堀河 俊大(ほりかわ としひろ、1989年5月28日 - )… 堀河 俊大(ほりかわ としひろ、1989年5月28日 - )は、香川県大川郡津田町(現:さぬき市)出身の元サッカー選手。ポジションは、MF。 小学校3年生時にサッカーを始め、津田中学校時代には年代別のU-13日本ユース選抜チームメンバーに選出された(メンバーには、清武弘嗣、柿谷曜一朗も)。 その後、徳島ヴォルティスユース(2007年のJFAプリンスリーグU-18四国地区優勝時キャプテン)、流通経済大学を経て、2012年にカマタマーレ讃岐へ加入。 2016年より鈴鹿アンリミテッドFCに完全移籍により加入した。 2020年2月、北海道十勝スカイアースに完全移籍により加入した。 2022年11月26日、現役引退が発表された。
山本 拓矢(やまもと たくや、1988年8月11日 - )は… 山本 拓矢(やまもと たくや、1988年8月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 香川県さぬき市出身。友達に誘われて小学5年生の頃からバレーボールを始める。 香川県立高松工芸高等学校、中央大学(高校、大学では共にキャプテンとしてチームを牽引した)を経て、2011年、パナソニックパンサーズに入団した。リベロとしてメンバーに登録され、主に永野健の控えとして出場した。2014年に現役引退し、マネージャーに就任した。運営担当としてホームゲームの企画などを行っている。
松永 昂大(まつなが たかひろ、1988年4月16日 - )… 松永 昂大(まつなが たかひろ、1988年4月16日 - )は、香川県さぬき市出身のプロ野球選手(投手)。千葉ロッテマリーンズ所属。
多田 高行(ただ たかゆき、1988年4月7日 - )は、香… 多田 高行(ただ たかゆき、1988年4月7日 - )は、香川県さぬき市出身の元プロサッカー選手。ポジションは左サイドバック・左サイドハーフ・FW。
高木 和正(たかぎ かずまさ、1984年12月17日 - )… 高木 和正(たかぎ かずまさ、1984年12月17日 - )は、香川県さぬき市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 香川西高校時代から年代別代表の常連で、高校3年次の2002年には強化指定選手としてサンフレッチェ広島に登録され、サテライト戦に出場している。 2003年に広島に入団。プロ同期入団は、松浦宏治、大久保裕樹、河原正治、田中俊也、木村龍朗。左アウトサイドでは服部公太の壁は高く、トップ下やボランチも経験するも、髙萩洋次郎や髙柳一誠などの広島ユース勢の台頭でほとんど出場機会が与えられなかった。2005年シーズンに出場機会を求めてモンテディオ山形へ期限付き移籍 するも、チャンスを生かせなかった。
岩﨑 弘志(いわさき こうじ、1984年〈昭和59年〉8月2… 岩﨑 弘志(いわさき こうじ、1984年〈昭和59年〉8月27日 - )は、MBC南日本放送のアナウンサー。香川県さぬき市出身。 2020年(令和2年)以降、最優秀賞を含めアノンシスト賞を複数回、受賞している。 広島大学を卒業後、2009年(平成21年)4月1日にMBC南日本放送へ入社。同年6月1日10時50分放送のMBC50ニュースでデビューし、その際の裏側が同年6月17日に放送されたテレビ番組『ズバッと!MBC』で取り上げられる。 MBCテレビの情報バラエティ番組『てゲてゲ』には初回放送の2010年(平成22年)5月13日から出演している。MBCラジオ『岩﨑弘志のてゲてゲハイスクール』では、番組が開始された2012年(平成24年)4月1日から13年間、『#てゲてゲハウス』では2016年(平成28年)4月から9年間司会を務め、番組イベントのてゲてゲハイスクールフェスティバルでも2016年(平成28年)から司会進行を毎年行い、時には自身も一緒に学生が披露するステージに参加。
本幸 拓真(もとゆき たくま、1984年6月9日 - )は、… 本幸 拓真(もとゆき たくま、1984年6月9日 - )は、日本のナレーター・DJ・ラジオパーソナリティーである。本名は坂上 航司(さかがみ こうじ)。 香川県さぬき市出身。京都学園大学卒業後、エフエム徳島にアナウンサーとして入社した。入社直前の2009年3月6日放送のFRIDAY ONLINE-FIVE COLORS RADIO-でデビューし、4月3日放送よりレギュラー出演していた。エフエム徳島には2年間在籍した後、2011年3月に退社した。2011年4月よりアクロス エンタテインメントに所属し、「本幸拓真」として活動を始めた。上京後、埼玉の放送局 FM NACK5 STROBE NIGHT!(NACK5) - 月曜日担当(2011年4月 - 2012年3月)を担当する。
高橋 浩司(たかはし こうじ、1982年11月12日 - )… 高橋 浩司(たかはし こうじ、1982年11月12日 - )は、香川県さぬき市出身の元プロ野球選手(捕手)。「高橋野球塾」塾長、NPO法人讃們球友倶楽部理事長。 香川県立志度高等学校時代から、パンチ力のあるバッティングが持ち味の選手として有名であった。高校2年夏は県大会準決勝で丸亀高校を相手に本塁打を放つが敗退。秋の県大会も準決勝で丸亀高と対戦して先発登板したが大差で途中から捕手を務めて敗戦。3年夏は県大会準決勝でまたも丸亀高を相手に先発完投したが延長10回で敗れ甲子園出場はならなかった。2000年のドラフト8位でオリックス・ブルーウェーブに指名され入団。なお、入団の際の契約内容はオリックスが当時下位指名の選手に対し行っていた契約金ゼロ・一軍出場数による出来高払い制の変則契約である。
