スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 香菜子(やまだ かなこ、1982年4月7日 - )は、… 山田 香菜子(やまだ かなこ、1982年4月7日 - )は、関東地方を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー、書家。ジョイスタッフ所属。 福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校、千葉大学園芸学部緑地・環境学科卒業。 大学を卒業後、2005年4月に山口朝日放送 (yab) に入社。アナウンサーとしての採用であるが、同局では取材のアポ取りからカメラ撮影、テロップ入れに至るまで番組制作のあらゆる作業に携わっていた。また、地上デジタル放送推進大使も務めていた。自社のローカル番組のほか、朝日放送の『朝だ!生です旅サラダ』やテレビ朝日の『サンデースクランブル』にもリポーターとして出演することがあった。 2011年12月末に山口朝日放送を退社し、2012年1月からジョイスタッフ所属のフリーアナウンサーとして活動。
井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳… 井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳川市出身の写真家。
甲斐田 貴之(かいだ たかゆき 1973年1月18日 - 山… 甲斐田 貴之(かいだ たかゆき 1973年1月18日 - 山羊座)は、福岡県柳川市大和町出身のフリーアナウンサー。血液型A型。柳川市立六合小学校、同大和中学校、福岡県立伝習館高等学校、広島大学卒業。中学高校英語と中学社会の教員免許所持。兄妹は妹がひとり。既婚。
樋口 尚也(ひぐち なおや、1971年4月11日 - )は、… 樋口 尚也(ひぐち なおや、1971年4月11日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、文部科学大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)を務めた。 1971年、福岡県に生まれる。 柳川市立柳河小学校、柳川市立柳城中学校、福岡県立伝習館高等学校を経て、創価大学法学部に進学。1994年3月、創価大学法学部を卒業。同年4月、清水建設入社。2012年10月、清水建設関西事業本部営業課長を退職。 2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に公明党から比例近畿ブロック(単独3位)で出馬し、初当選を果たした。2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に再び公明党から比例近畿ブロック(単独3位)で出馬し、再選される。
鳥取 三津子(とっとり みつこ、1964年(昭和39年)12… 鳥取 三津子(とっとり みつこ、1964年(昭和39年)12月31日 - )は、日本の経営者、元客室乗務員。日本航空(JAL)代表取締役社長。 福岡県久留米市出身。福岡県立伝習館高等学校、活水女子短期大学英文科卒業。1985年4月、東亜国内航空(TDA、後のJAS・日本エアシステム)に客室乗務員として入社。1988年には定期国際線への進出に伴い国際線担当の乗務員となる。JALとJAS合併の際は客室乗務員ではなく、安全関連の業務を担当し両社の客室乗務員の安全マニュアルの再編に携わった。2015年5月、成田第1客室乗員部第2客室乗員室長。16年5月、成田第2客室乗員部長。19年4月、野見山エアライン客室安全推進部長。
松永 久(まつなが ひさし、1964年〈昭和39年〉9月1日… 松永 久(まつなが ひさし、1964年〈昭和39年〉9月1日 - )は、日本の政治家。福岡県柳川市長(1期)。 福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校、福岡大学工学部土木工学科卒業。 1989年、柳川市役所に入庁し、下水道課長、水路課長、産業経済部長、総務部長を歴任。 2024年9月、退職。同年10月3日、翌年に予定される柳川市長選挙への立候補を表明した。 2025年4月13日投開票の市長選挙では県農政連柳川支部や県商工政治連盟柳川支部などの推薦を得た松永が新人3人の争いを制し、初当選した。 4月24日、柳川市長就任。
江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の情報… 江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の情報史学者、評論家。麗澤大学客員教授。 専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史。 福岡県大川市生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業。1984年、九州大学文学部哲学科を卒業。 「日本を守る国民会議」事務局、日本青年協議会月刊誌『祖国と青年』編集長を経て、1997年から日本会議事務総局に勤務、日本会議国会議員懇談会の政策研究を担当する専任研究員。 2020年3月には渡瀬裕哉、倉山満とともに「救国シンクタンク」を設立した。
