長谷川 光一(はせがわ こういち、1972年 - )は日本の… 長谷川 光一(はせがわ こういち、1972年 - )は日本の理学者。 熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名高等学校をへて、1995年に広島大学理学部生物学科動物学専攻を卒業。2000年に関西学院大学大学院理学研究科博士後期課程を修了。理学博士。 その後、京都大学再生医学研究所研究員、南カリフォルニア大学細胞・神経科学研究科助教授などを経て、2011年から京都大学iCeMS NCBS-inStemサテライトラボグループ講師、インドNCBS・inStem助教授、2014年からオーストラリアのメルボルン大学医歯学部上級研究員。2022年(令和4年)、クオリプス(Cuorips)入社。
小野 長門(おの ながと、1960年10月26日 - )は、… 小野 長門(おの ながと、1960年10月26日 - )は、日本の金属工学者(工学博士)。崇城大学教授。熊本県玉名市出身。 熊本県立玉名高等学校を経て、防衛大学校に入学。1982年(昭和57年)、防衛大学校理工学部機械工学科を卒業する。 1991年(平成3年)6月、東京工業大学大学院理工学研究科金属工学専攻博士課程を修了、工学博士を授与される。1991年から防衛庁技術研究本部の研究員を務めた。 1992年(平成4年)10月から熊本工業大学(2000年に崇城大学に改称)工学部機械工学科で助手を勤める。その後、講師、助教授などを歴任し、2005年(平成17年)4月より崇城大学工学部機械工学科教授。 2011年(平成23年)に崇城大学の工学部長に就任、2018年(平成30年)からは研究担当の副学長も兼任した。
宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年… 宮原 道也(みやはら みちや、1907年2月26日 - 没年不詳)は、日本の医師、医学者。専門は産婦人科。 熊本県玉名市出身。旧制熊本県立玉名中学校を経て熊本医科大学を卒業した。1933年に熊本医科大学産婦人科教室に入局し、講師や医学専門部の教授を歴任した。この間、1945年10月には論文「副腎の組織呼吸に関する研究」で熊本医科大学から医学博士号を取得した。 戦後の1950年から国立熊本病院の副院長兼産婦人科部長となった。1957年、熊本市内で産婦人科医院を開業した。
五嶋 孝吉(ごとう こうきち、1906年3月18日 - 19… 五嶋 孝吉(ごとう こうきち、1906年3月18日 - 1978年3月29日)は日本の理学者。 熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、九州帝国大学臨時教員養成所、大阪帝国大学理学部卒業。 宮崎県立延岡高等女学校、熊本県立八代高等女学校教諭などを経て、奈良女子高等師範学校教諭となる。 1949年(昭和24年)、私立暁女子短期大学学長、奈良女子大学教授となり、1953年(昭和28年)に理学部長となる。 1960年(昭和35年)に3度目の理学部長に就任した。1965年(昭和40年)に奈良女子大学長に就任した。 また、大阪帝国大学から理学博士号を授与されている。
森本 茂喜(もりもと しげき、1898年2月10日 - 没年… 森本 茂喜(もりもと しげき、1898年2月10日 - 没年不詳)は、日本の医学者、医師。専門は内科、物理学。 熊本県玉名市出身。熊本県立玉名中学校卒業、第五高等学校を経て、東京帝国大学医学部を1923年(大正12年)に卒業。卒業後、東京帝国大学医学部病理学教室の助手となり、1932年(昭和7年)に医学博士号を授与された。 東京帝国大学医学部が外来医長制度を敷くに当たり、1935年(昭和10年)に初代の内科の外来医長となり、1938年(昭和13年)まで勤めた。1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)まで京橋病院の内科医長を勤め、辞任後は東京都で開業した。
田尻 寅雄(たじり とらお、1866年4月6日 - 1947… 田尻 寅雄(たじり とらお、1866年4月6日 - 1947年)は、日本の医学者。 東京芝白金に北里柴三郎が設立した「土筆ケ岡養生園」で医師として勤務し、同時に「私立衛生会伝染病研究所」の助手として細菌学研究に従事した。 熊本初のハンセン病病院、回春病院初代院長として、ハンナ・リデルを助け病院の充実に努めた。 1866年(慶応2年)熊本県玉名市天水町立花に肥後国田尻氏の本流として生まれる。 代々医師の家系で父であり医師、田尻宗彦(そうげん1824ー1896)は村田家と同様熊本藩の産科医として有名であった。細川家の上級医師(御目見医師)で、田尻宗彦の元には、唐津藩の命により草場見節が産婦人科の修行に来ていた。