中野 優作(なかの ゆうさく、1982年〈昭和57年〉3月1… 中野 優作(なかの ゆうさく、1982年〈昭和57年〉3月11日 - )は、香川県出身の日本の起業家、YouTuber。株式会社BUDDICA、BUDDICA・DIRECT株式会社、株式会社クラクションの代表取締役社長(CEO)。 1982年、香川県さぬき市生まれ。人口5,000人もいない港町で育つ。高校を1年生で中退し、友人に誘われて土木作業員として就職。 2008年10月、26歳のときに生涯年収の限界が見えたことで営業職の道を選択し、株式会社ビッグモーター(現 株式会社WECARS)讃岐店に入社。店舗No.1の売上を上げ、営業未経験から1年半の28歳で四国香川坂出店の店長に昇進。 その後、数年で幹部に昇進し、買収した子会社・株式会社ハナテンの社長に就任。
平尾 隆之(ひらお たかゆき、1979年1月10日 - )は… 平尾 隆之(ひらお たかゆき、1979年1月10日 - )は、日本のアニメーション監督、アニメーション演出家、脚本家、音響監督、小説家。香川県大川郡津田町(現・さぬき市)出身。配偶者はアニメーションの色彩設計者である千葉絵美。 マッドハウス、ufotableを経て、現在はフリーの演出家としてCLAPを中心に活動している。 大阪デザイナー専門学校アニメーション学科卒業。 1999年にマッドハウスに入社し、2002年公開の映画『千年女優』に制作進行として参加。 2003年の『TEXHNOLYZE』第8話「CRUCIBLE」にて演出デビューを果たす。 マッドハウスからufotableに移り、2008年に劇場アニメ『劇場版 空の境界 第五章 矛盾螺旋』で監督デビューを果たす。
安藝 貴範(あき たかのり、1971年1月26日 - )は、… 安藝 貴範(あき たかのり、1971年1月26日 - )は、日本の実業家。学位は学士(経営学)(大阪府立大学・1993年)。株式会社グッドスマイルカンパニー代表取締役社長(初代)。 コナミ株式会社勤務、グラムス株式会社勤務、株式会社バンプレスト勤務を経て、有限会社グッドスマイルカンパニー代表取締役社長などを歴任した。 香川県大川郡津田町(現・さぬき市)にて家具屋の息子として生まれる。家具職人をしていた祖父が起業し、戦後の家具需要で成長したこともあった。幼い頃から勉強ができ小中高と生徒会長を務めていたほか、野球にも打ち込みキャプテンにもなっていた。また当時出始めのコンピュータにも熱中し、最初の頃は近所の電気屋に1台あったものを使わせてもらっていたが、実家でアルバイトして貯めたお金やお年玉などで購入したという。
玉木 雄一郎(たまき ゆういちろう、1969年〈昭和44年〉… 玉木 雄一郎(たまき ゆういちろう、1969年〈昭和44年〉5月1日 - )は、日本の政治家、元大蔵・財務官僚。国民民主党所属の衆議院議員(7期)、国民民主党代表(初代)。 旧国民民主党代表(第2代)、同党共同代表、希望の党代表(第2代)、同党共同代表、民進党幹事長代理を歴任した。 香川県大川郡寒川町神前(現:さぬき市)に3兄弟の長男として誕生。祖父・鹿太郎は大川農協組合長、父・一将は獣医師で香川県獣医師会副会長を務めつつ兼業で農業を営み、香川県農協の畜産部長を務めた。玉木も田植えや麦蒔き、肥料や農薬の散布を手伝い、農作業から協力や共生の重要性を学んだ。 寒川町立神前小学校、寒川町立天王中学校、香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。
猪塚 武(いづか たけし、1967年9月19日 - )は、日… 猪塚 武(いづか たけし、1967年9月19日 - )は、日本の連続起業家(シリアル・アントレプレナー)。vKirirom Pte., Ltd. 代表取締役兼CEO。キリロム工科大学創業者。2代目一般社団法人WAOJE代表理事。 香川県さぬき市出身。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学修士課程修了。当初は大前研一の影響で政治家を志しており、アクセンチュアを退社後1997年東京都議会議員選挙大田区選挙区、2000年の第42回衆議院議員総選挙香川2区に立候補したがいずれも大差で敗れ、政治活動を引退。1998年に株式会社デジタルフォレスト社を設立。アクセス解析ソフトVisionalistを開発し、2009年にNTTコミュニケーションズに事業売却。
高木 智視(たかぎ ともみ、1967年3月18日 - )は、… 高木 智視(たかぎ ともみ、1967年3月18日 - )は、日本の小説家。香川県さぬき市出身。香川県立三本松高等学校卒業。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。 2005年に「KASAGAMI」で第12回三田文学新人賞受賞。作家デビュー。2007年に和歌山県にて、大桑文化奨励賞を受賞。 2009年、作品集「かさがみ」を出版。