丸田 輝久(まるた てるひさ、1959年11月29日 - )… 丸田 輝久(まるた てるひさ、1959年11月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー。 有限会社メディアシップが運営する九州アナウンスセミナー主宰。 アマチュア無線3級技士。女流講談師の神田紅より「金印亭紅丸」を拝命。出身は福岡県大川市。血液型はB型。 大川小学校、福岡教育大学附属久留米中学校、福岡県立伝習館高等学校卒業後、福岡大学商学部に入学する。同大アナウンスメント研究会11期生。 卒業後、1982年の熊本県民テレビ開局と同時にアナウンサーとして入社。開局第一声のニュースを担当したほか、報道記者やカメラマン、ディレクターも兼務した。 その後1991年に熊本県民テレビを退社、同年開局したTVQ九州放送に転職し、おもに報道記者・デスクとして2001年に退社するまで活動した。
二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は… 二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 伝習館高校では投手で4番を打ち、1年秋は県南部大会決勝へ進むが柳川商・久保康生と投げって敗退。社会人野球の三協精機へ入社するが野球部が休部となり、九州産交に移籍。社会人では三塁手に転向。1982年の都市対抗に電電九州の補強選手として出場。同年に日本ハムファイターズからドラフト3位指名され入団。 1983年、左翼手の定位置を得て打率.282、13本塁打、35打点の好成績を記録し、新人王を獲得。 1984年には規定打席(26位、打率.258)に到達。入団から4年連続で二ケタ本塁打を放つ等活躍した。 長嶋茂雄が解説者時代、日本ハムのキャンプ取材で彼を熱心に打撃指導していたシーンが、テレビの珍プレー番組でよく放送されていた。
笠間 裕治(かさま ゆうじ、1959年7月2日 - )は、日… 笠間 裕治(かさま ゆうじ、1959年7月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)、バレーボール指導者。 福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校から中央大学(経済学部)に進学。1982年に卒業後、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)に入社し、NKKナイツの選手として活躍した。 ユニバーシアード大会には、1981年大会・1983年大会に出場した。 1988年ソウルオリンピック出場(10位)。 母校・中央大学バレーボール部の監督も務めた。
江﨑 孝(えさき たかし、1956年8月11日 - )は、日… 江﨑 孝(えさき たかし、1956年8月11日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の元参議院議員(2期)。 自治労の組織内候補であった。 福岡県三橋町(現:柳川市)生まれ。現在は東京都在住、福岡県立伝習館高等学校、法政大学社会学部卒業。 1979年、三橋町役場に就職。在職中から労働組合運動に参加し、1991年より三橋町役場職員労働組合書記長を務める。2004年より自治労福岡県本部書記長、2007年より自治労中央本部労働局長。その後、自治労中央本部特別執行委員(公務員制度改革担当)を務める。 2010年の第22回参議院議員通常選挙では、自治労の組織内候補であった高嶋良充の引退に伴い、民主党公認で比例区から出馬し、初当選した。
古賀 道雄(こが みちお、1943年(昭和18年)11月25… 古賀 道雄(こが みちお、1943年(昭和18年)11月25日 - )は、日本の政治家。元福岡県大牟田市長(第25・26・27代)、元大牟田市議会議員(3期)。旭日小綬章。 1943年(昭和18年)福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業後、早稲田大学第一政治経済学部政治学科に進学。1966年(昭和41年)3月に卒業し、同年4月、三井金属鉱業株式会社に就職。1989年(平成元年)10月、同社三池事務所の所長に就任。 1991年(平成3年)5月2日、大牟田市議会議員に就任。同市議会議員を3期12年務める。2002年(平成14年)9月には、三井金属鉱業株式会社を退職。 2003年(平成15年)5月1日、任期満了により市議を辞職。
下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、… 下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、日本の女優、声優。福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。劇団手織座を経て、プロダクション・タンク所属。下川 清子の名を使っていた時期もある。地方出身を活かして柳川弁や久留米弁の方言指導も行う。
開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 19… 開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 1993年9月23日)は、日本の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子400mメドレーリレー銅メダリスト。現在の福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。中央大学卒業。
