松永 久(まつなが ひさし、1964年〈昭和39年〉9月1日… 松永 久(まつなが ひさし、1964年〈昭和39年〉9月1日 - )は、日本の政治家。福岡県柳川市長(1期)。 福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校、福岡大学工学部土木工学科卒業。 1989年、柳川市役所に入庁し、下水道課長、水路課長、産業経済部長、総務部長を歴任。 2024年9月、退職。同年10月3日、翌年に予定される柳川市長選挙への立候補を表明した。 2025年4月13日投開票の市長選挙では県農政連柳川支部や県商工政治連盟柳川支部などの推薦を得た松永が新人3人の争いを制し、初当選した。 4月24日、柳川市長就任。
古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、… 古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(7期)。衆議院国家基本政策委員長、衆議院東日本大震災復興特別委員長、衆議院国土交通委員長、衆議院科学技術委員長を歴任。 父は柳川市長を5期務めた古賀杉夫。 福岡県柳川市生まれ。福岡学芸大学久留米附属中学校、福岡県立明善高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。 1971年、東大卒業後の4月に建設省(現国土交通省)に入省した。本省での勤務や外務省、静岡県警察本部、福岡県への出向を経験する。1988年、建設省を退官。 1990年、第39回衆議院議員総選挙で前年に死去した元国土庁長官・山崎平八郎の後継者として旧福岡3区から自由民主党公認で初出馬し、初当選した。
城島 光力(じょうじま こうりき、本名:城島 正光〈じょうじ… 城島 光力(じょうじま こうりき、本名:城島 正光〈じょうじま まさみつ〉、1947年〈昭和22年〉1月1日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、財務大臣(第16代)、民主党幹事長代理、民主党国会対策委員長(第18代)、民主党神奈川県連代表を歴任した。 福岡県柳川市生まれ。ラ・サール高等学校、東京大学農学部畜産獣医学科卒業。1970年、味の素に入社し、同社の中央研究所に勤務する。また味の素労働組合で委員長に就任し、食品産業労働組合協議会議長(現・日本食品関連産業労働組合総連合会)も務める。また社会経済生産性本部や現代総合研究集団でそれぞれ評議員を務め、小沢一郎を講師に招いて勉強会を開催する等、小沢が提唱していた政治改革に共感する姿勢を示していた。
古賀 杉夫(こが すぎお、1909年(明治42年)3月12日… 古賀 杉夫(こが すぎお、1909年(明治42年)3月12日 - 1996年(平成8年)8月27日)は、昭和時代の政治家。福岡県柳川市長(5期)。 福岡県三潴郡久間田村(現柳川市)出身。 1938年(昭和13年)満州国政庁役員に就任。 1943年(昭和18年)満州国興安省参事官。 1956年(昭和31年)福岡県大川市助役。 1959年(昭和34年)柳川市長就任、以後1979年(昭和54年)までの5期連続で柳川市長に就任する。
大淵 龍太郎(おおふち りゅうたろう、1856年4月3日(安… 大淵 龍太郎(おおふち りゅうたろう、1856年4月3日(安政3年2月28日) - 1923年(大正12年)9月25日)は、日本の政治家、弁護士。 安政3年、柳河藩士大淵清吾の長男として、筑後国三潴郡蒲池村(現在の福岡県柳川市)で出生。 明治法律学校に学び、福岡県十等警部、熊本始審裁判所書記などを経て熊本区裁監督判事となり、後に弁護士となる。 政治家としては、衆議院議員を2期務めた(熊本県郡部、第7 ・9帝国議会)。 実業家としては、熊本軽便鉄道(のち大日本軌道熊本支社)の設立に甲州財閥の雨宮敬次郎と共に携わり大日本軌道の取締役を務めた。また、熊本軌道(のち熊本市電百貫線)社長や1915年に開通した御船鉄道の取締役なども務めた。
由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11… 由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11月26日)- 1925年(大正14年)7月22日)は、幕末の柳河藩士、明治から大正期の政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下奥州小路(福岡県山門郡城内村字奥州町、柳川町を経て現柳川市奥州町)で、柳河藩士の家に生まれた。1861年(文久元年9月)家督を相続した。藩校伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)で学んだ。戊辰戦争に従軍し、二等小隊長に就任。東京市中取締に従事。1870年(明治3年10月)に帰藩した。以後、柳河藩二等隊長、三潴県凖等外戸長、福岡県9等属などを歴任した。 1878年(明治11年)12月、福岡県会議員に選出され、8期在任し、同常置委員、同議長も務めた。
立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)-… 立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)- 1916年(大正5年)9月29日)は、幕末の柳河藩士、明治期の公吏・実業家・政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下(柳河県、三潴県、福岡県山門郡城内村、柳川町を経て現柳川市)で、柳河藩で中老を務めた立花家(家禄350石)に生まれた。1863年(文久3年6月)家督を相続した。1868年(慶応4年)侍頭となる。藩の軍政改革で断隊が設けられ、同年4月17日(旧暦3月25日)後断隊の隊長に就任。戊辰戦争で断隊に東京警固が命ぜられ藩主立花鑑寛と共に同年7月31日(旧暦6月12日)大坂を出発し、1869年2月3日(慶応4年12月22日)に帰藩した。
曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12… 曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12月25日〈1844年2月13日〉- 昭和10年〈1935年〉11月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将勲一等子爵。憲仁親王妃久子は玄孫にあたる。 家禄は120石の柳河藩士・曾我祐興(七郎左衛門)の次男として生まれる。兄は曽我祐正。母は国学者の西原晁樹の次女の民子。元治2年(1865年)に長崎へ出て洋学を学ぶ。学問や武道を好み、長崎では砲術も学び、イギリス商人のトーマス・ブレーク・グラバーの援助で上海・香港・シンガポールを航海し、航海術を学んだ。また同じく長崎で、西坂にあった瓜生寅の仮塾や榎津町にあった柴田昌吉の柴田塾に学び、関沢明清らと懇意にした。
岡田 孤鹿(おかだ ころく、1834年8月24日(天保5年7… 岡田 孤鹿(おかだ ころく、1834年8月24日(天保5年7月20日)- 1906年(明治39年)5月3日)は、日本の幕末から明治期の武士(柳河藩士)、政治家。衆議院議員。旧姓・橋爪、幼名・亀治、旧名・作蔵、種井。 筑後国山門郡柳川城下奥州小路(現柳川市奥州町)で、柳河藩士・橋爪新五郎の二男として生まれ、19歳で同藩士・岡田黙鴎の長女キヨと結婚し岡田家の養子となり、名を作蔵と改めた。藩では、御広間詰、聞次役(江戸藩邸)、普請役、三ノ丸蔵役、物成役、大坂蔵屋敷在勤、京都留守居役兼元締役、小荷駄奉行補助兼公用人元締役などを歴任。明治2年(1869年)藩から公議人に選出され東京の公議所での審議に加わる。