琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日… 琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は、菊次 一弘(きくつぎ かずひろ)。身長180cm、体重182kg、血液型はO型。得意手は左四つ、がぶり寄り。最高位は東大関(2014年9月場所〜11月場所、2016年3月場所)。愛称はキク。好物は米、しゃぶしゃぶ、プリン。既婚。左利き。締め込みの色は2017年現在青色。
富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 … 富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 - )は、九重部屋から井筒部屋、再度九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は岩木 秀之(いわき ひでゆき)。福岡県柳川市出身。182cm・148kg。最高位は西十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 後述の通り、廃業時点では嵐富士 裕紀(あらしふじ ひろゆき)を名乗っていたが、本項では十両在位時に名乗っていた富士の岩に統一して記述する。 小学校では野球をやっており、ポジションは三塁手や二塁手を務めた。小学5年生からは柔道も始めた他、地元の相撲大会にも駆り出されて出場し、毎回のように優勝したと言う。神社の奉納相撲中学生の相撲大会で優勝した際に、有望な中学生2人の存在を耳にして同大会を訪れていた年寄九重(第41代横綱・千代の山)に素質を見出され、会って話していくうちに九重は岩木少年の非常に礼儀正しい点を一遍に気に入り、岩木少年も九重の熱心な勧誘を受けて中学校卒業直後に入門した。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年… 大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年不明)は、陸奥部屋に所属した元力士。本名は廣松 英夫(ひろまつ えいお)。現在の福岡県柳川市出身。176cm、79kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1948年5月場所に初土俵、1956年3月場所に十両昇進し連続8場所務めた。1958年1月場所限りで廃業。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - … 生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - 没年不明)は、福岡県柳川市出身で、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は近藤 儀一郎。最高位は十両6枚目。 陸奥部屋に入門し、1923年1月序ノ口に就く。1932年5月十両に昇進。十両は2場所とも負け越しに終わった。1935年5月廃業。
大潮 又吉(おおしお またきち、1893年2月24日 - 1… 大潮 又吉(おおしお またきち、1893年2月24日 - 1964年4月16日)は、福岡県山門郡大和町(現在の柳川市)出身で陸奥部屋に所属した大相撲力士。本名は塩塚 又吉。最高位は東関脇。現役時代の体格は182cm、90kg。得意手は右四つ、吊り、寄り、上手投げ、突っ張り。 1911年(明治44年)6月場所、序ノ口で初土俵を踏んだ。5年後の1916年(大正5年)5月場所に十両昇進、その翌年、1917年(大正6年)5月場所には入幕を果たした。この場所、初日から勝ち続けて9連勝、千秋楽こそ預りとなったものの9勝1預無敗の堂々たる成績で優勝旗手となった(この場所、優勝は同成績の大関栃木山)。新入幕力士の無敗は1914年(大正3年)5月場所の前頭14枚目両國以来の快挙で、その後も1945年(昭和20年)11月場所の前頭10枚目千代ノ山を最後に出ていない。
佐賀ノ海 初太郎(さがのうみ はつたろう、1884年2月4日… 佐賀ノ海 初太郎(さがのうみ はつたろう、1884年2月4日 - 1937年3月24日)は、現在の福岡県柳川市出身で湊部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は松永 初太郎。7代二子山。170cm、90kg。最高位は西前頭6枚目。 生まれは福岡県三潴郡蒲池村(現在の柳川市)だが、その後佐賀市唐人町に移住。このことが、のち四股名の由来となった。 大坂相撲に在籍したが、1906年に東上。常陸山谷右エ門の弟子になり、5月に幕下付出で初土俵。1908年5月に十両昇進。1911年2月に入幕した。左四つからの上手投げ、立ち合いからの叩き込みを得意とした。1916年1月に引退し、先代師匠の未亡人と婚姻し二子山を襲名したが、常陸山の逆鱗に触れ1918年5月に廃業した。
雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 … 雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 - 1890年6月15日)は、筑後国山門郡大和村(現:福岡県柳川市)出身で追手風部屋(入門時は陣幕部屋)に所属した大相撲力士。第10代横綱。本名は塩塚 久吉で、のちに佐藤 喜太郎と名乗る。 1823年に筑後国山門郡で半農半漁を営む家の長男として生まれたが、1835年に大流行した疫病で両親・祖母を相次いで失ったため、生来の怪力を活かして力仕事をこなし、幼い弟と妹を養った。やがて力仕事だけでは養っていけなくなり、土地相撲で頭取を務めていた小櫻(京都相撲の元力士だったと伝わる)、箕嶋に指導を受けた。 やがて、土地相撲から陣幕部屋(大坂相撲)に入門したが、1846年に江戸へ出て江戸相撲・追手風の弟子となり、1848年11月場所において幕下二段目付け出しで初土俵を踏むと同時に、柳川藩の抱え力士となる。