内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)… 内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)、1936年(昭和11年)6月6日 - 2006年(平成18年)11月3日)は、日本の歌手・作曲家。血液型AB型。 福岡県柳川市出身。 父親は戦争中に松永伍一と同じ軍需工場に勤務していた。高校時代は水泳選手として活躍。水泳は後々まで趣味としており、営業には欠かさず水着を持参していた。また隠れマッチョ芸能人として知る人ぞ知る存在であり、晩年まで腕立て伏せ150回を日課としていた。 1957年ころから福岡県内のベースキャンプで音楽活動を開始。クラブやキャバレーでの営業を経て、1967年に小林正樹・岩城茂美・森本繁・宮本悦朗らと「内山田洋とクール・ファイブ」を結成、長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属となる。
古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年1… 古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年12月10日)は、日本の競泳選手。福岡県大川市出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 大川市立川口中学校、福岡県立伝習館高等学校、早稲田大学商学部卒業。 1954年7月7日、ホノルルで開催されたハワイ国際招待水上競技大会で20年ぶりに高橋成夫の持つ50m自由形の日本記録を更新した。 1956年日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会の100m・200m自由形で2冠を達成し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、800mフリーリレーで4位になった。
目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 20… 目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 2019年12月17日)は、日本出身の都市研究者。社会工学者。都市経済工学者。交通工学者。南カリフォルニア大学名誉教授。ウィラメット大学経営大学院客員教授など。歴史の真実を求める世界連合会創設者・初代代表。福岡県出身。 朝鮮京城府生まれ。福岡県立伝習館高等学校から、東京大学に進学。1957年、東京大学工学部建築学科卒業時は総代。卒業設計を手伝いにきていた女性と結婚。大学卒業後は同大学大学院建築学専攻修士課程に進学し、丹下健三に師事。建築家志望であったが、1959年、同大学院修士課程修了後、博士課程進学の直後、フルブライト留学生として都市計画・都市経済学分野を修めるべく渡米し、プリンストン大学建築学部大学院都市計画学専攻修士課程に進学。
廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - … 廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経… 望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経済学者。松山大学名誉教授。経済学博士(神戸大学)。専攻は、社会政策。松友孟を中心とした愛媛県社会経済研究財団の研究会にたびたび参加し、研究報告執筆にかかわった。 このほか、愛媛県シンクタンク代表幹事、愛媛県トリガー産業推進協議会委員長など愛媛県関係の各種委員(委員長を含む)を歴任した。
高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日… 高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日 - 2021年(令和3年)1月3日)は、日本の官僚。元文部事務次官。福田淳一元財務事務次官は娘婿。 福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を経て、1953年に九州大学法学部卒業、同大学院法学研究科修了。 1989年リクルート事件に関する収賄罪容疑で逮捕。2002年最高裁判所で、「積極的な便宜供与行為をしていなかったとしても,文部省が私人の事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼等の趣旨で利益を収受したときは、収賄罪における職務関連性が認められる。 」として懲役2年6月、執行猶予4年、追徴金2270万円が確定。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
乗富 一雄(のりとみ かずお、1923年(大正12年)11月… 乗富 一雄(のりとみ かずお、1923年(大正12年)11月22日 - 2011年(平成23年)6月27日)は、日本の地震学の研究者・教育者。元日本地震学会・物理探査学会会長、九州大学・秋田大学・東北大学・東京大学地震研究所・工業技術院地質調査所(現・産業技術総合研究所)教授等を歴任。 1923年(大正12年)11月22日、福岡県に生まれ。福岡縣中學傳習館(現・福岡県立伝習館高等学校)を経て、興亜工業大学(現・千葉工業大学)に進学し、その後、東北大学で地球物理学について学ぶ。1949年(昭和24年)には同大助手となり、1956年(昭和31年)には秋田大学鉱山学部助教授に任官。1968年(昭和43年)の十勝沖地震や1983年(昭和58年)の日本海中部地震の時には地震調査を主導した。
