古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31… 古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31年〉6月30日 - )は、日本の政治家。長崎県島原市長(4期)。長崎県市長会会長。 元島原市議会議員。 長崎県島原市出身。島原市立第三小学校、島原市立第二中学校、長崎県立島原高等学校、福岡工業大学卒業。 2003年(平成15年)5月25日執行の島原市議会選挙に無所属で出馬。新人であるにもかかわらず、トップ当選を果たす。2007年(平成19年)5月27日執行の同市議選において2期目の当選。 2008年(平成20年)11月30日執行の島原市長選挙に無所属で出馬。新人で元長崎県職員の横田修一郎に僅差で敗れる。得票数は、横田:14,551票、古川:13,343票。
加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、… 加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、農林水産副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、農林水産大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、自民党長崎県連会長、長崎県議会議員(8期)、同議長などを歴任した。 長崎県島原市出身。父親の加藤清則は株式会社三青の創業者で、長崎県議会議員を務めた。長崎県立島原高等学校、日本大学理工学部をそれぞれ卒業する。 1982年に長崎県議会議員に初当選して以降8期務め、県議会議長、県連幹事長などを歴任した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長崎2区から立候補する。久間章生の元秘書で雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で立候補して保守分裂選挙となるも、奥村や民主党の川越孝洋らを破り加藤は初当選する。
伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1… 伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1974年5月1日)は、大正、昭和時代の労働運動家・政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)。衆議院鉱工業委員長、民社党中央執行副委員長。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。島原尋常高等小学校卒。東洋哲学塾に学ぶ。 その後は北海道に渡り、炭鉱夫として働く。労働運動に身を投じ、1920年歌志内炭坑労働組合組合長となる。1922年長崎県に移り、日本労働総同盟南九州連合会を結成する。1928年福岡県に移り、八幡製鉄所労働組合顧問となり、労働運動を指導する。社会民衆党福岡県連書記長、福岡県会議員を2期務めた。 戦後は日本社会党結党に参加。
臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1… 臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1月29日)- 1935年(昭和10年)6月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国高来郡島原村(現:長崎県島原市)で、臼井三平の長男として生まれる。島原学校、松風義塾、小叩塾などを経て慶應義塾で学ぶ。 1880年、同志と共に西海日報社を創立し、翌年まで同紙の記者を務めた。1888年、日本輸出米商社事務長に就任。以後、総武鉄道庶務課長、近江鉄道取締役、磯湊鉄道取締役、上野鉄道社長、吾妻川電力社長などを歴任した。 1883年、長崎県会議員に当選。1898年8月、第6回衆議院議員総選挙において長崎県第三区から出馬し当選。その後、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選。
中山 文樹(なかやま ふみき/ぶんじゅ、1862年5月13日… 中山 文樹(なかやま ふみき/ぶんじゅ、1862年5月13日(文久2年4月15日) - 1923年(大正12年)12月21日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。醸造家。大地主。貴族院多額納税者議員。 中山好樹の長子として、肥前国南高来郡島原城下(長崎県南高来郡島原町を経て現島原市)に生まれ、10歳にして家督を相続する。旧島原藩儒の白井嘉氏に文学を学ぶ。 1871年(明治4年)清酒醸造業を始める。1891年(明治24年)島原銀行、ついで島原貯金銀行を創立し各頭取を務めた。ほか、所得税調査委員、1889年(明治22年)4月、島原町会議員、南高来郡会議員、長崎県農工銀行設立委員、同農工銀行取締役、日本赤十字社特別社員を歴任した。
牧 朴真(まき なおまさ、1854年4月26日(嘉永7年3月… 牧 朴真(まき なおまさ、1854年4月26日(嘉永7年3月29日)- 1934年(昭和9年)4月29日)は、日本の官僚、政治家、実業家。県知事、衆議院議員。幼名・銑太郎。 肥前国南高来郡島原村新建(現:長崎県島原市)で、島原藩士・牧真成の長男として生まれる。 1875年1月、長崎県等外一等出仕となる。同年2月、福岡県に転じ十五等出仕・地租改正掛に就任。以後、史生、権少属、兼警部心得、少属などを歴任。 1880年4月、太政官に転じ四等属・内務部勤務となる。以後、審理局御用掛、参事院書記生、同議官補、法制局参事官、枢密院書記官などを歴任し、1889年3月に退官した。その後、総武鉄道株式会社の創立委員長となり、1890年1月、会社設立と共に社長に就任し1892年11月まで在任した。