園田 裕史(そのだ ひろし、1977年〈昭和52年〉2月18… 園田 裕史(そのだ ひろし、1977年〈昭和52年〉2月18日 - )は、日本の政治家、看護師。長崎県大村市長(3期)。元大村市議会議員(3期)。 長崎県大村市生まれ。大村市立竹松小学校、大村市立郡中学校、長崎県立大村工業高等学校電子工学科卒業。大村看護高等専修学校と福岡看護専門学校を卒業後、大村市立病院(現・市立大村市民病院)や大村共立病院に勤務。 2007年(平成19年)4月、大村市議会議員選挙に立候補し初当選。2011年(平成23年)、再選。 2014年(平成26年)10月5日執行の大村市長選挙に立候補するも落選。現職の松本崇が通算6期目の当選を果たした。 選挙の結果は以下のとおり。※当日有権者数:72,566人 最終投票率:62.62%(前回比:pts) 2015年(平成27年)4月、大村市議選に立候補し通算3期目の当選。
横山 寅一郎(よこやま とらいちろう、万延元年6月7日(18… 横山 寅一郎(よこやま とらいちろう、万延元年6月7日(1860年7月24日) - 大正12年(1923年)5月22日)は、衆議院議員(立憲政友会)、長崎市長。 肥前国大村に、大村藩家老横山雄左衛門の二男として生まれる。藩校五教館に学んだ。長崎県警部を務めた後、私立大村中学校(現在の長崎県立大村高等学校)の創設に加わり、校長を務めた。 長崎県会議員・同副議長を経て、1895年(明治28年)に長崎市長に就任した。3期務め、港湾改良・水道増設・市区拡張の三大事業に取り組んだ。1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。 その他、大村湾真珠株式会社社長、国光生命保険相互会社専務取締役などを務めた。
浅田 次郎(淺田、あさだ じろう、1858年(安政5年8月)… 浅田 次郎(淺田、あさだ じろう、1858年(安政5年8月)- 1899年(明治32年)11月14日)は、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。 肥前国彼杵郡、のちの長崎県東彼杵郡大村(現大村市)で生まれた。漢籍を修めた。 活版印刷業、貿易商を営む。また、長崎米穀石油取引所理事長、長崎新報社監査役、遠洋捕鯨取締役、長崎商業会議所議員などを務めた。 政界では、長崎市会議員、長崎市参事会員、徴兵参事員などを務めた。1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙(長崎県第1区、憲政党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1899年11月に死去した。
富永 隼太(とみなが はやた、1857年7月23日(安政4年… 富永 隼太(とみなが はやた、1857年7月23日(安政4年6月3日)- 1926年(大正15年)10月25日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(5期)。 肥前大村藩領彼杵郡大村(長崎県東彼杵郡大村、大村町を経て現大村市)に生まれる。生家は農業を営んだ。幼くして漢学と英学を修めた。1882年(明治15年)から8年間に渡り長崎県会議員を務め、その間、常置委員、徴兵参事員、所得税調査委員、学務委員などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では長崎県第1区から出馬し当選。第3回、第4回、第5回、第6回総選挙でも当選し衆議院議員を通算5期務めた。
今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年… 今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年1月13日)- 1916年(大正5年)1月15日)は、明治期の教育者・銀行家・政治家。衆議院議員。 肥前国彼杵郡大村(長崎県東彼杵郡西大村、大村町を経て現大村市)の農家に生まれる。小学校卒業後、長崎県師範学校を卒業した。 小学校訓導、小学校長、中学校教員、学務委員、戸長、郡書記などを歴任した。 政界では長崎県会議員に選出された。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、進歩党)で当選し、同年8月の第6回総選挙(長崎県第2区、憲政本党でも再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に連続2期在任した。 その他、玖島銀行頭取を務めた。
沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月… 沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月11日(安政2年11月3日) - 1934年(昭和9年)3月21日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 肥前大村藩士・沢山熊右衛門の長男として生まれる。長崎広運館にて英学を修める。1899年(明治32年)家督を相続した。島原水電、沢山汽船、沢山兄弟商会、遠洋漁業、九州汽船各社長、長崎銀行頭取、長崎製鉄所取締役などを歴任した。ほか、長崎市名誉参事会員、同市会議員、長崎商業会議所副会頭などを務めた。 1925年(大正14年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した。
渡辺 昇(わたなべ のぼり 、天保9年4月8日〈1838年5… 渡辺 昇(わたなべ のぼり 、天保9年4月8日〈1838年5月1日〉 - 大正2年〈1913年〉11月10日)は、日本の官僚・政治家、また剣術家。元は諱を武常と名乗った。号は東民、其鳳。位階勲等は正三位勲一等。兄とともにほぼ同時期に華族に列したが、兄が男爵どまりであったのに対し子爵に叙された。剣道の称号は範士。 肥前国大村に生まれる。江戸の神道無念流剣術道場・練兵館に入門し、桂小五郎の後を受けて塾頭を務める。尊王攘夷、倒幕運動の志士として活動し、坂本龍馬の依頼で薩長同盟を周旋した。明治政府では、大阪府知事、元老院議官、会計検査院長、貴族院議員を歴任した。また、大日本武徳会商議員を務め近代剣道の発展に尽力し、最初の剣道範士号を授与された。
楠本 正隆(くすもと まさたか、1838年4月14日〈天保9… 楠本 正隆(くすもと まさたか、1838年4月14日〈天保9年3月20日〉- 1902年〈明治35年〉2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心として知られた。 肥前大村藩士・楠本直右衛門正式(60石)の長男として玖島城下の岩船に生まれる。藩校・五教館の監察、頭取を務めた。中老として尊攘倒幕運動で活躍し、渡辺昇ら「大村藩勤王三十七士」の一人として知られる。 1868年(明治元年)、徴士として新政府に出仕。長崎府判事兼九州鎮撫使参謀助役をつとめ、1870年(明治3年)8月)に外務権大丞、1872年(明治5年)5月に外務大丞を経て、同年5月24日に新潟県令として就任する。
渡辺 清(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4… 渡辺 清(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4月12日) - 明治37年(1904年)12月30日)は、日本の官僚、政治家。元は諱を武勝、通称を清左衛門と名乗った。号は東山。 福岡県令、元老院議官、貴族院議員、福島県知事を歴任した。また華族に列し、男爵に叙された。 肥前国大村に大村藩士・渡辺巌の長男として生まれる。早くから尊王倒幕を提唱。慶応3年には藩内の佐幕派の粛清を藩主に進めるなど弟の渡辺昇とともに明治維新の志士として活動した。 鳥羽・伏見の戦いの直前、大津から京都に侵攻する旧幕府軍を阻止するために大村藩兵50名を率いて大津に入るが、他藩は出兵を躊躇したために孤立してしまう。しかし、渡辺ら大村藩兵を大軍と誤認した旧幕府軍が大津への進撃を断念したため、京都を挟み撃ちにする旧幕府軍の戦略は挫折し、その事を知った新政府から大村藩は戦後に厚遇を受けることになった。
稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、183… 稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、1834年3月1日(天保5年1月21日)- 1910年(明治43年)3月3日)は、幕末の大村藩家老、明治期の政治家・銀行家。衆議院議員、長崎区長。諱・凞孚。通称・才八郎、東馬、又左衛門。 肥前国彼杵郡大村(現長崎県大村市)で、大村藩士の家に生まれ、19歳で同藩士・稲田中衛の養子となる。藩校五教館で学んだ。1854年(安政元年)中小姓に任じられた。以後、諸稽頭取、近習番頭、御用人、長崎御用懸、家老兼烈山隊参謀、吾往隊大隊長、大村藩権大参事などを歴任。藩主大村純熈を補佐した。 廃藩置県後、西彼杵郡大串村に転居した。第二中学大区取締、第十一大区区長、兼第十三大区区長を歴任。