古賀 繁一(こが しげいち、1903年4月20日 - 199… 古賀 繁一(こが しげいち、1903年4月20日 - 1992年12月4日)は、日本の経営者、造船技術者。三菱重工業社長、会長を務めた。福岡県出身。 福岡県柳川市の出身で旧制伝習館中学、旧制第五高校を経て、1926年に東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、同年に三菱造船に入社した。戦艦「武蔵」の設計に携わっていた。1964年に三菱重工業専務に就任し、1971年12月に社長に昇格した。1973年5月から1977年までに会長を務め、1977年から相談役を務めた。 国際貿易促進協会副会長、成蹊学園理事長なども歴任した。 1967年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲一等瑞宝章を受章した。 1992年12月5日肺炎のために死去。
甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日… 甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日 - 1975年(昭和50年)11月30日)は、昭和期の文部官僚、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県三潴郡蒲池村(現柳川市)で、甲木鹿松の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した。 文部省に入省し、同省嘱託、文部属兼厚生属、文部理事官などを歴任。1942年(昭和17年)大政翼賛会に転じ、錬成部副部長に就任。1944年(昭和19年)翼賛会を退職し、三笠製薬研究所を設立。戦後に株式会社に改組し三笠製薬社長に就任。三笠物産社長も務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福岡県第3区から民主自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
山崎 巌(やまざき いわお、1894年〈明治27年〉9月16… 山崎 巌(やまざき いわお、1894年〈明治27年〉9月16日 - 1968年〈昭和43年〉6月26日)は、日本の内務官僚、政治家。内務三役(警保局長、警視総監、内務次官)を経て政界入りし、内務大臣、自治大臣兼国家公安委員会委員長を歴任した。正三位。勲一等。農林大臣・逓信大臣の山崎達之輔は実兄。 福岡県大川市に生まれる。福岡県立中学伝習館、第五高等学校を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業。 同年、内務省入省。厚生省社会局長、官選静岡県知事、内務省土木局長、警保局長などを経て、1940年(昭和15年)警視総監に就任する。総監時代には企画院事件などを捜査する。東條内閣では内務次官を務める。
沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日… 沖 蔵(藏、おき おさむ、1893年(明治26年)11月2日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、大正末から昭和期の弁護士・農民運動家・政治家。衆議院議員。 福岡県山門郡水上村大字小田(東山村、瀬高町を経て現みやま市瀬高町小田)で、沖健雄の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに1922年(大正11年)同大法学部法律学科(独法)を卒業した。 弁護士を開業し、法政大学教授、上智大学講師も務めた。1923年(大正12年)から2年間、自費でドイツを中心としたヨーロッパ各国の政治経済の状況を視察して帰国し、郷里に戻った。
大津 敏男(おおつ としお、1893年(明治26年)10月2… 大津 敏男(おおつ としお、1893年(明治26年)10月26日 - 1958年(昭和33年)12月27日)は、第15代にして最後の樺太庁長官。現在の福岡県柳川市生まれ。 福岡県立中学伝習館、第五高等学校 (旧制)を経て、1918年(大正7年)、東京帝国大学法学部を卒業した。1916年軍務に服し少尉の位で陸軍主計少尉となった。1919年(大正8年)大阪府林務部に入り部長まで務めた。1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)まで内務省に入省、警視庁刑務部長、1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)まで長崎県内務部長、1935年(昭和10年)から1936年(昭和11年)は神奈川県経済部長、1936年(昭和11年)には満州国新京市の民生部総務部長。
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 19… 横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福岡県出身。村役場収入役・横山麓の長男として生まれる。中学伝習館を経て、1912年5月、陸軍士官学校(24期)を卒業、同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第24連隊付となる。1925年11月、陸軍大学校(37期)を卒業。 歩兵第24連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、朝鮮軍司令部付、欧州出張、関東軍鉄道線区司令部付、同鉄道線区司令官、関東軍司令部付などを歴任。日中戦争では歩兵第2連隊長として出征し、河北戡定作戦、徐州会戦に参加。1939年3月、陸軍少将に進級。第2野戦鉄道司令官、第1野戦鉄道司令官などを歴任し、1941年10月、陸軍中将となった。
