樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11… 樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11月18日 - )は、日本の政治家、連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、一般社団法人理事・理事長、経営者。樋渡社中株式会社代表取締役、宇多津町まちづくりアドバイザー、一般社団法人巨樹の会理事、株式会社地域経済活性化支援機構社外取締役、関西学院大学大学院客員教授、一般社団法人全国空き家バンク推進機構理事長。 前武雄市長(3期)、2015年にCCCが設立した子会社ふるさとスマホ株式会社(後に株式会社TSUTAYAに吸収合併され解散)の代表取締役社長に就任、2016年から会長だった。2017年1月18日にホワイトテクノロジー株式会社を設立し、2018年8月31日まで代表取締役だった。
本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )… 本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )は、日本の政治家、建築士。神奈川県松田町長(4期)。 佐賀県武雄市出身。東海大学工学部卒業。2000年(平成12年)頃、松田町に移り住んだ。住宅建築会社社長を務める。 2013年(平成25年)9月8日に行われた松田町長選挙に立候補。現職の島村俊介との一騎打ちを制し初当選した。9月23日、町長就任。 2017年(平成29年)、再選を果たす。2021年(令和3年)、3選。 その後、2025年(令和7年)9月に改選を迎える直前に、2014年(平成26年)に定めていた「連続して3期を超えて在任することのないよう努める」とするいわゆる多選自粛条例の廃止を求める住民の直接請求が町議会で審議され、同年5月3日に条例廃止を賛成多数で可決している。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 福岡県生まれ、佐賀県武雄市出身。武雄市立武雄小学校、武雄市立武雄中学校、佐賀県立武雄高等学校、クレイトン大学教養学部政治学科卒業。 広告代理店東急エージェンシー勤務を経て、1987年に中曽根康弘(第71 - 73代内閣総理大臣)事務所に入所。1993年12月より、中曽根の秘書、公設第一秘書、政策秘書を務める。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から立候補したが、落選した。2014年3月に同党から当選していた藤巻幸夫が死去したことに伴い、同選挙におけるみんなの党比例区名簿にて、11位となっていた田中を繰り上げ当選とすることが、同年3月28日に行われた中央選挙管理会の選挙会で決定した(みんなの党の獲得議席数は7でその時点までで8位から10位の3人が既に繰り上げ当選していたため11位の田中が当選となった)。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。前参議院議員(1期)。
貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2… 貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2014年11月13日)は、日本の自治官僚、政治家。位階は従三位。第5代兵庫県知事(在任:1986年11月24日 - 2001年7月31日、4期)。 佐賀県武雄市に生まれる。佐賀県立武雄高等学校、東京都立北園高等学校を経て、東京大学法学部卒業後に旧自治省へ入省。1970年、兵庫県に総務部地方課長として出向して財政課長、農林部長、総務部長などを歴任、1980年から副知事を務める。1986年には知事となり4期15年を務めたが、任期を1年残した2001年に、辞任した。防災士を育成する特定非営利活動法人日本防災士機構会長を経て同機構顧問に就任。 2007年4月29日の春の叙勲で、旭日大綬章を受章する。
有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉… 有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉永6年9月5日)- 1914年(大正3年)12月15日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡、後の朝日村(現佐賀県武雄市朝日町)で武雄鍋島家家臣・有田(河原)竜左エ門の子息として生まれる。立野元定、草場佩川に師事し漢学を修める。 明治維新を迎え、小学校教員となるが、1886年、同志四名が各々米二百俵を出資して貸金業・甘久共同会社を設立し、同社は後に佐賀銀行の前身の一つ佐賀興業銀行に発展した。 1886年、佐賀県会議員に選出され、県議を五期、また参事会員も務めた。1908年5月、第10回衆議院議員総選挙おいて佐賀県郡部から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を一期務めた。
五十村 良行(いがむら りょうこう、1850年1月8日(嘉永… 五十村 良行(いがむら りょうこう、1850年1月8日(嘉永2年11月25日)- 1905年(明治38年)7月8日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の官僚・政治家。衆議院議員。旧姓・佐々木、名・達之助。 肥前国杵島郡武雄(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣・佐々木家に生まれ、五十村平左エ門の養子となる。漢学を修めた。 明治5年1月(1872年2-3月)石鉄県十三等出仕となり、以後、司法省十二等出仕、司法少解部、判事・高知裁判所徳島支庁在勤、脇町区裁判所長、熊本県警部兼属、熊本警察署長兼監獄署長、山梨県収税長、愛媛県収税長、大分県参事官などを歴任。 1892年2月、第2回衆議院議員総選挙おいて佐賀県第三区から出馬して二位景暢と選挙戦を戦い当選し、衆議院議員を一期務めた。
二位 景暢(にい かげのぶ、1849年(嘉永2年7月)- 1… 二位 景暢(にい かげのぶ、1849年(嘉永2年7月)- 1921年(大正10年)1月13日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。通称・徳太郎。 肥前国杵島郡武雄(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣の家に生まれる。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い、小隊司令官として羽州を転戦した。 1873年、佐賀県第三十三大区及び第三十四大区副戸長に就任。佐賀の乱では中立党に所属し武雄勢第四小隊副司令として政府軍に協力した。以後、第三十三大区及び第三十四大区副区長、学区取締、区戸長、杵島郡書記などを務め、1880年9月、杵島郡長に就任し1890年6月まで在任。この間、学校の建設、道路の整備、災害の復興などに尽力した。
山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12… 山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12年2月7日)- 1911年(明治44年)8月27日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡武雄村小楠(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣(足軽)の家に生まれる。幕末には名誉とされていた武雄領の時報役を務めた。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い羽州を転戦した。 その後、武雄軍団所史生、副戸長を務め、1880年、長崎県会議員に当選。1883年、佐賀県会議員に選出され、1887年、鎌田景弼佐賀県知事により抜擢され佐賀県属・土木課副長に就任。その後、退官して県会議員に復帰し、1902年、県会議長に就任した。
山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天… 山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天保10年5月11日〈1839年6月21日〉 - 1894年〈明治27年〉6月12日)は、日本の士族(佐賀藩士)、官僚、政治家。父は山口尚澄。通称は範蔵(はんぞう)、範造、範三、繁蔵。 「尚芳」の読みは「なおよし」とされることが一般だった。しかし、当時の官僚たちの履歴資料が『勅奏任官履歴原書』(国立公文書館所属)として1995年に刊行され、そこに載っていた読みが「ますか」であった。同資料は掲載された人々自身の閲読を経ていることから信頼性は高く、「ますか」の読みが併記されることが増えている。 幼少のころから佐賀藩武雄領主・鍋島茂義に将来性を見込まれ、佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の命令により、他の藩士子弟らとともに長崎に遊学し、オランダ語や英語を学んだ。