古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)1… 古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)11月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。
検索結果:長崎県 諫早市 × 政治家・議員:7人
古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)1… 古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)11月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。
大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3… 大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3月12日 - )は、日本の政治家、歯科医師。長崎県諫早市長(2期)。元長崎県議会議員(4期)。元参議院議員(1期)。 長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、長崎大学歯学部卒業。東京都、神奈川県の歯科医院勤務を経て、福岡県福岡市博多区で歯科医院を開業し、地域の歯科医療に携わる。2002年、小沢一郎政治塾修了(同塾の第1期生)。 2003年、長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選した。2005年、長崎県議を任期途中で辞職し、第44回衆議院議員総選挙に長崎2区から民主党公認で出馬したが、自由民主党前職の久間章生に敗れ、落選した。2006年、長崎県議会補欠選挙に出馬し、当選。
小柳 冨太郎(こやなぎ とみたろう、1904年(明治37年)… 小柳 冨太郎(こやなぎ とみたろう、1904年(明治37年)9月24日 - 1983年(昭和59年)10月25日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 長崎県北高来郡諫早村原口名(現諫早市)で生まれる。1918年、諫早高等小学校を卒業後西南学院で学ぶが、1922年6月で中退した。 1940年、上海で江南工業 (株) 社長に就任。1951年4月、富陽建設 (株) を設立して社長に就任。1977年に引退した。 政界では、1937年3月に長崎市会議員に当選。1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に長崎県から出馬して当選し衆議院議員を一期務めた。1951年4月、長崎県議会議員に諫早市選挙区から民主党公認で立候補して当選し、一期在任した。
芦塚 亀三郎(蘆塚 龜三郎、あしづか かめさぶろう、1861… 芦塚 亀三郎(蘆塚 龜三郎、あしづか かめさぶろう、1861年2月〈文久元年1月〉 - 没年不明)は、日本の政治家。長崎県北高来郡諫早村長・同県同郡本野村長・同県同郡真津山村長。長崎県北高来郡生糸販売組合監事。 諫早藩士・芦塚貞右衛門の次男。幼時に鴻儒・谷口藍田の門に入り、後に福岡の藤雲館、東京和仏法律学校に学ぶが、病気のため1887年に学窓を去る。1890年、九州鉄道に就職する。1903年、選ばれて本野村村長に就職し、1907年、満期退職する。 1908年、真津山村長に推され1年半在職する。この間納税の奨励、真崎校の改築、喜々津村と数十年繁争する漁業権問題を調停解決する。1909年、諫早村長に推され、貯金組合、納税組合の設立、道路の改修、青年会の組織、蚕業の奨励、欠席児童督励等に尽瘁する。
芦塚 省三(あしづか しょうぞう / せいぞう、1851年(… 芦塚 省三(あしづか しょうぞう / せいぞう、1851年(嘉永4年9月) - 1903年(明治36年)9月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 肥前国高来郡諫早村(のち長崎県北高来郡諫早町、現・諫早市)生まれ。漢籍、英語、政治、経済、法律学を学ぶ。養蚕紡績業を営む。1874年の佐賀の乱で長崎警備諫早募兵三番隊副司令として従軍、学区取締、中学校教員、長崎商業学校(現・長崎市立長崎商業高等学校)助教諭、中学校教諭、小学校長、北高来郡教育会副会長、諫早村会議員、同村長、長崎県会議員、農談会理事となる。 1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において長崎2区から立憲革新党所属で立候補して当選した。
山本 貴三郎(やまもと きさぶろう、1846年12月20日(… 山本 貴三郎(やまもと きさぶろう、1846年12月20日(弘化3年11月3日)- 1899年(明治32年)12月22日)は、幕末の佐賀藩士、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。 肥前国高来郡、のちの長崎県北高来郡諫早町(現諫早市)で生まれた。郷校で学び、その後、熊本に遊学し漢学、武術を修めた。16歳で帰郷し、佐賀藩の選抜生となり長崎の江戸町英学校で学び、さらに何礼之に師事し英学を修めた。 1868年(慶応4年)戊辰戦争が開戦すると、副島種臣らと長崎に赴き、振遠隊として長崎、島原、大村から隊員を募り、その後、秋田に向かい新政府軍に加わった。 その後、官途には就かず天草、肥前松島、平戸などで採炭事業を営む。
山口 新一(やまぐち しんいち、1846年(弘化2年12月)… 山口 新一(やまぐち しんいち、1846年(弘化2年12月) - 1909年(明治42年)11月28日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 肥前国高来郡諫早村(のち長崎県北高来郡諫早町、現・諫早市)生まれ。漢学を学ぶ。製糸業を営む。諫早好古館教諭、諫早校校長、長崎県立諫早中学、佐賀県立神埼中学校各校長、長崎県会議員を務めた。また、諫早銀行を創立し、頭取となった。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において長崎2区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年9月の第4回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年に死去した。