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年〈明治23年〉7月2… 伊藤 整一(いとう せいいち、1890年〈明治23年〉7月26日 - 1945年〈昭和20年〉4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 1890年(明治23年)7月26日、福岡県三池郡高田町(現・みやま市)に父・梅太郎の長男として生まれる。1911年(明治44年)7月海軍兵学校39期を15番で卒業。海軍兵学校同期に遠藤喜一、高木武雄、山県正郷、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 1927年(昭和2年)5月、少佐でアメリカに派遣。アメリカに滞在していた時、レイモンド・スプルーアンスと深い親交を結んだ。伊藤が戦死した坊ノ岬沖海戦の際、米指揮官として攻撃命令を下したのはスプルーアンスであった。
黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年(明治20年)10月… 黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年(明治20年)10月25日 - 1954年(昭和29年)4月30日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。功三級。 太平洋戦争時の第14方面軍司令官。戦後A級戦犯容疑者として逮捕された。 福岡県柳川市の福岡県立中学伝習館を卒業し、1909年、陸軍士官学校卒(21期)。同年12月歩兵少尉、1913年、歩兵中尉となる。1916年、陸軍大学校を卒業(28期)し歩兵第47連隊中隊長となる。1917年から1918年にかけてシベリア出兵に従軍し、大尉となる。1922年、イギリス駐在、1923年、歩兵少佐となり、翌年帰国。 1928年3月、歩兵第57連隊大隊長となり、歩兵中佐となる。
安武 直夫(やすたけ ただお、1887年(明治20年)6月2… 安武 直夫(やすたけ ただお、1887年(明治20年)6月24日 - 1959年(昭和34年)3月21日)は、日本の内務官僚、台湾総督府官僚、朝鮮総督府官僚。 福岡県の田崎家に生まれ、長じて後に安武一(はじめ)の婿養子となった。1913年(大正2年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。内務省に入省し、山形県理事官、警保局事務官、朝鮮総督府事務官を歴任。さらに社会局書記官・庶務課長となり、臨時震災救護事務局書記官、資源局事務官を兼ねた。1932年(昭和7年)、台湾総督府文教局長に就任し、1935年(昭和10年)には平安南道知事に転じた。台湾総督府文教局長時代には、伝習館中学(現在の福岡県柳川市にある伝習館高等学校)の先輩でもあり親交のあった北原白秋を台湾に招聘している。
田中 壽一(たなか じゅいち、1886年(明治19年)10月… 田中 壽一(たなか じゅいち、1886年(明治19年)10月5日 - 1960年(昭和35年)11月11日)は、日本の物理学者。学校法人名城大学創設者。福岡県山門郡柳河町(現・福岡県柳川市)出身。 柳河尋常小学校、柳河高等小学校、福岡県立中学伝習館(現・福岡県立伝習館高等学校)、東京高等工業学校(現東京工業大学)電気科電気機械分科を卒業(明治42年)。卒業後逓信省(現総務省)に入り、電気事業者届出落成電気工作物の検査・監査に当たった。その当時の部下が後に東海大学を創立した松前重義である。明治45年(1912年)4月、明治専門学校(現九州工業大学)助教授となったが、大正4年(1915年)8月東北帝国大学理科大学物理学科(現東北大学理学部)に入学して勉学に励んだ。
成清 信愛(なりきよ のぶえ / なりきよ しんあい / な… 成清 信愛(なりきよ のぶえ / なりきよ しんあい / なるきよ しんあい、1886年(明治19年)1月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 福岡県山門郡小川村(瀬高町を経て現みやま市瀬高町小川)で金山王・成清博愛、以恵子の長男として生まれる。1906年(明治39年)福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)卒業後に小学校代用教員を務めた。 その後、早稲田大学法科に入学したが、1912年(大正元年)に中退して父が経営する馬上金山に入り、県内外の鉱山の経営も行った。父の死去に伴い1916年(大正5年)家督を相続。
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年1月25日 - … 北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年1月25日 - 1942年11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。帝国芸術院会員。本名:北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外に、新民謡でも『ちゃっきり節』など傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並び評される近代日本を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエを創業した。娘は三菱財閥創業家・岩崎家の末裔に嫁いだ。従弟の北原正雄は写真系の玄光社を創業した。 1885年(明治18年)1月25日、熊本県玉名郡関外目村(現:南関町)に長男として生まれ、まもなく福岡県山門郡沖端村(現:柳川市)にある家に帰る。