三宅 伸吾(みやけ しんご、1961年〈昭和36年〉11月2… 三宅 伸吾(みやけ しんご、1961年〈昭和36年〉11月24日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣・第1次石破内閣)、外務大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、参議院外交防衛委員長、自由民主党政務調査会環境部会部会長、同副会長、同党参議院政策審議会副会長などを歴任した。 香川県志度町(現・さぬき市末)出身。農家の長男として生まれる。夜なべ仕事をする両親の背中を見て育つ。志度小学校の末分校に通い、ガキ大将として山里を駆け回る。 5年生からは自転車で峠を下り、本校に通学。この頃からサッカーを始める。
白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、… 白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、香川県大川郡志度町(現:さぬき市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、野球解説者。ジャニーズ事務所の社外取締役。 志度東中学・志度商高・駒澤大学のすべてで主将を務めた。志度商高では1979年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、丸亀商高に完封負けを喫した。駒澤大学に進学し、東都大学野球リーグでは1983年に、同期の鍋島博(後にNTT東京)、1年下の河野博文の両エースを擁し春秋季連続優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で近畿大を降し優勝、明治神宮野球大会では東海大に敗れ準優勝。リーグ通算73試合に出場し、打率.330(270打数89安打)、3本塁打、26打点。
石原 正裕(いしはら まさひろ、1958年 - )は、日本の… 石原 正裕(いしはら まさひろ、1958年 - )は、日本のフリーライター、プランナー。RSK山陽放送の元社員。ゲリラうどん通ごっこ軍団(通称「麺通団」)の岡山支部長。麺通団での通称は「I原D(ディレクター)」。 香川県さぬき市出身。高松第一高等学校、早稲田大学教育学部を卒業後、1981年に地元のRSKへ入社。 RSK入社後、報道記者、ディレクター等を経験。四国支社、ラジオセンター編成業務担当部長等を経て、2015年に報道部参事。ラジオでは自らの名前を冠した番組を設けたり、全国のニュース番組ではアナウンサーや記者に代わって局の代表リポートを行ったりと権限は大きい。 現在ではその興味をグルメからサッカーに切り替え、Jリーグのファジアーノ岡山のプッシュ活動に余念がない。
木村 義雄(きむら よしお、1948年〈昭和23年〉4月17… 木村 義雄(きむら よしお、1948年〈昭和23年〉4月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 厚生労働副大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、厚生政務次官(宮澤改造内閣)、自由民主党財務委員長、同党広報本部長、同党政務調査会副会長、同党副幹事長、同党国会対策委員会副委員長、衆議院災害対策特別委員長、同厚生委員長、同逓信委員長、衆議院議員(7期)、香川県議会議員(1期)などを歴任。 父は衆議院議員を務めた木村武千代。祖父は陸軍中将や衆議院議員を歴任した上原平太郎。叔父はそごう会長を務めた水島廣雄。 香川県大川郡津田町(現さぬき市)生まれ。東京学芸大学附属高等学校、中央大学商学部卒業。
竹内 肇(たけうち はじめ、1930年(昭和5年) - )は… 竹内 肇(たけうち はじめ、1930年(昭和5年) - )は、日本のバリトン歌手。四国二期会名誉顧問。元高松短期大学幼児教育学科教授。 香川大学教育学部卒業。香川県さぬき市出身。 香川県さぬき市出身。香川大学教育学部を卒業。バリトン歌手として四国二期会に所属し、高松第一高等学校音楽科教諭を定年退職後は高松短期大学幼児教育学科の教授を務めた。 1964年(昭和39年)に香川県高等学校音楽教育功労賞、2000年(平成12年)に香川県教育文化功労賞、2004年(平成16年)に東京二期会感謝状、2006年(平成18年)に香川県教育功労県知事賞、2010年(平成22年)に公益財団法人中條文化振興財団賞、2014年(平成26年)によんでん芸術文化功労賞などを受賞。
24代 式守 伊之助(にじゅうよんだい しきもり いのすけ、… 24代 式守 伊之助(にじゅうよんだい しきもり いのすけ、1919年(大正8年)4月15日 - 2013年(平成25年)2月1日)は、大相撲の立行司。式守伊之助としての在位期間は1977年11月~1984年3月。朝日山部屋所属。香川県大川郡志度町(現さぬき市)出身。本名は尾崎信雄。 父親は高砂部屋の元三段目力士。 23代木村庄之助(2代木村正直)の弟子。1935年1月場所に初代木村正義の名で初土俵。兵役で一時相撲界を離れたが、1947年6月場所に十両格最下位で復帰した。その後、木村正信時代の1961年11月場所、三役格行司に昇進。翌1962年1月場所、3代木村正直を襲名。立行司24代式守伊之助を襲名するまで16年間(96場所)も三役格行司を務めた。
