稲葉 早生(いなば さき、2001年10月16日 - )は、… 稲葉 早生(いなば さき、2001年10月16日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 長崎県南島原市出身。5人姉弟の次女(姉、妹、弟2人)。8歳のとき、バレーボール部に所属していた姉の影響を受け自身もバレーボールを始めた。 2020年2月5日、V.LEAGUE Division1のトヨタ車体クインシーズへの入団内定が発表された。同期入団は熊井風音。 2024年、現役引退が発表された。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り。 トヨタ車体クインシーズ
江川 湧清(えがわ ゆうせい、2000年10月24日 - )… 江川 湧清(えがわ ゆうせい、2000年10月24日 - )は、長崎県南島原市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・V・ファーレン長崎所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 中学校時代は、平日はJFAアカデミー熊本宇城、土日はFCKマリーゴールド熊本でプレー。高校進学後はV・ファーレン長崎U-18へ加入し、チームのキャプテンを務めた。また、高校2年次の2017年3月からトップチームに2種登録され、翌2018年も引き続き登録されたが、同年3月に登録が抹消された。 2019年より、トップチームへ昇格。初年度は5月に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負った影響で公式戦の出場はなかった。2020年9月23日、J2第21節のFC町田ゼルビア戦で85分から途中出場しプロデビューを果たした。
江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、… 江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 南島原市立慈恩寺小学校2年からソフトボールを始める。5歳から中学1年までは空手もやっており、大会で優勝するなど身体能力の高さを見せていた[要出典]。南島原市立西有家中学校時代は同校の軟式野球部に所属。海星高校時代には春夏共に阪神甲子園球場での全国大会に出場できなかったこともあり、プロ志望届は提出せず駒澤大学の法学部法律学科に進学した。 駒澤大学時代には、1年春からリーグ戦に出場。3年時には、日米大学野球で日本代表入り。4年秋のリーグ戦では.357と高い打率を記録するとともに、チームの2001年秋季以来の26季振り優勝および、1994年以来の勝ち点5による完全優勝に貢献した。
野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長… 野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ、本名:山本 哲博(や… 佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ、本名:山本 哲博(やまもと あきひろ)、1984年12月25日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で境川部屋所属(入門時は中立部屋)の現役大相撲力士。愛称はコテツ。好物は刺身、ビール。
氏原 ワタル(うじはら わたる、1977年3月4日 - )は… 氏原 ワタル(うじはら わたる、1977年3月4日 - )は長崎県南島原市出身のシンガーソングライター。 全ての作詞・作曲を担当し、作詞及び楽曲タイトルは一貫して日本語表記だけで、歌詞は縦型表記で行っている。テレビ東京系「銀魂」のオープニングとして起用された「曇天」及びTBS系「スーパーサッカー」のエンディングとして起用された「陽はまた昇る」については「(タイアップは)全然意識していない」「番組のスタッフが気に入ったので使ってくれた」とのこと。 1.明日は来るのか - 2.赤いサンデー - 3.三月 - 4.修羅 - 5.サブタレニアン・ベイビー・ブルース - 6.曇天 - 7.陽はまた昇る - 8.世界の果て/トーチ・ライター - 9.夜明け前/チョコレート - 10.バクチ・ダンサー - 11.ジャック・ナイフ - 12.今を生きる - 13.夢見る世界 - 14.紅蓮 - 15.KNOW KNOW KNOW - 16.道楽心情 1.ランノヴァ - 2.BackBeat - 3.In The Sun - 4.骨折り儲けの草臥れ損 1.NEWOLD - 2.SUBTERRANEAN ROMANCE - 3.The World's Edge - 4.MODERN AGE - 5.KATHARSIVILIZATION - 6.DOES - 7.INNOCENCE 1.FIVE STUFF 1.SINGLES - 2.OTHERSIDE OF DOES - 3.Neo Armstrong Cyclone Jet Armstrong Best 1.CLIP BOX - 2.LIVE IN MODERN AGE - 3.アルバム再現ライブ TRACE THE SIX - 4.DOES 10th Anniversary Live 「Thanksgiving !」 in AKASAKA BLITZ