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977… 内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。
千蔵 尚(ちくら たかし、1882年8月26日 - 1958… 千蔵 尚(ちくら たかし、1882年8月26日 - 1958年4月7日 )は、日本の教育者、岡崎市立(町立)高等女学校二代校長、岡崎市立(町立)図書館初代館長。明治・大正期における岡崎市の教育・文化向上に貢献した。旧字体表記では千藏 尙。 福岡県山門郡大和村(現:柳川市)で農家の三男として生まれた。地元の名門伝習館中学(現福岡県立伝習館高校)を1901年(明治34年) 3月に卒業。その後上京し東京高等師範学校(現:筑波大学)に進み、1906年(明治39年)3月に本科博物学部理科博物学科を卒業。卒業後は進学し母校研究科に在籍していたが、1907年(明治40年)4月に千蔵に新設の岡崎町立高等女学校( 現:愛知県立岡崎北高等学校)への誘いがあった。
古賀 毅(こが つよし、1877年7月 - 1968年1月)… 古賀 毅(こが つよし、1877年7月 - 1968年1月)は、日本の教育者。 福岡県山門郡沖端村(後の柳川町、柳川市の一部)出身で、古賀生三の子。同じく沖端村(柳川)出身の詩人北原白秋の親友であったといわれている。中学伝習館(現:福岡県立伝習館高等学校)、1899年7月第五高等学校文科を経て、1902年7月東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。 青森県立八戸中学校教諭を経て、長崎県立島原中学校校長、埼玉県立川越中学校校長、埼玉県立熊谷中学校校長を歴任。1924年から1930年まで鹿児島県立第二鹿児島中学校校長。在任中に鹿児島県議会を説得し、第二鹿児島中学校校舎の鉄筋コンクリート造新校舎への建て替えに尽力。
藤村 作(ふじむら つくる、1875年(明治8年)5月6日 … 藤村 作(ふじむら つくる、1875年(明治8年)5月6日 - 1953年(昭和28年)12月1日)は、国文学者、東京帝国大学名誉教授。東洋大学第9代学長。 1875年、福岡県柳川で藤村順吉の次男として生まれた。橘蔭学館(のちの福岡県立伝習館高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文科大学国文学科に進学。1901年に卒業。 卒業後は、第七高等学校造士館教授に就いた。1903年より広島高等師範学校教授を務め、1910年に東京帝国大学国文科助教授となった。1922年に教授昇格。1934年からは東洋大学学長を兼任。1936年に東京大学を定年退職。1940年からは、汪兆銘政権下の北京大学で教鞭を執った。
小野 英二郎(おの えいじろう、元治元年6月23日(1864… 小野 英二郎(おの えいじろう、元治元年6月23日(1864年7月26日) - 昭和2年(1927年)11月26日)は、柳川藩士の子で、福岡県出身の財界人。ジョン・レノンの妻・オノ・ヨーコの祖父である。 筑後柳川の藩士のもとに出生した。立花四天王の小野鎮幸の末裔と言われることが多いが、小野鎮幸嫡系の大組組頭世襲家の小野家との関係は不詳である。 地元の柳河中学校を経て1880年(明治13年)、同志社英学校2年に入学する。同級生に安部磯雄や岸本能武太がいた。1883年(明治16年)、新島襄から洗礼を受ける。同年末、徴兵令改正により私立学校は徴兵免除の特典を受けられなくなったため、官立学校への転校を図り退学する。
白仁 武(しらに たけし、1863年12月1日(文久3年10… 白仁 武(しらに たけし、1863年12月1日(文久3年10月21日)- 1941年(昭和16年)4月20日)は、日本の内務官僚・実業家。官選栃木県知事、日本郵船社長、八幡製鉄所長官。 柳河藩主立花家家従・白仁成功の長男として生まれる。1883年(明治16年)家督を相続。柳河中学、共立学校、大学予備門を経て、1890年(明治23年)7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年7月、内務省に入り内務試補として会計局に配属された。 1890年11月、県治局勤務となる。以後、内務省参事官、北海道庁参事官・内務部郡治課長、同部地理課長、文部書記官、拓殖務書記官、内務事務官、内務書記官・大臣官房北海道課長、内務省神社局長兼総務局北海道課長などを歴任。
由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11… 由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11月26日)- 1925年(大正14年)7月22日)は、幕末の柳河藩士、明治から大正期の政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下奥州小路(福岡県山門郡城内村字奥州町、柳川町を経て現柳川市奥州町)で、柳河藩士の家に生まれた。1861年(文久元年9月)家督を相続した。藩校伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)で学んだ。戊辰戦争に従軍し、二等小隊長に就任。東京市中取締に従事。1870年(明治3年10月)に帰藩した。以後、柳河藩二等隊長、三潴県凖等外戸長、福岡県9等属などを歴任した。 1878年(明治11年)12月、福岡県会議員に選出され、8期在任し、同常置委員、同議長も務めた。