伊藤 元太(いとう げんた、2000年7月2日 - )は、愛… 伊藤 元太(いとう げんた、2000年7月2日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。明治安田J2リーグ・FC今治所属。ポジションは、ゴールキーパー(GK)。 2007年、帝人SSでサッカーを始め、中学校2年次にボランチからゴールキーパーへ転向した。松山工業高校進学後の2016年にはU-16日本代表候補に選出され、トレーニングキャンプに参加した。 2019年より、ヴィッセル神戸へ加入。 2022年1月8日、J2リーグのザスパクサツ群馬へ期限付き移籍。同年12月27日、J3リーグのFC今治へ完全移籍することが発表された。2024年J3第8節長野戦の後半アディショナルタイムに同点となるヘディングシュートを決め、J3では10年ぶり2人目となるGK登録選手の得点者となった。
忽那 喬司(くつな きょうじ、1997年8月20日 - )は… 忽那 喬司(くつな きょうじ、1997年8月20日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 小学校1年生の時にサッカーを始め、中学校年代からは愛媛FCのアカデミーに所属。2015年7月、トップチームに2種登録され、同年8月30日、天皇杯1回戦の多度津FC戦でトップチームデビューした。進学したびわこ成蹊スポーツ大学では、1年次から出場機会を得た。 2019年7月、2020年シーズンからの愛媛FC加入が内定し、同年9月、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認された。 2020年より、愛媛FCへ正式に加入した。 2023年、愛媛FCとの契約が満了となり退団。
清川 流石(きよかわ さすが、1996年7月20日 - )は… 清川 流石(きよかわ さすが、1996年7月20日 - )は、愛媛県松山市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。JFL・FCティアモ枚方所属。 中学校から高校まで6年間、愛媛FCのアカデミーでプレー。2011年、U-15日本代表候補に選出され、トレーニングキャンプに参加した。進学したびわこ成蹊スポーツ大学では、ゲームキャプテンとしてチームを牽引した。 2019年より、愛媛FCへ加入した。2020年12月12日、契約満了による退団が発表された。 2021年8月20日、おこしやす京都ACへの入団が発表された。2023年1月28日、退団が発表された。 2023年4月1日、飛鳥FCへの加入が発表された。
曽根田 穣(そねだ ゆたか、1994年8月29日 - )は、… 曽根田 穣(そねだ ゆたか、1994年8月29日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・愛媛FC所属。ポジションは、ミッドフィールダー。 2017年よりびわこ成蹊スポーツ大学からヴァンフォーレ甲府に加入。 2019年11月にリーグ戦4試合で2得点3アシストを記録し、11月度の月間MVPを受賞した。同年12月25日、京都サンガF.C.に完全移籍により加入すると発表された。 2021年12月23日、水戸ホーリーホックに完全移籍により加入すると発表された。 2023年からユース時代を過ごした地元の愛媛FCに完全移籍により加入すると発表された。同シーズン、35試合に出場し、5ゴールを記録。
松下 佳貴(まつした よしき、1994年3月3日 - )は、… 松下 佳貴(まつした よしき、1994年3月3日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・藤枝MYFC所属。ポジションは守備的ミッドフィールダー。 四人兄弟の四男として愛媛県松山市に生まれる。 阪南大学サッカー部では2014年に関西学生サッカーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。2015年にはユニバーシアード日本代表に選出された。 2015年7月にヴィッセル神戸から翌年の加入内定が発表された。同年8月、特別指定選手に承認され、J1リーグ戦2ndステージ9節サガン鳥栖戦で途中出場。2016年、J1リーグ2ndステージ16節の名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決めた。 2019年にベガルタ仙台へ完全移籍。
藤本 佳希(ふじもと よしき、1994年2月3日 - )は、… 藤本 佳希(ふじもと よしき、1994年2月3日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・愛媛FC所属。ポジションはフォワード。 高校卒業時にはJリーグクラブからのオファーは無く、セレクションで明治大学に進学する。明治大学体育会サッカー部時代は阪野豊史、室屋成、瀬川祐輔らとプレーし得点力を磨いた。2014年度関東大学サッカーリーグ戦で11得点を上げる活躍を見せる。 2016年、ファジアーノ岡山へ入団。ルーキーイヤーは序盤から先発での出場機会を得たが、その後は主に押谷祐樹や伊藤大介との交代での出場がメインとなった。持ち前のフィジカルを活かし、試合終盤における前線の活性化に一役買ったものの、リーグ戦で得点を挙げることは出来なかった。