高木 琢也(たかぎ たくや、1967年11月12日 - )は… 高木 琢也(たかぎ たくや、1967年11月12日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。大阪商業大学卒業。Jリーグ・V・ファーレン長崎の取締役兼CRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)および監督を務める。 家族は妻と一男一女。第一子の長男はサッカー選手の高木利弥。 現役時代は、184 cm・85 kg(選手時代は188cm・82kgとなっていた)という恵まれた体格を生かしたポストプレーやヘディングを武器に得点を重ねたセンターフォワード。「アジアの大砲」と呼ばれ、ハンス・オフト監督政権下の日本代表におけるキーマンであった。
岡部 まり(おかべ まり、1960年(昭和35年)1月22日… 岡部 まり(おかべ まり、1960年(昭和35年)1月22日 - )は、日本のタレント・エッセイスト・政治活動家。本名:酒井 芳枝(さかい よしえ)。 長崎県出身。グランディア所属。 長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身。県立口加高校を経て、福岡女学院短期大学英語科卒業。 テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティー、インタビュー、司会、コーディネーターの他、講演、女優業、執筆業など活動の場を広げる。中でも外国映画についての造詣が深く、映画に関するエッセー集のほかに、女性の視線で感じるエッセー集などを出版。近年では、エンタテインメント以外にも「暮らし」に関する企画のイベントや執筆にも積極的に参加している。
木村 広(きむら ひろし、1953年8月17日 - )は、長… 木村 広(きむら ひろし、1953年8月17日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎県立口加高等学校では1971年夏の全国高等学校軟式野球選手権決勝で浜田高校を降し、優勝投手に輝く。卒業後、日本大学へ進学し1974年に硬式に転向。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、1974年秋季リーグ後に二部降格(1季のみ)も経験する。4年秋はリーグ2位校として明治神宮大会に出場し、初戦で先発するが日体大に1失点で敗退。リーグ通算3勝1敗。大学同期に岩沢建一、1年下に佐藤義則がいた。 1975年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズから5位指名を受け、入団。 1980年に初の1軍入りを果たした。
雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 -… 雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 - 没年不明 )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で二所ノ関部屋所属の1960年代に活躍した元大相撲力士。本名は、岩永 尚敏(いわなが なおとし)。現役時代の体格は身長174cm、体重98kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西十両7枚目。血液型はB型。 1955年1月場所に初土俵を踏む。初土俵から負け越すことなく1958年1月場所で幕下へ昇進、幕下でも2度負け越したのみで順調に番付を上げ、1960年5月場所に21歳で新十両に昇進。その場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落。1962年3月場所で再度十両へ復帰し、その場所で10勝5敗と二桁勝利を挙げると以降十両へ定着する。
中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3… 中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3日 - 1980年(昭和55年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。位階は従四位、勲等は勲二等。 長崎県南高来郡南有馬町(現南島原市)で、船員の家の4人兄姉の末子として生まれた。1934年(昭和9年)長崎県立島原中学校卒業。 1938年に上京し、京王電気軌道入社。1942年、太平洋戦争の勃発にともなう配電統制令により、電力供給事業を関東配電(いわゆる国策会社)に譲渡したため会社を移る。徴兵され大村連隊に入隊し、日中戦争に従軍し戦傷を受けて日本に帰還し、広島の陸軍病院に入院した。 戦後、労働運動に加わり、1946年(昭和21年)電産都支部変電分会組織部長に就任。