和田 富士一(わだ ふじいち、1903年〈明治36年〉12月… 和田 富士一(わだ ふじいち、1903年〈明治36年〉12月10日 - 1971年 <昭和46年> 5月29日)は、日本の実業家。共和水産社長。境港商工会議所副会頭。境港水産振興協会長。位階は正六位。 香川県大川郡津田町(現・さぬき市)出身。1920年、日本水産に入り朝鮮に勤務。1937年、朝鮮日水を設立、取締役。1940年、朝鮮慶北迎日郡九龍浦学校組合議員。 1941年、九龍浦漁業組合特別議員。1942年、九龍浦邑初代邑会議員。1945年、引き揚げる。1947年、朝鮮日水を共和水産に改称、常務。1952年、社長に就任、同年に境町商業会議所議員、同年に鳥取県西部海区漁業調整委員会長。1953年、鳥取県巾着組合副組合長。
真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1… 真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。
橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 -… 橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 - 1943年〈昭和18年〉)は、朝鮮九龍浦に居住した日本人実業家。橋本善吉商店店主。 香川県大川郡小田村(のち志度町、現・さぬき市)出身。九龍浦に移住し、妹婿植村倉太郎と共同で鮮魚運搬業を経営する。所有船は海興丸、鷹丸、千代丸、平安丸で、九龍浦を根拠地に朝鮮・関東州方面を活動舞台にする。その他大敷・巾着網漁業、イワシ加工など手広く経営する。 有志と協力して小学校創設に努力して、これを実現する。1938年7月に朝鮮慶尚北道九龍浦公立尋常高等小学校増築費金1322円を寄付したため、1939年12月に褒状を下賜される。学校組合管理者に挙げられる。
蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年… 蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年1月18日)- 1941年(昭和16年)7月9日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、実業家。衆議院議員。 香川県寒川郡神前村(大川郡寒川村、寒川町を経て現さぬき市寒川町神前)で、蓮井吉平の長男として生まれた。 大川郡会議員、同郡参事会員となる。1898年(明治31年)香川県会議員に選出され、以後6期在任し県会議長、参事会員も務めた。1902年(明治35年)神前村会議員となり、6期務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に香川県第四区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 また、香川地方森林会議員、香川県水産組合長、屋島登山鉄道常務取締役、日本殖産監査役などを務めた。
松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3… 松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3月1日)- 1929年(昭和4年)11月14日)は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 讃岐国寒川郡、後の香川県大川郡富田村(大川村、大川町を経て現さぬき市)で、農業・大庄屋、松家茂太郎の二男として生まれる。郷校で学んだ後、山川塾で漢学を修め、大阪に遊学した。1894年(明治27年)家督を相続した。 1898年(明治31年)香川県会議員に選出された。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に香川県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選。以後、第11回総選挙まで当選し、衆議院議員を連続5期務めた。
小西 甚之助(こにし じんのすけ、1855年10月27日(安… 小西 甚之助(こにし じんのすけ、1855年10月27日(安政2年9月17日)- 1928年(昭和3年)6月28日)は、明治期の政治家。衆議院議員、香川県会議長。旧姓・中原、佐々木。号・渓香。 讃岐国寒川郡志度村(香川県寒川郡志度町 、大川郡志度町を経て現さぬき市志度)で、仮大庄屋・中原七郎の息子として生れ、同村の伯父・佐々木数平の養嗣子となる。1867年(慶応3年)高松藩洋式練兵場で兵学を学び、小隊司令士、教官を務めた。18歳で寒川郡長尾名村(長尾村、長尾町を経て現:さぬき市長尾名)の庄屋・小西平蔵の養嗣子となる。 1876年(明治9年)8月、有志と翼賛社を設立し自由民権運動を推進。1880年(明治13年)8月、讃岐の総代として元老院に国会開設建白書を提出した。