久保 飛翔(くぼ つばさ、1993年11月10日 - )は、… 久保 飛翔(くぼ つばさ、1993年11月10日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、DF(CB)。 幼稚園の年少から剣道を習っていたが、日韓W杯を観たことがきっかけとなって小学校2年生からサッカーを始める。当初はFWとしてプレーしていたものの、中学3年でチーム事情からDFを経験。済美高校進学後は本格的にコンバートされ、キャプテンとして藤本佳希らと共に済美高校を高校選手権史上初となるベスト16にまで導き、自らも優秀選手として表彰されるなど実績を上げる。卒業後は慶應義塾大学に進学。スランプや怪我などで苦しんだ時期もあったが、徐々に出場機会を増やし主力として定着。4年次には主将を務め、同期の端山豪らと共にチームを支えた。
山田 貴文(やまだ たかふみ、1992年4月19日 - )は… 山田 貴文(やまだ たかふみ、1992年4月19日 - )は、愛媛県松山市出身 のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)、ディフェンダー(DF)。 Jリーグ・FC今治所属。 日章学園時代に第89回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、大会優秀選手に選ばれている。 その後、大阪体育大学を経て、2015年にJFLのホンダロックSCに加入した。 2018年に地元のFC今治に移籍。
茂本 志穂(しげもと しほ、1991年4月19日 - )は、… 茂本 志穂(しげもと しほ、1991年4月19日 - )は、愛媛県松山市出身の女子サッカー選手。九州女子サッカーリーグ・国見FCレディース所属。 ポジションは、DF。 ヘディングの強さが持ち味で、ハイボールをはね返す。フィードも正確。
小笠原 侑生(おがさわら ゆうせい、1988年4月16日 -… 小笠原 侑生(おがさわら ゆうせい、1988年4月16日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 愛媛FCユース出身。京都産業大学では2010年に関西学生サッカーリーグ2部Aブロック得点王を獲得した。2011年より愛媛FCへ入団。 2013年、V・ファーレン長崎へ完全移籍。2014年7月、クラブ側との合意により契約を解除して、長崎を退団した。 2015年、タイのナコーンパトム・ユナイテッドFCに移籍。その後、タイのクラブでプレーして2018年をもって現役を引退した。 2019年から愛媛のU-18コーチに就任。2021年4月7日に愛媛FCのトップチームコーチに就任した。
前野 貴徳(まえの たかのり、1988年4月14日 - )は… 前野 貴徳(まえの たかのり、1988年4月14日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(左サイドバック)。 愛媛FCユースから、立命館大学を経て、2011年、愛媛FCへ加入。 2013年、鹿島アントラーズへ完全移籍。 2014年には選手会長を務めたが出場機会に恵まれず、リーグ戦はわずか2試合の出場に留まる。 2015年にアルビレックス新潟へ完全移籍。 2016年9月、左外側半月板断裂の手術を受け、全治約3カ月の診断。以後、出番を失う。 2018年から愛媛FCへ復帰。 2025年1月5日、現役引退が発表。 2025年1月12日、鹿島アントラーズの強化・スカウト担当スタッフに就任。
中野 圭(なかの けい、1988年1月21日 - )は、愛媛… 中野 圭(なかの けい、1988年1月21日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 高知大学では主将を務めた。2009年の全日本大学トーナメントでは四国勢初の決勝進出を果たし、準優勝。全日本大学サッカー選手権大会にも四国代表として出場した。また、大学時代に体育の教育職員免許状を取得した。 2009年7月には特別指定選手として愛媛FCに加入。 2009年9月、モンテディオ山形への入団が発表された。 2013年、佐川印刷SCへの完全移籍を発表。2014年にはJFLベストイレブンに選出された。 2015年に指導者兼選手として愛媛県競技力向上対策本部のスポーツ専門員としてFC今治に入団した。
村上 一樹(むらかみ かずき、1987年12月21日 - )… 村上 一樹(むらかみ かずき、1987年12月21日 - )は、愛媛県松山市出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 小学校2年時にサッカーを始める。西条北中学校から西条高校に進んだ。しかし高校時代は公式戦で1勝もできない弱小チームだった。高校3年のときに、「国立大学でサッカーの強いところに行きたい」と広島大学に入学。主にボランチでプレーし、副主将として活躍した。2008年にはデンソーカップチャレンジサッカー中国・四国大学選抜、2009年には広島県国体選抜、中国・四国大学選抜に選ばれた。 2009年12月に地元の愛媛FCとFC岐阜の入団テストを受け、岐阜から内定を得た。すでに広島大学大学院工学研究科に進学が決まっていたが休学し、2010年、FC岐阜に入団した。