井村 荒喜(いむら / こうき、1889年(明治22年)11… 井村 荒喜(いむら / こうき、1889年(明治22年)11月3日 - 1971年(昭和46年)5月10日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、富山市名誉市民 、不二越創業者。 長崎県南高来郡北有馬村今福(北有馬町を経て現南島原市)で、農業・井村庄太郎、きく の五男一女の末子として生まれる。有馬高等小学校を卒業し、1907年(明治40年)医師を目指して長崎の行余学舎に入学したが、実家の家計が傾き学舎を中退。長崎に残り、新聞配達、新聞記者見習いなどに従事。1913年(大正2年)11月、台湾に渡り台中の帝国製糖に入社。倉庫係、農場係、鉄道建設係で勤務。 1919年(大正8年)中越水電に招かれ支配人に就任。
井口 丑二(いのくち うしじ、慶応元年2月22日(1865年… 井口 丑二(いのくち うしじ、慶応元年2月22日(1865年3月19日)- 昭和2年(1927年)9月20日)は、日本の宗教家、政治家。 長崎県南高来郡南有馬村(現・南島原市)生まれ。 1882年-1886年、同郡口之津村小学校訓導。 1887年-1889年、口之津村役場書記、有給助役。 1890年-1898年、『長崎新聞』編集に従事。 1894年・1898年、長崎県会議員に当選。 1899年-1903年、新聞事業調査のためイギリス・フランス・アメリカ合衆国に出張。 1904年-1905年、杉井組経理担当社員として大韓帝国で勤務。 帰国後1906年に二宮尊徳を知りその研究に専念。 地方改良運動に従事する農商務省嘱託職員として岐阜県恵那郡蛭川村に入り、 1916年、廃仏毀釈の徹底した同村に大日本神国教(神国教)を創始、尊徳の思想の普及に努めた。
横田 虎彦(よこた とらひこ、1857年1月13日(安政3年… 横田 虎彦(よこた とらひこ、1857年1月13日(安政3年12月18日)- 没年不詳)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。 肥前国高来郡深江村(現:南島原市)で、豪農・横田政八の第五子として生まれる。漢籍を修め、その後、長崎に出てドイツ語を学ぶ。1875年、東京に移り小学校教員、陸軍教導団入団、新聞社創設、政党設立などの活動を行う。1882年、鹿児島に移り法律学を研究して、1885年8月、代言人試験に合格し、鹿児島に事務所を開いた。 1888年、大阪に事務所を移転。大阪市会議員、大阪府会議員、同参事会員、大阪組合弁護士会長などを歴任。また、関西日報、大阪自由新聞を発刊した。 1902年8月、第7回衆議院議員総選挙で大阪市選挙区から出馬し当選。
永野 万蔵(ながの まんぞう、1855年5月13日(安政2年… 永野 万蔵(ながの まんぞう、1855年5月13日(安政2年3月27日) - 1924年(大正13年)5月21日)は、カナダに移住したことが記録されている最初の日本人。 1855年(安政2年)、肥前国高来郡口之津村(現・長崎県南島原市)に生まれる。少年時には石炭運搬船で働いていたとも、大工の見習いをしていたともいう。のちにイギリス船に乗り組むようになった。 1877年(明治10年)5月、ブリティッシュコロンビア州ニューウェストミンスターで船を降り、カナダに入国。フレーザー川で鮭漁の漁師として働き、のちにはバンクーバーで木材を船に積み込む仕事をはじめた。1884年に日本へ一旦帰国したのち、アメリカ合衆国シアトルに渡ってタバコ屋と食堂を始めた。
大島 寛爾(おおしま かんじ、1854年1月27日(嘉永6年… 大島 寛爾(おおしま かんじ、1854年1月27日(嘉永6年12月29日)- 1933年(昭和8年)4月24日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員、埼玉県北足立郡浦和町長。 肥前国高来郡堂崎村(のち長崎県南高来郡有家町、現:南島原市)で、佐々木龍潭の三男として生まれ、大島命の養嗣子となる。長南梁、村上仏山から漢籍を学ぶ。その後、長崎の瓊林館で英書を学んだが、学費の工面のため長崎本獄吏員となり、入獄中の丸山作楽とよしみを通じた。1875年、丸山の密書を持参して上京し、職を転々としながら丸山の動きに備えていた。 丸山の陰謀が止むと、東京の茂松法学舎で法律学を学び、1880年、代言人試験に合格して、1882年、浦和町に事務所を開設した。
常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉… 常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉 - 1869年10月2日〈明治2年8月27日〉)は、現在の長崎県南島原市(旧・肥前国高来郡)出身の大相撲力士。本名、身長、体重は不明。最高位は西関脇。常盤山部屋及び玉垣部屋に所属した。鷲ヶ濱音右エ門の岳父に当たる。 1851年4月から1852年閏2月までは八戸藩、1852年11月以降は島原藩のお抱えだった。岳父が自殺して嫌疑を受けたので脱藩したが、途中で参勤行列と出合い、運良く同郷の者が居たので一行に加えてくれるように頼み、怪力を買われて駕籠担ぎとして加わった。江戸に出てからは仲間として働いていたが怪力を見出され、勧誘されて入門した。