村』等の著書を刊行。 1917年(大正6年)東京帝国大学卒業。満洲旅行、司法官試補を経て、1919年(大正8年)11月に大阪毎日新聞入社、東京日日新聞社に勤務する。 1924年(大正13年)同社印刷部長に昇進。創立以来、社会教育協会評議員として参加。1927年(昭和2年)より1年4ヶ月間、欧米各国を視察。