西岡 謙太(にしおか けんた、1987年4月15日 - )は… 西岡 謙太(にしおか けんた、1987年4月15日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 鹿児島実業高等学校の2年時に出場した全国高校サッカー選手権準決勝の国見高校戦にて50メートル、最高到達点約30メートルの大きな弧を描いた超ロングシュートを決めた。2020年1月8日、現役を引退して鹿児島ユナイテッドFCのU-15コーチに就任した。
津川 武久(つがわ たけひさ、1978年5月20日 - )は… 津川 武久(つがわ たけひさ、1978年5月20日 - )は、愛媛県松山市出身のサッカー指導者。 松山SS(松山サッカースクール)-道後中学校ー松山商業高校ー 松山商業高校時代キャプテンを務めた。 JFA公認C級コーチライセンスを保有。 2007年から地元愛媛FCの下部組織でフィジカルコーチを務め、ユース、ジュニアユース世代などを指導。2013年、トップチームのフィジカルコーチに就任した。2014年、契約満了に伴い退任が発表されたが、2015年1月に再契約を結んだ。 2021年12月17日、ツエーゲン金沢のフィジカルコーチ就任が発表された。 2023年、愛媛FCのフィジカルコーチに復帰した。
雨野 裕介(あまの ゆうすけ、1978年4月10日 - )は… 雨野 裕介(あまの ゆうすけ、1978年4月10日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 サンフレッチェ広島ユースのセレクションに合格、高田豊治育成部長や小林伸二ユース監督からの熱心な誘いを受けて、1994年広島ユースに入団する。同期に、荒木亮次、安武亨ら。当時は左アウトサイドで、高校1年から2種登録選手としてトップチームに登録されJサテライトリーグに出場するなど、将来を嘱望されていた。1995年4月高校2年の時、左足首三角靱帯断裂の大怪我を負う。医師から引退を勧められたが、現役復帰を目指し高校を一時休学するなどリハビリに励む。結果1年留年したが、1997年Jユースカップ決勝に途中出場を果たしている。
武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、… 武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。 1991年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。正GKの伊藤裕二がいたため、3年間公式戦での出場機会がなかった。 1995年、開幕当初は正GKだったものの、その後ジルマールにポジションを奪われ、再び控えGKとなる。 1997年、1stステージでジルマールが退団後も、下川誠吾が正GKとなり、1998年の退団まで控えGKであった。 1999年にヴィッセル神戸に移籍し、チームの年間MVPに選ばれた。2000年に三浦知良、中山雅史の二人に100ゴール目を決められたGK。
長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛… 長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 清水東高校(武田修宏の1年後輩)から筑波大学へ進み、筑波大では中山雅史、井原正巳の1年後輩。1991年に大学を卒業し、山本昌邦にスカウトされて日本サッカーリーグ1部所属のヤマハ発動機サッカー部に入団、ヤマハからジュビロ磐田への変革期に主に右サイドバックとしてチームを支え、磐田のJリーグ昇格に貢献した。 その後、ジャパンフットボールリーグの本田技研へ移籍。1996年のジャパンフットボールリーグ優勝にも貢献した。1998年より現役を引退して同チームのコーチとなり、指導者としてのキャリアをスタート。
木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、… 木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、愛媛県松山市出身のサッカー指導者、スポーツライター、雑誌編集者。 愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部卒業後、編集プロダクションを経て、日経ホーム出版社(2008年、日経BPに合併)に編集者として勤務。1994年に退職し、スペインのサラマンカに渡る。語学学校に通い、スペイン語での指導資格を得る。1996年に教育省公認スペイン語検定上級合格。サッカー選手の経験は全くなかったが、1998年にスペインサッカー連盟公認のコーチライセンスNIVEL I、1999年には同NIVEL IIを取得し、8シーズンにわたり少年チームを指導。スペインサッカー連盟カスティーリャ・イ・レオン州監督委員会員も務めた。
佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は… 佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。愛媛県松山市出身。 第55回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、準決勝に進出し大会優秀選手に選ばれた。その後、木村和司、山本昌邦、長澤和明らとともにユース日本代表に招集された。高校卒業後、トヨタ自動車サッカー部へ加入。在籍中、日本代表に選ばれた。 Jリーグ発足の際には名古屋グランパスエイトへは移らず、トヨタ自動車東富士FCでプレーを続けたのち、引退。現在はトヨタ自動車に勤務している。